軸受装置事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2012.2.29
事件番号 H23(行ケ)10251
担当部 第4部
発明の名称 軸受装置
キーワード 記載要件,実施可能要件
事案の内容 本件は,拒絶審決の取り消しを求めた審決取消訴訟であり,取消事由には理由がないとして拒絶審決が維持された事案。
発明の詳細な説明の記載には,特許請求の範囲に記載された関係式が普遍的に成立することの十分な裏付けがあるとはいえず、当業者が本願発明の技術上の意義を理解するために必要な事項が記載されていない。

事案の内容

【原告の特許出願】

(1)特願2001-156765(出願日:2001年5月25日)

(2)本願発明の請求項1については以下の通りである。

 

【請求項1】

中空軸の外周に転がり軸受の内輪を外嵌し,前記中空軸の軸端を径方向外向きに屈曲させて前記転がり軸受の内輪の外端面にかしめつけて,転がり軸受に対する抜け止めと予圧付与とを行う軸受装置であって,

前記中空軸の転がり軸受嵌合領域において,前記内輪の反かしめ側端面相当位置からかしめ側端面相当位置の手前までの範囲に硬化層が形成され,また前記かしめ側端面相当位置の手前から前記中空軸の軸端までの範囲が未硬化とされており,

前記硬化層のかしめ側端部の位置が関係式(1)に基づいて規定されていることを特徴とする軸受装置。

(A-C-D)Y/E≦X<(A-C) … (1)

前記(1)式において,内輪の軸方向幅をA,内輪のかしめ側の外端面における軸方向面取長さをC,内輪の反かしめ側の外端面における軸方向面取長さをD,中空軸の厚さをE,面取長さDの位置より前記硬化層のかしめ側端部までの距離をX,硬化処理深さをY(<E)で示す。

 

【裁判所の判断】

1.取消事由1(特許法36条4項に係る判断の誤り)について

(1) 本願明細書の記載について

本願発明は,硬化層のかしめ側端部の位置を本件関係式に基づいて規定することにより,内輪と中空軸との間に隙間が発生しないようにすることを特徴とする軸受装置(【請求項1】)であるところ,本願明細書の前記(1)エの記載からすると,本願発明の発明者らは,実験(本件試験)と試算によりX=(A-C-D)Y/Eとの式を求め,同式から本件関係式を導いたものであると認められる。

本件関係式は本件試験の結果から導いたものではなく,中空軸と内輪とが嵌め合う長さ(A-C-D)と硬化層のかしめ側端部までの距離Xを比例させるとの考えを《1》式(X∝(A-C-D))で表し,中空軸の厚さEに対する硬化層の処理深さYの比率(Y/E)を小さくすると,硬化層のかしめ側端部までの距離Xを短くしても隙間の発生を防止することができるとの考えを《2》式(X∝Y/E)で表した上,《1》式と《2》式を組み合わせて《3》式(X∝(A-C-D)Y/E)を求め,同式から本件関係式を導いたものである。

確かに,軸受装置の中空軸に内輪を嵌め,中空軸の軸端を屈曲させてかしめる場合に,中空軸と内輪との嵌め合い部の硬化層以外の部分に残留変形が生じて隙間が発生する可能性があると考えられるから,当業者であれば,《1》式の関係を想定することができるものといえる。また,中空軸の厚さが増加すると,中空軸の断面積の増加により,かしめ時に中空軸に発生する応力が低下し,中空軸と内輪との嵌め合い部分に隙間が発生しにくくなると考えられるから,当業者は,X∝1/E(XはEに反比例する。)の関係についても想定することができるといえる。

しかしながら,硬化層のかしめ側端部までの距離Xについて,硬化層の処理深さYの値を考慮すべき理由は明らかでなく,あえて《2》式と関係付けることの根拠は見出し難い。

次に,本件関係式が本件試験の結果から導かれたものであるとしても,次のとおり,本願明細書には,本件関係式が普遍的に成立することの十分な裏付けがあるということはできない。

本願明細書には,本件関係式では,5つの変数があるにもかかわらず,本件試験では,上記A及びEを変化させているにすぎず,他の変数である内輪のかしめ側の外端面における軸方向面取長さC,内輪の反かしめ側の外端面における軸方向面取長さD及び硬化処理深さYについては,全く考慮されていないものであるから,本件関係式の普遍性を裏付けるための実験として十分なものということはできない。

以上のとおり,本願明細書の発明の詳細な説明の記載には,当業者の技術常識を踏まえても,硬化層のかしめ側端部の位置を本件関係式に基づいて規定することにより,内輪と中空軸との間に普遍的に隙間が発生しないこととなる理由が明らかにされておらず,当業者が本願発明の技術上の意義を理解するために必要な事項が記載されていないものといわざるを得ない。

(2) 小括

よって,取消事由1は理由がない。

 

2.結論

以上の次第であるから,その余の取消事由について判断するまでもなく,原告の請求は棄却されるべきものである。

 

【所感】

本件は、法36条4項違背で拒絶審決を維持している。いわゆる実施可能要件を満たさないとの判断であるものの、本願請求項1に記載の発明を実施すること自体は可能である。しかし、特許・実用新案審査基準には、「当業者が明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づいて、請求項に係る発明の属する技術分野、又は課題及びその解決手段を理解することができない出願については委任省令要件違反とする」との記載があり、本願に対する裁判官の「本願発明の技術上の意義を理解するために必要な事項の記載がない」との判断は妥当であると考える。

原告の側に立って考えると、本願の請求項1に記載された(1)式を導くために、本願明細書に記載されている以外の試験結果のデータもあったのではないか、と推測する。実施可能要件違反に対しては、実験成績証明書等により反論および釈明をすることもできるため、審決を取り消すことは容易ではないかもしれないが、反論の余地はあったように思われる。