知財レポート
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- 知財判決例-審取(当事者系)
多角形断面線材用ダイス 審決取消請求事件
事件の概要
判決日 | 2025.02.27 |
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事件番号 | R6(行ケ)10013 |
担当部 | 知財高裁第2部 |
発明の名称 | 多角形断面線材用ダイス |
キーワード | 訂正要件(特許法134条の2第9項、126条5項)違反 |
事案の内容 | 本件は、無効審判事件において認められた訂正が再度の審決取消訴訟において「本件無効審判の請求は成り立たない」と認定された事案である。「略多角形」について数値の限定を行った訂正が、新たな技術的事項を導入するものとされた。 |
事案の内容
【事件の経緯】
平成27年9月6日 出願
平成28年11月4日 設定登録
平成29年5月12日 原告により特許異議の申立て
平成30年5月1日 訂正請求
平成31年1月30日 訂正が認められ、特許異議の申立てが却下
令和2年4月21日 特許無効審判の請求
令和4年1月20日 請求棄却
令和4年2月28日 審決取消訴訟提起
令和4年11月16日 審決の取消
令和5年1月11日 訂正請求
令和6年1月9日 訂正が認められ、無効審判の請求が却下
令和6年2月19日 本件審決取消訴訟提起
【本願発明】
【請求項1】
A 略円筒形形状をもつ引抜加工用ダイスを保持し前記引抜加工用ダイスの前記略円筒形形状の中心軸を中心として前記引抜加工用ダイスを回転させるダイスホルダーと、
B 内部に収納された潤滑剤が材料線材に塗布された後前記引抜加工用ダイスに前記材料線材が引き込まれるボックスと、を含む引抜加工機であって、
C-1 前記引抜加工用ダイスのベアリング部の開口部は略多角形の断面形状を有し、
C-2 前記略多角形は、基礎となる多角形の少なくとも1の角を少なくとも半径0.8㎜の曲率の円弧でつないだものに置き換えたものであり、
D 前記開口部の断面形状は前記材料線材の引抜方向に沿って同じであることを特徴とする引抜加工機
以下、下線は筆者が付した。
第4 当裁判所の判断
1 取消事由1(無効理由1〔訂正要件違反〕の判断の誤り)について
⑴ 本件訂正1等(訂正事項1及び訂正事項3から5まで)は、本件訂正前の本件発明1、7及び8の「略多角形」につきC-2事項「前記略多角形は、基礎となる多角形の少なくとも1の角を少なくとも半径0.8㎜の曲率の円弧でつないだものに置き換えたもの」を追加し、本件発明6の「曲線」につき「円弧」に置換するものであるところ、原告は、本件訂正1等は、新たな技術的事項を導入するものであるから、訂正要件(特許法134条の2第9項、126条5項)に適合しないと主張する。
⑵ そこで検討すると、特許無効審判における願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正の請求は、まず、特許法134条の2第1項ただし書各号に掲げる事項を目的とするものである必要がある。本件訂正1等は、本件訂正前の本件発明1、7及び8の「略多角形」を、前記の内容を追加することにより限定し、かつ、本件発明6の「曲線」を「円弧」に限定するものであるから、同項ただし書1号の「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものということができる。
⑶ 次に、この場合における訂正の請求は、「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内」においてしなければならない(特許法134条の2第9項、126条5項)。これは、出願当初から発明の開示が十分に行われるようにして、迅速な権利付与を担保するとともに、出願時に開示された発明の範囲を前提として行動した第三者が不測の不利益を被ることのないようにしたものと解される。「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは、当業者によって、明細書、特許請求の範囲又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項(以下、単に「当初技術的事項」という。)を意味すると解するのが相当であり、訂正が、当初技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものであるときは、当該訂正は「願書に添付した明細書、特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内」においてするものということができる。
(略)
⑸ 検討
ア 以上の本件明細書の記載によれば、本件各発明の内容は、次のとおりである。すなわち、棒状材、線材等の鋼材をダイスによって引抜き加工する際、線材Aに付着した粉状固形の潤滑剤が引抜き時におけるアプローチ部901aでの加工発熱により油膜となり、この油膜に粉状の潤滑剤が付着することで塊ができるが、この塊は引抜加工を連続するごとに肥大化し、材料線材A-1の表面への潤滑剤の供給が阻害され、結果として完成線材A-2の表面に傷を発生させることがある(【0015】)。そこで、本件各発明は、潤滑剤の塊の発生を極力防ぐことなどを目的とし(【0020】)、具体的には、引抜加工用ダイスと材料線材との間の空間において、粉状の潤滑剤が1か所に留まることを防ぎ、また、塊が発生した場合には、塊を脱落させやすくするため(【0038】【0039】【0047】)、従来の引抜加工用ダイス901では、棒材の角を直角にする目的で、ベアリング部901bの断面の2辺を加工することなくそのまま突き当てていたのに対し(【0054】【図3】【図6】)、本件各発明に関わる引抜加工用ダイス101のベアリング部101bでは、当該ベアリング部の開口部の断面形状(以下、単に「断面形状」という。)につき、図6で表した「基礎となる多角形断面」の「角」にあたる部分を円弧、すなわち曲線で結ぶように置き換えたものである。
具体的な実施例(以下「本件実施例」という。)では、1辺が4㎜の四角形断面の棒材を作成する場合、引抜加工用ダイス101のベアリング部101bの開口部の一つの「角」を半径0.8㎜程度の曲率の円弧(曲線)で結ぶものとし、これにより、当該「角」に溜まっていた潤滑剤の塊が1か所に固まりづらくなり(【0055】【図7】【図10】)、「基礎となる多角形断面」である四角形断面の4か所の「角」すべてを同様に処理すれば、すべての位置で潤滑剤が溜まりづらくなること(【0056】。なお、本件実施例においては、基礎となる多角形である四角形の「角」をつなぐ円弧は、曲率半径0.8㎜程度の円の円弧であり、かつ、当該円が開口部の角部を形成する二つの辺に内接するように角にあたる部分が円弧に置き換えられていることがうかがわれる(弁論の全趣旨)。)、四角形を含む多角形の全ての「角」をこのように丸めた形状とすれば、潤滑剤がたまる「角」がなくなり、結果として、このダイス101では円断面のダイスと同じような潤滑剤の挙動になり、潤滑剤の塊ができにくくなること(【0057】~【0059】、【0069】)が本件明細書に記載されている。
しかし、本件実施例における1辺の長さや曲率半径の各数値及びその組合せの技術的意義に係る記載又は示唆はなく、本件実施例の構成のみから、他の「略多角形」において具体的にどのように構成することになるのかを理解するに足りる記載や示唆も本件明細書には見当たらない。そうすると、本件明細書においては、引抜加工用ダイスの断面形状の略多角形の一つ以上の「角」を円弧に置き換えることにより、引抜加工用ダイスと材料線材との間の空間において、粉状の潤滑剤が1か所に留まることを防ぎ、また、塊が発生した場合には、塊を脱落させやすくするという技術思想(以下「本件技術思想」という。)が開示されているが、効果の発生機序・原理についての説明はなく、実施例としては、①引抜加工による完成線材が棒材であり、②棒材は四角形断面であり、③作成される棒材は1辺が4㎜である場合において、④ダイスの開口部の角を曲率半径0.8㎜程度の円弧で結ぶことにより「丸めた」形状としたときは、潤滑剤の塊ができにくくなることが開示されているにとどまる。本件実施例における「曲率半径0.8㎜程度の円弧」は、前記のとおり、角部を形成する二つの辺に内接する円の円弧であることがうかがわれるから、当該円弧に係る円の中心の位置は、内接円の中心の位置にあるものと考えられるが、本件実施例で採用された1辺の長さの数値(4mm)、円弧の曲率半径の数値(0.8mm 程度)及びこれらの組合せの技術的意義の有無及び効果の程度は不明である。
イ しかるところ、本件訂正前の本件発明1、7及び8の「略多角形」につき「前記略多角形は、基礎となる多角形の少なくとも1の角を少なくとも半径0.8㎜の曲率の円弧でつないだものに置き換えたもの」を追加するC-2事項は、断面形状である多角形の形状の種類や、その1辺の長さの程度にかかわらず、当該多角形の「角」を「少なくとも半径0.8㎜の曲率の円弧」に置換するとして、当該円弧の曲率半径を「最低0.8㎜」とするもので、かつ、当該円弧は内接円のものに限定されていない。しかし、前記のとおり、本件実施例で採用された円弧の曲率半径「0.8㎜程度」(0.8㎜及びその近傍の値を意味する。)という数値の技術的意義については、本件明細書には何ら記載されておらず、これを示唆するような記載もない。本件実施例は1辺の長さ4mm の略四角形で内接円の円弧で角を置き換えるものにすぎず、多角形の形状の種類や、その1辺の長さの程度、円弧の中心の位置にかかわらず、角を置き換える円弧の曲率半径の最低値を「0.8mm」とすることの技術的意義は、本件明細書には記載されていなかった事項である。また、C-2事項は、断面形状である基礎となる多角形の形状やその1辺の長さ、円弧の中心の位置について何ら特定・限定していないところ、本件実施例は、引抜加工対象の棒材が四角形断面であり、作成される棒材の1辺が4㎜であることを前提とするものであって、本件明細書には、本件実施例以外の実施例は掲げられておらず、本件実施例の各数値の組合せの技術的意義又は本件発明における効果の発生機序・原理についての一般的な説明もないのであるから、本件明細書には、本件技術思想は開示されていても、具体的な技術的事項として、本件実施例に開示された事項の範囲を超える事項は記載されていないというべきである。そうすると、C-2事項は、本件明細書の当初記載事項との関係で、新たな技術的事項を導入するものといわざるを得ない。
ウ そうすると、本件訂正1等を含む本件訂正は、本件明細書に記載した事
項の範囲内における訂正ということはできないというべきである。
第5 結論
よって、原告の請求は理由があるから、これを認容することとして、主文のとおり判決する。
【所感】
本件は特許庁と裁判所で訂正要件の評価が分かれており、明細書作成時には明確性やサポート要件を確保しつつも、訂正の余地を残すような明細書設計が望ましい。本件でいえば、具体的な実施例のみならず、効果が期待できる形や寸法等、適用対象の範囲を記載し、数値範囲を根拠とともに記載すべきであったと考えられる。
従属項において実施例どおりの狭い限定を確保しておくことも、訂正時の逃げ道確保に有効であると考えられる。