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先生のこと

 「恩師」という言葉がある。私には、小中高校のそれぞれの時期に、恩師と呼んできた先生が一人ずつおられる。そのお一人は、小学校の5年生から6年生の2年間、担任して下さった先生だ。もう一人は、中学校の2年の時の担任の先生、最後は高校3年のときの担任の先生だ。
 中学のときの担任の先生は、理科の教師だったが、私が校外で大きな過ちを犯したとき、飄々と救って下さった。カトリックの信仰を持っておられたこの先生に放課後にしばしば話を聞きに行って、「信仰というものは、『このお風呂は丁度いい湯加減だよ』と言われて『そうですか』と飛び込める者だけが得られる」と言われたことは、長く私に残った。卒業後一度もお会いできないまま、5年ほど前に鬼籍に入られた。
 高校のときの担任の先生は、私がボランティアの活動に取り組むきっかけとなった出会いを作って下さった。「あいつは耳が悪い、おまえは目が悪い、おまえ達は友達になれ」という無茶振りがきっかけで、クラスが同じだった難聴の彼は、いつか私の無二の友人になり、結果的に40年を超える取り組みを私にもたらした。先生とは、賀状のやり取りだけという年月を挟んで、また謦咳に接する機会を得たが、2年前に帰らぬ人になられた。
 60年前、私が通った小学校は、分校から独立したばかりで、5、6年生のときのクラスは生徒が29人。小2で転校してきたときは、全校6学年で7、8クラスしかなかった。担任の先生は、まだ大学を出て数年と、若く、少し年上の兄のようだった。10歳を過ぎたばかりの私には、家族を除けば、初めて身近に感じた大人だった。この先生は、世間とか社会というものを意識し始めて、何か大きな訳の分からない不安を感じていた私に、若い、伸びやかな感性で、「君は大丈夫だ。これからの日々には楽しいことが沢山あるよ」と励ましてくださった。
 どの先生に出会ったときも、先生が何を教えてくださるかを、当たり前だが、私は知らなかった。武道家で哲学者の内田樹(うちだ・たつき)さんが、師弟とは、先生が何を教えてくれるかを知って学ぼうとする関係ではない、私は知らない、という意識が師に巡り会う最初の学びの姿勢なのだ、とどこかで書いていた通りだ。そもそも、どの先生も、私に何かを教えようとして働き掛けたり、話されたりしたのではなかった。いやもちろん多くのことを教えて頂いた筈だ。しかし、心に残り、私の生き方を変えたのは、教材に沿った授業や言葉ではなかった。
 人が人から学ぶのは、万人向けによく考えられ組み立てられた学びの道筋、それを具現化したシラバスに沿ってではない、「啐啄同時」と言う言葉があるが、確かに求める側の機が熟し、導く側の鼓動に交わるとき、師弟という関係が不思議に成立する。私は、そのことで、どれだけ多くを学んだか。今、言葉を交わすことができる先生はお一人だが、恩師と呼べる三人の先生を持ち得た恵みを歓び、私は、ただただ感謝する他はない。先生、ほんとうにありがとうございました。[ T.S ]

 

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投稿日:2024年02月06日