経皮吸収製剤,経皮吸収製剤保持シート,及び経皮吸収製剤保持用具事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-侵害系
判決日 2015.10.28
事件番号 H26(ネ)第10109号
発明の名称 知財高裁第3部
キーワード 訂正要件、新規性判断、優先権の利益
事案の内容 本件は、本件特許(特許第4913030号)には無効理由があるとして請求が棄却された侵害訴訟の控訴審であり、本件特許に対する訂正の請求が認められることなく、控訴が棄却された事案である。
特許請求の範囲の訂正の要件に関する判断が示された点がポイント。

事案の内容

【経緯】

<控訴人>              <被控訴人>

侵害訴訟提起    →      ②無効審判請求

第1次訂正        ←

  (第1次訂正が認められ、無効審判の請求棄却:本件第1次審決)

→      ④審決取消訴訟の提起

  (乙15文献に基づく新規性欠如を理由に審決取消:本件第1次判決)

第2次訂正        ←

  (第1次訂正取下擬制。第2次訂正認められ、無効審判の請求棄却:本件第2次審決)

→      ⑥審決取消訴訟の提起

  (第2次訂正を認めた審決の判断には誤りがあるとして、第2次審決取消:本件第2次判決

   詳細は弊所HP、知財レポート(2015年5月28日付けの記事)参照

訂正の再抗弁      ←

  (この訂正が本件訂正。第2次訂正は取下擬制。)

 

【本件において判断が示された争点】

争点(3):乙15文献(国際公開第2005/058162号)に基づく新規性欠如(無効理由1)

争点(4):訂正の対抗主張の成否

 

【争点に関連する本件発明】

(1)訂正前の請求項1,4,19

[請求項1]

 水溶性かつ生体内溶解性の高分子物質からなる基剤と,

 該基剤に保持された目的物質とを有し,

 皮膚に挿入されることにより目的物質を皮膚から吸収させる経皮吸収製剤であって,

 前記高分子物質は,コンドロイチン硫酸ナトリウム,ヒアルロン酸,グリコーゲン,デキストラン,キトサン,プルラン,血清アルブミン,血清α酸性糖タンパク質,及びカルボキシビニルポリマーからなる群より選ばれた少なくとも1つの物質であり,

 尖った先端部を備えた針状又は糸状の形状を有すると共に

 前記先端部が皮膚に接触した状態で押圧されることにより皮膚に挿入される,

 経皮吸収製剤。

 

[請求項4]

前記基剤は多孔性物質を含有し,前記目的物質は前記多孔性物質に保持され,前記目的物質が徐放される,請求項1に記載の経皮吸収製剤。

 

[請求項19]

シート状の支持体の少なくとも一方の面に請求項1~17のいずれかに記載の経皮吸収製剤が1又は2個以上保持され,皮膚に押し当てられることにより前記皮膚吸収製剤が皮膚に挿入される経皮吸収製剤保持シート。

 

(2)本件訂正発明

[請求項1]

 シート状の支持体の少なくとも一方の面に経皮吸収製剤が1又は2個以上保持され,皮膚に押し当てられることにより前記皮膚吸収製剤が皮膚に挿入される経皮吸収製剤保持シートであって,

A’ 前記経皮吸収製剤は,水溶性かつ生体内溶解性の高分子物質からなる基剤と,

 該基剤に保持された目的物質とを有し,

C’ 皮膚(但し,皮膚は表皮及び真皮から成る。以下同様)に挿入されることにより目的物質を皮膚から吸収させるものであり,

D’ 前記高分子物質は,コンドロイチン硫酸ナトリウム,ヒアルロン酸,グリコーゲン,デキストランプルラン,血清アルブミン,血清α 酸性糖タンパク質,及びカルボキシビニルポリマーからなる群より選ばれた少なくとも1つの物質(但し,デキストランのみからなる物質は除く)であり,

 尖った先端部を備えた針状又は糸状の形状を有すると共に,

 前記先端部が皮膚に接触した状態で押圧されることにより皮膚に挿入され,

G’ 経皮吸収製剤を前記形状に成形する際に,基剤は,水に溶解して曳糸性を示す状態に調製することを特徴とする,経皮吸収製剤である,

H’ 経皮吸収製剤保持シート

 

【裁判所の判断】

1 争点(3)アの無効理由1(乙15文献に基づく新規性欠如)について

 (1) 本件発明について

…本件明細書には,本件発明に関し,次のような開示があることが認められる。

(ア) 従来から,侵襲性の低い注射の技術開発が進められており,その一つである皮膚に刺しても痛みを感じないほどに微細化された針であるマイクロニードルには,…生体内溶解性を有する物質からなる基剤に目的物質を保持させておき,皮膚に挿入された際に基剤が自己溶解することにより,目的物質を皮内に投与することができる…自己溶解型のマイクロニードルが知られていた(段落【0003】)。

しかし,麦芽糖からなる基剤を有する自己溶解型のマイクロニードルでは,製造過程で目的物質が高温に曝されるため,薬物等の目的物質が高温で分解,変性又は失活するとの課題があり,また,目的物質を徐放させる目的で,ポリ乳酸からなる基剤が用いられる場合,有機溶媒を用いて溶解させる必要があるため,目的物質の種類によっては,有機溶媒に接触することで変性又は失活するとの課題があった(段落【0005】,【0006】)。

(イ) …本件発明の経皮吸収製剤においては,水溶性かつ生体内溶解性の高分子物質からなる基剤がコンドロイチン硫酸ナトリウム,ヒアルロン酸等の物質からなるので室温又は低温条件下で製造することができ,基剤に保持されている目的物質が製造過程で高温に曝されることがなく,熱に対して不安定な目的物質であっても,製造過程でその活性が損なわれることがないため,「難経皮吸収性の薬物等であっても高い効率で皮膚から目的物質を吸収させることができる」という効果を奏する(段落【0010】,【0059】)。

 

(2) 乙15文献に記載された発明について

乙15文献は,本件優先日1の後であり,本件優先日2の前である平成17年(2005年)6月30日に頒布された刊行物である。

しかるところ,本件優先日1(平成17年1月31日)に係る優先権の主張の基礎とされた先の出願(特願2005-23276号)の願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲及び図面には,本件発明のうち,基剤を構成する高分子物質が「ヒアルロン酸,デキストラン,キトサン及びプルランからなる群より選ばれた少なくとも1つの物資」である構成のものについては記載されていない(甲20及び弁論の全趣旨)から,当該構成に係る本件発明との関係においては,特許法41条2項により,同法29条1項3号の規定の適用について,本件特許の特許出願が本件優先日1の時にされたものとみなされることにはならない。

したがって,本件優先日1の後ではあるが,本件優先日2の前に頒布された乙15文献は,本件発明との関係において,特許法29条1項3号所定の「特許出願前に日本国内又は外国において,頒布された刊行物」に当たるものといえる。

 

(3) 本件発明と乙15記載の医療用針との対比

… 乙15記載の医療用針においては,「医療用針」の内部に設けられた「複数の縦孔」内に,「薬剤」が収容され,当該縦孔は「生分解材料からなる封止部」によって封止されている。

…本件発明の特許請求の範囲(本件訂正前の請求項1)記載の「基剤に保持された目的物質」との構成は,目的物質が基剤に「保持」されていることを規定するものであるところ,同特許請求の範囲には,「保持」の態様について限定する記載はない。そして,「保持」とは,一般に,「たもちつづけること。手放さずに持っていること。」(広辞苑第6版(乙19))を意味する用語であることからすると,「基剤に保持された目的物質」とは,目的物質が基剤にたもちつづけられる状態にあること全般を意味するものといえる。

また,本件明細書の「発明の詳細な説明」には,「保持」の用語を定義付ける記載はなく,かえって,「基剤に目的物質を保持させる方法としては特に限定はなく,種々の方法が適用可能である」(段落【0070】)ことが明示されている。

加えて,本件特許の特許請求の範囲の請求項4には,請求項1を引用した発明として,「前記基剤は多孔性物質を含有し,前記目的物質は前記多孔性物質に保持され,前記目的物質が徐放される,請求項1に記載の経皮吸収製剤」が記載され,また,本件明細書の段落【0016】,【0018】及び【0072】には,「目的物質」が「多孔性物質」に「保持」されることが記載されている。これらの記載における「目的物質」が「多孔性物質」に「保持」されるとは,「多孔性物質」に存在する孔の中に「目的物質」が収容されている構成を意味するものと理解することができる。

…控訴人は,①…本件発明の経皮吸収製剤における「基剤に保持された目的物質」とは,製剤が皮膚に挿入された時に,目的物質が,皮膚を貫通する強度を与える基剤とともに皮膚に挿入され,体内で基剤とともに溶解し吸収されるように,あらかじめ基剤に保持されて製剤を形成していること,すなわち,目的物質が基剤に混合されて基剤とともに存在していることを意味する,②本件明細書には,硬さと溶解性を兼ね備えた経皮吸収製剤の作製に不可欠の方法の記載があり,…本件発明における基剤と目的物質の保持関係は,本件発明の経皮吸収製剤の上記のような作製方法と整合するものでなければならない…旨主張する。

しかしながら,本件特許の特許請求の範囲及び本件明細書には,「基剤に保持された目的物質」の用語について,「目的物質が基剤に混合していること」を意味することを明示した記載はない。かえって,前記aのとおり,特許請求の範囲には,「基剤に保持された目的物質」にいう「保持」の態様について限定する記載はなく,また,本件明細書の段落【0070】には,「基剤に目的物質を保持させる方法としては特に限定はなく,種々の方法が適用可能である」との記載がある。

 さらに,控訴人が上記主張の根拠とする本件発明の経皮吸収製剤の作製方法についての記載…は,いずれも本件発明の経皮吸収製剤を製造する方法についての一例を説明する記載にすぎないから,本件発明の「基剤に保持された目的物質」の意義について,上記記載に係る製造方法と整合するように限定して解釈しなければならないとする理由はない。

…以上の次第であるから,本件発明は,本件優先日2の前に頒布された刊行物である乙15文献に記載された発明であると認められ,特許法29条1項3号の規定により特許を受けることができないものである。

 

2 争点(4)(訂正の対抗主張の成否)について

ア 訂正事項①について

(ア) 訂正事項①は,本件発明の構成要件AないしGに,構成要件Oを付加するとともに,本件発明の「経皮吸収製剤」(構成要件G)を「経皮吸収製剤保持シート」(構成要件H’)とするものである。

訂正事項①に係る訂正について,…被控訴人らは,発明の対象を変更するものであるから,「実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するもの」(特許法134条の2第9項,126条6項)に当たり,訂正要件を欠く旨主張するので,…検討する。

(イ) 特許法は,訂正審判又は特許無効審判における訂正請求による特許請求の範囲等の訂正について,特許請求の範囲の減縮,誤記又は誤訳の訂正,明瞭でない記載の釈明を目的とするものに限って許されるものとし(126条1項,134条の2第1項),更に,「実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものであってはならない」(126条6項,134条の2第9項)ことを定めている。これは,訂正をすべき旨の審決が確定したときは,訂正の効果は特許出願の時点まで遡って生じ(128条),しかも,訂正された特許請求の範囲,明細書又は図面に基づく特許権の効力は不特定多数の一般第三者に及ぶものであることに鑑み,特許請求の範囲等の記載に対する一般第三者の信頼を保護することを目的とするものであり,特に,126条6項の規定は,訂正前の特許請求の範囲には含まれない発明が訂正後の特許請求の範囲に含まれることとなると,第三者にとって不測の不利益が生じるおそれがあるため,そうした事態が生じないことを担保する趣旨の規定であると解される。

(ウ) そこで,以上を踏まえて検討するに,…①本件訂正前の特許請求の範囲中には,請求項19として,…「経皮吸収製剤」の発明とは別に,「経皮吸収製剤保持シート」の発明の記載があること,②本件明細書には,…「経皮吸収製剤」の発明と「経皮吸収製剤保持シート」の発明とは,構成及び効果を異にする別個の発明として開示されていることを併せ考慮すると,本件訂正前の請求項1の「経皮吸収製剤」という物の発明を「経皮吸収製剤保持シート」という物の発明に変更する訂正事項①に係る訂正は,実質上特許請求の範囲を変更するものとして,特許法134条の2第9項において準用する同法126条6項に違反するものと認められる。仮にこのような物の発明の対象を変更する訂正が許されるとすれば,「その物の生産にのみ用いる物」又は「その物の生産に用いる物」の生産等の行為による間接侵害(同法101条1号ないし3号)が成立する範囲も異なるものとなり,特許請求の範囲の記載を信頼する一般第三者の利益を害するおそれがあるといえるから,…同法126条6項の規定の趣旨に反するといわざるを得ない。他方で,本件においては,請求項19の「経皮吸収製剤保持シート」の発明について,発明の対象を変更することなく必要な訂正を行い,当該請求項に基づいて特許権を行使することも可能であるから,請求項1について,発明の対象の変更となるような訂正をあえて認めなければ,特許権者である控訴人の権利保護に欠けるという特段の事情もない。

以上によれば,上記のとおり発明の対象を変更することとなる訂正事項①に係る訂正は,実質上特許請求の範囲を変更するものとして許されないものというべきである。

イ 控訴人の主張について

これに対し,控訴人は,①本件発明の特徴的構成は,基剤成分の高分子物質を規定した構成要件Dであり,本件訂正発明では,構成要件Dに加えて,経皮吸収製剤を針状に成形する際の成形方法の特徴を規定した構成要件G’であって,「経皮吸収製剤保持シート」の構成は,それ自体で新規な特徴的構成を有しないこと,②本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1は,形式的には「経皮吸収製剤保持シート」として記載されているが,実質的には「経皮吸収製剤」の発明であり,「経皮吸収製剤」の発明として記載することも可能であることを理由に挙げ,訂正事項①に係る訂正は,特許請求の範囲を実質上拡張も変更もしていない旨主張する。

しかしながら,控訴人が指摘する「経皮吸収製剤保持シート」の構成がそれ自体で新規な特徴的構成であるかどうかという問題は,上記判断とは直接関係がないことというべきであるから,控訴人が指摘する上記①の点は,控訴人の上記主張を根拠付けるものとはいえない。

また,本件訂正後の特許請求の範囲の請求項1について,「経皮吸収製剤」の発明に書き換えることも可能であり,実質的には「経皮吸収製剤」の発明であるとする控訴人の主張は,特許請求の範囲の記載に基づかずに発明の対象を特定し,その変更の有無を判断しようとするものであって,失当というべきであるから,控訴人が指摘する上記②の点も,控訴人の上記主張を根拠付けるものとはいえない。

 

3 結論

…本件特許権に基づく控訴人の請求は,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がない。よって,控訴人の請求をいずれも棄却した原判決は結論において相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却する…。

 

【所感】

本件判決では、サブコンビネーションを規定している従属請求項に相当する内容への補正が別発明への変更に相当する旨が判示された。この判断は、侵害訴訟における訂正の再抗弁に対するものであることを鑑みれば妥当であると考える。侵害訴訟における判断であるが故に、前記の判断の根拠として、間接侵害における権利範囲の変動に言及や、サブコンビネーションを規定している従属請求項の訂正によって対応すべきである旨の示唆がなされているものと考えられる。なお、侵害訴訟ではない場面であれば、本件のような訂正が認められる余地は、少なからずあったのではないかと考えられる。

新規性の判断においては、本件控訴人は、「保持」の解釈について、明細書の記載内容等を根拠として乙15文献記載の構成とは異なる旨を主張しているが、クレームの記載からその構成や技術的意義が読み取れない以上、その主張が斥けられるのは仕方がないと言える。

その他に、本件では、基礎出願に開示がない物質をクレームに規定されているために、その優先権の利益が享受できず、基礎出願の後願である乙15文献を引例として新規性欠如が指摘されてしまった。実務上、当然のことではあるが、優先権を主張して出願する以上は、優先権の利益を享受できるように、基礎出願の開示内容を考慮して、クレームすべき内容を慎重に検討すべきであると言える。

以上