トピックス
週末生活
子どもたちに手がかからなくなった頃、週末の時間ができたので、友人の紹介で、小さな菜園付きの借家を他県に求めた。菜園で、野菜作りの真似事をして、数年したら返すつもりだったが、いつの間にか17年が過ぎた。野菜作りは早々に妻に任せっきりになったが、陶芸や、木工、革細工、それに燻製作りなど、以前からやりたかったこと、かつてやっていたが時間がなくて手放したこと、を週末に出かけて、やるようになった。そのことは、このトビックスの欄に「ものを作るということ」として書いたことがある。陶芸用のガス窯は、「もうやらなくなったから」という方から譲ってもらい、何年か楽しんだ。しかし、粘土の調整から始まって、成形、素焼き、施釉、本焼きまでにかなりの期間を要すること、本焼きは少なくとも三連休がないと難しいことなどから、次第に間遠になり、やがてやらなくなった。ガス窯と新調した熱電対温度計は、若い友人に譲った。
木工は、今でも続けていて、とはいえ芸術的な造形のセンスはないので、弁理士らしく、専ら生活を便利にするものを作っている。書類立てやパソコンスタンド、棚、肋木、常夜灯、バーベキュー用のテーブルやベンチなどなど。そこそこ工具も揃え、小さいものから中程度のものまで、あれこれ作ってきた。
やがて、工作の合間に、ベーコンやハムを燻製して作るようになり、スモークサーモンや鰹ハムの味も覚えた。燻製器は手作りで、燻製用の桜や胡桃のチップは、工作の延長で自作している。蒟蒻芋からコンニャクを手作りする面白さも知り、刺身コンニャクの美味しさも知った。そしてここ数年は、珈琲豆の焙煎に嵌まっている。学生時代から珈琲は好きで、下宿の部屋では、珈琲専用のワゴンを自作して使っていた。今から思うと、四畳半の部屋に珈琲専用ワゴンなんてよく置けたものだ。珈琲豆の焙煎を始める前から、ドリップスタンドなどは、固定式や携帯用など、幾つか作ったりもしていた。
焙煎を始めるきっかけは、数年前に亡くなった義兄が残した十数キロの生豆だった。その豆を引き取って、そこから焙煎機の設計を始め、試作と試運転を繰り返した。途中、文字通り焙煎機を炎上させたりもしたが、少しずつ改良して、一年ほど掛けて、なんとか飲める珈琲豆の焙煎ができるようになった。最初は非力なモーターを使ったので、焙煎籠を回転させる減速機がだめになり、モーターは2度ほど取り替えた。直火では焙煎ムラが解消できず、セラミックのプレートを介して加熱するようになり、焙煎籠の内部にチャフ(珈琲豆の皮)を取るチャフ板も付けた。焙煎籠の回転軸を中空のパイプに交換し、このパイプに温度計を通して、焙煎籠内の温度を測れるようにもした。この間、約一年。今は、自家焙煎した珈琲を毎日飲んでいる。
借家は、クーラーがないので夏は暑く、暖房はペレットストーブなので冬はなかなか暖まらない。それでも、年中、週末は借家に行き、燻製したり、工作したり、焙煎したり、星空を楽しんだりしている。十年以上通っているから、地元の人とも親しくなった。米作りから野菜作り、茸狩りまで、様々な話を聞き、農業や過疎化について考えることも多くなった。どこにいても、何かを作る楽しみはあり、知らなかったことを学ぶ喜びはある。あと何年続けられるかは分からないが、弁理士の仕事を辞めたとしても、学んだものを基にして考える力、工夫する力があるうちは、こんな暮らしを続けたいと願う。さて、原稿ができたら、まずは珈琲。[ T.S ]
投稿日:2024年10月22日