液晶用スペーサー事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2011.07.07
事件番号 H22(行ケ)10324
発明の名称 液晶用スペーサー及び液晶用スペーサーの製造方法
キーワード 新規性、進歩性

事案の内容

(1)本件発明(本願発明1)の要旨
表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子からなることを特徴とする液晶用スペーサー
(2)審決では、本件発明は、引用文献1(特開平5-232480)および引用文献2(特開平7-333621)に対して、いわゆる新規性、進歩性を有していると判断された。
(3)これに対して、原告は、引用文献1に基づく本件発明の新規性に係る判断の誤り(取消事由1)、引用文献1に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤り(取り消し事由2)、引用文献2に基づく本件発明の進歩性に係る判断の誤り(取消事由3)があるとしてその取り消しを求めた。

 

 

【裁判所の判断】
1 取消事由1(引用文献1に基づく本件発明の新規性に係る判断の誤り)について
イ 本件発明の技術内容
以上の本件明細書の記載によると,本件発明は,液晶用スペーサーにおいて,表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子を用いることにより,重合体粒子表面のグラフト共重合体鎖の長鎖アルキル基に対して液晶分子が垂直に規則正しく配列し,液晶スペーサー周りの配向異常を防止することをその技術内容とするものである。
もっとも,本件明細書【0014】に記載される作用効果は,単独重合,共重合によらず,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の重合体鎖を重合体粒子表面にグラフトしたことに基づくものであって,このような「特定の共重合体鎖」に限定したことに基づく作用効果についての記載はない。
また,本件明細書【0015】ないし【0027】の実施例の記載から,単量体を共重合した3種の共重合体鎖をグラフト重合体鎖として有するスペーサー(実施例10~12)が,オクタデシルメトキシシランで処理されたスペーサー(比較例1・2)よりも優れていることは理解できるものの,当該比較例は,カップリング剤によって処理されたものであって,単独重合体鎖や他の共重合体鎖を導入したものではないから,液晶スペーサーのグラフト重合体鎖として「特定の共重合体鎖」を限定した作用効果,すなわち,「特定の共重合体鎖」が単独重合体鎖や他の共重合体鎖である場合よりも優れていることは,何ら記載されているものではない。
この点について,被告は,拒絶査定不服審判において,手続補正書(甲5)に,グラフト鎖が単独重合体鎖の場合と共重合体鎖の場合とを比較した試験報告書を添付し,グラフト共重合体鎖にメチルメタクリエート(MMA)を共重合することによって,単独グラフト共重合体鎖よりも光抜け改善効果が安定すると指摘しているが,このような効果は,本件明細書には全く記載されていないから,本件発明の作用効果に関して当該試験報告書を参酌することはできない。
しかも,本件発明は,「グラフト共重合体鎖が,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなる」という広範な共重合体鎖であるのに対して,当該報告書は,特定4種の共重合体鎖に関するものであり,「共重合可能な他の重合性ビニル単量体」としてMMAのみを取り上げているにすぎないものであるから,本件発明に特定される広範な「特定の共重合体鎖」全体について,単独重合体鎖よりも優れている根拠とすることはできない。
(2) 引用発明1について
ア 引用例1の記載
引用例1(甲1)の記載を要約すると,以下のとおりとなる。
(ア) 引用発明1の特許請求の範囲は,以下のとおりである。
粒子表面を配向基板に対して付着性を有する付着層によって被覆した構成であって,該粒子表面と付着層とは共有結合によって結合されていることを特徴とする液晶スペーサー
(イ) 引用発明1は,液晶用スペーサーに関する発明である。従来の液晶用スペーサーは,配向基板に付着性を有する低融点の合成樹脂やワックス等の付着層を被覆したものが用いられており,配向基板表面に付着層を介して固定されていた。
しかしながら,従来の液晶スペーサーは,粒子表面から付着層が剥離し易く,剥離した付着層が液晶側に混入して液晶の性能を妨害するという問題点があった(【0001】~【0003】)。
(ウ) 引用発明1は,粒子と付着層とを共有結合によって結合することにより,従来技術の課題を解決するものである(【0004】)。
(エ) 引用発明1に用いられる粒子は,析出重合法又はシード重合法によって得られる粒子であって,単量体の一部としてジビニルベンゼン,ジアリルフタレート,
テトラアリロキシエタン等の多価ビニル化合物を用いた架橋重合体粒子が望ましい(【0006】【0007】)。
(オ) 引用発明1において付着層として用いられる材料としては,メチルアクリレート,・・・,ブタジエン等の重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するものである(【0010】)。
(カ) 引用発明1においては,粒子表面に付着層を構成する重合体を共有結合によって結合させるものであるが,その方法としてはグラフト重合法がある。同法においては,粒子表面に重合可能なビニル基を導入し,当該ビニル基を出発点として単量体を重合する方法,粒子表面に重合開始剤を導入し,当該開始剤により単量体を重合する方法の2つが考えられる(【0013】)。
(キ) 引用発明1の液晶用スペーサーは,配向基板に付着性が良好でかつ付着層が剥離しないという効果が得られるものである(【0054】)。
イ 引用発明1の技術内容
以上の引用例1の記載によると,引用発明1は,粒子と付着層とをグラフト重合法等などによって共有結合させることにより, 配向基板に付着性が良好でかつ付着層が剥離しない液晶用スペーサーを提供することをその技術内容とするものである。
(3) 相違点1について
ア 前記(1)及び(2)の本件発明1及び引用発明1の技術内容からすると,引用例1の【0010】に列挙された「メチルアクリレート,・・・,ブタジエン等の重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するもの」であれば,いずれもその分子構造が直鎖状であって,通常は熱可塑性を有する重合体であるといえるから,上記列挙に係る各単量体を重合して得られる重合体のほとんど全てが付着層として使用できるものということができる。
そして,上記単量体のうち,2-エチルヘキシルメタクリレート,ステアリルメタクリレート,ラウリルメタクリレートは,本件発明の「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当するものであるから,引用例1の【0010】には,文言上,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」を共重合材料に含む共重合体を付着層とすることが記載されているということができる。
イ 本件明細書が開示する,重合体粒子表面のグラフト共重合体鎖の長鎖アルキル基に対して液晶分子が垂直に規則正しく配列することにより,液晶スペーサー周りの配向異常を防止するという本件発明の作用効果は,単独重合,共重合によらず,長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の重合体鎖を重合体粒子表面にグラフトしたことに基づくものであって,本件明細書において,本件発明が,引用発明1に開示されている構成のうちから,「特定の共重合体鎖」に限定しているとしても,それに基づいて生じる格別の作用効果に係る記載はないから,本件発明の「特定の共重合体鎖」が単独重合体鎖や他の共重合体鎖と比較して格別の作用効果を奏するものということはできない。しかも,本件明細書【0014】には,「長鎖アルキル基の層の厚みが0.01μm以上であれば,グラフト共重合体鎖の溶融効果又は配向基板上の官能基残基との反応により重合体粒子と配向基板との固着性も有する。」として,長鎖アルキル基の層が一定の厚みを有すると付着性が向上する旨を明らかにしているものである。
そうすると,本件発明は,引用発明1における付着層を構成する重合体鎖について,その一部に相当する「特定の共重合体鎖」を単に限定しているにすぎず,このような限定によって,引用発明1とは異なる作用効果あるいは格別に優れた作用効果を示すものと認めることもできないから,引用発明1の解決課題である付着性や技術常識の観点から,相違点1が実質的な相違点ということはできない。
ウ 以上のとおり,本件発明は,引用発明1において例示的に列挙された「重合可能な単量体の単独重合体又は上記単量体の2種以上の共重合体であって熱可塑性を有するもの」の中から,「表面に長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上と重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上とからなるグラフト共重合体鎖を導入した重合体粒子」について一部限定したものというほかない。
また,本件発明は,引用発明1から本件発明が限定した部分について,引用発明1の他の部分とその作用効果において差異があるということはできないから,引用発明1と異なる発明として区別できるものでもない。
したがって,本件発明と引用発明1との間には,相違点は存しないといわざるを得ない。
エ この点について,被告は,引用例1には,本件発明における「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」と,「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体の1種又は2種以上」との特定の単量体を組み合わせたグラフト共重合体鎖に関する技術思想が開示されていない,引用発明1の付着層においては,「長鎖アルキル基を有する重合性ビニル単量体」に該当する単量体と「該重合性ビニル単量体と共重合可能な他の重合性ビニル単量体」に該当する単量体とを,わざわざ組み合わせてグラフト共重合体鎖とする必然性はなく,これらを組み合わせてグラフト共重合体鎖とすることにより,配向異常や光抜け等が発生するという従来技術の課題を解決するという本件発明の課題やその解決手段も開示されていない等と主張する。
しかしながら,引用例1には,【0010】に列挙された単量体の重合体鎖であれば,単独重合体鎖,共重合体鎖のいずれにおいても付着層として使用できることが開示されているのみならず,この重合体鎖には本件発明の「特定の共重合体鎖」も包含されるのであるから,引用例1には,付着層を構成する重合体鎖として,本件発明の「特定の共重合体鎖」に係る技術思想が開示されているものということができる。被告の主張は採用できない。
(4) 小括
以上からすると,本件発明は,引用発明1と同一の発明であって,新規性を有しないものというべきであるから,原告主張の取消事由1は理由がある。

 

【所感】
判決の内容は妥当であると考えます。引用文献1は、被告の出願であったことから、実務においては、クライアントの先願発明と本案発明との差異の部分の効果を主張するための実験結果を予め用意しておくことが特に重要であると再認識しました。
<参考>特許法施行規則第24条の2
「特許法第三十六条第四項の経済産業省令で定めるところによる記載は、発明が解決しようとする課題及びその解決手段その他のその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が発明の技術上の意義を理解するために必要な事項を記載することによりしなければならない。」
<参考>審査基準 3.3.5 委任省令要件違反の拒絶理由通知に対する出願人の対応
委任省令要件違反の拒絶理由通知に対して出願人は、例えば意見書等の提出や新規事項を追加しない範囲の補正書の提出等により審査官が認識していなかった従来技術等を明らかにして、当業者が明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づいて、請求項に係る発明が属する技術分野並びに解決しようとする課題及びその解決手段を理解することができた旨を主張することができる。また、実験成績証明書によりこのような意見書の主張を裏付けることができる。
ただし、発明の詳細な説明の記載が不足しているために、明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づいて、当業者が、発明が解決しようとする課題及びその解決手段を理解できるとはいえない場合には、出願後に実験成績証明書を提出して、発明の詳細な説明の記載不足を補うことによって、解決しようとする課題及びその解決手段を理解することができたと主張したとしても、拒絶理由は解消しない。