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日本文化と経済合理性、または「日本文学史序説・上」のこと
日本の文化の特徴は、新しい表現形式が生まれても古いものを捨てないところにある、と加藤周一は言った(「日本文学史序説・上」1975年)。新しいものが古い物を退けて交代を迫るのではなく、旧に新を付け加え、共存していく。けだし卓見だと思う。和歌・短歌という抒情詩の形式は遅くとも8世紀には成立した、その後、俳句が生まれても、和歌は廃れない、西欧との接触により自由詩型が用いられるようになっても、和歌も俳句もなくならない。それは詩に限らず演劇(能、歌舞伎、新劇)にも、あるいは言語の表記(真字としての漢字、ひらがな、カタカナ)や漢字の読み(呉音、漢音、唐音)にも見られる日本文化の特徴だ。
文化とは重層的なものだから、こうした日本文化の特徴は、私には好ましいものに思える。しかし、もしかすると、そうした日本文化の特徴は、経済合理性の追及や生産性向上には反するのかも知れないと最近思う。よく日本は、キャッシュレスが進んでいない、と言われる。クレジットカードが普及しても、電子マネーが始まっても、現金払いはなくならない、電子マネーとしてiDやEDY、交通系カード(suica, manacaなど)、更にはPayPayや○○Payなどが乱立する。それは、新しいものが生まれても古いものを捨てない、という日本の文化に根ざしているのではないか。過去の制度や手法を洗いざらい捨てて、新しい技術に合せた効率的なものに全面的に刷新する、というのは性に合わない。
古いものを容易に捨てない、という特徴は、見方を変えれば、多様性の尊重ということができる。確かにこうした日本文化のおかげで、私たちは今でも、室町時代に生まれた能や、江戸を色濃く残す歌舞伎や、明治に生まれた新劇や、1960年代のアングラまで、商業的に楽しむことができる。数百年前に生まれた演芸である能や歌舞伎を見るために、博物館に行く必要も、伝統芸能保存会にお願いする必要もない、というのは凄いことだと思う。そして、その木戸銭を、私たちは、現金で、クレジットカードで、あるいはネットで、支払うことができる。
新しい合理的な手法が生まれたとき、積極的に取り込んで、古い制度やシステムを根こそぎ捨ててしまう方が、効率的で便利だと感じることは確かにある。現に私たちは、レコード、カセットテープ、CDと乗換えて、今はネット配信で音楽を楽しんでいる。新しいエコシステムをいち早く構築したものが総取りする、というのが最近の流行だ。しかし、新しいものは取り込むにやぶさかではないが、古い、時に非効率的なやり方も残しておく、という社会は、多様な楽しみや生き方を提供するという点では好ましい。最近、どこもかしこも、タッチパネルで注文するようになってきた飲食店で、タブレットの上に「口頭でもご注文を承ります」と書いてあるのを見かけると、新しい形式が生まれても、古いものを捨てないことを日本文化の特徴として指摘した、加藤周一の「日本文学史序説・上」の序文と、それを貪り読んだ学生の頃を、懐かしく思い出す。
非効率的で生産性が低くても構わないとは言えないが、「温故知新」で日々の生活を楽しむことができる社会を、私は大事にしたい。[ T.S ]
投稿日:2019年10月08日