ポリウレタンフォーム事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2012.02.28
事件番号 H23(行ケ)10191
発明の名称 ポリウレタンフォームおよび発泡された熱可塑性プラスチックの製造
キーワード 引用発明の認定
事案の内容 特許無効審判の請求棄却審決に対する取消訴訟であり、審決が取り消された事案。
本事案は、引例における「HCFC-141bの代替物質としてHFC-245fa及びHFC-365mfcが好ましい」との記載に基づいて当業者がHCFC-141bを除去してHFC-245faないしHFC-365mfcを使用した発泡剤組成物を容易に想到できたか否かがポイントである。

事案の内容

甲1において,HCFC-141bの代替物質としてHFC-245fa及びHFC-365mfcが好ましいとの記載から,混合気体からHCFC-141bを除去し,その代替物としてHFC-245faないしHFC-365mfcを使用した発泡剤組成物を得る

(1)本件は、特許無効審判の請求不成立の審決に対し、これを不服とする原告が、その取消を求め、当該審決が取り消された事案である。なお、審判では、被告が本件特許についての訂正請求をし、特許庁はこれを認める審決をした。

 

(2)本願の特許請求の範囲における請求項1の記載は以下の通りである。なお、下線部が訂正部分である。

[請求項1]

発泡剤による発泡によってポリウレタン硬質フォームまたは発泡された熱可塑性プラスチックを製造する方法において,発泡剤として,

a)1,1,1,3,3-ペンタフルオルブタン50質量%未満(HFC-365mfc)および

b)ジフルオルメタン(HFC-32);ジフルオルエタン;1,1,2,2-テトラフルオルエタン(HFC-134ペンタフルオルプロパン;ヘキサフルオルプロパン;ヘプタフルオルプロパンを含む群から選ばれた少なくとも1つの他の発泡剤を含有するかまたは該a)およびb)から成る組成物(但し,HFC-134a又はHCFC-141bを含まない)を使用することを特徴とする,ポリウレタン硬質フォームまたは発泡された熱可塑性プラスチックを製造する方法。

 

(3)本件では、原告が主張した、下記取消事由2及び4(本件訂正発明の容易想到性判断の誤り及び作用効果の認定の誤り)が認められ、審決が取り消された。ただし、判決では、本件訂正発明を認定するために、まず、取消事由1(本件訂正発明の認定の誤り)について判示された。なお、取消事由2において引例としてあげられた甲1発明は、下記非特許文献に記載の発明である。

A. ALBOUY et al., “A Status Report on the Development of HFC Blowing Agent for Rigid Polyurethane Foams”, POLYURETHANES WORLD CONGRESS 1997,514ないし523頁

 

【裁判所の判断】

1.取消事由1(本件訂正発明の認定の誤り)について

被告は,本件訂正において,特許査定時の特許請求の範囲記載の発泡剤について「(但し,HFC-134a又はHCFC-141bを含まない)」の記載を加えるとともに,請求項においてHFC-134aに関する記載を削除していること,本件訂正は,原告が審判手続において引用した甲1(HCFC-141bを含む発泡剤),甲4(HFC-134aを含む発泡剤)に記載される先行技術との重複部分を削除したが,同訂正は,本件訂正発明の新規性を確保する趣旨でされたのが合理的と解されること,本件訂正が認められていること(本件訂正の可否については争われていない。)に照らすならば,本件訂正発明における「(但し,HFC-134a又はHCFC-141bを含まない)」は,「HFC-134aのみを含む場合」,「HCFC-141bのみを含む場合」及び「HFC-134a及びHCFC-141bの両者を含む場合」の全てを除外する趣旨と解するのが相当である。

 

2.取消事由2(本件訂正発明の容易想到性判断の誤り)について

審決は,甲1発明は「HCFC-141b」を含有する点が,本件訂正発明との相違点であることを前提とした上で,その容易想到性の有無について,

「甲第1号証には,確かに,硬質ポリウレタンフォーム用発泡剤を,HCFC-141bから,HFC-245faHFC-365mfcなどに代替していく方向性は示されているといえるが,このような方向性を踏まえたものとして,具体的に示されている発泡剤組成物は,その成分として,代替物である『HFC-245fa』及び『HFC-365mfc』とともに『HCFC-141b』を依然として含有するものであって,この発泡剤組成物から,さらに熱的性能,防火性能に優れる『HCFC-141b』を完全に除去することは,当業者が予測できるとはいえない。」,

として,甲1に記載された混合気体から,本件訂正発明が備える発泡剤成分を,当業者といえども容易に想到できないと判断した。

甲1には,HCFC-141bは高い熱的性能及び防火性能を有するがHCFC-141b等のHCFC類はオゾン層に悪影響を与えるという深刻な欠点を有しており,米国やEUではHCFC-141b等のHCFC類の廃止スケジュールが定められており,HCFC類の代替物質としては,HFC-245fa及びHFC-365mfcが最も有望であることが開示されているといえる。また,HCFC-141bの全ての用途において置き換えが可能となる分子の候補として,HFC-365mfcHFC-245fa等があり,発泡試験の結果,HFC-245faは,調査した熱伝導率,圧縮永久歪み及び連続気泡率の分野において良好な特性があり,HFC-365mfcは,従来の発泡剤よりわずかに劣るものの,より適した界面活性剤を使用すれば結果は向上すると考えられること,この2種類のHFC類(HFC-365mfcHFC-245a)のいずれかを用いて発泡させたポリウレタンフォームは,HCFC-141bを用いたものより熟成が遅い(熟成後の熱伝導率がより高い)と期待でき,放散比較調査から,HFC-245faないしHFC-365mfcで発泡させたフォームの長期熱熟成は,HCFC-141bで発泡させたフォームと少なくとも同程度に良好なはずであることが記載されている。

以上の記載によれば,甲1には,オゾン層に悪影響を与えるHCFC-141bの代替物質としてHFC-245fa及びHFC-365mfc(特に,HFC-365mfc)を発泡剤としての使用が提案されていることが認められるが,HCFC-141bを,その熱的性能,防火性能を理由として,依然として含有させるべきであるとの見解が示されているわけではないと解される。そうすると,甲1において,HCFC-141bの代替物質としてHFC-245fa及びHFC-365mfcが好ましいとの記載から,混合気体からHCFC-141bを除去し,その代替物としてHFC-245faないしHFC-365mfcを使用した発泡剤組成物を得ることが,当業者に予測できないとした審決の判断は,合理的な理由に基づかないものと解される。したがって,甲1に記載された混合気体から,本件訂正発明が備える発泡剤成分を,当業者といえども容易に想到できないとした審決の判断は誤りである。

 

3.取消事由4(作用効果の認定の誤り)について

甲15記載の追加実験データは,本件訂正発明のうち,限定された実施例について,限定された方法により実験された結果にすぎず,このデータのみから本件訂正発明の作用効果を認定することはできないというべきである。なお,本件当初明細書の段落【0044】,【0045】には,それぞれ,「本発明によれば,発泡剤組成物は,HFC-365mfc 80質量部とHFC-32 20質量部とから成り立っていた。」,「本発明によれば,発泡剤組成物は,HFC-365mfc 70質量部とHFC-152a 30質量部とから成り立っていた。」との記載があり,これらの実施例は,本件訂正発明における「HFC-365mfcが50質量%未満」との構成を充足するものではない。

したがって,甲15記載の追加実験データから,低温で熱遮断性に優れた発泡体を提供することができるという効果を確認できるとした審決には誤りがある。

 

4.付言

当裁判所は,審決には,上記2ないし4において判断した他,次の点に問題があると解する。すなわち,一般に,審決が,「本件訂正発明が甲1に記載された発明に基づいて容易に想到することができたか否か」を審理の対象とする場合,

《1》引用例(甲1)から,引用発明(甲1に記載された発明)の内容の認定をし,

《2》本件訂正発明と甲1記載の発明との一致点及び相違点の認定をした上で,

《3》これらに基づいて,本件訂正発明の相違点に係る構成について,他の先行技術等を適用することによって,本件訂正発明1に到達することが容易であったか否か等を判断することが不可欠である。

特に,本件においては,引用例の記載事項のいかなる部分を取捨・選択して,引用発明(甲1に記載された発明)を認定するかの過程は,引用発明として認定した結果が,本件訂正発明と引用発明との相違点の有無,技術的内容を大きく左右するという意味において,極めて重要といえる。

しかし,本件において,審決では,引用発明の内容についての認定をすることなく(甲1の記載を掲げるのみである。),また本件訂正発明と引用発明との一致点及び相違点の認定をすることなく(相違点が何であるか,相違点が1個に限るのか複数あるのか等),甲1の文献の記載のみを掲げて,本件訂正発明1の容易想到性の有無の判断をしている

当裁判所は,審決には,原告主張に係る取消事由2及び4の誤りがあるとして,審決を取り消すべきものと判断したが,差し戻した後に再開される審判過程において,引用例記載の発明の認定及び本件訂正発明と引用例記載の発明との相違点等について,別途の主張ないし認定がされた場合には,その認定結果を前提として,改めて,相違点に係る容易想到性の有無の判断をした上で,結論を導く必要が生じることになる旨付言する。

 

【所感】

引例にはHCFC-141bが完全に除かれた組成については開示されておらず、HCFC-141bが完全に除くことは、当業者の予測の範囲を超える、との審決に対し、判決では、引例にはHCFC-141bを依然として含有させるべきであるとの見解が示されているわけではない、と判示された。HCFC-141bを完全に除くことが困難であるとの出願時における技術常識や、HCFC-141bを完全に除くことを否定するような引例の直接的な記載がないのであれば、裁判所におけるこの判断は妥当であると思われる。

なお、判決は、末尾の「付言」において、容易想到性の判断手法など、当然と言える事柄があらためて確認されており、裁判所が、特許庁に対して、容易想到性の判断における引用発明の認定の重要性についての釘を刺した形となっている。この「付言」は、まさに口を酸っぱくしてなされた裁判所の「苦言」であるともとれ、本件は、その意味で、興味深い事例といえる。