電子材料用銅合金及びその製造方法事件
判決日 | 2014.6.24 |
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事件番号 | H24(ワ)15614 |
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担当部 | 東京地方裁判所民事第46部 |
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発明の名称 | 電子材料用銅合金及びその製造方法 |
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キーワード | 禁反言、数値限定 |
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事案の内容 | 本件は、銅合金に関する特許権(特許第3383615号)を有する原告が、被告による銅合金(M702S,M702U)の製造、販売、販売の申出の行為に対して差止及び損害賠償を請求し、その請求が斥けられた事案である。 本件特許発明を規定する数値範囲の下限値が、明細書の記載および出願手続きの経過での原告の主張を参酌することによって明確にされた点がポイント。 |
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事案の内容
【原告の特許権】
本件特許の特許出願に対しては、下記乙2文献および乙3文献に基づく進歩性欠如をいう旨の拒絶理由通知(本件拒絶理由通知)が発せられたが、出願人による意見書(本件意見書)の提出を経て、特許登録されるに至った。
乙2文献:特開昭58-123846号公報
乙3文献:特開平10-110228号公報
※本件特許については、その他に、移転・訂正などの来歴があるが、争点とは直接的に関連しないため省略。
【争点】
(1)争点1 (被告製品の特定)について ※争点1については省略。
(2)争点2 (本件訂正発明2の技術的範囲の属否)について
(3)争点3 (無効理由の有無)について
【本件発明/被告製品】
※下線は争点に関連する箇所。
※本件訂正発明1については、争点とされていないため省略。
(1)本件訂正発明2
A’ Ni 2.32~4.8mass%
B’ Si 0.2~1.4mass%
Siに対するNiの含有量(mass%)比 2.7~5.1
C’ Mg,Zn,Sn,Fe,Ti,Zr,Cr,P,Mn,Ag,Beのうち1種以上を総量で0.005~2.0mass%含有
D 残部がCu及び不可避的不純物からなる
E 介在物の大きさが10μm以下
F” 5~10μmの大きさの介在物個数が圧延方向に平行な断面で45個/mm2以下
導電率が40%IACS以上
引張強さが670N/mm2以上
G 強度及び導電性の優れた電子材料用銅合金。
※「介在物」については本件特許公報の段落0009を参照。
(2)被告製品
(2-1)M702S
1-a Ni 2.2~3.2mass%
1-b Si 0.4~0.8mass%
1-c Zn,Sn及びAgを含有
1-d 残部がCuからなり,さらに,最大0.1mass%のBを含む
1-e 10μmよりも大きい介在物がない
1-f 5~10μmの大きさの介在物個数が圧延方向に平行な断面で0個/mm2
導電率が40%IACS
引張強さが750~850N/mm2
1-g 90°曲げ試験結果が圧延方向及びこれと直角な方向において夫々1.0max(厚さが0.20mmを超える場合には2.0max)R/tである高強度・高導電銅合金
(2-2)M702U
2-a Ni 2.2~3.2mass%
2-b Si 0.4~0.8mass%
2-c Znを含有
2-d 残部がCuからなる
2-e 10μmよりも大きい介在物がない
2-f 5~10μmの大きさの介在物個数が圧延方向に平行な断面で0個/mm2
導電率が50%IACS
引張強さが750~850N/mm2
2-g 90°曲げ試験結果が圧延方向と直角な方向において1.5max(厚さが0.3mmを超える場合には2.0max)R/tである高強度・高導電銅合金
【当事者の主張】
(1)争点2
※成要件F”の充足性以外の主張については省略。
[原告の主張]
・成要件F”の充足
「45個/mm2以下」とは,0個/mm2の場合を当然に含む。原告は,本件意見書において,引用文献に酸化物や硫化物を小さくすることまでは記載されていないことに言及したにすぎず,酸化物及び硫化物を含めた介在物が0個/mm2である場合を除外するような主張はしていない。
[被告の主張]
・構成要件F”の非充足
原告は,本件意見書において,本件発明の意義は粗大な介在物の分布の概念を新たに導入し,介在物の分布の許容範囲を見いだした点にある旨記載しており,このような記載によれば,原告は,本件発明は5~10μmの大きさの介在物が存在することを前提としてその許容範囲を見いだした点に特徴があると述べていることが明らかである。
このように,原告は,出願経過において,介在物個数が0個/mm2の場合を除外する主張をしていたのであるから,本件訴訟において,構成要件F”について,介在物個数が0個/mm2の場合を含むと主張することは許されない。
(2)争点3
※乙3文献に基づく新規性・進歩性欠如についての主張以外は省略。
[被告の主張]
(ア) 新規性欠如
構成要件E及びF”の「介在物」とは,析出物,晶出物,酸化物及び硫化物を意味するが,走査型電子顕微鏡(SEM)により銅合金を観察しても,析出物,晶出物,酸化物及び硫化物のいずれであるかを区別することはできない。そうすると,実施例の銅合金の析出物又は晶出物の大きさを走査型電子顕微鏡により測定した結果3μm以下であった旨の乙3文献の記載(段落【0014】,【0020】【0023】及び【0024】)は,酸化物及び硫化物を含む介在物の大きさが3μm以下であることと同義であり,段落【0019】にはこのような銅合金の製造方法も記載されている。以上によれば,乙3文献には,構成要件E及び構成要件F”の「且つ5~10μmの大きさの介在物個数が圧延方向に平行な断面で45個/mm2以下であり」の構成(ただし,0個/mm2を含むとした場合。以下,無効理由の主張について同じ。)の開示もある。
したがって,本件特許には新規性欠如の無効理由がある。
(イ) 進歩性欠如
仮に,乙3文献記載の発明には,酸化物及び硫化物の大きさや個数を限定する構成を有していないという点で相違するとしても,本件特許の特許出願当時,Cu-Ni-Si系銅合金の分野において,酸化物及び硫化物は,銅合金の製造過程で不可避的に生じる不純物であって,作用効果の向上に寄与しない一方で,めっき性等を悪化させるものであり,その大きさが小さい方が好ましいことは当業者の技術常識であり,酸化物及び硫化物を含む介在物の大きさを3μm未満に抑える技術が確立され,開示されていたことからすれば,乙3文献記載の発明にこのような周知技術を組み合わせることにより,本件訂正発明2の構成に容易に想到することができる。
したがって,本件特許には進歩性欠如の無効理由がある。
[原告の主張]
(ア) 乙3文献は,特許出願手続に際して審査官が引用した審査引例であり,本件特許の出願審査並びに本件訂正1及び本件訂正2の審査請求の際に,乙3文献との関係での新規性及び進歩性は認められている。
(イ) 本件訂正発明2と乙3文献は,①乙3文献には酸化物や硫化物について言及がない点,②乙3文献は「圧延方向に平行な断面」での介在物の個数の評価もされていない点で相違する。
①について,走査型電子顕微鏡及びこれに付属しているEPMA装置により,析出物及び晶出物といった合金そのものと酸化物及び硫化物を区別することができるから,乙3文献の走査型電子顕微鏡により測定したという記載は,析出物,晶出物のみを測定したと理解することが可能である。
また,②について,圧延を経た銅合金の介在物は,中央部分よりも表面に近い部分の方が個数が多く大きさも大きいから,断面観察の方が表面観察よりも粗大な介在物の個数が多いはずである。乙3文献はエッチング処理を行わずに表面観察をしているから,「圧延方向に平行な断面」における介在物個数及び大きさを評価していない。
(ウ) 以上によれば,本件訂正発明2と乙3文献の発明が同一であるとはいえないし,本件訂正発明2が乙3文献から容易に想到し得たものであるともいえないから,本件特許に無効理由は存在しない。
【裁判所の判断】
1 争点2(本件訂正発明2の技術的範囲の属否)について
本件特許の出願経過に関し,次の事実が認められる。
原告は,本件拒絶理由通知を受けて,次のとおりの記載のある本件意見書(下線は出願人による。)を提出した。
「従来から,粗大な介在物は有害であることが知られていましたが,本願発明においては,上記した,『これら粗大な介在物の分布』について許容範囲を見出した点が大きな特徴であります。」
「引用文献1(判決注:乙2文献)は析出物に関する記載はあるものの,晶出物,酸化物,硫化物等粗大な介在物を形成する粒子に関する記載はありません。また,その析出物の粒径は5μm以下という大きさのみの規定で,本願発明の『所定の大きさの介在物の単位面積当りの個数といった,介在物の分布』に関する記載はありません。」
「引用文献2(判決注:乙3文献)において晶出物又は析出物の大きさを3μm未満とする理由は,3μm以上では貴金属めっきの密着性やめっき層の耐加熱膨れ性が低下するためです(引用文献2段落[0014])。引用文献2においても,引用文献1と同様に晶出物,析出物は小さくすることのみに注目し,介在物の分布を制御することは記載されていません。」
「以上,本願発明は,析出物だけでなく,晶出物,酸化物,硫化物等を含めた介在物の分布に注目し,5~10μmの大きな粒径の介在物であっても許容できる単位面積当たりの個数(50個/m㎡以下)を規定したものですが,引用文献1及び2は粗大な介在物の有害性について,記載されているものの,その大きさを小さくする技術しか開示されていません。」
「本願発明では,この合金系において,単に介在物の大きさだけでなく,引用文献1,2では開示されていない,単位面積当りの個数で表される,『介在物の分布』の概念を新たに導入しました。」
上記事実関係に基づいて判断するに,本件訂正発明2の特許請求の範囲にいう「以下」とは基準となる数量(45個)と同じ又はこれより少ない数量を意味するものであるから,その文言上は,0個の場合を含むと解することが可能である。
しかし,本件明細書の記載(段落0007,0012等)によれば,本件訂正発明2は,「介在物の分布の制御を行うことにより」従来技術の問題点を解決するものであり,5~10μmの粗大な介在物の分布が圧延方向に平行な断面において45個/mm2未満であれば曲げ加工性等の特性を損なうことがないとの知見に基づくものである。そして,5~10μmの粗大な介在物が0個であれば「粗大な介在物の分布」は問題とならないから,本件明細書の記載を考慮すると,上記大きさの介在物が0個の場合はその技術的範囲に属しないと解することができる。
これに加え,原告は,析出物及び晶出物粒子の粒径をすべて5μm以下とすることは容易である旨をいう本件拒絶理由通知に対し,本件意見書において,介在物を小さくすれば銅合金の特性改善が図れることは知られていたが,粗大な介在物が存在してもその個数が一定限度であれば良好な特性が得られるという,粗大な介在物の分布の概念を新たに導入した点に本件発明の意義がある旨を述べたものである。本件意見書の上記記載は,5~10μmの大きさの介在物が存在する場合にのみ本件発明の技術的意義が認められ,5~10μmの介在物が0個の場合はその技術的範囲に含まれないことを前提としているものと解される。
そうすると,原告は,構成要件Fにいう「5~10μmの大きさの介在物個数が…50個/mm2未満」であることの意義につき,これが0個/mm2の場合を含まない旨を本件意見書において言明し,これにより本件拒絶理由通知に基づく拒絶を回避して特許登録を受けることができたものであるから,本件訴訟において上記介在物の個数が構成要件F’’の「45個/mm2以下」に0個/mm2の場合が含まれると主張することは,上記出願手続における主張と矛盾するものであり,禁反言の原則に照らし許されないというべきである。
したがって,構成要件F’’にいう「45個/mm2以下」には0個/mm2の場合が含まれないと判断することが相当である。
2 争点3(無効理由の有無)について
前記1で判断したとおり,構成要件F’’にいう「45個/mm2以下」には介在物個数が0個/mm2の場合を含まないと解すべきものであるが,その文言上はこれを含むと解することもできるので,そのように解した場合に本件特許に無効理由があるかについて念のため検討する。
※乙3文献に記載されていると認定された発明(乙3発明)は下記の通り。以下、下線を付した構成要件(オ)が争点とされている。
(ア) Ni 2.47~2.56wt%
(イ) Si 0.58~0.60wt%を含有し,Ni/Siの含有量(wt%)比が4.2~4.3
(ウ) Zn及びMn又はZn,Mn及びPを総量で0.52~0.63wt%含有
(エ) 残部がCu及び不可避的不純物からなる
(オ) 走査型電子顕微鏡(5000倍)により測定した晶出物又は析出物の大きさが1.3~1.8μm
(カ) 導電率が50~54%IACS,強度が670~705N/mm2
(キ) 強度及び導電性の優れた銅合金
「まず,乙3発明の「晶出物又は析出物」を本件訂正発明2の「介在物」と同視できるかを検討すると,証拠及び弁論の全趣旨によれば,EPMA装置により特性X線を検出してS及びOを同定する分析を行い,これにより得られるSを同定したEPMA画像及びOを同定したEPMA画像とSEM画像とを対照すれば,SEM画像で観察した粒子から酸化物及び硫化物を除外することが可能であることが認められる。
他方,乙3文献には,「晶出物又は析出物の大きさ」の測定のために,SEM画像の観察のほかに,EPMA装置による分析を行ったことの記載はない。また,乙3文献には,酸化物及び硫化物の粒子の大きさに関する記載はなく,SEM画像で観察される粗大な粒子に酸化物及び硫化物が含まれていることを示唆する記載もない。
そうすると,乙3発明についてEPMA装置による分析を行ったとは認められず,乙3発明の「晶出物又は析出物の大きさ」は,SEM画像により観察された粗大な粒子の大きさを意味するものと解される。
さらに,本件明細書には,介在物個数はSEMで観察したものであること(段落【0019】)が記載されているから,本件訂正発明2の「介在物」も,SEM画像により観察される粗大な粒子であると解される。
以上によれば,乙3発明の「晶出物又は析出物」も本件訂正発明2の「介在物」もSEM画像により観察される粗大な粒子であり,測定の対象は同じであるから,乙3発明の「晶出物又は析出物」は,本件訂正発明2の「介在物」(構成要件E及びF”)と同視できるというべきである。
次に,乙3発明の「大きさが1.3~1.8μm」という構成について検討する。
乙3発明は「晶出物又は析出物の大きさが3μm未満」とする発明に係る実施例ないし比較例であること,乙3文献には,晶出物又は析出物の大きさが3μm以上だとめっき性等が悪化するとの記載がある(段落【0014】)ことからすれば,乙3発明における「晶出物又は析出物の大きさ」とは,これらの粒子の大きさの最大値をいうものと解される。
したがって,乙3発明における「大きさが1.3~1.8μm」には,粒子の大きさが5μm未満である構成が開示されているものと解される。
前記のとおり,乙3発明における「晶出物又は析出物」は,本件訂正発明2における「介在物」と同視できるから,乙3発明は,「介在物の大きさが10μm以下であり,かつ,5~10μmの大きさの介在物個数が圧延方向に平行な断面で45個/m㎡以下(0個/mm2の場合を含む。)」(構成要件E及びF”)の構成を実質的に開示するものである。」
「 以上によれば,乙3発明は本件訂正発明2と実質的に同一の構成を開示するものである。そして,乙3文献には乙3発明の製造方法が説明され,当業者が当該構成を実施し得る程度の記載があると認められるから,本件訂正発明2は新規性を欠くものというべきである。
したがって,本件訂正発明2に係る特許は特許無効審判により無効にされるべきものと認められるから,特許法104条の3第1項により,原告は,本件特許権を行使することができない。」
【所感】
本件における原告の主張は、本件発明の明細書の記載や、本件特許出願の出願経過の意見書における主張とは明らかに相反するものであるため、裁判所の判断は妥当であると考える。0%を含まない場合については無効との判断はされておらず、本件では原告の主張が行きすぎであったと言える。
以上