光学ガラス事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2017.10.25
事件番号 H28(行ケ)10189
担当部 知財高裁第3部
発明の名称 光学ガラス
キーワード サポート要件、実施可能要件
事案の内容  拒絶査定不服審判の請求不成立審決に対する審決取消訴訟であり、審決が取り消された事案。
審決の判断は,このような具体的な検討を行うことなく,実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって直ちに本願のサポート要件充足性を否定した点において判断の在り方に問題があると判示した点がポイント。

事案の内容

【経緯】
平成24年10月22日 分割出願(特願2012-233297号)
            原出願日:平成20年1月31日
平成24年12月19日 手続補正(自発補正)
平成27年 1月29日 拒絶査定
平成27年 5月 7日 拒絶査定不服審判請求+手続補正
平成28年 3月10日 拒絶理由通知
平成28年 5月11日 手続補正(本件補正)
平成28年 6月28日 請求不成立審決
平成28年 8月10日 審決取消訴訟提起(本件訴訟)
 
【特許請求の範囲(本件補正後)】
【請求項1】
(*物性要件)
屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下の範囲の光学定数を有し,
(*組成要件)
質量%の比率で
SiO2を10%以上40%以下,
Nb2O5を40%超65%以下,
ZrO2を0.1%以上15%以下,
TiO2を1%以上15%以下
含有し,
B2O3の含有量が0~20%,
GeO2の含有量が0~5%,
Al2O3の含有量が0~5%,
WO3の含有量が0~15%,
ZnOの含有量が0~15%,
SrOの含有量が0~15%,
Li2Oの含有量が0~15%,
Na2Oの含有量が0~20%,
Sb2O3の含有量が0~1%
であり,
TiO2/(ZrO2+Nb2O5)が0.20以下であり,
SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量が90%超であることを特徴とする光学ガラス。
 
*メモ:上記組成要件を満たす実施例は、No.8、9,21、24~38、41、44、45、48~57、60~66
 
【審決の理由の要旨】
(1)サポート要件違反
 本願組成要件に関するガラスの組成のうち,実施例で示されているものは一部の数値範囲の組成にとどまり,当該数値範囲を超える部分については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることが実施例の記載により裏付けられているとはいえず,その他の発明の詳細な説明の記載にも,当業者が本願物性要件を満たすことを認識し得る説明がされているとはいえない。また,本願出願時の当業者の技術常識(光学ガラスの物性は,ガラスの組成に依存するが,構成成分と物性との因果関係が明確に導かれない場合の方が多いことなど)に照らしても,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえない。
 
(2)実施可能要件違反
 上記⑴のとおり,本願の明細書に,本願組成要件のごく一部の範囲の実施例が記載され,各成分のはたらきが個別に記載されていたとしても,実施例から離れた広範な本願組成要件の数値範囲において,限定された本願物性要件を満たす光学ガラスの具体的な各成分の含有量を決定することは,当業者に過度の試行錯誤を要求するものといえる。
 したがって,本願の発明の詳細な説明の記載は,本願発明の実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものとはいえないから,本願は,実施可能要件(特許法36条4項1号)に適合するものではなく,特許を受けることができない。
 
【取消事由】
⑴ 本願発明の認定・解釈の誤り(取消事由1)
サポート要件についての判断の誤り(取消事由2)
⑶ 実施可能要件についての判断の誤り(取消事由3)
⑷ 手続違背(取消事由4)
 
【裁判所の判断】
2.取消事由2(サポート要件についての判断の誤り)について
 事案に鑑み,取消事由2の成否,すなわち,本願につき,サポート要件(特許法36条6項1号)に適合しないとした本件審決の判断の適否について,まず検討する。
(1)特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かについては,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載又はその示唆により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものと解される。
 これを本願発明についてみると,まず,本願発明に係る特許請求の範囲(請求項1)の記載は,光学ガラスを本願組成要件及び本願物性要件によって特定するものであり,そのうち,本願物性要件は,「高屈折率高分散であって,かつ,部分分散比が小さい光学ガラスを提供する」という本願発明の課題を,「屈折率(nd)が1.78以上1.90以下,アッベ数(νd)が22以上28以下,部分分散比(θg,F)が0.602以上0.620以下」という光学定数により定量的に表現するものであって,本願組成要件で特定される光学ガラスを,本願発明の課題を解決できるものに限定するための要件ということができる。そしてこのような本願発明に係る特許請求の範囲の構成からすれば,その記載がサポート要件に適合するものといえるためには,本願組成要件で特定される光学ガラスが発明の詳細な説明に記載されていることに加え,本願組成要件で特定される光学ガラスが高い蓋然性をもって本願物性要件を満たし得るものであることを,発明の詳細な説明の記載や示唆又は本願出願時の技術常識から当業者が認識できることが必要というべきである。
(中略)
 すなわち,本願組成要件に規定された各数値範囲は,実施例によって本願物性要件を満たすことが具体的に確認された組成の数値範囲に比して広い数値範囲となっており,そのため,本願組成要件で特定される光学ガラスのうち,実施例に示された数値範囲を超える組成に係る光学ガラスについても,本願物性要件を満たし得るものであることを当業者が認識できるか否かが問題となる。
(中略)
 光学ガラスの製造に関しては,ガラスの物性が多くの成分の総合的な作用により決定されるものであるため,個々の成分の含有量の範囲等と物性との因果関係を明確にして,所望の物性のための必要十分な配合組成を明らかにすることは現実には不可能であり,そのため,ターゲットとされる物性を有する光学ガラスを製造するに当たり,当該物性を有する光学ガラスの配合組成を明らかにするためには,既知の光学ガラスの配合組成を基本にして,その成分の一部を,当該物性に寄与することが知られている成分に置き換える作業を行い,ターゲットではない他の物性に支障が出ないよう複数の成分の混合比を変更するなどして試行錯誤を繰り返すことで当該配合組成を見出すのが通常行われる手順であることが認められ,このことは,本願出願時において,光学ガラスの技術分野の技術常識であったものと認められる(甲5,6,17,18,21,22。以
上のような技術常識の存在については,当事者間に争いがない。)。
(中略)
 光学ガラス分野の当業者であれば,本願明細書の実施例に示された組成物を基本にして,特定の成分の含有量をある程度変化させた場合であっても,これに応じて他の成分を適宜増減させることにより,当該特定の成分の増減による物性の変化を調整して,もとの組成物と同様に本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることも可能であることを理解できるものといえる。そして,前記イのとおり,当業者は,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,本願物性要件を満たす光学ガラスを得るには,「Nb2O5成分を40%超65%以下の範囲で含有し,かつ,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする」ことが特に重要であることを理解するものといえるから,これらの条件を維持しながら,光学ガラスの製造において通常行われる試行錯誤の範囲内で上記のような成分調整を行うことにより,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることが可能であることも理解し得るというべきである。
 なお,これを具体的な成分に即して説明するに,例えば,本願発明の最多含有成分であるNb2O5についてみると,当業者であれば,実施例中最多の含有量(53.61%)を有する実施例50において,TiO2/(ZrO2+Nb2O5)を0.2以下とする条件を維持しながら,必須成分であるTiO2(6.48%),ZrO2(1.85%)又は任意成分であるNa2O(9.26%)から適宜置換することによって,本願物性要件を満たしつつ,Nb2O5を増やす調整を行うことも可能であることを理解するものと考えられ、・・・
(中略)
 当業者は,本願組成要件に規定された各数値範囲のうち,実施例として具体的に示された組成物に係る数値範囲を超える組成を有するものであっても,高い蓋然性をもって本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得るというべきであり,更に,そのように認識し得る範囲が,本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものといえるか否かについては,成分ごとに,その効果や特性を踏まえた具体的な検討を行うことによって判断される必要があるものといえる。
これに対し,本件審決は,本願明細書の実施例に記載されたガラス組成の数値範囲については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを確認することができるが,実施例に記載されたガラス組成の数値範囲を超える部分については,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることが,実施例の記載により裏付けられているとはいえないとし,また,その他の発明の詳細な説明のうち,部分分散比に影響を与える成分であるTiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3及びLi2Oの記載(段落【0029】等)についても,好ましい範囲等として記載される数値範囲が実施例に記載されたガラス組成の数値範囲より広い範囲となっていることから,実施例の数値範囲を超える部分について,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを裏付けるとはいえないとし,更に,本願出願時の技術常識(光学ガラスの物性は,ガラスの組成に依存するが,構成成分と物性との因果関係が明確に導かれない場合の方が多いことなど)に照らしても,本願組成要件の数値範囲にわたって,本願物性要件を満たす光学ガラスが得られることを当業者が認識し得るとはいえないと判断したものである。
 このように,本件審決の判断は,本願組成要件に規定された各成分の含有比率,「TiO2/(ZrO2+Nb2O5)の値」及び「SiO2,B2O3,TiO2,ZrO2,Nb2O5,WO3,ZnO,SrO,Li2O,Na2Oの合計含有量」の各数値範囲のうち,当業者が本願物性要件を満たす光学ガラスが得られるものと認識できるがr囲を,実施例として具体的に示されたガラス組成の各数値範囲に限定するものにほかならないところ,上記ウで述べたところからすれば,このような判断は誤りというべきである。本件審決は,上記ウのとおり,本願のサポート要件充足性を判断するに当たって必要とされる,本願物性要件を満たす光学ガラスを得ることができることを認識し得る範囲が本願組成要件に規定された各成分における数値範囲の全体に及ぶものといえるか否かについての具体的な検討を行うことなく,実施例として示された各数値範囲が本願組成要件に規定された各数値範囲の一部にとどまることをもって,直ちに本願のサポート要件充足性を否定したものであるから,そのような判断は誤りといわざるを得ず(更に言えば,上記のような具体的な検討の結果に基づく拒絶理由通知がされるべきであったともいえる。),また,その誤りは審決の結論に影響を及ぼすものといえる。
 
⑶ 小括
 以上のとおり,本願につき,サポート要件に適合しないものとした本件審決の判断は誤りであり,この点については,上記(2)で述べた趣旨に沿って,改めて特許庁における審理・判断(必要な拒絶理由通知を行うことを含む。)がされるべきものといえるから,原告主張の取消事由2は理由がある。
 
【感想】
 裁判所の判断は妥当であると考える。
 判決は、審決のサポート要件の判断手法に問題があるとし、この分野においては、本願組成要件に規定された各成分の各数値範囲の全体(上限値や下限値)にまで及ぶものかといえるか否かについては、成分ごとに具体的な検討を行うことが必要であるとした。
 このように判断されたのは、サポート要件について出願人側が拒絶査定不服審判において行った反論を審判において充分に審理していなかったからではないかと考えられる。
化学分野の明細書を記載する際において、対象分野の当業者のレベルを十分理解することが、サポート要件を満たす明細書を記載する上で重要であると考える。
 なお、本案件は、審判に差し戻され、審決において具体的なサポート要件の検討が行われた上で、特許審決となっている。