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サンタクロース

今年も12月がやってきました。
 
下の子(1歳5ヶ月)は、まだ何のことやら分かっていませんし、上の子(3歳8ヶ月)も、昨年は、まだ何のことやらあまり分かっていませんでした。
しかし、今年は、上の子は、「なにやら、一つ決めれば、それを『サンタさん』からもらえるらしい。」といういうことを認識しました。
 
この「サンタクロース」ですが、絵本「まどからおくりもの」(五味太郎)や「Santa’s Reindeer」(Nick Sharratt, Matilda Tristram, Tom Duxbury)に出てくるので、それを繰り返し読んでいる上の娘も、どういうものかはちょっとは知っています。そして、つれあいは、当然のように、その存在を前提にして、「サンタさんに何をお願いするの?」と娘に聞いています。幼稚園でも、サンタさんに手紙を書いたようです(本人にしか読めない「字」(?)でですが)。
 
しかし、私は、もの心ついたことから一度もサンタがいると信じたことはないまま、大きくなりました。それで特に不自由(?)はしませんでした。このため、「小さい子供にサンタクロースがいると思わせるのは、大人が子供を中心にそういうふりをして遊びたいから、そして、サンタを信じている子供の行動を見て楽しみたいからじゃないの?」とも思っています。
 
では、私は、3歳、4歳のころから「サンタクロースなどいない。」と確信していたかというと、そうではありません。うちでも、クリスマスツリーは、毎年、飾りましたし、ケーキも食べました。もっとも、ケーキは、かなり早い時期から、ホールケーキではなくなりましたが(理由は、当時のホールケーキはバタークリームで作られていたため、「おいしくないから」、「三角の小さいケーキの方がおいしいから」という、きわめて現実的なものでした)。そして、うちには、毎年、クリスマスになるとかけるレコードがありました。そのレコードには、サンタクロースに関するお話が入っていました。
 
そのレコードによれば、クリスマスの夜には、よい子のところには、(赤白の派手な衣装の)サンタクロースが、おもちゃのプレゼントを持ってきてくれる。わるい子のところには、名前は忘れましたが、なにやら茶色くて地味なおじさん(おそらくこの人)が、薪(当時の自分の理解では「枯れ枝」)の束をおいていく、というものでした。
 
何歳のときからだったかは忘れましたが、私は、何度か「サンタクロースっているの?」と両親に聞きました。なぜなら、私は、クリスマスのプレゼントを両親からはもらうものの、サンタクロースからはもらわないからです。その点に対する両親の答えは、「否認」でも「認める」でもなく、一貫して「不知」でした。つまり、「知らない。」だったのです。たしか、祖母にも聞いたように思いますが、祖母(今年で満101歳になりました)も「さあねえ、おばあちゃん、そういうのはよく知らないんだよ。」というようなものでした。
 
祖母の「知らない」は、「サンタクロース自体をよく知らない」ということだなと思いましたが、両親の「知らない」は、「『知らない』以外に答えないことに決めている」ということだな、と、自分なりに感じ取りました。
 
そこで、(5歳か6歳のころ?)自分なりに考えたわけですが、わりと信頼に足るであろう、両親がお店で買ってきたレコードによれば、「よい子のところには、サンタクロースが、おもちゃのプレゼントを持ってきてくれる。わるい子のところには、茶色くて地味なおじさんが、枯れ枝の束をおいていく。」という(前提1)。自分は、祖母によれば、「よい子」である。また、Uくんのおばさんも、「けんちゃんは、いい子だねえ」といつも言ってくれる。そして、誰かから「わるい子だ」といわれることはあまりない。よって、たぶん、自分は、真ん中よりは「よい子」なのだろう(前提2)。
 
しかし、(i)自分は、サンタクロースからおもちゃのプレゼントをもらったことはない。(ii)仮に、自分は実は「わるい子」なのだとしても、自分は、枯れ枝の束を置いていかれたこともない。枯れ枝の束だってなにもよりはマシである。枯れ枝だって、いろいろなことに使えるし。(iii)枯れ枝ももらえない、何ももらえないほど「わるい子」という区分が、実はあるのかもしれないけれど、そんなにも自分は「わるい子」なのかというと、祖母やUくんのおばさんの話からすると、どうもそうではないように思われる。
 
ということは、「よい子のところには、サンタクロースが、おもちゃのプレゼントを持ってきてくれる。わるい子のところには、茶色くて地味なおじさんが、枯れ枝の束をおいていく。」(前提1)というのが、本当ではないのではないか?というところに、もやもやと落ち着きました。その仮説を両親に披露しましたが、それについても両親は「どうかな?しらない。」というだけでした。それを2年もやると、「まあ、いないんだろうね。枯れ枝を置いていかれるという話のことも『知らない』っていう人もいるし。」というところに、落ち着きました。それで特になんということもなく生きてきました。友だちがサンタがいるのいないのと言っているときには、「さあねえ。よくしらないけど、いないのかもね。」くらいに答えていました。
 
ということで、自分の子供に対しても「不知」でいこうかな、と漫然と思っていたのですが、つれあいは「認める」、というか「いる」でいくようです。それをあえて否定はしませんが、子供に正面から聞かれたら、やはり「知らない」と答えるのではないかな、と思っています。[ K.H ]

 

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投稿日:2019年12月10日