アミノレブリン酸リン酸塩審決取消請求事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2023.03.22
担当部 R4(行ケ)10091
発明の名称 5-アミノレブリン酸リン酸塩、その製造方法及びその用途
キーワード 引用発明の認定
事案の内容 本件は、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消訴訟であり、原告の請求が棄却された事例である。引用文献に記載された化合物が、本願発明の新規性を否定しないと判断された。

事案の内容

【事件の経緯】
平成17年2月25日 出願
平成21年12月4日 設定登録
令和3年9月13日 原告による特許無効審判の請求
令和4年7月15日 請求棄却
令和4年8月23日 本件訴提起
 
【本願発明】
【請求項1】
下記一般式(1)
HOCOCH2CH2COCH2NH2・HOP(O)(OR1)n(OH)2-n (1)
(式中、R1は、水素原子又は炭素数1~18のアルキル基を示し;nは0~2の整数を示す。)で表される5-アミノレブリン酸リン酸塩。
 
 以下、下線は筆者が付した。
 
第2・特許庁における手続きの経緯等
3.本件審決の理由の要旨
(2)引用発明の認定
本件審決が認定した引用発明は、次のとおりである。
「1、2-プロピレングリコールおよびグリセリン中の5-ALAの10%(質量%/容積%)溶液」
(3)本件発明と引用発明との一致点及び相違点の認定
本件審決が認定した本件発明と引用発明との一致点及び相違点は、次のとおりである。なお、「5-ALA」が「5-アミノレブリン酸」を意味することは技術常識であり、この点について当事者間に争いはない。
ア 一致点
「5-アミノレブリン酸に関する物」である点。
イ 相違点
本件発明は、「下記一般式(1)HOCOCH2CH2COCH2NH2・HOP(O)(OR1)n(OH)2-n(1)(式中、R1は、水素原子又は炭素数1~18のアルキル基を示し;nは0~2の整数を示す。)で表される5-アミノレブリン酸リン酸塩」であるのに対して、引用発明は「1、2-プロピレングリコールおよびグリセリン中の5-ALAの10%(質量%/容積%)溶液」である点。
 
第3 当事者の主張
〔原告の主張〕
本件発明は、特許請求の範囲における一般式(1)中のnが0の場合には、弱塩基である5-アミノレブリン酸と強酸であるリン酸とが中和して生じた5-アミノレブリン酸リン酸塩であるところ、以下のとおり、引用文献には5-ALAホスフェート(5-ALAホスフェートが5-アミノレブリン酸リン酸塩と同義であることは技術常識であり、この点について当事者間に争いはない。)が記載されており、これを引用発明として認定することができるから、本件発明は、この範囲において引用発明と同一である。
したがって、本件発明と引用発明との一致点及び相違点の認定に係る本件審決
の判断は誤りである。
 
1 引用文献には5-ALAホスフェートが記載されていること
(1)引用文献の段落【0012】には、特に有利な作用物質の例として「5-アミノレブリン酸またはその塩またはエステル」と記載され、複数列挙されている5-アミノレブリン酸の塩の「有利な例」の一つとして「5-ALAホスフェート」と明記されている。
そして、上記段落に22個の物質が列挙されているからといって、5-ALAホスフェートを引用発明として認定することができないわけではなく、また、引用文献の実施例として5-アミノレブリン酸塩酸塩の記載があるからといって、上記の有利な例が5-ALAホスフェートであることが否定されるものではない。
 
2 当業者は技術常識に基づいて製造方法を理解することができること
(1)甲17ないし19の各文献(以下「甲17文献」ないし「甲19文献」という。)において、5-アミノレブリン酸単体は光合成細菌の変異株を用いて量産することができることが明示されているように、本件優先日当時、5-アミノレブリン酸単体の製造方法は周知であり、5-アミノレブリン酸単体の製造も入手も可能であったといえる。
(2)また、本件優先日当時、5-アミノレブリン酸をリン酸溶液に溶解すれば、弱塩基と強酸の組合せとなり、5-アミノレブリン酸リン酸塩を得ることができることは技術常識であった。
(3)以上のとおり、本件優先日当時の当業者は、生産方法が確立されている5-アミノレブリン酸単体及びリン酸溶液を用いて、容易に5-アミノレブリン酸リン酸塩を得ることができたものであり、引用文献に5-ALAホスフェートの製造方法が記載されていなくとも、極めて容易にその製造方法を理解し得たものといえる。したがって、引用文献の記載から、5-ALAホスフェートを引用発明として認定することができる。
 
〔被告の主張〕
1 引用文献の記載について
(1)化学物質発明が「刊行物に記載された発明」であるといえるためには、①物質の構成が開示されていること、取り分け、刊行物に多数の選択肢が列挙されている場合には、特定の選択肢に係る技術的思想を積極的あるいは優先的に選択すべき事情が存在することが必要である。また、②当該刊行物において、当業者が当該物質の製造方法を理解し得る程度の記載があること、又は、③製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には、刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見出すことができることも必要である。
(2)そして、引用文献には、5-ALAホスフェートの製造方法に関する記載が全く存しない上、本件明細書等に「5-アミノレブリン酸は塩酸塩としてのみ製造法が知られて」いた(段落【0003】)と記載されているとおり、5-ALAホスフェートの製造方法は本件優先日前に知られていなかったものであり、引用文献に接した当業者が、本件優先日時点の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見出すことができると認められる事情は存しないから、上記②及び③の要件をいずれも満たさない。
(3)また、引用文献に記載された5-ALAホスフェートは、引用文献の段落【0012】において塩及びエステルとして多数列挙された物質の一例にすぎず、特に有利な例として挙げられているわけでもなく、上記段落に多数列挙された物質の中から5-ALAホスフェートを積極的あるいは優先的に選択すべき事情は存しないから、上記①の要件を満たさない。
(4)以上のとおり、引用文献から5-ALAホスフェートを引用発明として認
定することはできない。
 
第4 当裁判所の判断
2 引用発明について
(1)引用文献の記載
引用文献には、別紙2「引用文献の記載」のとおりの記載がある(甲2)。
(2)引用文献における5-ALAホスフェートの記載
ア 上記(1)のとおりの引用文献の請求項1及び2に係る特許請求の範囲の記載によれば、引用文献には、「誘導体が5-ALAの塩およびエステルから選択される」「非水性液体中に溶解または分散した5-アミノレブリン酸および/またはその誘導体を含有する組成物」の発明が記載されているものといえる。
また、上記(1)によれば、引用文献の段落【0012】には、引用文献の組成物が5-アミノレブリン酸の誘導体を作用物質として含有する旨、この作用物質として「5-アミノレブリン酸またはその塩またはエステル」が特に有利である旨が記載された上で、この「塩またはエステル」の有利な例として22種類の化合物が挙げられ、その中に「5-ALAホスフェート」が記載されている。
イ 以上の記載内容によれば、引用文献には、化合物である5-ALAホスフェートが記載されているものといえる。
(3)5-ALAホスフェートを引用発明として認定することの可否
ア判断基準
(ア) 特許法29条1項は、同項3号の「特許出願前に・・・頒布された刊行物に記載された発明」については特許を受けることができないと規定するものであるところ、上記「刊行物」に「物の発明」が記載されているというためには、同刊行物に当該物の発明の構成が開示されていることを要することはいうまでもないが、発明が技術的思想の創作であること(同法2条1項参照)にかんがみれば、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその技術的思想を実施し得る程度に、当該発明の技術的思想が開示されていることを要するものというべきである。特に、当該物が新規の化学物質である場合には、新規の化学物質は製造方法その他の入手方法を見出すことが困難であることが少なくないから、刊行物にその技術的思想が開示されているというためには、一般に、当該物質の構成が開示されていることに止まらず、その製造方法を理解し得る程度の記載があることを要するというべきである。そして、刊行物に製造方法を理解し得る程度の記載がない場合には、当該刊行物に接した当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、特許出願時の技術常識に基づいてその製造方法その他の入手方法を見いだすことができることが必要であるというべきである。
(イ) 以上を前提として検討するに、5-ALAホスフェートは新規の化合物であるところ、上記(2)のとおり、引用文献には、化合物である5-ALAホスフェートが記載されているといえるものの、その製造方法に関する記載は見当たらない(甲2)。したがって、5-ALAホスフェートを引用発明として認定するためには、引用文献に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたといえることが必要である。
 
ウ 検討
(ア) 原告は、甲17文献ないし甲19文献の記載からすれば、本件優先日当時、5-アミノレブリン酸単体の製造方法は周知であった上、5-アミノレブリン酸をリン酸溶液に溶解すれば、弱塩基と強酸の組合せとなり、5-アミノレブリン酸リン酸塩を得ることができることは技術常識であったことからすれば、本件優先日当時の当業者は、極めて容易に5-ALAホスフェートの製造方法を理解し得たものといえる旨主張する(前記第3〔原告の主張〕2)。
そこで検討するに、上記イ(ア)及び(ウ)のとおり、確かに、甲17文献及び甲19文献には、乙1文献(上山宏輝ほか「光合成細菌変異株による5-アミノレブリン酸の工業的生産」(生物工学会誌第78巻第2号48ないし55頁、2000年発行))を引用しつつ、「ALA生産が確立されている」、「ALAの産生に成功した」、「発酵の下流では、イオン交換樹脂を使用するALA精製プロセスも確立されて」いるなどと記載されている。しかしながら、乙1文献には、「発酵液からのALAの精製」の項において、ALAが塩基性水溶液中では非常に不安定であり、種々の検討の結果、5-アミノレブリン酸塩酸塩結晶を得るプロセスを確立することに成功した旨が記載されているにすぎない(54頁左欄12行目ないし20行目)。そうすると、甲17文献及び甲19文献においては、細菌を培養して発酵液中にALA(5-アミノレブリン酸)を産生させる技術は開示されているものの、5-アミノレブリン酸単体を得る技術は開示されていないというべきである。
また、上記イ(イ)のとおりの甲18文献の記載によれば、同文献においては、発酵液中に培地成分と混合した状態で存在するALAの濃度が開示されているにすぎない。そうすると、甲18文献においても、5-アミノレブリン酸単体を得る技術は開示されていないというべきである。以上のとおり、甲17文献ないし甲19文献において、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が開示されているとはいえない。これに加え、前記(1)のとおり、引用文献においても「5-ALAは・・・化学的にきわめて不安定な物質である」、「5-ALAHClの酸性水溶液のみが充分に安定であると示される」と記載されているとおり(段落【0007】)、これらの事項が本件優先日当時の技術常識であったと認められることも考慮すると、本件優先日当時において、5-アミノレブリン酸単体を得る技術が周知であったとは認められない。
 
エ 小括
以上によれば、引用文献に接した本件優先日当時の当業者が、思考や試行錯誤等の創作能力を発揮するまでもなく、本件優先日当時の技術常識に基づいて、5-ALAホスフェートの製造方法その他の入手方法を見いだすことができたとはいえない。したがって、引用文献から5-ALAホスフェートを引用発明として認定することはできない。
 
【所感】
 本判例は、知財高裁 平成21年(行ケ)第10180号等において示された、刊行物に記載されたその発明を「引用発明」とするかの判断基準を改めて認識させる判例といえる。
 化学分野においては、刊行物に多数の化学物質名や構造が列挙されている刊行物が多々見受けられ、その化学物質が出願時の技術常識に基づいて当業者が容易に製造または入手可能ではなかったと照明することは、困難な場合もあると考えられる(知財高裁 平成17年(行ケ) 10630参照)。
 5-アミノレブリン酸リン酸塩は機能性成分としてよく知られており、原告が提出する刊行物によっては、願時の技術常識に基づいて当業者が容易に製造または入手可能と判断された可能性もある。
 化学物質の出願について新規性、進歩性を問われることになった場合、参考になる判例の一つだと思われる。