窒化物系半導体素子の製造方法事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2015.9.28
事件番号 平成26年(行ケ)第10148号
担当部 知財高裁第3部
発明の名称 窒化物系半導体素子の製造方法
キーワード 容易想到性
事案の内容 特許無効審判の請求不成立審決に対する審決取消訴訟であり、審決が取り消された事案。
甲11発明において,技術常識等に基づいて相違点①に係る構成を採用することは,当業者が容易になし得たことであるものと認められると判示した点がポイント。

事案の内容

【経緯】

平成20年 3月24日    分割出願(特願2008-76844号)

平成20年 9月 5日    設定登録(特許第4180107号)

平成23年10月 7日    無効審判請求

平成24年 7月20日    不成立審決→審決取消訴訟提起(平成24年(行ケ)10303号)

平成25年11月14日    請求棄却判決

平成25年 7月10日    無効審判請求(請求項全部)

平成26年 5月20日    不成立審決

平成26年 6月13日    上記審決の取消しを求めて本件訴えを提起

 

【本件の請求項1】

n型の窒化物系半導体層および窒化物系半導体基板のいずれかからなる第1半導体層の上面上に,活性層を含む窒化物半導体層からなる第2半導体層を形成する第1工程と,

前記第1半導体層の裏面を研磨することにより厚み加工する第2工程と,

前記第1工程及び前記第2工程の後,前記研磨により発生した転位を含む前記第1半導体層の裏面近傍の領域を除去して前記第1半導体層の裏面の転位密度を1×10cm-2以下とする第3工程と,

その後,前記転位を含む前記第1半導体層の裏面近傍の領域が除去された第1半導体層の裏面上に,n側電極を形成する第4工程とを備え,

前記第1半導体層と前記n側電極とのコンタクト抵抗を0.05Ωcm以下とする,窒化物系半導体素子の製造方法

 

【原告主張の審決取消事由】

(1)取消事由4

相違点①の容易想到性に関する判断の誤り

 

<審決の判断>

本件特許発明1と甲11(特開2001-176823)発明との相違点

相違点①:

「前記第3工程の除去により第1半導体層の裏面の転位密度が,本件特許発明1では,1×10cm-2以下とされるのに対し,甲11発明では,1×10cm-2以下であるかどうかが明らかでない点」

(2)取消事由5

相違点②の容易想到性に関する判断の誤り

<審決の判断>

本件特許発明1と甲11(特開2001-176823)発明との相違点

相違点②:

「前記第1半導体層と前記n側電極とのコンタクト抵抗が,本件特許発明1では,0.05Ωcm以下とされるのに対し,甲11発明では,0.05Ωcm以下であるかどうかが明らかでない点」

 

【裁判所の判断】

当裁判所は,原告主張の取消事由4及び5には理由があるから,その余の点について判断するまでもなく,審決にはこれを取り消すべき違法があるものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

 

(2) 甲11発明について

甲11には第2の3(2)エ記載の発明(甲11発明)が記載されているものと認められる。そして,前記第2の3(2)エのとおり,甲11発明は,窒化物半導体レ-ザ素子の製造方法に係る発明であり,その製造過程において,窒化物半導体レ-ザ素子を形成したウエハーのGaN基板側を研磨機により研磨して,塩素ド-ピングされたGaN基板の厚さを100μmにし,鏡面出しをし,次に,前記研磨によって生じた表面歪み及び酸化膜を除去してp型,n型電極のコンタクト抵抗の低減と電極剥離を防止するために,フッ酸又は熱燐酸を含む硫酸からなる混合溶液で前記ウエハーをエッチング処理し,ウエハーを裏返しにして,GaN基板側に,Ti(15nm)/Al(150nm)によるn型電極をリソグラフィ-技術でパタ-ン形成する,との構成を有するものである。

(3) 技術常識等について

ア 加工変質層及び転位について

(中略)

(コ) 小括

上記(ア)ないし(カ)によれば,①シリコン等の半導体単結晶材料に対して機械加工を施すと,表面には内部(完全結晶層)とは異なる加工変質層(非晶質層,多結晶層,モザイク層,クラック層,ひずみ層(応力漸移層))と呼ばれる層が生じること,②機械加工によって発生する転位密度の上昇した領域も加工変質層に含まれること,及び③転位密度は透過型電子顕微鏡で観察・測定可能であること,は,いずれも本件優先日当時の当業者にとって技術常識であったものと認められる。

また,上記(キ)ないし(ケ)によれば,GaNを含む窒化物半導体(本件特許発明1はn型窒化物系半導体を対象とするものである。)においても,機械研磨(加工)によって,損傷を受けた層が形成されることや,転位が生じることも,本件優先日当時の当業者に知られていたものと認められる。

そうすると,本件優先日当時,上記技術常識がGaNを含む窒化物半導体についても同様に妥当し,GaNを含む窒化物半導体においても,機械研磨を施すことにより,転位を含む加工変質層が生じること等は,当業者にとって技術常識であったものというべきである。

 

イ 転位がキャリアをトラップすることについて

(中略)

(オ) 小括

以上によれば,半導体結晶において線欠陥(転位)を含む格子欠陥が不純物制御の妨げになることや,原子面の片側に線状にダングリングボンドが並ぶ結晶欠陥である転位において,ダングリングボンドがキャリアのトラップなどの作用をすることは技術常識であったものと認められる。また,GaN系化合物半導体においても,同様に転位(刃状転位と螺旋転位)がキャリアをトラップして調製した膜の電気的特性を損ねることが,本件優先日の当時当業者において知られていたものということができる。そして,キャリアがトラップされれば,キャリア濃度が低下することは明らかであるから,GaN系化合物半導体において,転位がキャリアをトラップし,その結果,キャリア濃度が低下することは,本件優先日当時の当業者にとって技術常識であったものと認められる。

 

ウ キャリア濃度とコンタクト抵抗の関係について

Siをドーピングして形成されたn型GaN基板のキャリア濃度とコンタクト抵抗との関係について,甲11発明と同じ電極材料(Ti/Alの積層構造)を用いた場合に,不純物濃度(キャリア濃度)が高くなれば接触比抵抗(コンタクト抵抗)が低くなり,その逆も成り立つこと,不純物濃度が1×1017cm-3を超えると接触比抵抗が1×10-5Ω・cm以下となることは,本件優先日当時,当業者に周知の事項であったと認められる。

 

エ 加工変質層を完全に除去することについて

前記ア(イ)及び(ウ)によれば,本件優先日当時,少なくともシリコンについては,電気的特性に悪影響を及ぼすことや,ウエハーの反りやクラック発生の原因となることから,加工変質層は完全に除去すべきものとされていたことが認められる。

 

(4) 容易想到性の判断について

前記(2)のとおり,甲11発明では,GaN基板を研磨機により研磨することによって生じた表面歪み及び酸化膜を除去してn型電極のコンタクト抵抗の低減を図り,また,電極剥離を防止するために,ウエハーをフッ酸又は熱燐酸を含む硫酸からなる混合溶液でエッチング処理するものとされている。

そうすると,甲11発明においては,GaN基板では,必要とするコンタクト抵抗を確保するためには,研磨機による研磨及び鏡面出しのみでは不十分であり,表面歪み等を除去する必要があることが示唆されているものといえる。しかしながら,他方で,甲11には,表面歪みの程度や除去すべき範囲についての具体的な記載はない。そうすると,甲11発明に接した当業者は,甲11発明において,研磨機による研磨後,ウエハーのエッチング処理を行う際に,コンタクト抵抗の低減を図るために,上記表面歪みをどの程度の範囲のものととらえてこれを除去する必要があるかについて検討する必要性があることを認識するものといえる。

そして,かかる認識をした当業者であれば,前記(3)アないしウにおいて認定した技術常識等に基づいて,甲11発明においても,研磨機による研磨によって加工変質層と呼ばれる層に転位が生じているため,この転位がキャリアである電子をトラップしてキャリア濃度が低下し,それによってコンタクト抵抗が高くなるという作用機序は容易に想起できるものといえる。さらに,前記(3)エにおいて認定したとおり,少なくともシリコンについては,転位を含む加工変質層は完全に除去すべきものとされていたところ,前記(3)イのとおり,上記の転位を含む加工変質層がコンタクト抵抗に与える影響についてはシリコンにおいてもGaN系化合物半導体においても同様である上に,コンタクト抵抗は低いほど望ましいことに鑑みると,当業者としては,甲11発明における表面歪み(なお,ひずみ層も加工変質層に含まれる。)を,研磨機による研磨で生じ,透過型電子顕微鏡で観察可能な転位を含む加工変質層としてとらえ,あるいは,表面歪みのみならず加工変質層の除去についても考慮して,コンタクト抵抗上昇の原因となる加工変質層を全て除去できるまで上記のエッチング処理を行って,基板に当初から存在していた転位密度の値に戻すことで,キャリア濃度が低下する要因を最大限に排除し,コンタクト抵抗の低減を図ることは,容易に想到できたことと認められる。

なお,加工変質層ないしは転位が発生することやこれらが引き起こす上記作用は,電極形成面であるかそうでないかで異なることはないのであるから,前記(3)に掲げた文献に電極形成面における知見に関し明示的に触れるものがないとしても,上記認定の妨げとなるものということはできない。

そして,本件優先日当時のGaN基板の転位密度が,1×10~10cm-2程度であったことは,当業者に周知の事項であるから(甲2,7~9,24~27。当事者間にも争いがない(審決45頁17~32行参照)。),甲11発明において,加工変質層を全て除去すれば,除去後の基板の転位密度が1×10cm-2以下となることは自明である。

したがって,甲11発明において,技術常識等に基づいて相違点①に係る構成を採用することは,当業者が容易になし得たことであるものと認められる。

 

被告は,甲11に記載されている表面歪みと,本件特許発明の機械研磨で生じる転位は,全く別のものであるから,甲11において,表面歪及び酸化膜の除去をすることは,それよりも深い位置に存在する基板の研磨面近傍に生じている転位を含む領域を除去することとは異なる処理である,甲11には,研磨で転位が生じていることも,転位を含む領域を除去して転位密度が1×109cm-2以下とすることも記載がなく,認識されていないなどと主張する(前記第4の5(1))。

確かに,甲11には,研磨機による研磨によって生じた表面歪み及び酸化膜を,フッ酸又は熱燐酸を含む硫酸からなる混合溶液を用いたエッチング処理により除去して,n型電極のコンタクト抵抗の低減と電極剥離を防止することは記載されているが,表面歪みについての具体的な記載はなく,また,いかなる観点に基づいて,この表面歪みを除去すべきかについての指針も記載されていない。

しかし,そうであるからこそ,前記(4)において説示したとおり,甲11発明に接した当業者であれば,甲11発明で研磨機による研磨後,ウエハーのエッチング処理を行う際に,コンタクト抵抗低減の観点から,上記表面歪みをどの程度の範囲のものととらえ,除去する必要があるかについて検討すべき必要性があると認識するものといえる。そして,かかる認識を有する当業者であれば,甲11発明においても,研磨によって加工変質層と呼ばれる層に転位が生じ,この転位がキャリアである電子をトラップしてキャリア濃度が低下し,それによってコンタクト抵抗が高くなるという作用機序は容易に想起でき,加工変質層を全部除去することは容易であったといえること,その結果転位密度が1×10cm-2となることは自明であることは,前記(4)において説示したとおり

である。

よって,被告の上記主張は採用することができない。

 

(6) 小括

その余の被告が種々主張する点はいずれも上記認定を左右するものではない。

以上によれば,原告の取消事由4に係る主張は理由がある。

 

第6 結論

よって,原告の請求は理由があるからこれを認容することとし,主文のとおり判決する。

 

【感想】

 裁判所の容易想到性の判断はやや無理があるように感じる。

 裁判所は、加工変質層と呼ばれる層に生じる転位についての技術常識を持ち出して、甲11発明における表面歪み(ひずみ層も加工変質層に含まれる)を、加工変質層として捉えてこれを完全に除去することを容易に想到できたとしている。しかしながら、甲11発明は、n型電極のコンタクト抵抗の低減と電極剥離を防止する目的で、表面歪み及び酸化膜をエッチングによって除去する点は記載されているが(段落0200)、転位の除去については開示も示唆もなく、この甲11発明の表面歪みの記載をもとに、転位の除去についての技術常識を適用して本件発明を容易に想到できないように考える。

以上