トピックス
おはなし
夜は、子どもたちといっしょに3人で寝ています。寝る前には絵本を読み聞かせ、その後、ドリームスイッチで、天井に絵本を投影して朗読を聞きながら眠りにつきます。
上の子が2歳、3歳の頃は、私が自分でお話を聞かせていました(昔話や西遊記のいろんなエピソードなど)。しかし、自分が先に眠りはじめてしまい、寝入りばなを子どもに起こされて、おはなしの続きをさせられる、というのがけっこう苦痛で、話の内容もグダグダになり(「パリ条約の~」などと話し始めたり)、「これは私の脳にもよくないのではないか?」と考えて、上記のようなスタイルになりました。
しかし、先日、上の子(2年生)が、また「おとうさんがおはなしして」、「きいたことないおはなし」とリクエストしました。しかし、敵は、ドリームスイッチで日本の昔話や世界の昔話については、かなり幅広く知っています。そこで、テキトウな話をでっち上げることにしました。なお、前提として、私は家庭では「かっこいいおとうさん」ということで押し通しています。反対意見は認めていません。
第1話:かっこいいおとうさん
むかし、あるところに、かっこいいおとうさんがいました。
おとうさんがみちをあるいていくと、マメちゃん(上の娘、仮名)がいました。
おとうさんが「『かっこいいおとうさん』というかい?」ときくと、
マメちゃんは、「『かっこいいおとうさん』というよ」とこたえました。
そこで、おとうさんとまめちゃんは「かっこいいおとうさん、かっこいいおとうさん」といいながらあるいていきました。
おとうさんとまめちゃんがしばらくあるいていくと、チビちゃん(下の娘、仮名)がいました。
おとうさんが「『かっこいいおとうさん』というかい?」ときくと、
チビちゃんは、「『かっこいいおとうさん』というよ」とこたえました。
そこで、おとうさんとマメちゃんとチビちゃんは「かっこいいおとうさん、かっこいいおとうさん」といいながらあるいていきました。
やがて、さんにんははまべにでると、ふねにのっておにがしまにつきました。
おにたちは「かっこいいおとうさんがきたー!」といって、たからものをおいてにげていきました。
かっこいいおとうさんとマメちゃんとチビちゃんは、たからものをむらにもってかえって、おじいさん、おばあさんとしあわせにくらしました。
第2話:かっこいいおとうさん
むかし、あるところに、かっこいいおとうさんがいた。
うしろををふりかえると、かっこいいおとうさんがいた。
うしろのかっこいいおとうさんが、うしろををふりかえると、...
(中略)
かっこいいおとうさんたちは、つぶやいた。「かっこいい...」
(参考文献 うし)
第3話:3人のかっこいいおとうさん
むかし、あるところに、かっこいいおとうさんと、超かっこいいおとうさんと、超々かっこいいおとうさんがいました。
さんにんは、やまのくさばでふとるために、やまにのぼっていきました。すると...
(後略)
(参考文献 三びきのやぎのがらがらどん)
第1話は、「そんなこといわないもん!」といいながらもこどもらは爆笑でしたが、第3話の出だしになると、「もうこれわかった!」、「もうかっこいいおとうさんのはなし、ナシ!」といわれて、禁じられてしまいました。
翌日以降は、(かっこいいおとうさんが主役の)創作がダメなら落語でも、ということで、下の子が寝てしまったときなどは、上の子には、しばらく落語を話して聞かせていました。もっとも、当方、落研出身というわけではないので、虫食い状態で落語家が演じる噺のまねをしつつ、ストーリーの紹介&ところどころ言葉や背景、登場人物の意図の説明、ということになります。もっとも、子供らは、いつもクルマの中で、三遊亭遊馬師匠の「こどもらくご」を1巻から7巻まで(各巻9話)を繰り返し聞いているので、落語もかなり幅広いネタを聞き慣れています。しかし、私が好きなのは桂米朝師匠(上方落語)なので、上方落語の中から江戸落語にはないネタを探して演りました。とはいっても、よほど自分が好きな噺でなければ、まねをする、ということもできません。そこで、
1日目:たちぎれ線香
2日目:除夜の雪
3日目:鹿政談
4日目:宿屋仇
5日目:百年目
など、けっこう大ネタをやるはめになりました(米朝師匠の上記の噺はいずれもお勧めです)。
たちぎれ線香は、桂米朝師匠のたちぎれ線香ももちろん好きなのですが、先代文枝師匠のたちぎれ線香(特に紀ノ庄の「おかあはん」が)も大好きですので、両方混ざった感じになりました。しかし、この噺は、最後の山場のところで、三味線で地唄の「雪」が流れなければ成り立ちません。終わりがけになって「しまったな」と気づき、口で説明しましたが、今ひとつ伝わらなかったかな、と思っていました。
ところが、先日、こどもらとクルマに乗っているときに、こどもらが寝てしまったので、米朝師匠の落語をかけていると、家に着く少し前から噺は「たちぎれ線香」になっていました。上の子は、目が覚めたようですが、黙って聞いていました。そして、家についてもまだ噺が終わっていなかったので、私が荷物を下ろしながら、オーディオをかけっぱなしにしていると、上の子は、家に入らず、クルマの中で、噺が終わるまでじっと聞いていました。米朝師匠の噺から何か感じ取ってくれたのかな、と思っています。[ K.H ]
投稿日:2024年07月10日