フラットパネルディスプレイ事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2011.09.13
事件番号 H22(行ケ)10302
担当部 知財高裁第2部
発明の名称 フラットパネルディスプレイ
キーワード 進歩性、阻害要因
事案の内容 拒絶査定不服審判で進歩性なしとして拒絶審決を受けた出願人が取り消しを求め、請求が棄却された事案。
刊行物に記載されている周知技術の利用が積極的であるか消極的であるかは、その周知技術を引用発明に組み合わせることの阻害要因にならないと、判断した点がポイント。

事案の内容

・本願発明(特願2003-347886、請求項1)

「発光素子と,前記発光素子を駆動するためのソース/ドレイン領域を具備する第1及び第2のトランジスタと,を含み,

前記第1及び第2のトランジスタは導通したときのそれぞれのソース領域からドレイン領域にかけての抵抗値が互いに相違し(相違点1)

前記第1のトランジスタは,前記発光素子を駆動するための駆動トランジスタであり,前記第2のトランジスタは,前記駆動トランジスタのオン/オフをスイッチするためのスイッチングトランジスタであり,前記駆動トランジスタは,ソース領域からドレイン領域にかけての半導体層が,前記スイッチングトランジスタのソース領域からドレイン領域にかけての半導体層よりも大きい抵抗値を有し(相違点2)

前記駆動トランジスタは,前記半導体層に対するゲート電極と,前記半導体層における前記ゲート電極の両側に形成された高濃度ソース/ドレイン領域と,前記ゲート電極と前記ドレイン領域との間に設けられるオフセット領域とを具備し,

 前記オフセット領域が,前記高濃度ソース/ドレイン領域と同一の導電形を有する低濃度不純物が全体としてまたは部分的にドープされた低濃度不純物領域または不純物がドープされていない真性領域からなる高抵抗領域である(相違点3)

ことを特徴とするフラットパネルディスプレイ。

 

・審決の要旨

《1》刊行物1に記載の引用発明における電流制御用TFT602が導通した時の電流値を小さくする技術手段として,引用発明におけるチャネル長(L)を長めに設計する技術手段に代えて,刊行物2,3に記載の周知の技術手段を採用し,相違点3に係る構成と為すことに格別の困難性は認められない。

《2》引用発明の電流制御用TFT602およびスイッチング用TFT601について、相違点1,相違点2に係る構成と為すことに困難性は無い。

《3》本願発明が奏する作用効果は,引用発明と周知の技術手段とに基づいて,当業者が予測しうる程度のものである。

刊行物1(特開2001-345179号,甲1)

刊行物2(特開2002-50761号,甲2)

刊行物3(特開2000-294787号,甲3)

・取消事由:本件発明の進歩性に係る判断の誤り

《1》取消事由1:刊行物2及び3についての認定の誤り

《2》取消事由2:相違点3の判断の誤り

 

【裁判所の判断】

第5 当裁判所の判断

1 取消事由1(刊行物2及び3についての認定の誤り)について

(1) 本願発明(略)

(2) 引用発明(略)

(3) オフセット領域の目的について

刊行物2及び3,特開平9-219525号公報(乙2),特開平10-189998号公報(乙3)には,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低いと電気抵抗が高いため,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなることが記載されており,かかる技術的事項は技術常識であると認められる。

そうすると,刊行物2及び3の記載は,いずれもオフセット領域によってオン電流を減らすことを積極的に使うという内容はなく,むしろそうなるのを避けることを説いているとしても,その記載は,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低いと電気抵抗が高いため,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなるという技術常識を背景としているから,そこには上記周知の技術的事項が示されていると理解することができる。したがって,この点において,「(相違点3)」が周知の技術手段であるとした審決の認定に誤りはない。

(4) トランジスタの使い方の違いについて

薄膜トランジスタのドレイン電圧と薄膜トランジスタに流れるドレイン電流との特性曲線から,(中略),ドレイン電流が略一定になる。

そこで,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおける前記(3)の技術的事項と,薄膜トランジスタの動作領域との関係について検討するにオフセット領域を具備した薄膜トランジスタが,線形領域(非飽和領域)と飽和領域のいずれで動作する場合でも,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流の経路に不純物濃度が低く電気抵抗が高い上記オフセット領域が存在すると,ドレイン電流はオフセット領域による影響を受けるから,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べてドレイン電流が小さくなるこのことは,技術常識ということができ,刊行物2(甲2)の表1(3)及び(4)の測定結果からも推認できるものである。すなわち、(中略),ドレイン電圧の絶対値の大小に関係なく,LDD部分(オフセット領域)の不純物濃度が低いほど,すなわちLDD部分(オフセ薄膜ット領域)が高抵抗であるほど,トランジスタを流れるドレイン電流の絶対値が減少することが見て取れる。

そして,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低いと電気抵抗が高いため,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなるという前記(3)の技術的事項が,薄膜トランジスタが飽和領域で動作しているのか否かに関係なく生じるものである以上,トランジスタが飽和領域又は非飽和領域のいずれで使われるかの違いを根拠に,審決が認定した周知の技術手段の組合せ判断に誤りがあるとすることはできない

(5) 以上によれば,審決が刊行物2及び3から周知の技術手段を認定した点につき,原告の主張する誤りはなく,取消事由1 は理由がない。

 

2 取消事由2(相違点3の判断の誤りについて)

(1) 刊行物1の段落【0069】,【0070】の記載によれば,引用発明の「電

流制御用TFT602」は,「過剰な電流が流れて前記EL素子603が劣化しないよう,そのチャネル長(L)が長めに設計され,電流値が小さく設定されている」ものである。

そして,前記のとおり,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタ,すなわち「(相違点3の)」薄膜トランジスタにおいて,オフセット領域の不純物濃度が低く電気抵抗が高いと,オフセット領域のない薄膜トランジスタと比べて,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が小さくなることは,刊行物2及び3,乙2及び3にもみられるように,本件優先日前,当該技術分野では周知の技術的事項である。

そうすると,過剰な電流が流れて「EL素子603」(本願発明の「発光素子」に相当。)が劣化しないよう,「電流制御用TFT602」(本願発明の「第1のトランジスタ」に相当。)に流れる電流値が小さく設定される引用発明において,上記「電流制御用TFT602」を,「そのチャネル長(L)が長めに設計され」た構成に代えて,「(相違点3)」である構成を採用したとしても,上記「電流制御用TFT602」に流れる電流値を小さく設定できることは,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおける上記周知の技術的事項を適用することにより,当業者が容易に想到し得たものということができる

また,前記のとおり,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタが,線形領域(非飽和領域)と飽和領域のいずれで動作する場合でも,薄膜トランジスタを流れるドレイン電流が制限されることは,当業者には自明であるから,引用発明に上記周知の技術的事項を適用して引用発明における「電流制御用TFT602」を構成した際に,「電流制御用TFT602」を線形領域(非飽和領域)と飽和領域のいずれで動作させるかは,当業者が必要に応じて適宜選択し得たものであることも明らかであって,このように認めることをもって後知恵とするのは相当でない

加えて,引用発明に,オフセット領域を具備した薄膜トランジスタにおける上記周知の技術的事項を適用する際に,オフセット領域の不純物濃度を調整することにより,「電流制御用TFT602」に流れる電流値を制御することができ,その結果,「EL素子603」の輝度を調整できることは,当業者であれば容易に認識し得たものであって,格別のものとはいえない

(2) LDD領域を設けることにより製品を製造するに際して工程数が増えることになるが,引用発明において,過剰な電流が流れて「EL素子603」が劣化しないよう「電流制御用TFT602」に流れる電流値を小さくする場合に考えられる複数の選択枝について,そのメリット,デメリットをそれぞれ検討して,所定の選択枝を採用することは,当業者が適宜なし得るものと認めるのに支障はない。そして,引用発明における「電流制御用TFT602」に流れる電流値を小さくするために,引用発明に前記周知の技術的事項を適用して,「電流制御用TFT602」にオフセット領域を設けるに際しての「電流制御用TFT602」の製造における工程数の増加は,「オフセット領域」を形成する不純物の添加工程が加わる程度のことであることからすれば,引用発明に前記周知の技術的事項を適用することの阻害要因になるとはいえない

(3) 原告は,本願発明においては開口率を高めることができるという効果を有するところ,審決はかかる引用発明とは異質の効果を看過していると主張する。

しかし,引用発明に,甲2,甲3,乙2及び乙3にみられる周知の技術的事項を適用して,「EL素子603」(本願発明の「発光素子」に相当。)を駆動する「電流制御用TFT602」(本願発明の「第1のトランジスタ」に相当。)にオフセット領域を具備する構成とし,「電流制御用TFT602」を流れるドレイン電流を制限する際に,オフセット領域を具備した上記「電流制御用TFT602」は,「オフセット領域」をゲート電極のドレイン側の側面の直下から「高濃度ドレイン領域」にかけて形成することで,チャネル長(L)が長めに設計された上記「電流制御用TFT602」よりも小さくして,オフセット領域のない薄膜トランジスタに比べて格別の違いがないようにできることは,当業者には自明の事項である。

そして,有機EL表示装置において,駆動トランジスタなどのTFTのサイズを大きくしないことは,開口率を減少させないことにほかならないから,引用発明に上記周知の技術的事項を適用した際,上記「電流制御用TFT602」のサイズを大きくしないことで,開口率を向上できることは,当業者には容易に予測し得たことであり、格別の効果ということはできない

 

【所感】

本件では、刊行物に記載されている周知技術の利用が積極的であるか消極的であるかは、その周知技術を引用発明に組み合わせることの阻害要因にならないことが判示されている。本件発明は、駆動トランジスタにオフセット領域を設けてドレイン電流を積極的に調整するものであるのに対して、刊行物2,3の発明は、オフ電流低減や高耐圧化を目的としてオフセット領域を設けた場合にドレイン電流が低下してしまうという問題を解決するためのものである。そのため、原告の心情も理解できなくもないが、裁判所の判断は妥当であろう。