皮膚科学的治療システム事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2016.05.11
事件番号 H27(行ケ)10122
担当部 知財高裁 第4部
発明の名称 皮膚科学的治療のためのシステムおよび装置
キーワード 進歩性
事案の内容  拒絶査定不服審判(不服2014-3838号)の拒絶審決に対する取消訴訟であり、審決が取り消された事案。
 被告(特許庁)が本願発明の「水フィルター」に相当すると認定した引用発明2の「液体水フィルター」は、引用例2の記載によれば皮膚の冷却用に使用するものということはできず、本願発明の「水フィルター」に相当しないと判断された点がポイント。

事案の内容

【請求項1】(出訴時クレーム。下線は担当が付与。)
光学的放射線を少なくとも1つの生物組織に加えるための装置であって,
化学反応に基づいて前記放射線を発生させるように構成された放射線装置,および,水フィルターを備え,
前記放射線装置は,封止された筐体および前記筐体の内部に設けられた可燃性材料を備え,
前記封止された筐体の外側表面の一部は,前記生物組織に接するように構成され,
前記水フィルターは,前記可燃性材料と前記封止された筐体の外側表面の一部との間に設けられ,
前記水フィルターは,前記光学的放射線の一部を濾光し,且つ,前記生物組織を冷却するために構成され,
前記光学的放射線は,前記少なくとも1つの生物組織の少なくとも一部に生物学的影響をもたらす装置。

 

【引用発明1】(審決認定発明。下線は担当付与。)
光を皮膚の治療領域に送達するための治療処置装置であって,
着火性材料5の着火によって光を放出するインコヒーレント光源3を備え,
インコヒーレント光源3は,プリズム6を前部に備えた中空の容器,及び中空の容器の内部には着火性材料5を備え,
プリズム6の前端部の表面は,治療の間に皮膚に接触するものであって,
さらに,プリズム6及びプリズム6の側面のコーティングによって光をフィルタリングするように構成された,
光によって皮膚疾患の治療を行う治療処置装置。

 

【一致点・相違点】(審決認定発明。下線は担当付与)
1.一致点
光学的放射線を少なくとも1つの生物組織に加えるための装置であって,
化学反応に基づいて前記放射線を発生させるように構成された放射線装置,および,光学的フィルターを備え,
前記放射線装置は,封止された筐体および前記筐体の内部に設けられた可燃性材料を備え,
前記封止された筐体の外側表面の一部は,前記生物組織に接するように構成され,
前記光学的フィルターは,前記光学的放射線の一部を濾光するために構成され,
前記光学的放射線は,前記少なくとも1つの生物組織の少なくとも一部に生物学的影響をもたらす装置である点

 

2.相違点
光学的フィルターが,本願発明においては,水フィルターであって,可燃性材料と封止された筐体の外側表面の一部との間に設けられ,光学的放射線の一部を濾光し,且つ,生物組織を冷却するものであるのに対して,引用発明1においては,インコヒーレント光源3のバルブ本体の前部に配置されたプリズム6及びプリズムの側面のコーティングからなるものであって,光学的放射線の一部を濾光するものであるが,生物組織を冷却するものであるかまでは不明である点

 

3.審決が認定した引用発明2
患者の皮膚の処置のため,ランプからの光を導波管を通じて患者の皮膚へ向けるための装置において,光スペクトルのフィルター処理を行なうためにフィルター6を設け,フィルター6を液体水フィルターとし,この水を冷却用にも使用すること

 

【取消事由】
本願発明の容易想到性の判断の誤り
(1)一致点の認定および相違点の看過⇒原告主張×
(2)相違点に係る容易想到性の判断の誤り⇒原告主張○
※本報告では、「(2)相違点に係る容易想到性の判断の誤り」について詳述する。

 

【裁判所の判断】(判決文P15~P32からの抜粋。下線は担当が付与。)
4 容易想到性の判断の誤りについて
⑴ 引用例2記載の液体水フィルターについて
ア、イ(略)
ウ 皮膚の冷却について(P28~)
(ア) 引用例2記載の装置における冷却について
冷却に関し,引用例2には,「導波管5は,効率的な光の患者の皮膚1への結合(結びつけ)及び皮膚表面の冷却を与えるため,少なくとも処置中,該皮膚1と光学的及び熱的に接触する。ランプの低平均電力(処置の低繰返し率を含む)では,装置構成要素(ランプ2,反射板3,吸収フィルター)の冷却は,自然対流によって与えられ得る。ランプの高平均電力では,追加の冷却は,冷却システム11(図2)によって与えられ得,該システムは,液体又はガスを例えばチャネル又は間隙7を通って流し,冷却された構成要素と流れている冷却剤,例えば間隙7の液体との熱的接触の結果として,この場合,冷却する。もし皮膚(表皮)の冷却が必要ならば,導波管5は,照射の前,間及び/又は後に冷却され得る。導波管5を冷却するための模範的な技術は,後述される。」(【0025】)との記載があり,同記載によれば,引用例2記載の装置においては,①装置構成要素(ランプ2,反射板3,吸収フィルター)の冷却及び②皮膚の冷却を要することが認められる。そして,上記記載に加え,①装置構成要素の冷却に関し,「ランプは,間隙7内のガスによって冷却され得,また,高い繰返し率及び高平均電力では,間隙7内の液体による。」(【0058】),「吸収フィルターは光で加熱され,また冷却を要する。…間隙7内の液体又は気体がランプと同時にフィルターを冷却し,該ランプは主要な熱源である。」(【0075】)との記載があり,他方,②皮膚の冷却に関しては,「表皮保護のための皮膚の冷却」が導波管の機能の1つとして明示されており(【0060】),さらに,「冷却」という項目が設けられ(【0078】~【0083】),「提案装置において,皮膚冷却は,導波管5の冷却チップとの接触を通じて実施される。導波管5を冷却するためのいくつかの機構があり得る。」(【0078】)との記載に続いて,導波管5を冷却するための複数の機構が具体的に紹介されている(【0078】~【0083】)。
したがって,引用例2記載の装置においては,①装置構成要素の冷却には,ランプ2と管4との間隙7内の液体又は気体が用いられ,②皮膚の冷却は,導波管5の冷却により行われることが認められる。
(イ) 導波管の冷却について
前記(ア)のとおり,「冷却」という項目の下,導波管5を冷却するための複数の機構が具体的に紹介されているところ,それらは,いずれもフィルター6を含む任意の場所に設けられた液体水フィルターの水及び間隙7内の液体又は気体を導波管5の冷却に使用するものではない。
前記イ(ア)dのとおり,【0076】には,光スペクトルのフィルター処理の一態様として,フィルター6を,「液体が凍結された際の整合屈折率Δn≒0を有する液体(例えば水)及び固体状態の粒子の懸濁として形成」することが記載されており(懸濁フィルター),上記記載の後に「導波管5の温度(0℃周辺)は,液体が完全に融解するまでフィルター6の融解温度に留まる。この時間は,良好な冷却による皮膚の処置に使用され得る。」と記載されていることから,懸濁フィルターは,導波管5の冷却により皮膚を冷却するものと認められる。
(ウ) 液体水フィルターによる冷却について
a 懸濁フィルターとの関係について
懸濁フィルターについては,前記イ(ア)dのとおり,【0076】には,「フィルター処理は,屈折率に対する共振散乱を用いることで実行され得る。例えば,波長λでの冷却液体の屈折率と一致する粒子66の屈折率を選ばせる。…液体中の媒体の屈折率及び結晶条件は,非常に異なる。そのため,融解後,液体6は,ビームの著しい減衰を有する高散乱板になる。6がその冷却能力を失うと,組織における流束量は,従って,自動的に下がり,組織を損傷から保護する。」との記載があることから,懸濁フィルターは,屈折率に対する共振散乱を利用したスペクトル共振散乱体であると解される(前記ア(ウ))。したがって,懸濁フィルターにおいて,これに入射した波長λの光の透過率は,主として波長λにおける凍結した液体(氷)と固体粒子との屈折率の差に応じて決まるものと認められる。
他方,液体水フィルターは,水を吸収媒体として用いる吸収フィルターであるから,これに入射した波長λの光の透過率は,主として波長λと水の赤外線吸収ピークとの差に応じて決まるものと認められる。
以上のとおり,スペクトル共振散乱体である懸濁フィルターと吸収フィルターの一種である液体水フィルターとは,明らかに動作原理を異にする。
また,【0076】の上記記載のとおり,懸濁フィルターは,凍結した液体が融解すると光を著しく減衰させる高散乱板になるのであるから,光スペクトルのフィルターとして作用するのは,液体の凍結時のみであり,融解後は同フィルターとして作用しない。したがって,懸濁フィルターは,液体状のものをフィルターとして使用するものではない。
以上によれば,液体水フィルターと懸濁フィルターとは,別個のものであるということができる。
本件審決が認定した引用発明2における液体水フィルターは,フィルター6の場所に設けられたものであるが,その水を皮膚の冷却に用いることは,引用例2に記載も示唆もされていない。なお,前記イ(イ)のとおり,液体水フィルターには,間隙7内の水を吸収フィルターとして用いるものもあるが,引用例2には,間隙7内の水についても,これを皮膚の冷却に用いることは,記載も示唆もされていない。
また,この点に関し,液体水フィルターについては,「厚さ1~3mmの液体水フィルターが使用され得,この水は,冷却用にも使用され得る」(【0077】)との記載があるところ,液体水フィルターには,間隙7内の水を吸収フィルターとして用いるものとフィルター6を含む任意の場所に設けられるものがあるが,①前記ウのとおり,装置構成要素の冷却には,間隙7内の液体が用いられること,②いずれの液体水フィルターについても,1~3mmの厚さに薄く広げられた水が導波管5の冷却を介して皮膚1を冷却する効果をもたらすとは必ずしもいい難いことから,上記「冷却用」は,ランプなどの装置構成要素の冷却用を意味するものと考えられる。
以上のとおり,液体水フィルターは,皮膚を冷却するものということはできない。
したがって,本件審決が認定した引用発明2(前記第2の3⑷)のうち,「患者の皮膚の処置のため,ランプからの光を導波管を通じて患者の皮膚へ向けるための装置において,光スペクトルのフィルター処理を行なうためにフィルター6を設け,フィルター6を液体水フィルターと」することは認定できるが,「この水を(皮膚)
冷却用にも使用すること」までは認定することができない。

 

⑵ 引用発明1に引用例2に記載された発明を適用することについて
引用例2に記載された発明は,「患者の皮膚の処置のため,ランプからの光を導波管を通じて患者の皮膚へ向けるための装置において,光スペクトルのフィルター処理を行なうためにフィルター6を設け,フィルター6を液体水フィルターとすること」であり,この液体水フィルターの水を皮膚の冷却用に使用することは,認められず,したがって,仮に引用発明1の「プリズム6及びプリズム6の側面のコーティングからなる光学的フィルター」を引用例2に記載された液体水フィルターに替えたとしても,光学的フィルターが生物組織を冷却するという相違点に係る本願発明の構成に至らない。

 

⑶ 被告の主張について
ア 被告は,本件審決が認定した引用発明2の「フィルター6」としての「液体水フィルター」には,懸濁フィルターと「液体水フィルター」(【0077】)の双方が含まれ,本件審決は,当業者であれば,引用例2に記載された「冷却用」との文言が患者の皮膚の「冷却用」を意味するものと認識することができ,仮に,そうではないとしても,液体水フィルターが患者の皮膚に対する冷却効果をもたらすことは認識することができると把握した上で,液体水フィルターを患者の皮膚を冷却するための手段として認定したのであり,同認定に誤りはない旨主張する。
しかし,前記⑴のとおり,【0077】の「液体水フィルター」と懸濁フィルターとは明らかに動作原理を異にする上,「液体水フィルター」が間隙7内の水を吸収フィルターとし,光スペクトルのフィルターとして常時作用するのに対し,懸濁フィルターが上記作用をするのは液体の凍結時に限られるという相違があることから,両者は全く別個のものである。引用例2においても,両者は明確に分けて記載されており,懸濁フィルターについて記載された【0076】中,「液体水フィルター」という文言は見られず,また,両者の上位概念として「液体水フィルター」という文言が使用されている例もない。
以上に鑑みると,本件審決が認定した引用発明2の「液体水フィルター」は,【0077】の「液体水フィルター」を指し,懸濁フィルターはこれに含まれないと解するのが自然である。そして,前記⑴のとおり「液体水フィルター」は,皮膚を冷却するものということはできない。
イ 被告は,液体水フィルター等の冷却手段による冷却能力は,光の強さ,光の照射時間,導波管の長さ,導波管の熱容量,液体水フィルターの温度,治療開始時の導波管の温度等に依存するものであるから,引用発明2のフィルター6を液体水フィルターとした場合,当業者であれば,液体水フィルターによって患者の皮膚を冷却する効果を実現するために必要な設計変更を行うことは可能である旨主張する。
この点に関し,引用例2において,液体水フィルターについては,「厚さ1~3mmの液体水フィルターが使用され得」ると記載されており(【0077】),前記⑴ウ(ウ)のとおり,そのように薄く広げられた水が導波管の冷却を介して皮膚を冷却する効果をもたらすとは必ずしもいい難い。しかし,水に入射した光の透過率は水の層が厚くなるほど低下することに鑑みると,上記厚さは,皮膚の美容及び医療の皮膚科学処置という装置Dの目的(【0019】)を達成するのに必要な光の量を確保する観点から定められたものとみることができるから,皮膚を冷却するために液体水フィルターをより厚いものにすると,光の透過率が低下し,上記目的を達成する装置Dの機能を損なう結果になる。よって,当業者において,原告主張に係る設計変更を行うことが可能であると直ちにいうことはできない。

 

⑷ 小括
以上によれば,本願発明は,引用発明1及び引用例2に記載された発明に基づいては容易に想到することができるということはできず,本件審決の判断は,誤りである。

 

【所感】
裁判所の判断は妥当であると思われる。
仮に、審決において、本願発明1の「水フィルター」を、引用発明2の「懸濁フィルター」で補っていたらどうであったろうか。
本願発明1では、水フィルターのフィルター機能について「光学的放射線の一部を濾光し」とのみ限定されている。本願明細書でも、「特定の波長または波長範囲を有する光学的放射線が、治療される皮膚組織280の部分に到達することを防ぐか部分的に抑制するようにフィルター250を構成できる」(【0042】)、「赤外範囲にある、燃焼灯100によって生み出された少なくとも一部の光学的放射線を減衰または遮断する」(【0045】)、「当該水フィルターを通過する量の赤外放射線を減らすか、および/または除去し得る。」(【0061】)といった記載があるに過ぎず、「水フィルター」の動作原理まで限定した記載は無い。
さらには、本願明細書には、図5Cの構成に関して、「水で満たした空洞部590を含む例示的装置580を、冷凍庫の中で貯蔵することができる。その凍った水層は、装置580が治療される組織の上に配置され、かつ、光学的放射線パルスが可燃性材料120を活性化することによって発生される場合、組織の赤外濾光および冷却の両方を提供することができる。」(【0061】)との記載があり、引用発明2の懸濁フィルターの機能、すなわち、凍った状態での光学的フィルターとしての機能、および導波管5を冷却することにより皮膚を冷却する機能と共通する。
そうすると、本願請求項1の「水フィルター」と、引用発明2の懸濁フィルターとは近似すると思われ、裁判所の判断が変わっていたかもしれない。