焼鈍分離用酸化マグネシウム事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2017.11.29
事件番号 H28(行ケ)10222
担当部 知財高裁第3部
発明の名称 焼鈍分離用酸化マグネシウム及び方向性電磁剛板
キーワード サポート要件(認定判断の誤り)
事案の内容 無効審判(無効2013-800094号)の無効審決に対する取消訴訟であり、請求が認められて無効が取り消された。
課題の解決に関係するパラメータとして、クレームされたパラメータ以外のパラメータが存在する場合に、このようなパラメータに関する記載があってもサポート要件を満たすと判断された点がポイント。

事案の内容

【特許請求の範囲】
[請求項1]
 方向性電磁鋼板に適用される焼鈍分離剤用酸化マグネシウム粉末粒子であって、該酸化マグネシウム粉末粒子中に含まれるカルシウムが、CaO換算で0. 2~2.0質量%であり、リンが、P2O3換算で0.03~0.15質量%であり、ホウ素が、0.04~0.15質量% であり、かつ該酸化マグネシウム粉末粒子中の、カルシウムと、ケイ素、リン及び硫黄とのモル比Ca/(Si+P+S)が、0.7~3.0であることを特徴とする焼鈍分離剤用酸化マグネシウム粉末粒子。
[請求項2]
 請求項1記載の焼鈍分離剤用酸化マグネシウム粉末粒子を用い、珪素鋼板の表面にフォルステライト被膜を形成した方向性電磁鋼板。
 
【裁判所の判断】
3 取消事由1(サポート要件に関する本件審決の認定判断の誤り:クエン酸活性度についての認定判断の誤り)について
(1) 特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否か,また,発明の詳細な説明に記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否かを検討して判断すべきである。
そこで,以下,本件各発明が解決しようとする課題を踏まえつつ,本件特許の特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かを検討する。
(2) 本件各発明の解決しようとする課題(本件課題)
前記(2(1)~(3))のとおり,本件各発明は,焼鈍分離剤用の酸化マグネシウム及び方向性電磁鋼板に関するものであるところ,方向性電磁鋼板の磁気特性及び絶縁特性,並びに市場価値は,脱炭焼鈍により鋼板表面にSiO2被膜を形成し,その表面に焼鈍分離剤用酸化マグネシウムを含むスラリーを塗布して乾燥させ,コイル状に巻き取った後に仕上げ焼鈍することにより,SiO2 とMgO が反応して形成されるフォルステライト(MgSiO4)被膜の性能,具体的には,その生成しやすさ(フォルステライト被膜生成率)、被膜の外観及びその密着性並びに未反応酸化マグネシウムの酸除去性の4点に左右されるものであり,このフォルステライト被膜の性能は,これを形成する焼鈍分離剤用酸化マグネシウムの性能に依存するものということができる。
そこで,焼鈍分離剤用酸化マグネシウム及びこれに含有される微量成分についての研究が行われ,複数の物性値を制御し,フォルステライト被膜の形成促進効果を一定化させ,かつフォルステライト被膜の品質を改善する試みが多く行われてきたが,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに課せられた要求を完全に満たす結果は得られていない。
このような状況の下,本件各発明は,磁気特性及び絶縁特性,更にフォルステライト被膜生成率,被膜の外観及びその密着性並びに未反応酸化マグネシウムの酸除去性に優れたフォルステライト被膜を形成でき,かつ性能が一定な酸化マグネシウム焼鈍分離剤を提供すること,更に本件各発明の方向性電磁鋼板用焼鈍分離剤を用いて得られる方向性電磁鋼板を提供することを目的としたものである。
(3) 検討
ア 本件各発明は,上記のとおり,方向性電磁鋼板に適用される焼鈍分離剤用酸化マグネシウム粉末粒子を提供するものであるところ,本件課題を解決するための手段として,焼鈍分離剤用酸化マグネシウム中に含まれる微量元素の量を,Ca,P 及びB の成分の量で定義し,更にCa,Si,P 及びS のモル含有比率により定義して(前記2(4)イ),本件特許の特許請求の範囲請求項1に記載された本件微量成分含有量及び本件モル比の範囲内に制御するものである。
そして,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有される上記各微量元素の量を本件微量成分含有量及び本件モル比の範囲内に制御することにより,本件課題を解決し得ることは,本件明細書記載の実施例(1~19)及び比較例(1~17)の実験データ(前記2(5)~(11))により裏付けられているということができる。
そうすると,当業者であれば,本件明細書の発明の詳細な説明の記載に基づき,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいて,本件特許の特許請求の範囲請求項1に記載のとおりCa,P,B,Si 及びS の含有量等を制御することによって本件課題を解決できると認識し得るものということができる。
イ 本件審決について
(ア) 本件審決は,本件明細書の各実施例及び各比較例の試験結果によれば,第1の系統及び第2の系統の実施例におけるCAA 値が,CAA40%でそれぞれ110~130秒,120~140秒とされていることから,本件発明の課題が解決されているのは,CAA40%が上記数値の範囲内にされた場合でしかないとした上,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいて,CAA 値とフォルステライト被膜の性能との間に相関関係があることは周知であるから,CAA 値について何ら特定のない酸化マグネシウムにおいて,本件微量成分含有量及び本件モル比のみの特定をもって直ちに本件課題を解決し得るとは認められないとする。
ここで,クエン酸活性度(CAA)に関しては,国際公開01/83848号(甲58。以下「甲58文献」という。)に「CAA は,所定温度…の0.4規定のクエン酸水溶液中に,指示薬フェノールフタレインを混合し,最終反応当量の酸化マグネシウムを投入して撹拌し,クエン酸溶液が中性になるまでの時間で表わされる。CAA は,方向性電磁鋼板用焼鈍分離剤として使用される酸化マグネシウムの評価指標になり得ることが経験的に知られている。」(2頁5行目~9行目)との記載がある。また,特開平10-88244号公報(甲67)には「活性度は,一般に一定量のMgO と一定濃度の酸との反応時間を測定すること,すなわちMgO の化学的反応性を測定することで得られる。…酸の種類としてはクエン酸を用いることが一般的で,CAA(Citric Acid Activity) と呼称されている。活性度は,MgO と方向性電磁鋼板表面のサブスケールとの反応活性を近似的に表すもので,…」(【0037】),「これら活性度や活性度分布の目標値の好適範囲は,方向性電磁鋼板の1次再結晶焼鈍板の表面のサブスケールの活性度によって微妙に異なるので,混合の際のMgO の目標値をサブスケールの活性度に適合させておく方が良い。」(【0040】)との記載がある。これらの記載によれば,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムのCAA とサブスケールの活性度とのバランスが取れていない場合,フォルステライト被膜は良好に形成されないこととなるのは事実であるといえる。
(イ) しかし,本件明細書の発明の詳細な説明の記載から把握し得る発明は,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有されるCa,Si,B,P,S の含有量に注目し,それらの含有量を増減させて実験(実施例1~19及び比較例1~17)を行うことにより,最適範囲を本件特許の特許請求の範囲請求項1に規定されるもの(本件微量成分含有量及び本件モル比)に定めたというものである。その理論的根拠は,Ca,Si,B,P及びSの含有量を所定の数値範囲内とすることにより,ホウ素がMgOに侵入可能な条件を整えたことにあると理解される(本件明細書の【0016】。前記2(4)カ)。
他方,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を見ても,CAA 値を調整することにより本件課題の解決を図る発明を読み取ることはできない。むしろ,これらの記載によれば,本件明細書の発明の詳細な説明中にCAA 値に関する記載があるのは,第1の系統及び第2の系統それぞれにおいて,実施例及び比較例に係る実験条件がCAA 値の点で同一であることを示すためであって,フォルステライト被膜を良好にするためにCAA 値をコントロールしたものではないことが理解される。
そして,CAA の調整は,最終焼成工程の焼成条件により可能である(特開平9-71811号公報(甲7)「この発明のMgO では40%クエン酸活性度を30~90秒の範囲とする。…かかる水和量,活性度のコントロールは最終焼成の焼成時間を調整することにより行う。」(【0026】)との記載参照。)から,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいて,本件微量成分含有量及び本件モル比のとおりにCa,P,B,Si 及びS の含有量等を制御し,かつ,焼成条件を調整することによって,本件各発明の焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいても,実施例における110~140秒以外のCAA 値を取り得ることは,技術常識から明らかといってよい。
したがって,本件審決は,本件各発明の課題が解決されているのはCAA40%が前記数値の範囲内にされた場合でしかないと判断した点において,その前提に誤りがある。
(ウ) そもそも,本件明細書によれば,本件特許の出願当時,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムについては,被膜不良の発生を完全には防止できていないことなど,十分な性能を有するものはいまだ見出されておらず,焼鈍分離剤用酸化マグネシウム及び含有される微量成分について研究が行われ,制御が検討されている微量成分としてCaO,B,SO3,F,Cl 等が挙げられ,また,微量成分の含有量だけでなく,微量成分元素を含む化合物の構造を検討する試みも行われていたことがうかがわれる(前記2(2))。
また,このこと及びフォルステライト被膜の性能改善を図る方法として,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含まれる微量成分の制御とCAAの制御とが必ずしも不可分のものとまでは考えられていなかったことは,「方向性電磁鋼板の製造においては,フォスルテライト皮膜は極めて重要な役割を果たしており,この皮膜を形成する酸化マグネシウムの特性が,方向性電磁鋼板の磁気特性に直接影響を及ぼす。このため,焼鈍分離剤として使用される酸化マグネシウムに関しては,従来から厳しい特性とそれを満たすための厳密な制御が求められており,この観点から多くの焼鈍分離剤用酸化マグネシウムの発明がなされてきた。その一つは,酸化マグネシウムへの添加剤の添加や酸化マグネシウム中の不純物量を制御する発明である。…一方,酸化マグネシウム粒子と酸との反応速度による活性度,すなわちクエン酸活性度(CAA:Citric Acid Activity)に着目した発明も数多く開示されている。」(甲58文献1頁21行目~2頁5行目),「仕上げ焼鈍中のグラス被膜形成段階においてはMgOの活性分布,粒子径,MgO に含有する不純物の種類や量,反応促進用添加剤は良好なグラス被膜と磁気特性を両立するために重要である。」(乙6【0005】),「焼鈍分離剤MgO の活性度を調整して方向性電磁鋼板の品質を向上する技術としては,例えば…材料のグラス被膜と磁気特性を向上する技術が提案されている。」(同【0006】),「焼鈍分離剤への添加剤によるグラス被膜改善技術としては,例えば…昇温する技術が提案されている。このように,MgO の性状やグラス皮膜形成における反応促進剤としての添加剤を改善することでグラス皮膜形成反応が改善されてきた。」(同【0007】)といった記載等によっても裏付けられているといってよい。現に,証拠によれば,本件特許の出願当時,フォルステライト被膜の性能改善を目的とする焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに係る発明には,これに含まれる成分の量等を発明特定事項とするもの(甲2~4,乙2,11),CAA 値を発明特定事項とするもの(甲1,乙4),及びこれらをいずれも発明特定事項とするもの(甲5~7,乙3,5,6等)がそれぞれ存在していたことが認められる。
そうすると,本件特許の出願当時,フォルステライト被膜の性能改善という課題の解決を図るに当たり,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有される微量元素の含有量に着目することと,CAA 値に着目することとが考えられるところ,当業者にとって,いずれか一方を選択することも,両者を重畳的に選択することも可能であったと見るのが相当である(なお,微量元素の含有量に着目する発明にあっても,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムのCAA 値とサブスケールの活性度とのバランスが取れていない場合には,その実施に支障が生じる可能性があることは前示のとおりであるが,この点の調整は,甲1,5~7,67,乙4等によって認められる技術常識に基づいて,当業者が十分に行うことができるものと認められる。)。
(エ) 以上を総合的に考慮すると,当業者であれば,本件明細書の発明の詳細な説明には,本件微量成分含有量及び本件モル比を有する焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにより本件課題を解決し得る旨が開示されているものと理解し得ると見るのが相当である。
ウ 以上によれば,CAA 値について何ら特定がない酸化マグネシウムにおいて,本件微量成分含有量及び本件モル比のみの特定をもってしては,直ちに本件課題を解決し得るとは認められないとした本件審決には誤りがあるというべきである。同様に,この点に関する被告の主張は採用し得ない。
 
【解説・感想】
 結論としては、裁判所の判断は、妥当と考える。
 
 クレームされたパラメータ(本願パラメータ)とは異なる他のパラメータであって、出願時の技術常識から、課題の解決に影響する可能性がある他のパラメータが存在しても、
・明細書の記載から、当該他のパラメータによる課題の解決が読み取られず、
・実施例および比較例において、上記他のパラメータの条件が同一である場合に、本願パラメータを満たすことで課題が解決できることが示されており、
・出願当時に、課題解決のために、本願パラメータと他のパラメータのいずれか一方を選択することも両方を選択することも可能であり、
・他のパラメータの条件が課題の解決に影響するとしても、技術常識に基づいて他のパラメータを調整し、本願パラメータを満たすことによって課題を解決できる
ため、サポート要件を満たすと判断された。
 
 ただし、他のパラメータのうち、例えば、課題解決に影響する程度が明らかなパラメータであって、実験条件が同じであることを示すために記載の必要がある他のパラメータが存在する場合には、他のパラメータの値によっては評価結果が変動するのであるから、本件のようにサポート要件違反を指摘されるリスクがあると思われる。
 このような場合には、例えば、実施例のデータとして、クレームに係るパラメータの他に、上記他のパラメータについても条件を振って実験を行ない、上記他のパラメータが一定であるサンプル同士を比較すると、クレームに係るパラメータを満たすことにより効果が得られることを示しておけば、反論が認められる可能性が高まると考える。