エネルギー硬化型フレキソ印刷液体インクによるウェットトラッピングの方法事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2012.05.31
事件番号 H23(行ケ)10208
担当部 第3部
発明の名称 エネルギー硬化型フレキソ印刷液体インクによるウェットトラッピングの方法および装置
キーワード 進歩性
事案の内容 拒絶査定不服審判の請求棄却審決に対する取消訴訟であり、審決が維持された事案。
本事案は、ウェットトラップを採用することに関連した記載等のない引用発明によってウェットトラップ印刷法に関する本件発明の進歩性が否定できるか否かがポイントである。

事案の内容

(1)本件は、拒絶査定不服審判における請求不成立の審決に対し、これを不服とする原告が、その取消を求め、当該審決が取り消された事案である。

 

(2)本願の特許請求の範囲における請求項4の記載は以下の通りである。なお、以下の請求項4の記載には、便宜上、適宜改行を挿入するとともに、引用発明との相違点として認定された箇所に下線を付してある。

 

[請求項4]

 複数の重なり合ったインク層を被印刷体に順次的に塗布する装置であり,以下を含む装置:

被印刷体の経路および,前記被印刷体を前記経路に沿って移送する被印刷体ドライブ;

前記経路に沿って位置する,複数のインク付けステーション,

ここで当該インク付けステーションは,希釈剤を含み粘度が周囲条件下で4000cps以下のインクを,前述の被印刷体に塗布するように適合されている;

前記経路に沿った前記被印刷体の移送を制御するコントロールシステム,

ここで前記一番目のインク層から前記希釈剤の一部が蒸発することにより,前記インク付けステーションで前記被印刷体に塗布された一番目の液体インク層の粘度が増加し,前記被印刷体が前記インク付けステーション間を移行する際,前記一番目のインク付けステーションから間隔を置いて位置する次のインク付けステーションにおいて前記一番目のインク層上に塗布される前記二番目の液体インクをウェットトラップするように,一番目のインクの粘度が二番目のインクの粘度よりも高くされる。

※なお、以下では、後段の下線箇所の構成を便宜上、「構成A」と呼ぶ。

 

(3)審決では、本願発明は、当業者が、引用例(特開平7-156361号公報)に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができた、と認定された。

審決では、本願発明と引用発明との一致点・相違点の認定にあたり、以下の点を相違点として認定された。

(相違点1)引用発明では、複数のインク層が重なり合ったものであるか不明

(相違点2)引用発明では、構成Aを有しているか不明

また、審決では、相違点1については、2種類のインクが重なり合う箇所を有する画像を印刷することは設計事項にすぎないと認定された。相違点2については、引用発明においてインクが重なり合うように印刷する場合には、構成Aのようにインクの粘度が変化することは明らかである、と認定された。

 

(4)これに対して、本判決では、原告が主張した取消事由2(本願発明に係る容易想到性判断の誤り)について理由があると判示された。

 

【裁判所の判断】

ア 本願発明は,ウェットトラップ印刷法に関して,従来,これによって生じる課題(色の汚濁の防止,印刷時間の長期化の防止等)の解決を目的としたものであり,その要件として,…構成A…を含んでいる。

これに対して,引用発明は,段ボールシートに,特性の異なる複数種類のインキで印刷ができる印刷装置に関するものである。…中略…引用発明は,上記の課題(注:粘度の低い速乾性のインキと粘度の高いインキのそれぞれの問題点)を解決するため,使用するインキのタイプの異なる印刷ユニットを複数並べ,夫々印刷ユニットによる印刷の長所を生かして,べた刷りも,細線印刷も美しく仕上げることのできる印刷装置に関する発明である。そして,引用発明は,課題解決の手段として,種類の異なる複数基の印刷ユニットが,段ボールシートSの移行路に沿って配備され,少なくとも1基の印刷ユニットは,インキ供給用ロール列の上流側ロールに対してインキ供給装置を配備し,下流側のロールを版胴に接して配備し,少なくとも別の1基の印刷ユニットは,表面全体に微細な凹凸を形成した主ロールを版胴に接触して配置し,該主ロールに対向して補助ロールを接触配備し,両ロール間にインキを補給するインキ補給装置を具える構成としたものである。

引用例を検討すると,引用例には,上流側の1基目の印刷ユニットにより形成された画像と,これに続く2基目の印刷ユニットにより形成された画像とが重なり合うことを前提とした記載や示唆はなく,したがって,上流側の1基目の印刷ユニットと2基目の印刷ユニットによる印刷がウェットトラップ印刷法による旨の記載や示唆はない。

また,引用例には,本願発明の…構成A…に係る記載や示唆はない。

さらに,ウェットトラップを利用して印刷するためには,印刷されたインクとその上に印刷されるインクとの間において一定程度の粘度差のあることが必要であるが,引用例には,印刷ユニット間において一定程度の粘度差が生ずることも,そのような粘度差を生じさせるための工程についても記載又は示唆はない。

以上のとおり,引用発明は,粘度の異なるインクの印刷ユニットを複数並べ,それぞれの印刷ユニットの長所を生かして,べた刷りも,細線印刷も美しく仕上げることのできる印刷装置を提供するものであるが,それらのインクを重ね刷りすることを前提としたものではなく,重ね刷りによる課題(色の汚濁の防止,印刷時間の長期化の防止等)の解決を目的としたものでもない。引用例には,重ね刷りによる印刷工程の促進を目指して開発されたウェットトラップ(甲2の段落【0004】)を採用することに関連した記載,及びウェットトラップを実施した際に生じる課題解決に関連した記載はない。

そうすると,本願発明の相違点に係る…構成A…について,当業者が引用発明に基づいて,容易に発明をすることができたものということはできない。

イ これに対し,被告は,《1》引用発明において,複数のインク層を前のインクが乾燥してから印刷する必然性はない,《2》引用発明がウェットトラップを利用しないものとはいえないなどと主張する。

しかし,被告の主張は採用できない。すなわち,引用例において,インクが未乾燥の状態でガイドローラと接触するとの記載はない。仮に,被印刷体を移送するローラが乾燥していないインクを有する印刷面に接触する技術が周知であったとしても,そのことから直ちに,引用例においてウェットトラップ印刷法を採用すること,同印刷法を採用した場合に生じ得る解決課題及び解決方法が記載,示唆されていると解することはできない。

また,仮に,ウェットトラップ印刷法が,本願優先日前における技術常識であったとしても,上記アのとおり,引用発明においては,インクを重ね刷りすることを前提としておらず,重ね刷りによる解決課題(色の汚濁の防止,印刷時間の長期化の防止等)を目的としたものではないから,引用発明からウェットトラップ印刷法を採用する動機付けは生じない。

したがって,引用発明が,ウェットトラップの利用を前提としたものとは認められず,当業者において,引用発明から,ウェットトラップすることを前提として,本願発明における相違点に係る構成に至ることが容易であるとはいえない。

ウ 以上のとおり,本願発明は,当業者が,引用発明に基づいて容易に発明をすることができたとする審決の判断には誤りがある。

 

【所感】

裁判所の判断では、引用発明の課題に即して引用発明の技術的思想が認定されており、その判断は妥当であると考える。ただし、本件において審決が覆された大きな理由は、審査段階で挙げられた引例が本件発明の進歩性を否定するのには適当ではなかったためであるように思われる。

なお、本事案における「裁判所の判断」は、典型的な進歩性の判断が示されており、実務においても、拒絶応答の際の参考に資することができると思う。