有機発光ダイオード類に基づく青色リン光用の材料事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2012.09.13
事件番号 H23(行ケ)10253
担当部 知財高裁第3部
発明の名称 有機発光ダイオード類に基づく青色リン光用の材料および素子
キーワード 要旨認定の誤り
事案の内容 拒絶査定不服審判で進歩性なしとして拒絶審決を受けた出願人が取り消しを求め、請求が認容されて拒絶審決が取り消された事案。
引用発明における技術用語「リン光」は、本願明細書で定義され、当該技術分野における一般的な用法による「リン光」と同義とはいえないと判断し、要旨認定の誤りを認めた点がポイント。

事案の内容

審決:本願発明は、周知の技術的事項に照らせば、引用例1(特開平8-319482号公報)に記載された発明(引用発明)に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。

本願(特願2002-571749号)

[請求項1](「本願発明」、下線部は引用発明との相違点)

アノード層;非電荷運搬材料,電荷運搬ドーパント材料としての正孔輸送材料,およびリン光発光ドーパント材料を含む,前記アノード層上の発光層;および前記発光層上のカソード層;を含む有機発光素子であって,前記非電荷運搬材料のHOMOレベルが前記正孔輸送材料のHOMOレベルより低く,かつ前記非電荷運搬材料のLUMOレベルが前記リン光発光ドーパント材料のLUMOレベルよりも高い,有機発光素子。」

基礎知識

・HOMO(ホモ、Highest Occupied Molecular Orbital):最高被占軌道とも呼ばれ、電子に占有されている最もエネルギーの高い分子軌道

・LUMO(ルモ、Lowest Unoccupied Molecular Orbital):最低空軌道とも呼ばれ、電子に占有されていない最もエネルギーの低い分子軌道

・リン光

http://www.chem-station.com/yukitopics/photo.htm

 

【裁判所の判断】

1 取消事由2(相違点1に関する判断の誤り)について

審決は,本願の特許請求の範囲の請求項1記載の「リン光発光ドーパント材料」の「リン光」の技術的意義を「三重項励起子からの発光,すなわちリン光を使用する発光材料がリン光発光材料であるのは自明であ」るとし,「引用発明における,希土類金属イオンと有機配位子とから成る1種以上の錯体を含有する発光材料は,・・・本願発明の『リン光発光ドーパント材料』と実質的に相違しない」と認定した上,「周知のリン光発光材料を引用発明のリン光発光材料に適用し,上記相違点1に係る本願発明の発明特定事項を得ることも,当業者が適宜なし得たことである。」と判断した。

これに対し,原告らは,審決が,本願発明の「リン光発光」の技術的意義の認定を誤り,狭義の「リン光」発光材料(有機分子の三重項励起状態から発光をするもの)を引用発明のリン光発光材料に適用することの容易想到性についての判断をも誤ったものである旨主張するので,以下,検討する。

(1) 認定事実(略)

(2) 判断

本願明細書の請求項1の記載は,上記第2の2のとおりであり,その「リン光ドーパント材料」の「リン光」については,「黄燐を空気中に放置し暗所で見るときに認められる青白い微光」等の意味があり(甲9),一義的に定まらないから,その技術的意義は,本願明細書の発明の詳細な説明を参照して認定されるべきである。そして,上記(1) 認定の事実によれば,本願明細書の段落【0016】に「用語“リン光”は有機分子三重項励起状態からの発光を称し」(上記(1)ア )と記載されることから,本願発明の「リン光」とは,有機分子の三重項励起状態のエネルギーから直接発光する現象を指すものと理解され,この解釈は,当該技術分野における一般的な用法(同ウ)に沿うものである

(中略)

一方,引用発明の発光材料は,引用例1の段落【0059】に「三重項励起子を使用して,生成した三重項状態から希土類金属イオンにエネルギーを移行させることができる。」,段落【0060】に「希土類金属イオンの最低放出レベルは,有機配位子の一重項状態及び三重項状態より下方に離れて位置している」,「これらの希土類金属錯体においては,通常の一重項-一重項遷移のほか,有機配位子の最低三重項状態からも中央の希土類金属イオンの放出レベルへのエネルギーの移行が許容される」と記載されることから(上記(1)イ ),三重項励起子のエネルギーを希土類金属イオンに移行させ,当該イオンの励起状態から発光させるものであって,三重項励起状態のエネルギーを直接発光させるものではないと解される。そうすると,引用発明における発光は,本願明細書で定義され,当該技術分野における一般的な用法による「リン光」と同義とはいえない

(中略)

この点,被告は,甲3,乙1ないし乙4を根拠として,引用例1の発光材料の発光がリン光といえる旨主張する。上記書証では,いずれも「リン光」が「三重項励起子からの発光」などと表現されるが,これらは,引用例1の発光材料の発光が,本願明細書で定義され,当該技術分野における一般的な用法による「リン光」であることを説明するものではないから,被告の上記主張は失当である。

次に,引用発明の発光材料が,本願発明の「リン光発光ドーパント材料」と同一でないとしても,引用発明から相違点1に係る本願発明の構成を想到すること

が容易であるかについて判断する。

上記アのとおり,引用発明は,三重項励起子エネルギーを希土類金属イオンに移行させて発光するという機構に基づく発光素子であるのに対して,本願発明は,当該技術分野で通常用いる意味での「リン光発光材料」の発光分子上で励起子を直接捕捉するものであるから,両者の発光機構は異なる。また,上記(1)イ 認定の事実によれば,引用発明の構成が,導電性有機材料及び希土類金属の有機金属錯体が使用された発光素子において,発光効率が高くかつ有効寿命の長い有機エレクトロルミネッセント素子を提供することを目的として採用されたものであり,当該素子に特有の構成であるから,引用例1において,その発光材料を,別の発光機構のものに変更する動機付けはないというべきである

これに対し,被告は,本願優先日前,既に,三重項励起状態から発光する材料として希土類金属錯体であるユーロピウム錯体よりも,重遷移金属錯体である白金錯体やイリジウム錯体を用いた方が発光効率を改善できることが当業者に知られていた(乙5)から,希土類金属錯体に代えて,本願発明で用いられる発光材料である白金錯体やイリジウム錯体などの重遷移金属錯体を採用しようとすることは当業者が容易に想到し得た旨主張する。しかし,仮に,このような発光効率改善の観点があるとしても,本願発明は,リン光発光材料の発光分子上での励起子直接捕捉を達成するための,各材料のエネルギー準位の関係を特定したものであって,発光材料としてリン光発光材料を採用することを前提としている(本願明細書の請求項1,上記(1)ア の【0003】,【0004】,【0006】ないし【0008】)。

一方,上記のとおり,引用例1に,発光材料としてリン光発光材料を用いることの動機付けはないから,被告主張の周知技術が存在したとしても,引用発明に適用することの動機付けはないというべきである。よって,被告の主張は採用できない。

2 取消事由3(相違点2に関する判断の誤り)について

審決は,相違点2に係る本願発明の構成に関し,「本願発明が特定するHOMOレベルとLUMOレベルの相対的関係の,技術的意義及び作用・効果は何ら認められない。」とし,「引用発明における発光材料,並びにp型有機材料を構成する不活性な重合体マトリクス及び電荷を輸送できる単量体を,本願発明のようなエネルギー準位の相対的関係を有するものとするかどうかは,単なる設計的事項の範ちゅうにすぎないといわざるを得ない。」として,「引用発明から上記相違点2に係る発明特定事項を得ることは,当業者が容易になし得たことである。」と判断した。

これに対し,原告らは,審決の判断は誤りであると主張するので,以下,検討する。

本願明細書の請求項1の記載,及び,上記1(1)ア 認定の事実によれば,本願発明は,非電荷運搬材料,正孔輸送材料及びリン光発光ドーパント材料を,そのHOMO及びLUMOレベルが特定の関係になるように組み合わせて用いることによって,追加のエネルギー移動過程なしに励起子エネルギーを発光材料分子により直接捕捉して,発光効率を高めることができるという技術的意義を有すると認められる。

これに対し,引用例1では,上記1(1)イ 認定のとおり,段落【0012】の「最低エネルギーの三重項状態」及び段落【0015】の「最低三重項状態」はLUMOを指し,電荷輸送材料(n型及びp型有機材料)と発光材料のLUMOどうしの大小関係が規定されているとはいえるが,本願発明の上記関係は記載も示唆もされていない。また,引用例1では,リン光発光材料上での正孔及び電子の直接捕捉を達成すること,及び,それにより三重項エネルギー移動過程を抑えることによる利点やそれが望ましいことについても,記載も示唆もされていない有機発光素子の分野において,用いる化合物のエネルギー準位の相対的関係を考慮することが周知であるとしても,リン光発光材料上での正孔及び電子の直接捕捉を達成するという観点がなくては,当業者といえども,本願発明のエネルギー準位の相対的関係を導き出すことはできないというべきである

したがって,「引用発明から上記相違点2に係る発明特定事項を得ることは,当

業者が容易になし得たことである。」とした審決の判断は誤りである。

 

【所感】

本判決は妥当であると考える。

本件のように当該技術分野における一般的な技術用語を一般的な用法で使用していない文献が引用される場合を想定し、明細書作成時には、一般的な技術用語であっても、適宜、定義付けすることが好ましいと思われる。

取消事由3の判断では、「リン光発光材料上での正孔及び電子の直接捕捉を達成する」という明細書に記載されている課題との関係で進歩性が認められており、明細書における課題の記載が重要であることが再確認できた。