うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2011.11.30
事件番号 H23(行ケ)10018
担当部 第3部
発明の名称 うっ血性心不全の治療へのカルバゾール化合物の利用
キーワード 進歩性
事案の内容 訂正審判請求を成り立たないとした審決の取消訴訟。原告主張の取消事由が認められ、特許庁の審決が取り消された。
本件発明は、引用発明と比較して、作用・効果が顕著である(同性質の効果が著しい)として容易想到でないと判示された点がポイント。

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【本件発明の要旨】

本件発明は、虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率を減少させるための薬剤の製造にカルベジロールを用いる、という用途発明。

※注1:虚血性のうっ血性心不全とは、冠動脈の閉塞や狭窄によって血管内の血流が停滞し、心臓の血液伯出が不十分となり、全身が必要とするだけの血液循環量を保てない状態となる病態。

※注2:カルベジロールとは、交感神経β受容体遮断薬(β遮断薬)の1つ。β遮断薬とは、交感神経のアドレナリン受容体のうち、β受容体のみに遮断作用を示す薬剤のこと。

 

<訂正後の請求項1>(以降、「訂正発明1」と呼ぶ。)

利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグランド療法を受けている哺乳類における虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率をクラスⅡからⅣの症状において同様に実質的に減少させる薬剤であって,低用量カルベジロールのチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤の製造のための,単独でのまたは1もしくは複数の別の治療薬と組み合わせたβ-アドレナリン受容体アンタゴニストとα-アドレナリン受容体アンタゴニストの両方である下記構造を有するカルベジロールの使用であって,前記治療薬がアンギオテンシン変換酵素阻害剤,利尿薬および強心配糖体から成る群より選ばれる,カルベジロールの使用。

 

【審決の判断】

(1) 訂正発明1は,本願の優先日前に頒布された刊行物記載の学術論文(以下「刊行物A」という。)に記載された発明(以下「刊行物A発明」という。)及び本願優先日における技術常識に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものである。

 

(2) 審決認定の刊行物A発明の内容,及び相違点

・刊行物A発明の内容

「利尿薬,アンギオテンシン変換酵素阻害剤および/またはジゴキシンでのバックグラウンド療法を受けている,非虚血性のうっ血性心不全患者であって,クラスⅡ又はⅢの患者を治療する薬剤として,カルベジロールを用量漸増段階の終了後少なくとも3ヵ月間投与すること。」

・訂正発明1と刊行物A発明との相違点

a 相違点1:訂正発明1では「低用量のチャレンジ期間を置いて6ヶ月以上投与される薬剤」であるのに対して,刊行物A発明では「用量漸増段階の終了後少なくとも3ヵ月間投与される薬剤」である点

b 相違点2:訂正発明1では「虚血性のうっ血性心不全に起因する死亡率を減少させる薬剤」としているのに対して,刊行物A発明では「非虚血性のうっ血性心不全の治療のための薬剤」としている点

 

【裁判所の判断】

1 顕著な作用効果を看過した誤り(取消事由4)について

当該発明が引用発明から容易想到であったか否かを判断するに当たっては,当該発明と引用発明とを対比して,当該発明の引用発明との相違点に係る構成を確定した上で,当業者において,引用発明及び他の公知発明とを組み合わせることによって,当該発明の引用発明との相違点に係る構成に到達することが容易であったか否かによって判断する。相違点に係る構成に到達することが容易であったと判断するに当たっては,当該発明と引用発明それぞれにおいて,解決しようとした課題内容,課題解決方法など技術的特徴における共通性等の観点から検討されることが一般であり,共通性等が認められるような場合には,当該発明の容易想到性が肯定される場合が多いといえる。他方,引用発明と対比して,当該発明の作用・効果が,顕著である(同性質の効果が著しい)場合とか,特異である(異なる性質の効果が認められる)場合には,そのような作用・効果が顕著又は特異である点は,当該発明が容易想到ではなかったとの結論を導く重要な判断要素となり得ると解するのが相当である。以下,上記の観点から,検討する。

 

(1) 事実認定

ア 訂正発明1について

訂正発明1は,第2の2記載のとおりである。訂正明細書の「発明の詳細な説明」には,以下のような記載がある(甲7)。

うっ血性心不全は心臓のポンプ機能の損傷の結果として起こり,この疾患は水とナトリウムの異常停留に関連づけられる。慣例的には,軽度の慢性不全の治療には,身体運動の制限,塩分の摂取の制限,および利尿薬の使用が含まれている。」(平成22年6月2日付け審判請求書(甲7)添付の訂正明細書の3頁21行目ないし24行目(以下,ページと行数のみ示す。))

また,うっ血性心不全は高死亡率を引き起こす周知の心臓障害である。Applefeld,M.M.,(1986)Am.J.Med.,80,Suppl.2B,73-77。従って,CHF(注:うっ血性心不全)患者においてCHFに起因する死亡率を減少させるであろう治療薬は非常に望ましい。」(3頁末行ないし4頁3行目)

最近,臨床実験において,二元性非選択的β-アドレナリン受容体およびα1-アドレナリン受容体アンタゴニストである医薬化合物,特に式Ⅰの化合物,好ましくはカルベジロールが,単独でまたは従来の薬剤(ACE(注:アンギオテンシン変換酵素)阻害剤,利尿薬および強心配糖体である)と併用して,CHFを治療するのに有効な薬剤であることが発見された。CHFの治療の際にカルベジロールのような薬剤を使用することは驚くべきことである。何故なら,一般に,β-遮断薬は望ましくない心臓機能低下作用を有することが知られているためにβ-遮断薬は心不全患者において禁忌であるからである。CHFを治療するためにこの化合物を使った実験からの最も驚くべき結果は,前記化合物,特にカルベジロールが,ヒトにおいてCHFに起因する死亡率を約67%減少させることができることである。更に,この結果はCHFの全分類および両方の病因(虚血性と非虚血性)にまたがって認められる。CHFの治療にβ-遮断薬であるメトプロロール(Waagstein他(1993)Lancet,342,1441-1446)とビソプロロール(CIBIS研究者と委員,(1994)Circulation,90,1765-1773)を使った最近の2つの死亡率研究では,薬剤治療患者と偽薬治療患者とで死亡率に全く差が示されなかったことから,この結果は驚くべきことである。」(7頁7行目ないし22行目)

訂正明細書の「発明の詳細な説明」中の「実験」には,以下のような記載がある(甲7)。

CHF患者における死亡率研究要約。β-アドレナリン作用の遮断が心不全(CHF)を有する生存者に対する交感神経系の有害作用を阻害することができるかどうかを調べるために,先を見越して1052人のCHF患者を・・・無作為に偽薬(プラシーボ)(PBO)またはカルベジロール(CRV)での6~12カ月の治療に割り当てた(二重盲目試験)。・・・登録から25カ月後,DSMBは生存者に対するCRVの好結果のためにプログラムの終結を勧めた。死亡率はPBOグループで8.2%であったがCRVグループではわずか2.9%であった・・・。これは,CRVによる死亡の危険性が67%減少することを意味する・・・。治療効果はクラスⅡとクラスⅢ~Ⅳの症状を有する患者とで同様であった。死亡率はクラスⅡ患者で5.9%から1.9%に減少し,68%の減少・・・,クラスⅢ~Ⅳ患者では11.0%から4.2%に減少し,67%の減少・・・であった。重要なのは,CRVの効果が虚血性心臓病・・・と非虚血性拡張型心筋症・・・において同様であったことである。」(11頁12行目ないし12頁4行目)

「このプログラムの全死亡率結果を表2に示す。治療目的期間中に起こった全ての死亡が含まれる。カルベジロールでの治療は全ての原因での死亡率の危険性を67%減少させた。」(14頁1行目ないし3行目)」(15頁)

 

(2) 判断

ア 刊行物Aとの対比

訂正発明1については,カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより,死亡率の危険性が67%減少する旨のデータが示されているこれに対し,刊行物Aには,カルベジロールは虚血性心不全である冠動脈疾患により引き起こされた心不全の患者の症状,運動耐容能,長期左心室機能を改善する点の示唆はあるものの,死亡率改善については何らの記載もない。また,刊行物Aには,カルベジロールを特発性拡張型心筋症により引き起こされた非虚血性心不全患者に対し,少なくとも3か月投与したところ,左心室収縮機能等の改善が認められたことが記載されているが,死亡率の低下について記載はない。

イ その他の公知文献との対比

本願優先日前,β遮断薬のほかACE阻害薬にも心不全に対する有用性が認められていた,そして,ACE阻害薬及びβ遮断薬の死亡率減少に対する効果に関する報告をみると,(1)ACE阻害薬であるエナラプリル駆出率が減少している慢性うっ血性心不全患者(虚血性と非虚血性を含む。)に投与したところ,死亡率のリスクが16%減少したこと(甲21の1文献),(2)重度うっ血性心不全(虚血性と非虚血性を含む。)の患者にエナラプリル(※注:ACE阻害薬)を投与したところ,試験終了時点(20か月)までで,死亡率が27%減少したこと(甲27),(3)心筋梗塞を発症した左室機能不全患者にACE阻害薬であるカプトプリルを投与したところ死亡率のリスクが19%減少したこと(甲21の2),(4)CIBIS試験では,β遮断薬であるビソプロロールを心不全患者(虚血性と非虚血性を含む。)に投与した場合の生存率の改善は実証されていないこと(甲20文献)が報告されている。

上記のとおり,本願優先日前,β遮断薬による虚血性心不全患者の死亡率の低下については,統計上有意の差は認められていなかったと解される。また,本願優先日前に報告されていたACE阻害薬の投与による虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率の減少は16ないし27%にすぎず,また,虚血性心不全患者の死亡率の低下は19%にすぎなかった。したがって,訂正発明1の前記効果,すなわち,カルベジロールを虚血性心不全患者に投与することにより死亡率の危険性を67%減少させる効果は,ACE阻害薬を投与した場合と対比しても,顕著な優位性を示している。

ウ 虚血性心不全と非虚血性心不全の治療効果の差異

虚血性心不全は冠動脈疾患を原因とする心不全であるのに対し,非虚血性心不全は冠動脈疾患以外の原因で発生する心不全であり,その発生原因が異なるため,生存率も異なり(虚血性心不全の方が非虚血性心不全より生存率が悪い。),薬剤投与の効果も異なるということが,本願優先日前の当業者の技術常識であったと認められる(甲6,37,38,40,41,45ないし47,51,52)。

甲20文献には,CIBIS試験のサブ群分析によると,心筋梗塞症(※注:心筋梗塞は虚血性心疾患のうちの一つ)の既往のある症例では,プラセボ(※注:偽薬)投与群とビソプロロール(※注:β遮断薬)投与群との死亡率には有意差がなかったが,心筋梗塞症の既往のない症例では,プラセボ(※注:偽薬)投与群の死亡率が22.5%であったのに対し,ビソプロロール(※注:偽薬)投与群の死亡率が12%であり,心筋梗塞症の既往の有無による死亡率の差は有意である旨の示唆がなされており,これによると,虚血性心不全患者にビソプロロール(※注:β遮断薬)を投与しても,非虚血性心不全患者に投与した場合と同様の死亡率減少効果は期待できない旨の示唆がなされていたといえる。

本願優先日前に頒布された刊行物である甲50には,左室駆出分画が20%以下の虚血性又は特発性の拡張型心筋症(※注:非虚血性心不全)患者にβ遮断薬であるメトプロロール又はプロプラノロールを投与したところ,統計上有意な差異とはいえないものの,平均駆出率(※注:心拍ごとに心臓が送り出す血液量(駆出量)を心臓が拡張したときの左室容積で除した値。心臓の機能評価のひとつ。)が,虚血性心筋症の患者の場合は2.0倍に,特発性拡張型心筋症(※注:非虚血性心不全)の患者の場合は2.4倍に増加したことが観察されたことが記載されており,また,本願優先日前に頒布された刊行物である甲51には,虚血性拡張型心筋症に起因する心不全を有する患者と特発性拡張型心筋症(※注:非虚血性心不全)に起因する心不全を有する患者に対し,β遮断薬であるブシンドロールを投与したところ,被験者集団全体では,左室駆出文画,左室径,左室充満圧,1回仕事係数,症状評価スコア及び中心静脈内ノルエピネフリン濃度について有意な改善が認められたが,虚血性心筋症患者のサブグループでは,統計学的に有意な改善が認められたのは左室径のみであったことから,「β遮断薬の投与下では,心筋症の種類によって,程度の異なる治療効果が得られる可能性がある。」という結論が導かれたことが記載されている

以上によると,前記のとおり,ACE阻害薬の投与により虚血性及び非虚血性を含めた心不全患者の死亡率が16ないし27%減少したという報告がなされていたとしても,虚血性心不全患者に限った場合,同程度の死亡率減少効果が認められると予測し得るとはいえない

以上のとおり,訂正発明1の構成を採用したことによる効果(死亡率を減少させるとの効果)は,訂正発明1の顕著な効果であると解することができる。訂正発明1は,カルベジロール(※注:β遮断薬)を虚血性心不全患者に投与することにより,死亡率の危険性を67%減少させる効果を得ることができる発明であり,訂正発明1における死亡率の危険性を67%減少させるとの上記効果は,「カルベジロール(※注:β遮断薬)を『非虚血性心不全患者』に少なくとも3か月間投与し,左心室収縮機能等を改善するという効果を奏する」との刊行物A発明からは,容易に想到することはできないと解すべきである。

オ 被告の主張に対して

この点,被告は,訂正発明1に係る特許請求の範囲において,「死亡率の減少」という効果に係る臨界的意義と関連する構成が記載されておらず,訂正発明1は,薬剤の使用態様としては,この分野で従来行われてきた治療のための使用態様と差異がなく,カルベジロールをうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与することと明確には区別できないことから,死亡率の減少は単なる発見にすぎないことを理由に,訂正発明1が容易想到であるとした審決の判断に,違法はない旨主張する。

しかし,被告の主張は,以下のとおり採用の限りでない。すなわち,特許法29条2項の容易想到性の有無の判断に当たって,特許請求の範囲に記載されていない限り,発明の作用,効果の顕著性等を考慮要素とすることが許されないものではない(この点は,例えば,遺伝子配列に係る発明の容易想到性の有無を判断するに当たって,特許請求の範囲には記載されず,発明の詳細な説明欄にのみ記載されている効果等を総合考慮することは,一般的に合理的な判断手法として許容されているところである。)。

また,カルベジロール(※注:β遮断薬)をうっ血性心不全患者に対して「治療」のために投与する例が従来から存在すること,及び「治療」目的と「死亡率減少」目的との間には,相互に共通する要素があり得ることは,原告主張に係る取消理由2の4に対する反論としては,成り立ち得ないではない。すなわち,「『死亡率の減少』との効果が存在することのみによって,直ちに当該発明が容易想到でないとはいえない」という限りにおいては,合理的な反論になり得るといえよう。しかし,被告の論旨は,原告主張に係る取消事由4(「死亡率の減少が予測を超えた顕著性を有する」)に対しては,有効な反論と評価することはできず,その点は,既に述べたとおりである

2 結論

以上のとおり,原告主張に係る取消事由4には理由があり,審決には,その結論に影響を及ぼす誤りがあることになるから,その余の点を判断するまでもなく,違法である。よって,原告の請求は理由があるから,主文のとおり判決する。

 

【所感】

意見書等で「作用効果が顕著である」という主張はよく行われるが、実際には、顕著な作用効果から「進歩性あり」判断されることは少ないと思われる。この点で、本裁判例は珍しいといえる。

私見では、訂正発明1の「死亡率をクラスⅡからⅣの症状において減少させる」という用途と、刊行物A発明の「クラスⅡ又はⅢの患者を治療する」という用途は異なるのではないかと思う。原告も取消理由2の4(判決文10ページ最下文)によりこれを主張している。この点については、「『死亡率の減少』との効果が存在することのみによって,直ちに当該発明が容易想到でないとはいえない」と判示されたのみで、詳細な判断はなされなかった。

 

※注:用途発明は、ある物の未知の属性を発見し、この属性により、当該物が新たな用途への使用に適することを見出したことに基づく発明