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素数の音楽

最近になって、やっと「素数の音楽」(マーカス・デュ・ソートイ、新潮社、2005年)という本を読み終えた。買ったのはもう15年も前。しばらくほっておいて、一年ほど前からぼつぼつと読んで来た。これは素数を巡る物語だ。素数に関してリーマン(1826-1866)が立てた予想、リーマン予想は100年を超えて未だ証明されていないのだから、リーマン予想を巡る本を読むのに15年かかっても問題はなかった。リーマン予想の正しかったことが証明されれば、数学の世界に素数が奏でる音楽は、より美しいものになる、今は、まだその音楽には一部が欠けている、と著者は言う。
この本は、素数という数学上の問題を扱っているが、数式はほとんど出てこない。それでいて、素数を巡るガウス(1777-1855)に始まる追究を、数学や物理の様々な分野との関連を示しながら、繙いてくれる。読むのに時間がかかったのは、本が大部(なにしろ470ページを越える)で持ち歩くにも向かないからというのが、一番の理由。加齢により視力が衰え、長時間読み続けることが難しくなったことも、時間がかかった理由だろう。更に、もうひとつ、この本は、数学の話をできるだけ数式を使わずに正確に説明しようとしているので、その式の部分が気になって、ウィキペディアなどで調べてみる、ということがあり、そちらに時間がかかってしまった。例えば、リーマン予想についてウィキペディアを見ると、リーマン予想の根幹に関わるリーマンゼータ関数が数式として示され、更に複素平面で描画される。その美しい、不思議な曲線に見とれて、時間が過ぎてしまう。
今年の夏は、7月が連日の雨、8月が猛暑、更に街には新型コロナウィルス、という状況だったので、週末を、寝転がってこの本を読むのに充てた。傍らにウィキペディアやウエブを見るためのiPadを置いて。もちろん、眠くなることも多い。そういうときは無理せずうたた寝する。素数の音楽を夢想しながら。
この本を読んでいると、数学という学問が、どういったらいいのか、直感に反しても数学的に矛盾を生じない新しい定義を工夫して、数学世界を押し広げていく、という運動そのものだと感じる。太古から人がものを数え上げるのに使ってきた整数が有り、小数が生まれ、零が発見され、負の数が使われ、無理数が見いだされ、虚数が定義される。ユークリッド幾何学があり、その公理と思われたものを見直して、非ユークリッド幾何学が生まれる。そのたびに、数学の地平線は確かに押し広げられる。
自分が工作して物を作るときに、角度と長さというのは、切り離せないから、三角関数を使って正弦を求めたり、平方根を求めたりすることはよくある。三角関数や平方の演算などは、一度理解すれば、使うことにさほどの困難はない。しかし最初にこれらの関係を見いだし、計算を工夫した数学者は、どれほどの跳躍をしたのだろう。それは文字通りの、知の冒険だったはずだ。
「素数の音楽」を読んでそんなことを思っていたら、将棋の藤井二冠が、詰め将棋を解くときに、頭に将棋盤を思い浮かべることはしない、詰め将棋は符号で解きます、と言っているという記事を読んだ。多くの棋士が、将棋盤を思い浮かべずに詰め将棋が解ける、というのが理解できない、とコメントしていたが、丁度、みんなが図形を描いて幾何学の問題を解いていたときに、一人、藤井二冠は、線分や曲線を方程式で表わして問題を解く解析幾何学のように、新しい将棋の数学を見つけつつあるのではないか、と思った。そうやって、誰もまだ踏んだことのない知の地平線を広げる人を、天才と呼ぶのだな、と妙に納得した。私が生きている間に、リーマン予想は証明されるだろうか。できれば、「証明された」というニュースを聞き、素数の音楽のフルオーケストラによる演奏を聴きたいものだ。[ T.S ]

 

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投稿日:2020年09月29日