ペリクル膜特許取消決定取消請求事件
事案の内容 |
本件は、特許異議申立てに係る特許取消決定の取り消しを求める審決等取消訴訟であり、新規性および進歩性の判断における相違点の認定に誤りがあるとして特許取消決定が取り消された事案である。 |
事案の内容
【手続の経緯】
平成29年 7月 3日 特許出願(優先日:平成28年7月5日、優先権主張国:日本国)
令和 2年10月21日 設定登録(請求項1~23)
令和 2年11月11日 特許掲載公報発行
令和 3年 4月23日 特許異議の申立て(請求項1~18)、令和3年5月7日 特許異議の申立て(請求項1~23)、および、令和3年5月11日 特許異議の申立て(請求項1~23)(異議2021-700369号)
令和 4年 8月 8日 取消決定通知
令和 4年11月11日 特許請求の範囲に係る訂正請求(本件訂正)
令和 5年 3月30日 本件訂正を認めた上で請求項1,3~18に係る特許取消決定(本件決定)
令和 5年 4月10日 決定謄本送達
令和 5年 5月 9日 本件決定の取消しを求める審決等取消訴訟提起
【特許請求の範囲】
本件訂正後の請求項1の記載は、下記の通りである。
(筆者注記:請求項1における下線は訂正箇所を示す。(1A)等の符号は筆者により付された。以下、本件訂正後の請求項1に係る発明のことを本件発明1と呼ぶ。)
【請求項1】
(1A)支持枠の開口部に張設される露光用ペリクル膜であって、前記ペリクル膜は、厚さが200nm以下であり、前記ペリクル膜は、カーボンナノチューブシートの自立膜であり、
(1B)前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成されるバンドルを備え、前記バンドルは径が100nm以下であり、
(1C)前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており、
(1D)下記条件式(1)を満たし、
(1G)前記カーボンナノチューブシートは、面内配向した前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有し、
(1H)前記カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下である、
(1I)露光用ペリクル膜。
(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比RBが0.40以上である。
【審決の概要】(筆者注記:以下の下線は重要箇所を示している)
<判断基準日について>
本件特許の優先権主張の基礎出願には、本件発明の構成要素であって記載されていないものがあるから、本件発明の特許出願には優先権の効果は認められず、新規性、進歩性、拡大先願等の判断基準日は、本件特許の出願日である2017年(平成29年)7月3日である。
<特許法113条2号の特許取消理由について>
本件発明1は、引用発明1との間に実質的な相違点はないため新規性欠如(特許法第29条第1項第3号)。また、本件発明1は、引用発明1及び周知技術に基づいて当業者が容易に発明できたものであるため進歩性欠如(特許法第29条第2項)。
なお、本レポートでは、引用文献2を主引用例とする進歩性の判断、引用文献3を主引用例とする進歩性の判断、および、拡大先願の判断については省略する。
(2) 本件発明1について
ア 本件発明1と引用発明1の一致点及び相違点について
[一致点]
「支持枠の開口部に張設される露光用ペリクル膜であって、
前記ペリクル膜は、カーボンナノチューブシートの自立膜であり、
前記カーボンナノチューブの径が0.8nm以上6nm以下である、
露光用ペリクル膜。」
[相違点1A]
カーボンナノチューブシートについて、本件発明1は「前記ペリクル膜は、厚さが200nm以下であり、」「前記カーボンナノチューブシートは複数のカーボンナノチューブから形成されるバンドルを備え、前記バンドルは径が100nm以下であり、前記カーボンナノチューブシート中で前記バンドルが面内配向しており、下記条件式(1)を満たし、前記バンドル同士が絡み合った網目構造を有し」「(1)カーボンナノチューブシートの断面の制限視野電子線回折像において、前記カーボンナノチューブのバンドルの三角格子に由来する前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の、回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける回折強度と、前記カーボンナノチューブシートの膜厚方向の前記ピークと重ならず、ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける回折強度との差を、前記膜厚方向の前記ベースラインとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度と、前記膜厚方向の回折強度のピークとなる逆格子ベクトルにおける前記カーボンナノチューブシートの面内方向の回折強度との差で除した比RBが0.40以上である」のに対し、引用発明1は、そのような構成か明らかでない点。
イ 相違点1Aが実質的なものであるかについて
相違点1Aは実質的なものではない。
RB0.40以上事項は、露光用ペリクル膜のバンドルが面内配向をしていることを特定しているものであるところ、引用発明1の「CNT」のバンドルも「複雑なネットワークを平面内に位置し」、面内配向をしている。
【裁判所の判断】
第4 当裁判所の判断
1 取消事由1、2(引用文献1に基づく新規性、進歩性の判断の誤り)について
原告らが取消事由1、2を通じて主張するところの眼目は、①引用文献1には「自立CNTペリクル膜」の発明が記載されているとはいえない、②引用発明1には本件発明のRB0.4以上事項の記載がないところ、これらに係る本件発明1との相違点は実質的なものであり、かつ、引用発明1にRB0.4以上事項を持ち込むことは容易想到ともいえないという2点に集約される。
当裁判所は、①に係る原告らの主張は採用できないが、②の主張は理由があるものと判断する。以下に詳説する。
(1) 引用文献1(甲1)の記載事項
引用文献1には以下の開示があるものと認められる。
ア 本発明は、保護膜として用いられる新規ペリクル膜を用いたEUVリソグラフィーイメージングに関するものである(1頁タイトル、要約)。
イ 反射型マスクでは、露光パワーはペリクルを2回通過すると減少する(1頁下から2~1行)。
EUVペリクルとしては、高い平均透過率と良好な透過均一性、高温負荷に耐え得ることが求められる(2頁18~29行)。
ウ 新規な低密度ベースのペリクルとして、SiNXプロセスフローのカーボンナノ材料(CNM)の統合に基づくものがある(7頁下から4~1行)。
シリコンウェハの両側に、SiNXの層を形成し、裏面は、四角形でパターン化されている。対象のカーボンナノ材料が試料の表側に堆積された後、シリコンを除去するために、裏面はKOH液でエッチング処理するが、同処理は試料の表面のSiNX層で選択的に止まる。その結果、独立したSiNX/CNM膜が作製される。
CNT膜は、多層CNT粉末をパラフィンワックス溶液中に分散させ溶液をSiNX上にスピンコート又はスプレーコートすることによって堆積された(8頁1~15行)。
エ CNT膜は約95%の透過率を達成することができた。そのSEM像は約50nmの厚さを示すが、ナノチューブの配置によって局所的な厚さのばらつきが大きい。ナノチューブ直径は~15nmである。多層ナノチューブであり、ナノチューブ層が3~4層からなることが示唆される(9頁9~24行)。
オ 安定した自立型CNT膜の製造が実際に可能なことが報告されている(甲18)(9頁下から4行~10頁2行)。
カ CNTの複雑なネットワークを平面内に位置する平行な管の集合に簡略化したペリクルモデル(2層から10層)を用い、管の直径や間隔を変えて計算することができた(10頁5~8行)。
キ このコーティング被膜は、SiNxを除去した後、完全に自立しているかもしれない(may be fully freestanding)(12頁7~8行)。(注・下線は原告の訳文。本件決定の訳文は「完全に自立していることができる。」)
ク 図14には、EUV+H2においてカーボンナノチューブを保護するMoでのPVDコーティング(同(a))、RuでのALDコーティングの模式図(同(b))が示され、後者は自立していることが把握される。
図14.EUV+H2においてカーボンナノチューブを保護する2種類のコーティング手法の模式図。(a)MoでのPVDコーティング、(b)RuでのALDコーティング。両方の場合とも、実験の堆積結果のSEM写真が右側に示されている。
(2) 引用文献1には「自立CNTペリクル膜」の記載があるか
上記(1)のとおり、引用文献1には、SiNxの影響を差し引いたCNT膜単体での透過率の計算がなされていること(9頁9~24行、図10)、RuコーティングされたCNT膜を作成した例(図14(b))において背面SiN膜をエッチング除去し自立膜とする技術も記載されていること、CNT自立膜自体は甲18等に記載された周知の技術であることに照らすと、上記(1)キの疑義のある記載の解釈に立ち入るまでもなく、当業者は、引用文献1からCNT自立膜の構成を認識することができるといえる。
原告らは、甲18記載の技術と引用文献1記載の技術とでは、自立膜の作製方法が異なる旨主張するが、引用発明1は物に係る発明であるから、その発明の新規性、進歩性に影響を及ぼすものとはいえない。
(3) RB0.4以上事項の有無は実質的相違点か
ア 本件決定が認定した本件発明1と引用発明1の相違点1A(別紙3「本件決定の理由」1(2)アの[相違点1A])の中には「引用発明1ではRB0.4以上事項の構成が明らかでない」点が含まれているところ、本件決定は、このRB0.4以上事項の有無に係る相違点は実質的な相違点ではないと判断した。
イ しかし、引用文献1には、RBの数値を特定する記載は一切なく、その示唆もない。また、CNT膜の面内配向性をRBによって特定すること自体も、引用文献1その他の出願時の文献に記載されていたと認めることはできず、技術常識であったということもできない。
ウ 本件決定の上記アの判断は、RBの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す旨の本件明細書等の記載(【0104】)から、本件発明1のRB0.4以上事項が、CNTのバンドルが面内配向していることを特定するものであり、引用発明1は面内配向しているものを想定しているから、RB0.4以上事項を満たすことになるとの理解に基づくものと解される。
しかし、本件発明1の特許請求の範囲に照らすと、CNTバンドルが面内配向しているという定性的構成(構成1C)と、RB0.4以上事項というパラメータによる定量的構成(構成1D)は独立の構成となっており、本件明細書の【0104】等の記載を踏まえても、引用発明1のCNTバンドルが面内配向の特性を有しているからといって、RB0.4以上事項を当然に満たすと判断することはできない。
エ 被告は、通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、膜厚、バンドル径及び自立性のいずれの観点においても、本件明細書等における比較例1よりは実施例1に相当程度似通っているといえる上、比較例1のRBの値(0.353)がRB0.4以上事項の下限である0.4に相当程度近いこと等を考慮すれば、比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、RB0.4以上事項を満たしている旨主張する。
しかし、被告の主張する「通常の発想のもとで、通常の性状のSWCNT及び通常用いられるプロセスで製造された」との薄膜自立無秩序SWCNTシートの製造方法や、当該薄膜自立無秩序SWCNTシートの「膜厚、バンドル径及び自立性」について具体的に特定する主張立証はされておらず、したがって、「比較例1よりも実施例1に相当程度似通っている薄膜自立無秩序SWCNTシート」の内容も明らかではないというよりほかない。
かえって、原告ら提出に係る甲40によれば、原告らが引用文献2記載の方法で作製したCNT自立膜(サンプル1、2)ではそれぞれRBが-0.38、-0.26であったのに対し、本件発明の完成当時に製造されたCNT自立膜では1.04だったのであり、薄膜自立無秩序SWCNTシートであれば、RB0.4以上事項を満たしているともいえない。
被告は、甲40について、①RB測定サンプルの保管が実際にどのような条件で行われていたか確認できず、サンプルの実在も確認できない、②本件明細書等に記載された実施例及び比較例と実験条件が異なる、③当該各RB測定サンプルは、特性が位置的にみて不均一となっている、④RB0.4以上事項を満たさないとされるサンプル1、2は一部破損がみられるから自立膜とみられないなどと論難するが、①については、サンプル1、2は平成29年4月の開発時に作製したものと推認され、②については、甲40は、「面内配向していてRBが0.4未満の膜が存在するかどうか」の点を検証する実験であるから本件明細書等の実施例及び比較例の条件によらねばならないものではない。また、③については、もともとRBの測定方法は局所的な断面に対するものであり、RB0.4以上事項は、少なくとも一つの断面で0.4未満以上となることを意味するのであるから、被告主張の点をもって甲40に基づく上記判断は左右されない。さらに、④については、甲40では、サンプル1、2について製造過程で一部破損があったとしても、自立膜となったものを測定しているのであるから、やはり被告の主張は採用できない。
(4) 以上のとおりであって、本件決定には、RB0.4以上事項を含む相違点1Aが実質的なものであることを看過し、引用発明1に基づき本件発明1、3~5が新規性を欠くとした誤りがあり、取消事由1は理由がある。
(中略)
6 結論
以上のとおり、取消事由1~5はいずれも理由があるから、本件決定中、請求項1、3~18に係る部分を取り消すこととし、主文のとおり判断する。
【所感】
特許異議申立ての審理では、本件明細書の「RBの値が、0.40以上では面内配向しており、0.40未満では面内配向していないことを表す」(段落0104)との記載から、CNT自立膜が面内配向しているならばCNT自立膜はRB0.4以上事項を満たすと認定されたと考えられる。しかしながら、CNT自立膜が面内配向しているならばCNT自立膜はRB0.4以上事項を満たすという証拠は示されていない。この点に関して、特許権者は、出願時の技術常識で作成したCNT自立膜ではRB0.4以上事項を満たしていなかったとの実験結果(甲40)を提出して争い、功を奏した。
審査官や審判官の認定を裏付ける証拠が示されていない場合には、認定を裏付ける証拠が示されていないと主張するだけでなく、可能であるならば本件のように認定を否定する客観的な証拠を示すことが有効であると考えられる。