抄紙用汚染防止液事件
判決日 | 2015.8.25 |
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事件番号 | H26(ワ)7548 |
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担当部 | 東京地裁 民事第46部 |
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発明の名称 | 抄紙用汚染防止液 |
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キーワード | サポート要件 |
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事案の内容 | 本件特許:特許第4828001号 差し止め等の請求に対して、被告が技術的範囲に属さない旨の反論(否認)およびサポート要件違反を含む無効の抗弁(特許法第104条の3)を主張したところ、否認および抗弁のいずれも認められず、差し止め等が認められた事案。 構成要件の一部であるアミン化合物の実施例(実験例)としてモルホリンのみが記載されていたとしても、明細書の記載に照らせばアミン化合物はモルホリンに限定されるものではなくサポート要件違反は無い、と判断された点がポイント。 |
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事案の内容
【主な争点】
(1)被告製品が本件発明の構成要件Cを充足するか
(2)特許法第104条の3第1項の規定により権利行使が制限されるか
ア)原告販売の製品「ダスクリーン上質1号」およびその製品安全データシート(本件MSDS)に基づく新規性欠如
イ)特開2008-19525号公報に基づく新規性又は進歩性欠如
ウ)サポート要件違反
※本報告では、上記(1)および(2)ア,イは、割愛する。
【構成要件の比較】(※A,B,Dの充足性に争いは無い)
<本件発明>
A 抄紙工程のドライパートにおけるピッチ汚染を防止する汚染防止剤組成物であって,
B 非シリコーン系オイルと,該非シリコーン系オイルを乳化させる乳化剤と,を有し,
C 前記乳化剤が,脂肪酸とアミン化合物との中和物である
D 汚染防止剤組成物。
<被告製品>
a 抄紙工程のドライパートにおけるピッチ汚染を防止する抄紙用汚染防止薬液として使われている。
b グリセリントリ脂肪酸エステル(なたね油)及びグリセリンモノ脂肪酸エステルと乳化剤とが含まれている。
c 炭素数8~24の脂肪酸と,エタノールアミンとのエタノールアミン塩が含まれている。
d 抄紙用汚染防止薬液である。
【本件明細書抜粋】(下線は筆者が付した)
【0004】
これに対し、ピッチの付着を防止する汚れ付着防止剤が知られている(例えば、特許文献1参照)。かかる汚れ付着防止剤は、粘度が異なるシリコーンオイルと、フッ素系界面活性剤を含む組成となっている。
(略)
【0006】
しかしながら、特許文献1記載の汚れ付着防止剤においては、混合したシリコーンオイルの粘度が高すぎ、且つシリコーンオイル自体の粘着性によりドライパート部位へのピッチの付着を十分に防止できない。
また、段ボール等の着色された紙を製造する場合、汚れ付着防止剤が紙の色を脱落させ、紙の色が斑になる(以下「色抜け」という。)欠点がある。
【0007】
本発明は上記事情に鑑みてなされたものであり、ドライパート部位へのピッチの付着を十分に防止でき、且つ紙の色抜けを抑制できる汚染防止剤を提供することを目的とする。
(略)
【0018】
本発明の汚染防止剤組成物は、非シリコーン系オイルを用いることにより、シリコーンオイル自体の粘着性によるドライパート部位へのピッチの付着を防止し、且つ、乾燥後にシリコーンのカスがドライパート部位に付着することを防止できる。
また、乳化剤として脂肪酸とアミン化合物との中和物を用いることにより、紙の色抜けを抑制できる。
(略)
【0038】
これらの中でも、乳化剤は、脂肪酸とアミン化合物との中和物であることがより好ましい。この場合、有機物の塩を用いることで、色抜けをより抑制できると共にオイルの乳化安定性を向上させることができる。また、脂肪酸を非シリコーン系オイルに溶解し、アミン化合物を水に溶解し、これらを混合して両者の中和反応を利用することにより、比較的容易に、乳化させることが可能となる。
(略)
【0040】
上記アミン化合物としては、モルホリン、アンモニア、エチレンジアミン、エタノールアミン、ジエタノールアミン、トリエタノールアミン、ジイソプロパノールアミン等が挙げられる。これらは単独で用いても、複数を混合して用いてもよい。
これらの中でも、アミン化合物としては、乳化安定性の観点から、モルホリン、ジエタノールアミン又はトリエタノールアミンであることが好ましい。
(略)
【0080】
3.色抜け試験
参考例として、表2に示す乳化剤の色抜けについて評価した。なお、表2中、脂肪酸、アミン化合物又はノニオン界面活性剤以外は、水である。
色抜け試験は、5×25cm角のステンレス板を100℃に加熱し、直径2mmの液滴が複数できるように、参考例のサンプルを散布した。これにダンボールの表層の原料から作製した手漉きの紙(茶色)をのせ、その上に1.6kgの錘を10秒間載せた。次に、紙を裏返して、ステンレス板に再びのせ、その上に1.6kgの錘を10秒間載せた。
このステンレス板の上に紙の表裏をのせ錘をその上にのせる操作を3回繰り返した。
次に、得られた紙を100℃の恒温槽で保管し、経時的(0日、1日、3日、6日、7日)にサンプル(乳化剤)の付着部分のR(red)、G(green)、B(blue)の値を画像処理ソフト(PaintShop Pro7)で測定した。これらの値の和を表3に示す。なお、表3中、R+G+Bの値が大きい程、色抜けが発生している(白っぽくなっている)ことを意味する。また、比較対象として、サンプル(乳化剤)を付与していない部分のR+G+Bの値をブランクとして測定した。
(略)
【0083】
表3の結果より、色抜け抑制効果は、ノニオン界面活性剤を用いる場合よりも、脂肪酸とアミン化合物との中和物を用いるほうが優れていることがわかった。
これらのことから、本発明の汚染防止剤組成物によれば、紙の色抜けを抑制できることが確認された。
【サポート要件違反に関する主張】
(1)被告
構成要件Cにいう「アミン化合物」にはモルホリン系,ピペラジン系誘導体,アミノアルコール系等多くの化合物が含まれる。
しかし,本件明細書に記載された実験結果により「紙の色抜けを抑制できる」という効果があるといえるのはモルホリンのみである。また,モルホリンがどのような作用で色抜け抑制効果を奏するのかについて本件明細書には記載がなく,アミン化合物の全てについて色抜け抑制効果があるといえるか否かは参考例1~4からは不明である。このため,モルホリン以外を含むアミン化合物を特定する請求項1の範囲まで本件明細書中に記載された紙の色抜けを抑制できるという効果を拡張ないし一般化することはできない。
したがって,本件発明は,発明の詳細な説明に記載されたものではなく,特許法36条6項1号に違反する。
(2)原告
本件明細書の発明の詳細な説明(段落【0018】,【0038】~【0040】)には,乳化剤を脂肪酸とアミン化合物との中和物とすることにより色抜けを抑制できるという効果を奏すること,当該アミン化合物としてはモルホリン以外のものも含むことが明確に記載されているから,被告主張は失当である。
【当裁判所の判断】
4 争点(2)ウ(サポート要件違反)について
(1)被告は,本件明細書に記載された実験結果により紙の色抜け抑制効果があるといえるアミン化合物はモルホリンのみであり,アミン化合物の全てについて色抜け抑制効果があるといえるか否かは不明であるから,本件発明は,発明の詳細な説明に記載されたものではなく,特許法36条6項1号に違反すると主張する。
(2)そこで判断するに,前記1(2)アで認定したとおり,本件明細書には,アミン化合物の好ましい例として,モルホリンのほか,ジエタノールアミン又はトリエタノールアミンが挙げられている。
また,本件明細書の【発明の詳細な説明】の欄には,本件発明の効果として,「本発明の汚染防止剤組成物は,非シリコーン系オイルを用いることにより,シリコーンオイル自体の粘着性によるドライパート部位へのピッチの付着を防止し,且つ,乾燥後にシリコーンのカスがドライパート部位に付着することを防止できる。また,乳化剤として脂肪酸とアミン化合物との中和物を用いることにより,紙の色抜けを抑制できる。」(段落【0018】),発明を実施するための形態に関して,「乳化剤は,脂肪酸とアミン化合物との中和物であることがより好ましい。この場合,有機物の塩を用いることで,色抜けをより抑制できると共にオイルの乳化安定性を向上させることができる。」(段落【0038】)との記載があり,これらの記載からは,非シリコーン系オイルを乳化させる乳化剤として,有機物の塩である脂肪酸とアミン化合物との中和物を選択した場合,有機物の塩ではない乳化剤を使用するのと比較して色抜け抑制効果が生じることを理解することができる。
そして,本件明細書には,有機物の塩ではないノニオン界面活性剤を乳化剤として使用した場合よりも,脂肪酸とアミン化合物との中和物の方が色抜け抑制効果が優れている旨の実験結果が記載されており(段落【0080】~【0083】),これらによれば,当業者は,「非シリコーン系オイルを乳化させる乳化剤」であって「脂肪酸とアミン化合物との中和物」という共通の性質を有すれば色抜け抑制効果があることを理解できると認められる。
(3)したがって,サポート要件違反をいう被告主張は採用できない。
【所感】
裁判所の判断には疑問が残る。
表示2,3に示す実験結果からは、「モルホリンVS2種のノニオン界面活性剤」の色抜け抑制効果の優劣が導けるに過ぎないように思われる。裁判所は、モルホリン以外の有機物の塩まで一般化して同様な効果が得られる(発明の課題を解決できる)ことを「乳化剤として脂肪酸とアミン化合物との中和物を用いることにより,紙の色抜けを抑制できる。」(段落0018)、「この場合,有機物の塩を用いることで,色抜けをより抑制できると共にオイルの乳化安定性を向上させることができる。」(段落0038)との記載のみを根拠としているように思われる。
しかしながら、化学発明の分野において、このような記載のみで有機物の塩が共通して発明の課題を解決できると当業者は認識できるのであろうか。例えば、H24(行ケ)10016(ポリウレタンフォームおよび発泡された熱可塑性プラスチックの製造事件)では、技術的観点からすると化学構造及び理化学的性質が類似する複数の化学物質(発泡剤)の実施例が記載されていることに基づき、明細書に記載はあるが実施例に記載の無い化学物質のサポート要件を認めたという例もあり、裁判所の判断には疑問が残る。
例えば、色抜け抑制の効果を、有機物の塩は共通して有することが技術常識であり、1つの実施例でも他の有機物の塩が課題解決できることを当業者が認識できるというのであれば、かかる技術常識について言及すべきではないだろうか。
【参考】(H24(行ケ)10016 「ポリウレタンフォームおよび発泡された熱可塑性プラスチックの製造」の判決文抜粋)
本願発明で用いる発泡剤の成分b)であるHFC-245faは,上記のとおり,ひとまとまりの一定の発泡剤のひとつとして記載されている上,本願明細書の実施例で使用された成分b)であるHFC-152aやHFC-32と同様に低沸点であり,技術的観点からすると化学構造及び理化学的性質が類似するといえることも併せ考慮すると,実施例1a)~c)と同様にHFC-245faを使用することによりポリウレタン硬質フォームを製造する方法が開示されていると解するのが相当である。
(略)
そのような発泡剤を用いることにより,低温において熱伝導率が低く,熱遮断能を有するポリウレタン硬質フォームが得られるという効果を有することが判明したというものである。成分b)としては,低沸点の脂肪族炭化水素等である具体的化合物が多数列挙され,本願発明のHFC-245faは,ひとまとまりの一定の発泡剤の中で有利なものとして記載され,実施例においても,HFC-152aを用いた場合(例1a),HFC-32を用いた場合(例1b),及びHFC-152a及びCO2を用いた場合(例1c)が記載されており,それらを同等に扱うことができないとする事情は見いだせないから,HFC-245faを用いた実施例の記載がなくとも,これを成分b)として使用することができると解すべきである。
したがって,本願発明が発明の詳細な説明に記載したものとは認められないとする事情は見いだせないから,本願が特許法36条6項1号に規定する要件を満たしていないとの審決の判断は誤りであって,追加実験データの有無にかかわらず,原告主張の取消事由は理由がある。