膨張弁事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2011.02.03
事件番号 H22(行ケ)10184
担当部 知財高裁第4部
発明の名称 膨張弁
キーワード 進歩性、阻害事由
事案の内容 拒絶査定不服審判で進歩性なしとして拒絶審決を受けた出願人が取り消しを求め、請求が認容されて拒絶審決が取り消された事案。
引用発明の固定手段である「かしめ固定」に代えて、周知技術の固定手段である「ねじ結合による螺着」を採用することに阻害事由を認めた点がポイント。

事案の内容

<本願補正発明>(下線部分は審判請求時の補正箇所)

エバポレータに向かう液冷媒が通る第1の通路とエバポレータからコンプレッサ

に向かう気相冷媒が通る第2の通路を有する樹脂製の弁本体と,
上記第1の通路中に設けられるオリフィスと,
該オリフィスを通過する冷媒量を調節する弁体と,
上記弁本体に設けられ,上記気相冷媒の温度に対応して動作するパワーエレメント部と,
上記パワーエレメント部と上記弁体との間に設けられる弁体駆動棒とを備え,
上記弁体駆動棒は,上記気相冷媒の温度を上記パワーエレメント部に伝達するとともに上記パワーエレメント部により駆動されて上記弁体を上記オリフィスに接離させる膨張弁であって,
上記パワーエレメント部は,弾性変形可能な部材から成る上カバーと下カバーの外周縁にてダイアフラムを挟持することにより構成され,
上記弁本体の上端部の外周部に固着部材がインサート成形によって設けられ,
上記固着部材には雄ねじが形成されており,上端部が内側に屈曲した筒状の連結部材の内面には雌ねじが形成されており,上記連結部材を上記雌ねじと上記雄ねじとのねじ結合によって上記固着部材に螺着して上記パワーエレメント部の外周縁を上記連結部材の上端部と上記弁本体の上端部との間に挟み込むことにより,上記パワーエレメント部が上記弁本体に固定されていることを特徴とする膨張弁。

 

<本件審決>

本件審決の理由は,要するに,本件補正発明は,下記アの引用例1に記載された発明(以下「引用発明」という。),引用例1に記載された技術事項(以下「本件オリフィス構成」という。),下記イの引用例2に記載された技術(以下「甲8技術」という。)及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから独立特許要件を満たさないとして,本件補正を却下し,本件出願に係る発明の要旨を本願発明のとおり認定した上,本願発明は引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである,としたものである。

引用例1:特開平9-89154号公報(甲7)
引用例2:特開平9-14097号公報(甲8)
〔相違点2〕:パワーエレメント部の弁本体への固定を,本件補正発明では,弁本体の上端部の外周部に固着部材がインサート成形によって設けられ,固着部材には雄ねじが形成されており,上端部が内側に屈曲した筒状の連結部材の内面には雌ねじが形成されており,連結部材を雌ねじと雄ねじとのねじ結合によって固着部材に螺着してパワーエレメント部の外周縁を連結部材の上端部と弁本体の上端部との間に挟み込むことにより行うのに対して,引用発明では,弁本体の上端外周部にフランジが形成され,当該フランジとともに制御機構の外周部とを覆うようにかぶせた円筒状の止め金具の上下部をかしめることにより行う点

 

【裁判所の判断】

〔相違点2についての判断の誤りについて〕

ア 引用発明の内容

引用例1(甲7)には,引用発明について要旨次の記載がある。

(ア) 従来の自動車用空調装置に組み込まれた膨張弁(以下「本件先行発明」という。)の弁本体は,金属製であったことにより,熱伝導率がよいために内部のオリフィスの開放量が正確に測定されないことによる不都合(【0009】),冷房効率の低下(【0010】),重量が重くなり,かといって合成樹脂で成形すると,合成樹脂は,金属より低強度であるため,弁体(金属製)が合成樹脂製の弁座に当接する動作が繰り返されて弁座が損傷する可能性があるという問題点(【0011】),制御機構が取付筒に形成された雄ねじと弁本体の内側に形成された雌ねじにより螺着されているが,雄ねじの形成にコストがかかり,かつ,取付けに当たり接着剤を使用する必要があり,取付作業が面倒になること(【0012】)などの課題があった。
そこで,引用発明は,弁本体を樹脂で成形し(【0015】),本件オリフィス構成で弁座の損傷を防ぎ(【0016】),制御機構を弁本体にかしめにて固着することで,取付けが容易かつ確実にできる(【0017】)ようにするなどの工夫をしたものである。
(イ) 引用発明の弁本体の樹脂としては,耐冷媒・冷凍機油性,耐破壊圧強度,耐クリープ性及び耐熱性に優れたポリフェニレンサルファイド樹脂が好ましい(【0027】)。また,弁本体の上端部中央には,均圧室が開口して形成され,弁本体の上端部外周部にはフランジが形成されており,制御機構と弁本体とは,当該フランジの上部に制御機構の下蓋をパッキンを介して重ね,当該フランジとともに制御機構の外周部を覆うようにかぶせた円筒状の止め金具の上下部をかしめることにより固定されている(【0032】)。
(ウ) このように,引用発明は,弁本体を樹脂としたことで,軽量となり,配管が振動により破損するおそれもなく加工コストも安くなるばかりか,本件オリフィス構成により弁体の開閉作動によりオリフィスが破損するおそれがなく(【0046】),弁本体と制御機構との連結に筒状止め金具によるかしめ固定を採用したことにより,ねじ加工が不要となり非常に安価にできるとともに,ねじの緩みを防止する接着剤の塗布が不必要となり,確実かつ恒久的に接続することが可能となるものである(【0047】)。

イ 本件補正発明の内容

本件補正明細書(甲1,2の3,3の3,4の4)には,本件補正発明について要旨次の記載がある。
(ア) 従来の膨張弁(引用発明)においては,パワーエレメント部がかしめ部材により樹脂製の弁本体にかしめ固定されているため,パワーエレメント部が金属製の弁本体に螺着されるもの(本件先行発明)に比較して,弁本体内の圧力によりパワーエレメント部全体が浮き上がり,また,パワーエレメント部の上カバーが弾性変形し,かしめ部材のかしめ部が緩んで強度不足や,更には膨張弁の動作機能を阻害したり,かしめ部分から水分が侵入することで様々な不都合が発生するおそれがある(【0018】)。
(イ) そこで,本件補正発明は,弁本体を樹脂で成形した上で,引用発明とは異なり,弁本体に環状の金属部材を固着部材としてインサート成形して雄ねじを形成し,他方,パワーエレメント部を弁本体に固着させるための上端部が屈曲した筒状の連結部材の内側には雌ねじを形成して,固着部材と連結部材とをねじ結合により螺着させるというものである(【0020】【0023】【0024】【0032】~【0035】【図2】)。
(ウ) 本件補正発明は,引用発明と同様に弁本体が樹脂で成形されていても,パワーエレメント部の固定が強度不足という問題は発生せず,膨張弁の動作に不具合が生じるおそれもなく,またその強度不足によって生ずる水分の侵入により不都合が生じるというおそれも発生しないものである(【0036】)。

ウ 相違点2の容易想到性について

(ア) 引用例1は,前記のとおり,引用発明の弁本体の耐クリープ性に配慮して樹脂の素材の好例を記載しており(【0027】),また,強度の高い部材(例えば金属)と強度の低い部材(例えば樹脂)とによって構成された構造体に外力が加わった場合,強度の低い部材に応力が集中し,これが樹脂である場合にはクリープが発生することは,技術常識でもある。そして,樹脂製のフランジに対して金属部材をかしめ固定する技術に関する甲8技術が,樹脂にクリープが発生することを予防するためにフランジ部に金属板を備えていることを併せ考えると,引用発明のフランジに筒状止め金具をかしめ固定するに当たり,甲8技術に基づき,筒状止め金具が当接するフランジ部に金属板を備える構成を想到することは,当業者にとって容易であったといえる。
(イ) 次に,引用発明は,前記のとおり,本件オリフィス構成を採用している(【0016】)。したがって,前記のとおり,引用発明のフランジ部に金属板を備える構成を採用する場合に,当該金属板を樹脂製の弁本体にインサート成形することは,引用例1自体に示唆があり,当業者にとって容易に想到可能であるといえる。
(ウ) また,一般に,膨張弁を含む圧力制御弁の技術分野において,円筒形の2つの部材を固定する手段として,かしめ固定のほかに,螺着という手段が存在することは,当業者にとって周知技術である(甲9,10)。
(エ) しかしながら,引用例1及び2には,前記フランジ部に金属板をインサート成形したとしても,この部分に雄ねじを,筒状止め金具の内側に雌ねじを,それぞれ形成して,両部材の固定に当たって前記周知技術である螺着という方法を採用することについては,いずれも何らこれを動機付け又は示唆する記載がない。
むしろ,引用発明は,本件先行発明の制御機構が,取付筒に形成された雄ねじと弁本体の内側に形成された雌ねじにより螺着されているが,雄ねじの形成にコストがかかり,かつ,取付けに当たり接着剤を使用する必要があり,取付作業が面倒になる(【0012】)という課題を解決するために,かしめ固定という方法を採用し(【0047】),本件先行発明が採用するねじ結合による螺着という方法を積極的に排斥したものである。したがって,引用例1及び2に接した当業者は,あくまでも制御機構(パワーエレメント部)と樹脂製の弁本体をかしめ固定により連結することを前提とした技術の採用について想到することは自然であるといえるものの,本件先行発明が採用していながら,引用例1が積極的に排斥したねじ結合による螺着という方法を想到することについては,阻害事由があるといわざるを得ない。
以上のとおり,引用例1及び2には,膨張弁のパワーエレメント部と樹脂製の弁本体の固定に当たり,弁本体の外周部にインサート成形した固着部材に雄ねじを,上端部が屈曲した筒状の連結部材の内側には雌ねじを,それぞれ形成して,両者をねじ結合により螺着させるという本件補正発明の相違点2に係る構成を採用するに足りる動機付け又は示唆がない。むしろ,引用発明は,それに先行する本件先行発明の弁本体が金属製であることによる問題点を解決するためにこれを樹脂製に改め,併せてパワーエレメント部と弁本体とを螺着によって固定していた本件先行発明の有する課題を解決するため,ねじ結合による螺着という方法を積極的に排斥してかしめ固定という方法を採用したものであるから,引用発明には,弁本体を樹脂製としつつも,パワーエレメント部と弁本体の固定に当たりねじ結合による螺着という方法を採用することについて阻害事由がある。しかも,本件補正発明は,上記相違点2に係る構成を採用することによって,パワーエレメント部の固定に強度不足という問題が発生せず,膨張弁の動作に不具合が生じるおそれもなく,またその強度不足によって生ずる水分の侵入により不都合が生じるというおそれも発生しないという作用効果(作用効果1)を発揮することで,引用発明が有する技術的課題を解決するものである。
したがって,当業者は,引用発明,本件オリフィス構成,甲8技術及び周知技術に基づいたとしても,引用発明について相違点2に係る構成を採用することを容易に想到することができなかったものというべきである。

エ 被告の主張について

以上に対して,被告は,パワーエレメント部の弁本体への固定手段としてどのような手段を用いるかは当業者が適宜選択すべきことにすぎず,螺着という方法が周知技術であり,かしめ固定に様々な問題があることも技術常識であるし,引用例1の本件先行発明に関する記載が,本件先行発明における螺着の不具合を示しているにすぎないから,螺着という方法の採用自体を妨げるものではなく,当業者が,引用発明における固定手段としてかしめ固定に代えて螺着を採用することが容易にできた旨を主張する。
しかしながら,ねじ結合による螺着及びかしめ固定にそれぞれ固有の問題があることが周知ないし技術常識であるとしても,引用発明は,そのような技術常識の中で,あえて本件先行発明が採用する螺着の問題点に着目し,これを解決するためにかしめ固定を採用したものである。すなわち,前記認定のとおり,引用例1は,本件先行発明が採用している螺着という方法を積極的に排斥している以上,相違点2に係る構成について引用発明のかしめ固定に代えて同発明が排斥している螺着という方法を採用することについては阻害事由があるのであって,これに反する被告の上記主張をもって,いずれも相違点2についての容易想到性に係る前記判断が妨げられるものではない。
よって,被告の上記主張は,採用できない。

 

【解説】

本件は、引用発明の固定手段である「かしめ固定」に代えて、周知技術の固定手段である「ねじ結合による螺着」を採用することに阻害事由の存在を認めた点で注目すべき判決である。ただし、引用発明が弁本体の内周側での螺着を積極的に排斥しているとしても、弁本体の外周側(フランジ)での螺着までも積極的に排斥しているといえるのかについては疑問が残る。