保温シート事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2020.11.05
事件番号 R01(行ケ)10165
担当部 知財高裁第3部
発明の名称 保温シート
キーワード 新規事項の追加

事案の内容

【ポイント】
「通気性及び通水性が確保され且つ透光性を有する不織布又は織布からなるカバー体」との補正につき、明細書に「透光性を有する」とは記載されていなかったが、織布又は不織布に遮光性能を付与するために,特殊な製法又は素材を用いたり,特殊な加工を施したりするなどの方法が採られていたことから、このような特殊な製法又は素材が用いられていない織布又は不織布は遮光性能を有しないということもまた,技術常識であり、遮光性能を有しないということは,入射する光を遮らずに透過させること,すなわち上記の意味における「透光性」を有することを意味することとなる、と判断された。
 
【経緯】
出願 2014年12月15日(特願2014-252662、優先日2014年12月4日)
拒絶理由通知 2017年5月18日⇒手続補正 2017年7月21日
拒絶理由通知 2017年10月30日⇒手続補正 2018年3月7日(5月16日却下)
拒絶査定 2018年7月25日
拒絶査定不服審判・補正 2018年10月26日(不服2018-14256)
拒絶理由通知 2019年6月27日⇒手続補正 2019年8月29日
拒絶審決 2019年10月23日⇒審決取消訴訟 2019年12月5日
 
補正後の【請求項1】
 人又はその他の動物である生体の表面の保温を行う保温シートであって,
 フレキシブルに変更可能なシート状の基材と,
 通気性及び通水性が確保され且つ透光性を有する不織布又は織布からなるカバー体とを備え,
 前記基材における生体側の面に断熱材を含浸又は塗布することにより断熱面を形成し,
 前記断熱材は,中空ビーズ構造であって且つ10~50μmの粒径を有するアルミノ珪酸ソーダガラスと,顔料としての二酸化チタンとを含み,
前記アルミノ珪酸ソーダガラスの含有量は,前記断熱材の全重量の10~20重量%であり,
前記カバー体によって基材の断熱面をカバーし,
前記カバー体は,上記断熱面に面状に密着された状態で接着され,
前記カバー体は,生体側からの輻射熱を通すことによって,前記アルミノ珪酸ソーダガラスが遠赤外線を放射する温度まで該アルミノ珪酸ソーダガラスを温めるとともに,該アルミノ珪酸ソーダガラスから放射された遠赤外線が生体側に達するように構成されたことを特徴とする保温シート。
【審決の要旨】
 請求項1を「通気性及び通水性が確保され且つ透光性を有する不織布又は織布からなるカバー体とを備え,」とするなどの補正(以下「本件補正」という。)につき,このカバー体(以下「本件カバー体」という。)が「透光性」を有することは,本件出願に係る願書に最初に添付された明細書,特許請求の範囲又は図面(以下「本件当初明細書等」という。)には明示的に記載されておらず,また,本件当初明細書等の記載から自明な事項であるとはいえないから,本件補正は,本件当初明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において新たな技術的事項を導入するものであり,特許法17条の2第3項に規定する要件を満たすものではない。
【裁判所の判断】
2 本件補正の適否について
(1) 前記第2の2のとおり,本願発明に係る特許請求の範囲については,本件出願時には「通気性が確保された不織布又は織布からなるカバー体」と記載されていたものが,本件補正後には「通気性及び通水性が確保され且つ透光性を有する不織布又は織布からなるカバー体」へと記載が変更されたものであり,本件カバー体につき,「通水性」及び「透光性」を有する旨の記載が追加されたものといえる。
 そして,上記1のとおり,本件当初明細書等には,本件カバー体が通水性を有する旨の記載(【0035】)は存するものの,「透光性を有する」との事項に対応する明示的な記載は存しない。
 そこで,本件カバー体が「透光性を有する」との事項が,本件当初明細書等の記載から自明な事項であるといえるか否かについて,以下,検討する。
(2) 工業分野一般において,透光性とは,物質を光が透過して他面から出ることをいう(JIS工業用語大辞典第5版(乙1))ところ,本願発明の技術分野における「透光性」の用語が,これと異なる意味を有するものとみるべき事情は存しない。
 そうすると,本件カバー体が「透光性を有する」とは,本件カバー体が光を透過させて他面から出す性質を有することを意味するものといえる。
(3) 次に,上記1のとおり,本件カバー体は織布又は不織布から構成されるところ,本件出願時における織布又は不織布の透光性に関する技術常識について検討する。
 証拠(甲23,24)及び弁論の全趣旨によれば,本件出願よりも前の時点において,遮光カーテンの生地に遮光性能を付与するために,有彩色の生地に黒色の生地を重ねて二重にする,有彩色の糸と共に黒色の糸を使用して生地を製造する,黒色顔料を配合した塗料を生地に塗布積層する,黒色顔料を配合したプラスチックフイルムを生地に張り合わせるなどの方法が採られていたことが認められる。また,証拠(乙4,10)及び弁論の全趣旨によれば,本件出願よりも前の時点において,織布である樹木の萌芽抑制シートの遮光性を高めるために,糸材にカーボン粉末が練り込まれた黒色糸を使用する方法が採られたり,織布又は不織布である野生動物侵入防止用資材の遮光率を高めるために,繊維間又は糸条間の間隔を小さくして光を通しにくくする方法が採られたりしていたことが認められる。
 このように,本件出願よりも前の時点において,織布又は不織布に遮光性能を付与するために,特殊な製法又は素材を用いたり,特殊な加工を施したりするなどの方法が採られていたことからすれば,本件出願時において,織布又は不織布に遮光性を付与するためにはこのような特別な方法を採る必要があるということは技術常識であったといえる。そうすると,このような特別な方法が採られていない織布又は不織布は遮光性能を有しないということもまた,技術常識であったとみるのが相当である。
 そして,繊維分野において,遮光性能とは,入射する光を遮る性能をいう(「JISハンドブック 31 繊維」(乙8))から,遮光性能を有しないということは,入射する光を遮らずに透過させること,すなわち上記(2)の意味における「透光性」を有することを意味することとなる。
 以上検討したところによれば,織布又は不織布について遮光性能を付与するための特別な方法が採られていなければ,当該織布又は不織布は透光性を有するということが,本件出願時における織布又は不織布の透光性に関する技術常識であったとみるのが相当である。
(4) 以上を前提として,本件カバー体が「透光性を有する」との事項が,本件当初明細書等の記載から自明な事項であるといえるか否かについて検討する。
 上記(3)によれば,本件出願時における当業者は,織布又は不織布について遮光性能を付与するための特別な方法が採られていなければ,当該織布又は不織布は透光性を有するものであると当然に理解するものといえる。
 そして,上記1のとおり,本件当初明細書等には,織布又は不織布から構成される本件カバー体につき,遮光性能を有する旨や遮光性能を付与するための特別な方法が採られている旨の明示的な記載は存せず,かえって,本件カバー体が通気性や通水性を有する旨の記載(【0035】)や,本件カバー体の表面の少なくとも一部は本件カバー体を構成する材料がそのまま露出し,通気性や通水性を妨げる顔料やその他の層が形成されていない旨の記載(【0036】)が存するところである。
 このような本件当初明細書等の記載内容からすれば,当業者は,本件カバー体を構成する織布又は不織布について,特殊な製法又は素材を用いたり,特殊な加工が施されたりするなど,遮光性能を付与するための特別な方法は採られていないと理解するのが通常であるというべきである。
 そうすると,本件当初明細書等に接した当業者は,本件カバー体は透光性を有するものであると当然に理解するものといえるから,本件カバー体が「透光性を有する」という事項は,本件当初明細書等の記載内容から自明な事項であるというべきである。
(5) 以上によれば,本件補正は,本件当初明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入するものではなく,本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものといえるから,特許法17条の2第3項の要件を満たすものと認められる。
3 被告の主張について ~略~
4 結論
 以上によれば,本件審決が,本件補正について,新たな技術的事項を追加するものであり,特許法17条の2第3項に反するものであると判断した点には誤りがあるから,原告が主張する取消事由は,理由がある。
 よって,原告の請求は,理由があるからこれを認容することとして,主文のとおり判決する。
 
【所感】
 本件では、最初の拒絶理由通知に対する応答で「透光性を有する」が追加されているが、拒絶査定がされるまでの間に新規事項の追加は、拒絶理由として通知されておらず、審判で初めて指摘された。段落0035、0036の記載を読めば、判決は、妥当であるとも考えられる。しかし、「織布又は不織布に遮光性を付与するためにはこのような特別な方法を採る必要があるということは技術常識」であるとすれば、「透光性を有する」ことは、補正せずに意見書・審判請求書等で主張すればよかったと思われる。明細書に「透光性を有する」ことについて明示の記載がない以上、「透光性を有する」という内容を加える補正は、新規事項の追加として拒絶・拒絶審決がされる危険性があり、今回は、実際に拒絶審決がされた。この拒絶審決は裁判で取り消されたが、代理人としては、新規事項の追加とされる危険性がある場合には、補正ではなく意見書で主張するにとどめておいた方がよかったように感じる。