ウイルス感染症およびその他の内科疾患を治療するための化合物、組成物、および方法

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2015.10.13
事件番号 H27(行ケ)10021
担当部 第2部
発明の名称 ウイルス感染症およびその他の内科疾患を治療するための化合物、組成物、および方法
キーワード 併用医薬の実施可能要件
事案の内容 拒絶査定不服審判の不成立審決に対する取消訴訟であり、請求が棄却された事案である。
本願発明の構成により本願所定の効果が得られることが、本願明細書の記載に基づいても不明であって、実施可能要件を満たさないとして、サポート要件に関しては判断することなく、請求には理由が無いとされた点がポイント。

事案の内容

【特許請求の範囲】
[請求項1]
 薬理学的に有効な量の下記の構造を有する化合物または医薬上許容可能されるその塩(裁判所注:以下,下線部分を「HDP-CDV又はその塩」ともいう。)と,少なくとも1つの免疫抑制剤とを含む,ウイルス感染を治療するための医薬組成物であって,前記ウイルス感染は,アデノウイルス,オルソポックスウイルス,HIV,B型肝炎ウイルス,C型肝炎ウイルス,サイトメガロウイルス,単純ヘルペスウイルス1型,単純ヘルペスウイルス2型又はパピローマウイルス感染である,医薬組成物。
【化1】
化学式
【裁判所の判断】
1 本願発明について
本願発明は,上記課題を解決するための手段として,脂質含有プロドラッグを,脂質成分の代謝又は分解を最小に抑えて生物学的利用能の増加を引き起こす化合物であるバイオエンハンサー(生物学的利用能エンハンサー。以下単に「エンハンサー」ということがある。)と組み合わせて投与することとし,具体的には,本件補正により,上記の「脂質含有プロドラッグとエンハンサーとの組合せ」として,「HDP-CDVと免疫抑制剤との組合せ」を選択し,それを所定のウイルス感染を治療するための組成物として用いたものである(【0016】,【0059】,【0060】,補正後の請求項1)。これにより,医薬物質の改善された生物学的利用能,血液中の医薬物質の増加した濃度,疾患及び障害を治療するために必要とされる薬物の用量の減少,及びそれらの薬物に関連する副作用の減少という効果を奏する(【0016】)。
このように,本願発明は,「HDP-CDVと免疫抑制剤との組合せ」を選択し,それを所定のウイルス感染を治療するための組成物として用いる医薬の用途発明であって,抗ウイルス化合物であるシドフォビルの脂質含有プロドラッグとして既に知られていたHDP-CDVに対し,免疫抑制剤をエンハンサーとして併用することにより,HDP-CDVの生物学的利用能を増強させ,より良い治療効果を奏する組成物とすることを技術的特徴とするものと認められる。

2 取消事由1(実施可能要件の判断の誤り)について
(1) 特許法36条4項1号は,明細書の発明の詳細な説明の記載は,「その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したもの」でなければならないと定めるところ,この規定にいう「実施」とは,物の発明においては,当該発明にかかる物の生産,使用等をいうものであるから,実施可能要件を満たすためには,明細書の発明の詳細な説明の記載は,当業者が当該発明に係る物を生産し,使用することができる程度のものでなければならない。
そして,医薬の用途発明においては,一般に,物質名,化学構造等が示されることのみによっては,当該用途の有用性及びそのための当該医薬の有効量を予測することは困難であり,当該医薬を当該用途に使用することができないから,医薬用途発明において実施可能要件を満たすためには,本願明細書の発明の詳細な説明は,その医薬を製造することができるだけでなく,出願時の技術常識に照らして,医薬としての有用性を当業者が理解できるように記載される必要がある。
本願発明は,前記1において述べたように,抗ウイルス化合物であるシドフォビルの脂質含有プロドラッグとして公知のHDP-CDVに対し,免疫抑制剤をエンハンサーとして併用することにより,HDP-CDVの生物学的利用能を増強させ,より良い治療効果を奏する組成物とすることを技術的特徴とすることに照らせば,本願発明について医薬としての有用性があるというためには,HDP-CDVと免疫抑制剤を併用すると,HDP-CDVの生物学的利用能が増強されるだけでなく,HDP-CDVを単独で用いた場合に比べて,ウイルス感染の治療効果が向上することが必要であると解するのが相当である。
(2) 原告は,審決が,当業者の本願明細書の詳細な説明の理解を検討するに際し,「抗ウイルス剤であるところのHDP-CDV又はその塩と『免疫抑制剤』は,一般的には,互いに相反する作用を有するものといえることを考慮すると,HDP-CDV又はその塩と免疫抑制剤を併せて投与した場合に十分な治療効果が得られるとは認められない。」としたことは誤りであると主張するので,まず,免疫抑制剤とウイルス感染症に関する本願出願日当時の技術常識について検討する。

イ 以上にあるとおり,免疫抑制剤は,臓器移植における拒絶反応を抑制するために主に用いられているところ,免疫抑制剤を投与するとウイルスなどに対する生体防御機構である免疫が抑制されてしまうために,感染症が起こりやすくなるという副作用があること(乙4,5),及び,免疫抑制剤を投与された移植患者におけるサイトメガロウイルス疾患などの感染症を予防・治療するために,ガンシクロビルやシドフォビルなどの抗ウイルス薬が投与されていること(甲7,8)が記載されている。
したがって,本願出願日当時において,免疫抑制剤を投与すると,免疫を抑制してしまうために,サイトメガロウイルスなどのウイルス感染症が起こりやすくなることは技術常識であったと認められる。
ウ そうすると,本願出願日当時において,ウイルス感染症を発症している患者に,免疫抑制剤を投与すると,患者に備わっている免疫が抑制され,ウイルス感染症が悪化する懸念を抱くことは,当業者にとって極めて自然なことであった。
以上によれば,本願明細書の発明の詳細な説明において,上記のような技術常識の存在にもかかわらず,本願発明が医薬としての有用性を有すること,すなわち,HDP-CDVと免疫抑制剤を併用すると,HDP-CDVの生物学的利用能が増強されるだけでなく,HDP-CDVを単独で用いた場合に比べて,ウイルス感染の治療効果が向上することを,当業者が理解できるように記載する必要があるというべきである。
(3) そこで,本願明細書の発明の詳細な説明におけるHDP-CDV並びにエンハンサー及び免疫抑制剤に関する記載について検討すると,以下のとおりである。
前記1(1)のとおり,本願明細書の発明の詳細な説明には,脂質含有プロドラッグとして,HDP-CDVが使用できること(【0029】,【0034】),及び,エンハンサーとして,シトクロムP450 3A酵素(CYP3A酵素)の阻害剤又は基質,あるいは,P糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤が使用できること(【0016】~【0018】,【0062】,【0066】,【0075】)が記載されている。また,シトクロムP450 3A酵素の基質として免疫抑制剤(シクロスポリン,FK-506,ラパマイシン)が,また,P糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤としてシクロスポリンが例示され(【0010】,【0067】,【0068】の表1,【0070】),エンハンサーとして適切な化合物を選択するために,酵素阻害を測定するなどの試験を行うことができることが記載されている(【0061】,【0077】)。
このように,脂質含有プロドラッグは,シトクロムP450 3A酵素の阻害剤又は基質,P糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤をエンハンサーとして併用すると生物学的利用能が向上すること,シクロスポリンを含む免役抑制剤の一部がシトクロムP450 3A酵素(CYP3A酵素)の阻害剤又は基質となり,また,シクロスポリンがP糖タンパク質-媒介性膜輸送の阻害剤となることが記載されており,脂質含有プロドラッグとエンハンサーの組合せとして,本願発明のようにHDPCDVと免疫抑制剤との組合せを選択した場合にも,免疫抑制剤は,HDP-CDVの生物学的利用能を向上させる役割を果たすことについて一応の示唆がある。
しかし,本願明細書の発明の詳細な説明には,【0136】以下において,実施例1~12が示されているところ,HDP-CDVあるいはその上位概念である抗ウイルス化合物と,特定の「免疫抑制剤」を併用した事例についての記載は,生体内(インビボ)における実験だけでなく,生体外(インビトロ)における実験についても一切記載されていない。前記のとおり,表1において,エンハンサーとして使用できる薬物として,抗不整脈や抗鬱薬などの種々の薬物と並んで免疫抑制剤が記載されているのみであって,免疫抑制剤によりHDP-CDVの生物学的利用能がどの程度向上するのかは具体的に確認されておらず,また,免疫抑制剤にはウイルス感染症を悪化させるという技術常識があることを念頭においた説明(例えば,免疫抑制作用によるウイルス感染症の悪化が生じない程度のエンハンサーとしての免疫抑制剤の用量など。)もないから,HDP-CDVと免疫抑制剤を投与すると,免疫抑制作用によるウイルス感染症の悪化が生じてエンハンサーとしての作用を減殺してしまい,HDP-CDV自体が有するウイルス感染治療作用を損なうという疑念が生じるものといわざるを得ない。
そうすると,本願明細書の発明の詳細な説明の記載から,ウイルス感染症を発症している患者に対してHDP-CDVと共に免疫抑制剤を投与すると,HDP-CDVの生物学的利用能が増強されることを当業者が理解することが可能であったとしても,上記の技術常識に照らすと,それと同時に,免疫抑制剤の利用により免疫が抑制されて感染症が悪化することが懸念されることから,HDP-CDVと免疫抑制剤を併用した場合には,HDP-CDVを単独で用いる場合に比べてウイルス感染の治療効果が向上するか否かは不明であるというほかなく,当業者が本願発明に医薬としての有用性があることを合理的に理解することは困難である。
したがって,本願明細書の発明の詳細な説明の記載は,本願出願日当時の技術常識に照らして,当業者が,本願発明の医薬としての有用性があることを理解できるように記載されていないから,実施可能要件を充足するということはできない。

【解説・感想】
 医薬、特に、公知の医薬の組み合わせに係る併用医薬の特許において、具体的に効果を示す実施例(実験例)が必要であることは当然のように思われる。

薬剤の併用の実施可能要件に関して判断した判例としては、例えば以下のものがある。
1.H23(行ケ)10146~7『医薬(糖尿病併用薬)』
2.H24(行ケ)10071『処方した人の脳シチジンレベルを上昇させる薬を調合するためのウリジンの使用方法及び同薬として使用する組成物』

1の判決:
併用投与の実施例が記載されておらず、製造方法の具体的な記載もなかったが、出願当時の技術常識に基づいて当業者が製造できるとして、実施可能要件を満たすと判断した。ただし、異なる作用機序によって同様の効果を示す公知の2種の薬剤の併用に係る発明であったため、「併用投与により相乗効果が発生するか否かについての予測は困難といえるものの、・・少なくとも相加的効果が得られることまでは当然に想定する」として進歩性を否定した。
2の判決:
(a)成分が有効であることは記載されているが、(a)成分と(b)成分を組合せた場合、および、(b)成分単独で効果があることを示す実験結果は記載されていない。そのため、(a)(b)2成分の組合せが有効であるという属性が記載されていないとして、実施可能要件を満たさないとされた。

 以上より、併用医薬に係る特許では、双方の薬剤の効果が併用による効果と同種であれば、製造できる程度の記載によって実施可能要件は満たすと考えられる。(ただし、この場合には進歩性が認められ難くなる。)これ以外の場合には、併用による効果を示す実施例がないと、当該効果を示すことが理解できないとして実施可能要件違反と判断される可能性が高いと考えられる。
以上