ペット寄生虫の治療・予防用組成物事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2013.03.19
事件番号 H24(行ケ)第10037号
担当部 地財高裁 第3部
発明の名称 ペット寄生虫の治療・予防用組成物
キーワード 発明未完成
事案の内容 無効審判の無効審決に対する審決取消訴訟であり,無効審決が取り消された。請求項の記載は、試験条件いかんで試験結果が一定しないわけではなく、発明未完成ではないと判断された。

事案の内容

【請求項1】(訂正後)

下記の(a)~(d)から成り、

式(I)の化合物は1~20%(w/v)の割合で存在し、

結晶化阻害剤は1~20%(w/v)の割合で存在し且つ(c)で定義した溶媒中に式(I)の化合物を10%(W/V)、結晶化阻害剤を10%添加した溶液 Aの0.3mlをガラススライドに付け、20℃で24時間放置した後にガラススライド上を肉眼で観察した時に観察可能な結晶の数が10個以下あり、(構成 要件IF(2))

有機溶媒(c)は組成物全体を100%にする比率で加えられ、

有機共溶媒(d)は(d)/(c)の重量比(w/w)が1/15~1/2となる割合で存在し、

有機共溶媒(d)は水および/または溶媒c)と混和性がある、

動物の身体の一部へ局所塗布することによって動物の全身へ拡散する、直ちに使用可能な溶液の形をした、寄生虫からペットを治療または予防するための組成物:

(a)・・・(以下略)

 

【争点】

(3-1)審決の理由の要点

訂正明細書の記載及び当業者の技術常識に照らしても,上記構成要件に係る試験方法の技術内容が目的とする技術的効果を上げられるかどうかを確認することが できず,相当な蓋然性をもって当業者が結果を予測できるものとなっていない。このとおり,当業者において上記試験方法の有用性を確認することができないの であって,訂正発明1等の本質的要素である,上記構成要件に係る結晶化阻害剤は実現不可能であり,その効果を発揮することができない。従って、「産業上利 用できる発明」に当たらない。

 

(3-2)取消事由1(特許法第29条第1項柱書)

①    ガラススライドの大きさ

②    温度・湿度の調節及びこれに伴う空気の流れの制御方法

③    相対湿度が規定されていないところ

 

(3-3)原告の主張

①について、訂正発明1等の結晶化阻害試験(構成要件1F(2))の性格を考慮すれば,ガラススライドから溶液が流れ落ちるのを防止するため,当業者にお いて,その経験及び一般的技術常識に基づき,十分な大きさを有するガラススライドを選択することができるのは明らかである。よって,ガラススライドの大き さが特定されていないから結晶化阻害剤(b)を特定できないなどとする審決の判断は誤りである。
②および③について、本件の特許請求の範囲及び明細書の発明の詳細な説明には,温度,湿度の調節方法や実験系内の空気の流れの調節方法が明示されていな いが,当業者は市販の実験室用恒温槽を入手して,容易に訂正発明1等の結晶化阻害試験を行うことができ,これらの試験条件は当業者が容易に設定可能なもの にすぎない。被告が行った試験(甲5,6)は,いずれも80%超の相対湿度で結晶化阻害試験を行うものであるが,試験条件が不適切である。被告が行った試 験では,ガラススライドから溶液が大きく流れ,不自然に広がっており,あえて結晶が析出しやすい不適切な条件で試験を行ったことが推察される。

他方で,原告が第三者に依頼して行った試験(A博士の試験)では,60又は70%程度の相対湿度で試験が行われ,訂正発明1等にいう結晶化阻害剤(b)が 得られることを確認した。そうすると,被告による試験は不適切でその試験結果を考慮すべきでないから,相対湿度のいかんによって試験結果が一定せず,訂正 発明1等は未完成の発明であるとする審決の判断は誤りである。

 

(3-4)被告の主張

訂正発明1にいう有機溶媒(c)は,揮発性は低いが吸湿性が高いものが含まれており,フィプロニルの水に対する溶解性の低さのために,試験環境の湿度の影 響を受けやすく,試験環境の相対湿度のいかんによっては,結晶が析出したりしなかったりする。したがって,訂正発明1等における結晶化阻害試験の要件であ る構成要件1F(2)にいう20℃,24時間放置という試験条件だけでは,一定の試験結果を得られない。

②について、試料を逆さにした ビーカーで覆うことも訂正明細書に記載されていないから,かようにビーカーで遮蔽する必要もない。そうすると,試料を逆さにしたビーカーで遮蔽することが 必要であるとする原告の主張は,結晶化阻害試験に係る特許請求の範囲,発明の詳細な説明の記載に不備があることを自認しているのに等しい。

訂正発明1等の結晶化阻害試験において,常温,常湿以外の試験条件で行われることが必要なのであれば,当該試験条件を訂正明細書に記載すべきであるとこ ろ,訂正明細書には結晶化阻害試験における相対湿度についての特定がない。被告が設定した相対湿度85%の試験条件は,結晶化阻害試験の試験条件として問 題がない。すなわち,わが国における通常の研究室の常温の試験条件は,温度20±15℃,相対湿度65±20%であり,試験の内容によって許容差を変更す ることができるところ(日本工業規格JIS Z 8703 試験場所の標準状態,乙4),被告が行った試験は,常温,常湿の試験条件の範囲内で行った問題のないものである。

しかるに,低湿度では結晶が析出しないが高湿度では結晶が析出し,したがって相対湿度のいかんによって試験結果が一定しないから(甲4,乙11),原告が特定の相対湿度の試験条件下でしか作用効果を奏しない発明を,当該条件を明らかにせずに出願したことは明らかである。

 

【裁判所の判断】

①について、ガラススライドの大きさに関しては,訂正明細書中に,その大きさを明示する記載は存しない。上記(a)ないし(c)の各所定量の混合物である 溶液Aを面上に少量滴下して所定時間放置(静置)しても,肉眼でも観察できるような大きな結晶が生じないか,又は10個以下の結晶が生じるにすぎないか否 かを確認する趣旨のものである。そうすると,上記結晶化阻害試験の目的ないし技術的性格にかんがみれば,訂正明細書の発明の詳細な説明ないし特許発明の範 囲中に「ガラススライド」の大きさを明示した記載がなくても,当業者が適宜「ガラススライド」の大きさを選択して試験を実施し得ることは明らかで ある。審決は「ガラススライド」といえばまずは顕微鏡観察用の標準サイズのスライドガラスを想起するとしているが(66頁),訂正明細書の発明の詳細な説 明ないし特許請求の範囲には,顕微鏡で溶液(試料)を観察することは記載されていないから,上記結晶化阻害試験における「ガラススライド」をいわゆる顕微 鏡観察用のスライドガラスと同一視する必要はない。

②および③について,訂正明細書の発明の詳細な説明ないし特許請求の範囲でも,構成 要件1F(2)の結晶化阻害試験の試験系内の相対湿度(RH)の範囲や,空気の流れ(風)の有無,強弱についての規定がないが,当業者であれば,上記結晶 化阻害試験に関する記載から,近代的設備を備える実験室(研究室)で,標準的な試験環境の範疇を超えない限りで,格別相対湿度を指定しなくてもよいと認識 できることが明らかである。

この種の試験を実施する平均的な技量を有する当業者であれば,必要以上の換気による影響を避ける必要があるこ と,又は試料に直接装置による循環風が当たらないようにする必要があることを容易に理解し得ることが明らかで ある。そうすると,訂正明細書の発明の詳細な説明ないし特許請求の範囲に記載がなくても,逆さにしたビーカーで試料を覆って無風状態にしたり,恒温装置内 に密閉容器であるデシケータを入れ,デシケータ内部に湿度を一定に保つ薬剤とともに試料を放置したりする程度の事柄は,当業者が技術常識に基づいて採用す るものにすぎず,かような具体的な試験手法まで記載されていなくても,当業者が前記結晶化阻害試験を実施できないものではない。

A博士 の 実験によれば,訂正明細書の発明の詳細な説明ないし特許請求の範囲の記載及び当業者の技術常識に基づいて,当業者は構成要件1F(2)の結晶化阻害試験を 現に実施することができ,その試験結果も肉眼で観察できる結晶の数がいずれも10個以下(仮に時計皿に溶液を滴下する試験でもよいとしても,結晶が10個 超となったのは,結晶化阻害剤にコリドンVA64を用いた場合のわずか1例にすぎない。)であるというものであるから,試験結果が一定せず,上記結晶化阻 害試験が好適な結晶化阻害剤を選択する手段として機能しないなどとはいえない。

他方,被告の東京研究所で行われた試験は,タイベックを側 面に張った遮蔽箱を用いて空気の流れによる影響を除去しているが,概 ねすべての試験を通じて相対湿度が80数%と高いところ(模擬的環境湿度変化を加えた実験でも平均77%強。甲5,6),試験環境等の一般的な国際標準 (基準)であるISO 554-1976では,温度を20℃に設定する場合に相対湿度を65±5%(許容誤差を広くとる場合。狭くとる場合には許容誤差を±2%とする。)にする ものとされているから(甲31),被告の上記試験は相対湿度の設定が高すぎて適切とはいい難い。わが国の同様の標準である日本工業規格 JIS Z 8703(乙4)でも,標準状態の温度を試験の目的に応じて20,23,25℃のいずれかとし,標準状態の相対湿度を50又は65%のいずれかとするもの とされているから,この標準に照らしても,被告の上記試験は相対湿度の設定が高すぎて適切とはいい難い。

結局,訂正明細書の発明の詳細 な説明ないし特許請求の範囲に記載がなくても,当業者は構成要件1F(2)の結晶化阻害試験の目的,技術的性格に従って,①ないし③を適宜選択することが でき,試験条件いかんで試験結果が一定しないわけではないか ら,訂正発明1ないし34が未完成の発明であり,特許法29条1項柱書の「産業上利用することができる発明」に当たらないとした審決の認定・判断には誤り があり,原告主張の取消事由1は理由がある。以上によれば,原告が主張する取消事由はいずれも理由があるから,主文のとおり判決する。

 

【所感】

裁判所の判断は妥当であると考える。請求項に、詳細な試験条件について記載されてはいないものの、本願発明の試験条件は、当業者の技術常識の範疇であり、 被告の主張は苦しいと感じた。本願は、査定系の審決取消訴訟であるが、侵害系の場合には、侵害品または侵害のおそれがある物に対してより厳格に請求項の記 載との整合性が精査されるため、明細書中では、試験条件について、できるだけ詳細な記載が必要である。

 

以上