高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2011.10.31
事件番号 H23(行ケ)10100
担当部 第3部
発明の名称 高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板およびその製造方法
キーワード 進歩性
事案の内容 拒絶査定不服審判の請求棄却審決に対する取消訴訟であり、審決が取り消された事案。
本事案は、引用例に実施例として開示されている複数の鋼のそれぞれの元素の含有量を適宜選択して組み合わせることによって引用発明の内容を認定した審決の手法の誤りが指摘された点がポイントである。

事案の内容

(1)本件は、拒絶査定不服審判の請求不成立の審決に対し、これを不服とする原告が、その取消を求めた事案である。

なお、審判では、特開2002-294422号公報(甲1。以下「引用例」という。)の記載に基づいて、本件発明の進歩性が否定された。

 

(2)本件では、原告が主張した、取消事由1(審決における引用発明の認定の誤り)と、取消事由2(相違点の看過等)とが認められ、審決が取り消された。

 

(3)本願の特許請求の範囲における請求項1の記載は以下の通りである。

[請求項1]

鋼板表面に合金化溶融亜鉛めっき層を備える合金化溶融亜鉛めっき鋼板であって,

前記鋼板が質量%で,

C:0.05~0.25%,Si:0.02~0.20%,Mn:0.5~3.0%,S:0.01%以下,P:0.035%以下およびsol.Al:0.01~0.5%を含有し,残部がFeおよび不純物からなる化学組成を有し,かつ

前記合金化溶融亜鉛めっき層が質量%で,

Fe:11~15%およびAl:0.20~0.45%を含有し,残部がZnおよび不純物からなる化学組成を有するとともに,前記鋼板と前記合金化溶融亜鉛めっき層との界面密着強度が20MPa 以上であることを特徴とする高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板。

 

(4)審決において認定された引用発明の内容並びに本願発明の一致点および相違点は以下の通りである。

(4-1)引用発明の内容

鋼板表面に合金化溶融亜鉛めっき層を備える合金化溶融亜鉛めっき鋼板であって,

前記鋼板が質量%で,

C:0.03~0.18%,Si:0~1.0%,Mn:1.0~3.1%,P:0.005~0.01% 及びAl:0.03~0.04%を含有し,残部がFeおよび不純物からなる化学組成を有し,かつ

前記合金化溶融亜鉛めっき層が,質量%で

Fe:8~15 %,Al:0.1 ~0.5 %,及び100mg/㎡ 以下に制限されたMnを含有し,残部がZnおよび不純物からなる化学組成を有する高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板。

(4-2)一致点

「鋼板表面に合金化溶融亜鉛めっき層を備える合金化溶融亜鉛めっき鋼板であって,前記鋼板が,C,Si,Mn,P及びsol.Alを含有し,残部がFe及び不純物からなる化学組成を有し,かつ前記合金化溶融亜鉛めっき層がFe及びAlを含有する化学組成を有する高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板。」で一致し,鋼板のC,Si,Mn,P及びsol.Alの含有量,並びに,合金化溶融亜鉛めっき層のFe及びAlの含有量も重複する。

(4-3)相違点

・相違点(イ)

鋼板の化学組成に関して,本願発明は,「S:0.01% 以下」を含有するのに対し,引用発明は,Sを含有することは記載されていない点。

・相違点(ロ)

合金化溶融亜鉛めっき層の化学組成に関して,本願発明は,Fe及びAlを含有し,残部がZn及び不純物からなるのに対し,引用発明は,Fe,Al及び100mg/㎡以下に制限されたMnを含有し,残部がZn及び不純物からなる点。

・相違点(ハ)

本願発明は,「鋼板と合金化溶融亜鉛めっき層との界面密着強度が20MPa 以上」であるのに対し,引用発明は,鋼板と合金化溶融亜鉛めっき層との界面密着強度が不明である点。

 

(5)なお、審決において認定された引用発明は、以下に示す、引用例の特許請求の範囲における請求項1の記載と、明細書中の表1の記載とに基づいて認定されたものである。なお、以下では、便宜上、引用発明の認定に関連した箇所に下線を付してある。

(5-1)引用例の特許請求の範囲における請求項1

[請求項1]

Mn:1.0 質量%以上を含有する高張力鋼板の少なくとも片方の面にめっき付着量:35~70g/㎡の合金化溶融亜鉛めっき層を有する高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板であって,前記合金化溶融亜鉛めっき層が,Fe:8~15質量%,Al:0.1~0.5質量%を含み,かつ100mg/㎡ 以下に制限されたMnを含有することを特徴とする高張力合金化溶融亜鉛めっき鋼板。

 

(5-2)明細書中の表

[0022][表1]

 

鋼   C    Si    Mn    P     Al     Ti    Nb     B   Mo

1   0.07      2.0    0.01   0.035  -    -    -   -

2   0.10   0.1   1.9    0.005  0.04   0.04   0.07   -   0.2

3   0.03      1.7    0.01   0.03   -    0.04   -   0.1

4   0.15   1.0   2.2    0.008  0.04   -    -    -   -

5   0.18   1.0   3.1    0.01   0.03   0.12   -    -   -

 

【裁判所の判断】

1.取消事由1(引用発明の認定の誤り)について

審決は,引用発明について、C含有量の下限は鋼3から,C含有量の上限は鋼5から,Si含有量の下限は鋼1又は鋼3から,Si含有量の上限は鋼4又は鋼5から,Mn含有量の下限は請求項1の「Mn:0.1 質量%以上を含有する」との記載から,Mn含有量の上限は鋼5から,P含有量の下限は鋼2から,P含有量の上限は鋼1,鋼3又は鋼5から,Al含有量の下限は鋼3又は鋼5から,Al含有量の上限は鋼2又は鋼4からそれぞれ求め,上記記載の通り認定した。

合金においては,それぞれの合金ごとに,その組成成分の一つでも含有量等が異なれば,全体の特性が異なることが通常であって,所定の含有量を有する合金元素の組合せの全体が一体のものとして技術的に評価されると解すべきである。本件全証拠によっても,「個々の合金を構成する元素が他の元素の影響を受けることなく,常に固有の作用を有する」,すなわち,「個々の元素における含有量等が,独立して,特定の技術的意義を有する」と認めることはできない。

したがって,引用例に,複数の鋼(鋼1ないし鋼5)が実施例として示されている場合に,それぞれの成分ごとに,複数の鋼のうち,別個の鋼における元素の含有量を適宜選択して,その最大含有量と最小含有量の範囲の元素を含有する鋼も,同様の作用効果を有するものとして開示がされているかのような前提に立って,引用発明の内容を認定した審決の手法は,技術的観点に照らして適切とはいえない。

鋼においては,一般に,成分として添加される元素間の相互作用が高く,1つの鋼を組成する元素の組合せ及び含有量が,一体として,鋼の特性を決定する上で重要な技術的意義を有することが認められる。引用例の説明は,各元素ごとに,5つの独立した任意の鋼の中から含有量の最大値と最小値の範囲の含有量により組成される,あたかも1種の鋼において,特定の性質を有することを開示したことを意味するものでもなく,具体的な鋼の組成及び性質を特定したものと理解することもできない。したがって,審決のした引用発明の認定は,誤りというべきである。

被告は,引用例の記載を総合すれば,審決の認定した引用発明が記載されているといえる,引用例記載の高張力合金化亜鉛めっき鋼板は,Mn等の元素を一定の数値範囲で含有する高張力鋼板に適用されるものであって,実施例に番号1ないし6の鋼が記載されているが,それが適用範囲の全てではないとして,審決の引用発明の認定に誤りはない旨主張する。

被告の上記主張は,引用例において鋼を組成する成分(元素)の含有量の数値が記載されていれば,当該記載された数値範囲の含有量の成分を有する発明が総合的に開示されているとの理解を前提とするものである。

しかし,引用例記載の発明の課題は,鋼の特性を利用して解決されるものであるところ,引用例には,1つの鋼を組成する成分の組合せ及び含有量が,一体として,鋼の特性を決定する上で重要な技術的意義を有することが示されているから,各成分の組合せや含有量を「一体として」の技術的意義を問題とすることなく,記載された含有量の個々の数値範囲の記載を組み合わせて発明の内容を理解することは,適切を欠く。

 

2.取消事由2(相違点の看過等)について

審決は,本願発明における鋼板のC,Si,Mn,P及びsol.Alの含有量,並びに,合金化溶融亜鉛めっき層のFe及びAlの含有量の数値範囲と,引用発明における鋼板のC,Si,Mn,P及びsol.Alの含有量,並びに,合金化溶融亜鉛めっき層のFe及びAlの含有量の数値範囲とが重複することを理由として,これらの含有量を相違点とは認定せず,本願発明と引用発明との相違点を上記の3点のみ認定した。

しかし,仮に,審決の認定した引用発明を前提としても,相違点の認定には誤りがある。

引用発明における組成成分の含有量(含有する質量割合)の数値範囲が本願発明における組成成分の含有量(含有する質量割合)の数値範囲に全部重複するのは,鋼板のP及びsol.Alのみであり,鋼板のC,Si及びMnの含有量,並びに,合金化溶融亜鉛めっき層のFe及びAlの含有量については,引用発明における含有量の数値範囲の一部が本願発明における含有量の数値範囲と重複しない。

本願発明と引用発明は,(それぞれの課題を鑑みるに)いずれも鋼板等を組成する成分(元素)の組合せ,含有量(含有する質量割合)が「一体として」重要な技術的意義を有する発明であるといえる。本件においては,本願発明と引用発明とは,組成成分の含有量(含有する質量割合)の組合せが,鋼の特性に影響を与える重要な構成であることに鑑みると,組成成分の含有量に異なる部分があることを考慮することなく,一部が重複していることのみを理由として,相違点の認定から除外することは許されないというべきである。

被告は,本願発明の各元素の含有量の数値範囲は,その数値範囲内において同等の作用や機能を示すものとして特定された事項であるから,引用発明の数値範囲と重複する以上,両発明の元素の組成に関する特定事項には差異がない旨主張する。

しかし、本願発明の各元素の含有量が変化すれば,鋼板及びめっき層の特性も変化し,本願発明において特定された各元素の含有量の数値範囲内においても,好ましい数値が存在するのであるから,当該数値範囲内において同等の作用や機能が示されているとはいえない。

被告の主張は理由がなく,本願発明と引用発明の有する技術的意義に照らすならば,含有量の数値範囲の一部が重複していることのみを理由として相違点から除外することは,認められない。

 

【解説】

本件は、特許庁が、引用例に開示されている、複数の構成要素の組み合わせからなる技術に基づき、それらの構成要素同士の有機的一体性を無視して、構成要素を個々に分解し、適宜組み合わせることにより引用発明を認定した過誤を、裁判所が指摘した事案である。また、本件における裁判所の判断は、技術的意義を考慮することなく、一部の数値範囲が重複していることのみをもって進歩性を否定する傾向に対して警鐘を鳴らしたものであるとも言える。

ところで、本件は、鋼や合金に関するものであったため、組成の組み合わせや、組成成分の組み合わせが異なれば、得られる合金や鋼の性質が異なることが一般的な事実であり、このような判断がなされることは当然であると言える。しかしながら、こうした化学的な分野に限らず、特許庁の審査では、構成要件の組み合わせ自体の技術的意義が兎角無視されがちである。そのため、明細書の作成段階では、そうした組み合わせ自体の技術的意義を、意識的かつ積極的に記載しておくことが重要であると考えられる。