シュープレス用ベルト事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2012.11.13
事件番号 H24(行ケ)10004
発明の名称 シュープレス用ベルト
キーワード 進歩性
事案の内容 無効審判における無効審決の取消訴訟。原告主張の取消事由が認められ、特許庁の審決が取り消された。
本件発明は、引用発明と比較して、作用・効果が顕著である(同性質の効果が著しい)として容易想到でないと判示された点がポイント。

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【本件発明の要旨】

<特許請求の範囲の請求項1の記載>

補強基材と熱硬化性ポリウレタンとが一体化してなり、前記補強基材が前記ポリウレタン中に埋設され、

外周面および内周面が前記ポリウレタンで構成されたシュープレス用ベルトにおいて、

外周面を構成するポリウレタンは、末端にイソシアネート基を有するウレタンプレポリマーと、ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤と、を含む組成物から形成されている、シュープレス用ベルト。

 

【審決の理由】

本件発明1は、甲第1号証に記載された発明(以下「引用発明1」という。)と甲第2号証に記載された発明(以下「引用発明2」という。)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、無効とすべきである。

<本件発明1と引用発明1との相違点>

硬化剤につき、本件発明1が「ジメチルチオトルエンジアミンを含有する」ものであるのに対し、引用発明1は「3、3′-ジクロロ-4、4′-ジアミノジフェニールメタン」である点(以下「相違点A」という。)。

<相違点Aに係る判断の要点>

・引用文献1(甲第1号証)では、硬化剤としてMOCAを使用

・引用文献2(甲第2号証)には、ETHACURE300がMOCA代替の新硬化剤として紹介、かつ、ETHACURE300は発ガン性が指摘されていたMOCAに代わる新しい硬化剤として開発との記載

・身体健康上、悪い影響を与えないものを採用することが、優先的に考慮されるべき事柄であることに鑑みると、引用文献2は、熱硬化性ポリウレタンの硬化剤としてMOCAに代えて引用発明2を用いることを強く動機づける刊行物

 

【裁判所の判断】

<取消事由3(本件発明1の容易想到性判断の誤り)について>

(1) 認定事項

ア 本件発明1の概要 (省略)

イ 引用発明1の概要

引用発明1は、クローズドタイプのシュープレス用ベルトに関するものである(【0001】)。従来の、2本のロール間に張設した無端織物をベースにする製造方法により得たベルトは、クロスマシン(CMD)方向に張力を掛けて使用されるため、CMD方向の寸法変化が生じ易く、ベルト寿命を低減させる大きな原因の一つとなっていた(【0009】)。引用発明1は、上記のような欠点を改善し、マシン(MD)方向と共にCMD方向の強さと、CMD方向の寸法安定性を有する生産性の良好なシュープレス用ベルトを提供することを目的とするもので(【0010】)、この目的のために、磨かれた表面を持つ回転可能なマンドレル表面にて形成されたエンドレスの第一樹脂層と、少なくとも交差する一方の糸に高強度糸を用いた織物片を、該高強度糸が前記マンドレルの軸方向に沿うように前記第一樹脂層の外周に全周的に配置してなる基布層と、該基布層の外周に高強度糸を円周方向に螺旋状に巻き込んでなる糸巻層と、該糸巻層の外周にて形成されたエンドレスの第二樹脂層とからなり、該第二樹脂層は前記基布層及び糸巻層を通して前記第一樹脂層に接しているというものであり、これにより、CMD方向に充分な強さが発揮できるため、寸法精度の極めて高い安定した走行状態を長時間維持でき、また、MD方向にも充分な強さが発揮できるという効果を奏するものである(【0011】、【0039】)。第一樹脂層及び第二樹脂層の樹脂は、物性面からすると熱硬化性ウレタン樹脂が好ましいとされており(【0022】)、実施例では、熱硬化性ウレタン樹脂(プレポリマー:タケネートL2395〔武田製薬製〕、硬化剤:3、3′-ジクロロ-4、4′-ジアミノジフェニールメタン)が用いられている(【0030】)。

 

ウ 甲第2号証の記載事項

甲第2号証には、熱硬化性樹脂であるポリウレタンの硬化剤に関し、《1》代表的ウレタン硬化剤であるMOCA(4、4メチレン-ビス-(2-クロロアニリン))は、発ガン性が指摘されており、より安全性の高い材料が求められてきたこと、《2》MOCAに代わる新しい硬化剤としてETHACURE300が開発されたこと、《3》ETHACURE300は、3、5-ジメチルチオ-2、6-トルエンジアミンと3、5-ジメチルチオ-2、4-トルエンジアミンを含むものであり、急性毒性の心配がなく、発ガン性も、突然変異性もない安全な硬化剤であることを特徴としていること、が記載されていることが認められる。

 

(2) 判断

ア  上記(1)によれば、引用発明1における第一樹脂層及び第二樹脂層を構成する熱硬化性ウレタン樹脂は、硬化剤として、3、3′-ジクロロ-4、4′-ジアミノジフェニールメタン、すなわち、MOCA(4、4メチレン-ビス-(2-クロロアニリン))を用いて形成したものであること、そのMOCAは、発ガン性が指摘されていたものであり、より安全性の高い材料が求められていたこと、甲第2号証には、MOCAに代わる安全な新しい硬化剤として、3、5-ジメチルチオ-2、6-トルエンジアミンと3、5-ジメチルチオ-2、4-トルエンジアミンを含むETHACURE300が開発されたことが記載されていること、以上の事実が認められる。 そうすると、一見すると、審決が判断するように、甲第2号証に接した当業者が、安全性の点からMOCAに代えてETHACURE300を用いるこ

とにより本件発明の構成を想到することは容易であるようにも見える。

 

イ しかしながら、引用発明1は、従来技術において、CMD方向の寸法変化が生じ易く、ベルト寿命が低減するという欠点を改善するため、MD方向と共にCMD方向の強度を高め、寸法精度の高い安定した走行状態を長時間維持できる等の効果を奏する良好なシュープレス用ベルトを提供するというものであり、また、引用発明2は、発ガン性等がない安全な硬化剤を提供するというものである。これに対し、本件発明1は、シュープレス用ベルトの外周面を構成するポリウレタンを形成する際に用いる硬化剤として、ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤を用いることにより、ベルトの外周面を構成するポリウレタンにクラックが発生することを防止できるという効果を奏するものであり、特に、以下のとおり、本件特許出願時の技術水準から、当業者といえども予測することができない顕著な効果を奏するものと認められる

すなわち、本件明細書(甲10)によると、実施例において、幅20mm、長さ420mmの試験片の長さ方向両端部を把持部材で把持し、中間部内側に直径25mmの表面が滑らかな金属製丸棒を当てて張力をかけ、試験片の内面と丸棒との間にノズルから潤滑油を供給しながら、試験片を10cmの幅で往復運動させ、試験片の内面と丸棒との間で摺動を繰り返す試験を行い、試験片の表面にクラックが発生するまでの往復回数(耐久回数)を測定したことが記載されており(【0089】)、同試験は、試験片の内面と丸棒との間で摺動を繰り返すものであり、シュープレスを模したものと解されるところ、同試験の結果は、硬化剤として、DMTDA(ジメチルチオトルエンジアミン(ETHACURE300))を用いたサンプル1~3と、MOCAを用いたサンプル4~6とを比較すると、耐久回数について、後者が10万回~90万回であるのに対して、前者は250万回~2250万回であったことが記載されており(【表1】)、その差は顕著である。

上記記載によれば、硬化剤として、ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤を用いることにより、クラックの発生が顕著に抑制されることが認められる。そして、このような効果について、甲第1号証及び同第2号証には何らの記載も示唆もなく、ほかに、このような効果について、本件特許出願当時の当業者が予測し得たものであることをうかがわせる証拠はないそうすると、硬化剤として、ジメチルチオトルエンジアミンを含有する硬化剤を用いることにより、クラックの発生が顕著に抑制されるという効果は、甲第1号証及び同第2号証からも、また、本件特許出願時の技術水準からも、当業者といえども予測することができない顕著なものというべきである。

 

ウ(ア)  この点に関し、審決は、「甲第2号証は、熱硬化性ポリウレタンの硬化剤としてMOCAに代えて引用発明2を用いることを強く動機づける刊行物といえ」るとした上、「仮に被請求人(判決注・原告)主張の効果が認められるとしても、引用発明1において、その硬化剤であるMOCAに代えて引用発明2を用いることは、格別な創作力を発揮することなく、なし得るのであるから、前記効果は、単に、確認したに過ぎないものといわざるを得」ないとの見解を示している。また、被告は、容易想到性の判断における「動機付け」について詳細な主張を展開しているので、以下、この点について検討する。

 

(イ)  まず、甲第2号証には、単に、安全性に問題のあるMOCAに代わる新しい硬化剤としてETHACURE300が開発されたこと等、前記認定事項が記載されているにとどまり、シュープレス用ベルトについては何ら記載がないから、ETHACURE300をシュープレス用ベルトの硬化剤として使用した場合に、安全性以外の点(例えば耐久性)についてどのような効果を奏するかは不明である。また、証拠(甲13~16)によれば、安全性の点からMOCAの代替となる硬化剤は、ETHACURE300のほかにも数多く開発されていることが認められ、その中から特にETHACURE300を選択すべき理由は見当たらない。 そうすると、MOCAに代えてより安全な硬化剤を使用するとしても、上記のように不明な点があり、かつ、安全性の点からMOCAの代替となる硬化剤はETHACURE300のほかにも数多く開発されていることからすれば、当業者がMOCAに代えてETHACURE300を用いることを強く動機付けられるとまでいえるかどうかは疑問である

 

(ウ) かえって、証拠(甲13~16)の記載を子細に検討すれば、当業者であれば、安全性の点からは、MOCAの代替としては、ETHACURE300よりも他の代替品を選択する可能性が高いとの推測が可能である。

甲第13号証には、熱硬化性ポリウレタンの硬化剤の芳香族ポリアミン成分が数多く列挙されているところ、「好ましい芳香族ポリアミンはMCDEA、MBOCA、DETDAおよびDMTDA、特にMCDEAである。」と記載されている(【0018】)。この記載は、DMTDA(ジメチルチオトルエンジアミン)よりも、MCDEA(4、4’-メチレン-ビス-(3-クロロ-2、6-ジエチルアニリン))の方が、より好ましいことを示すものと認められる。

甲第14号証には、ETHACURE300を含め、MOCAの代替品が複数挙げられているところ、その中で、「Polaroid社開発  Polacure No.740Mは、安全性のより大きなジアミンといわれている。」と記載されている(342頁8行~343頁19行目)。

甲第15号証には、TDI系ポリウレタンエラストマー用の硬化剤として興味のある他の芳香族ジアミンは4-4’-メチレン-ビス-(3-クロロ-2、6-ジエチルアニリン)である。この材料は、Lonzacure M-CDEAの商標名で、Lonzaによって製造されている。MBCA(注:MOCAと同義)に対するこの材料の注目される鍵となる利点は、潜在的に低い毒性と、そのエラストマーの優れた動的挙動にある。Lonzaは、MBCAと異なり、M-CDEAはエームズ試験で陰性を示すことに注目している。」と記載されている(8頁第1段落)。

甲第16号証には、MOCA(4、4’-メチレンビス(2-クロロアニリン))の代替として、ETHACURE300、Cyanacure及びPolacure 740Mが挙げられており、これらの変異原性試験を行なった結果について、MOCAの代替品であるETHACURE300、Cyanacure及びPolacure 740Mの中では、ETHACURE300が最も発ガン性が高く、Polacure 740Mが最も健康上安全であることを示すものと認められる。

甲第13号証ないし同第16号証の上記記載によれば、当業者であれば、安全性の点からは、MOCAの代替として、ETHACURE300よりも他の代替品を選択する可能性が高いものと推測される

 

(エ) さらに、甲第6号証には、ETHACURE300で硬化したポリウレタンが、MBOCA(メチレン-ビス-オルソクロロアニリン)で硬化したポリウレタンよりも低い歪でクラックの成長が開始することが記載されており、このような記載は、シュープレス用ベルトの外周面を構成するポリウレタンにクラックが発生するのを防止することを目的とする当業者が、MOCAに代えてETHACURE300を使用することを躊躇させる要因となり得る

また、甲第6号証に記載されている破壊試験(乙10の7頁16行~8頁3行)は、通常の引張試験機によるものであり(乙10の4頁17行~5頁6行)、シュープレス用ベルトの使用環境(本件明細書【0002】、【0004】)とは異なるものであるから、甲第6号証の破壊試験の結果が直ちにシュープレス用ベルトにおけるクラックの発生・生長状況を反映するものとみることはできない(そのため、上記記載が、MOCAに代えてETHACURE300を採用することの阻害要因となるとまでいうことはできない)ものの、当業者が上記のような記載に接すれば、MOCAに代えてETHACURE300を採用することに消極的になるものと考えられる

 

(オ) 以上によれば、甲第2号証に接した当業者が安全性の点からMOCAに代えてETHACURE300を用いることを動機付けられることがあるとしても、ETHACURE300をシュープレス用ベルトの硬化剤として使用した場合に、安全性以外の点(例えば耐久性)についてどのような効果を奏するかは不明である上、安全性の点からみても他にも選択肢は多数あり、その中から特にETHACURE300を選択する理由はなく、かえって、他の代替品を選択する可能性が高いといえるため、ETHACURE300の使用を強く動機付けられるとまでいうことはできない

 

以上によれば、本件発明1は、引用発明1及び引用発明2に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるとした審決の判断は誤りであり、審決は違法であるから取消しを免れない。

 

【所感】

裁判所の判断は妥当だと考える。

本件は「当業者といえども予測することができない顕著な効果」によって進歩性ありと判断された。この点、本件発明1は、実施例の表1のように、比較例と比べて耐久回数に明らかな相違があったため、顕著な効果が認められやすい事案だったと思う。

 

本件と同様に顕著な効果が認められた事案として「2011.11.30  H23(行ケ)10018 うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用」がある。この事案では、以下の根拠に基づき顕著な効果が認められた。

本願:虚血性心不全患者にカルベジロールを投与することによる死亡率の減少が67%

公知文献:虚血性心不全患者にACE阻害薬を投与することによる死亡率の減少が19%