キレート剤事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-侵害系
判決日 2010.12.16
事件番号 H21(ワ)3409
発明の名称 ジチオカルバミン酸系キレート剤の安定化方法(特許第4116107号)
キーワード 特許法第104条の3第1項
事案の内容 原告が、被告方法の使用の差止め、および、実施料相当額の損害賠償を求めた事案である。原告の請求はいずれも棄却された。
本件発明は、進歩性欠如の無効理由があることが明らかであるから、本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものであり、特許法104条の3第1項により本件特許権の行使をすることはできない、と判示された点がポイント。

事案の内容

【原告の特許権】
<本件発明の構成要件の分節>
A:モノジチオカルバミン酸塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤において,
B:該水溶液のpHを13以上に保持することを特徴とする
C:ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法。

<本件訂正発明の構成要件の分節>
A1:ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩又はジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤において,
B1:該水溶液の保存時におけるpHを13以上に保持することを特徴とする,
C1:二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の安定化方法。

 

【被告方法】(方法目録からの抜粋)
a:ジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤において,
b:該水溶液の製造時または製造終了後にアルカリを加え,保存時における該水溶液のpHを13以上に維持する
c:二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制するジエチルジチオカルバミン酸カリウム塩の重金属固定剤の安定化方法。

 

【主な争点】
(1)本件特許は,特許無効審判により無効にされるべきものか。
ア 本件発明は進歩性を欠くか(争点1-1)
(2)本件訂正により,争点(1)の無効理由が回避されるか。
ア 本件訂正発明は進歩性を欠くか(争点2-1)

 

 

【裁判所の判断】
1 第2の1「争いのない事実等」(7)に記載のとおり,被告方法は本件発明の技術的範囲に含まれると認められる(なお,この点については,当事者間に争いはない。)。
(略)
ところで,本件特許については,その無効審判事件(無効2009-800082号)において,本件訂正の請求がされており,同訂正はいまだ確定していない状況にある。このような場合において,特許法104条の3第1項所定の「当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるとき」とは,当該特許についての訂正審判請求又は訂正請求に係る訂正が将来認められ,訂正の効力が確定したときにおいても,当該特許が無効審判により無効とされるべきものと認められるか否かによって判断すべきものと解するのが相当である。
したがって,原告は,被告が,訂正前の特許請求の範囲の請求項について無効理由があると主張するのに対し,
《1》当該請求項について訂正審判請求又は訂正請求をしたこと,
《2》当該訂正が特許法126条又は134条の2所定の訂正要件を充たすこと,
《3》当該訂正により,当該請求項について無効の抗弁で主張された無効理由が解消すること,
《4》被告製品が訂正後の請求項の技術的範囲に属すること,
を主張立証することができ,被告は,これに対し,訂正後の請求項に係る特許につき無効事由があることを主張立証することができるというべきである。
本件においても,原告及び被告は,本件訂正について,上記に沿った主張をしており,第2の1「争いのない事実等」(4)記載のとおり,原告は本件訂正に係る請求をしたこと(上記《1》),本件訂正は特許法126条,134条の2所定の訂正要件を充たすものであること(上記《2》)が認められ,また,同(8)記載のとおり,被告方法は,本件訂正発明の技術的範囲に含まれるもの(上記《4》)と認められる(なお,この点については,当事者間に争いはない。)。
そこで,以下,本件訂正により,本件特許の特許請求の範囲請求項1について無効の抗弁で主張された無効理由が解消するか否か(上記《3》)について判断する。

 

2 争点2-1(本件訂正発明は進歩性を欠くか)について
(1)被告は,本件訂正発明は,《1》乙2公報(注:特開昭53-22172)で開示された発明に乙5文献(注:「ジチオカルバミン酸の安定性に関する研究」,Talanta,1969,vol.16,1099頁ないし1102頁)に開示された技術,並びに出願前公知文献等(乙20,21,23ないし25)を組み合わせることにより,あるいは,《2》乙2公報で開示された発明に乙5文献及び乙7文献に開示された技術,並びに出願前公知文献等(乙20,21,23ないし25)を組み合わせることにより,当業者において容易に想到することができたものであると主張する。

(3)本件訂正発明と乙2発明との対比
ア 一致点
本件訂正発明と乙2発明とは,「ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤」(構成要件A1),との点で一致する。
イ 相違点
(ア)本件訂正発明が「該水溶液の保存時におけるpHを13以上に保持すること」(構成要件B1)との構成を有するのに対し,乙2発明はこのような構成を有しないこと(相違点1)
(イ)本件訂正発明が「ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤の二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制する安定化方法」(構成要件C1)であるのに対し,乙2発明は「ジチオカルバミン酸塩系重金属固定剤」であって,「二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制する安定化方法」ではないこと(相違点2)

(4)相違点についての検討
オ 乙2発明,すなわち,無害化処理剤(ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を使用する無害化処理剤)は,有害金属を含む産業廃棄物に加えられるものであるから,無害化処理に使用されるまで,安定に保存されるものでなければならないことは,当業者にとって自明の課題であるということができる。

そして,n-Bu DTCなどのジチオカルバミン酸は弱酸性,あるいはアルカリ性の溶液中でのみ安定すること(乙5),ジチオカルバミン酸塩水溶液は,pHが高いほど二硫化炭素への分解が抑制され安定であると推測されること(乙7),カルバミン酸系イオウ化合物液体キレート(pH約11~12)は,使用時(酸性物質が混入されると,すなわち,pH値が下がると)において,硫化水素ガスが少々発生することが指摘されており,他方,ピロリジン系イオウ化合物液体キレート(pH約11~12)は,使用時に酸性物質が混入されても,硫化水素などの有毒ガスの発生は全くなく,他の液体キレートとは異なり,使用に際して,H2S,H2,COガス等が発生しないことから安全性が高いと考えられていたこと(乙20。なお,キレートが硫黄分を多く含むためにpH調整剤と直接混ざるとpHが酸性側に移行しH2Sを発生する危険性があることは,乙13の159頁左欄20行ないし22行の記載からも窺われる事項である。)は,本件発明の出願当時公知であったから,当業者において,乙2発明(ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤)を,無害化処理に使用するまでの間,そのpHを高いpHに保持し,二硫化炭素及び硫化水素を含む有毒ガスの発生を抑制して安定化すること(構成要件C1)は,適宜行う範囲内のことであったといえる(なお,ごみ焼却場から発生し補集された飛灰や洗煙排水中に含まれる有害な重金属類を不溶化させて分離除去したり,溶出を防止するためなどに重金属処理剤として使用される「ジチオカルバミン酸塩水溶液」自体の安定のため,水素イオン濃度調整が行われることがあることは,乙4の【0015】の記載,乙6の2頁左上欄16行ないし19行の記載,同3頁右上欄4行ないし7行の記載からも窺われる事項である。)。

また,乙2発明(ジブチルジチオカルバミン酸ナトリウム塩が溶解してなる水溶液を主成分とする重金属固定剤)を安定化するに際し,該水溶液のpHを13以上とすること(構成要件B1)は特段困難なことではないということができる(乙25文献には,重金属固定剤のpHは,「pH11~12」,「pH9~10」,「pH12~13」と製品によって様々であり,当該製品に好適なpHであれば足りることが開示されており,当
業者において,乙2発明のpHを適宜13以上とすることに阻害要因があったとは認められない。)。

カ なお,本件明細書における実施例1,2に係る第1表,実施例3,4に係る第2表によれば,硫化水素の発生量は,pH11.9で既に「<0.9(ppm)」であり,pH13以上の場合と異ならないこと,二硫化炭
素の発生量はpHが高くなるにつれて,漸次減少しているにすぎないことから,本件訂正発明におけるpHの下限値である「pH13」(構成要件B1)に,臨界的意義があると認めることはできない。この点は,原告による実験の結果(甲18)においても,同様である。
また,以上によれば,本件訂正発明により奏される効果は,乙2発明,公知技術(乙5文献,乙7文献,乙20文献及び乙25文献)から当業者が予測し得る範囲内のものである。

キ 以上によれば,本件特許の出願当時,当業者において,乙2発明に乙5文献,乙7文献,乙20文献及び乙25文献に開示された公知技術を組み合わせることにより,本件訂正発明に容易に想到し得たものと認められる。

(6)以上のとおり,本件訂正発明は,出願前公知刊行物の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであって,進歩性欠如の無効理由が認められる。
そうすると,本件発明も,本件訂正発明と同様に進歩性欠如の無効理由があることが明らかであるから,本件特許は,特許法29条2項に違反して特許されたものであって,本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものであるから,特許法104条の3第1項により,原告は,被告に対し,本件特許権の行使をすることはできないというべきである。

 

3 結論
よって,原告の本訴請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がないから,いずれも棄却することとして,主文のとおり判決する。

 

 

【感想】
本件は、被告によって無効理由の抗弁(特許法第104条の3第1項)が主張された侵害訴訟において、原告が訂正請求を行った際のその後の手続の流れが再確認できる事件である。

※キレート(出典:wikipedia)
化学においてキレート (英: chelate) とは、複数の配位座を持つ配位子(多座配位子)による金属イオンへの結合(配位)をいう。このようにしてできている錯体をキレート錯体と呼ぶ。キレート錯体は配位子が複数の配位座を持っているために、配位している物質から分離しにくい。これをキレート効果という。原子の立体構造によって生じた隙間に金属を挟む姿から、ギリシャ語の「蟹のハサミ」(chele )に由来する。