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社会が維持するシステム

知的財産と呼ばれるものの一つに意匠権がある。意匠権とは、物品の美的外観の創作に与えられる独占権であり、今の言葉で言えば、要するに優れたデザインは権利として保護しましょうという制度だ。意匠を創作した人は、これを特許庁に出願すると、発明と同様に審査され、登録要件を満たせば意匠権として登録される。意匠として登録されるためには、新しい美的な創作である必要があり、出願しても、既に知られた意匠と同一または類似であるとして拒絶されることがある。
で、最近こんなことがあった。意匠の審査で、既に知られた意匠と類似するという拒絶理由の通知を受けた。既に知られた意匠として示されたもの(これを通常「引例」という)は昭和35年に登録になったもので、「ひな形」による登録だった。意匠は通常、物品の形状を表わした図面を作成し、これを願書に添付して出願するが、場合によっては、写真による出願やひな形(サンプル)による出願が認められている。
拒絶理由通知に記載の引例意匠の登録番号から取り寄せた意匠公報は、サンプルの写真の白黒の複写。図面じゃなくてサンプルで出願したということは、平面写真では、まして白黒の複写では意匠の本当の姿は分からない、ということだ。実際、その対象の物品がどういう形状をしているのかは、公報からは判然としてなかった。そこで、そのサンプルの現物を参照しようと言うことになった。
特許庁に電話して聞くと、サンプルは閲覧可能だという。ただ手続は、直接特許庁に出向く必要があった。そこで、こうした閲覧の複写サービスを代行してくれるところにお願いして、なんとか複数枚のカラー写真を手に入れた。そこに写っていたものは、やはり意匠公報からは知り得ない物品の形状だった。
しかし感想はそこではない。昭和35年というと、今から55年前のことだ。55年前に出願され、権利化された意匠はとっくに権利期間は過ぎている。意匠権による損害賠償請求などは、権利満了後でも可能だが、それにしても不当利得返還請求の期限も過ぎている。私の感じたものは、そんな登録意匠のサンプルが、未だに保管されている、と言うことへのある種の驚きだった。意匠制度発足から今日まで、ひな形(サンプル)によって出願され権利化されたものがどのくらいの数に上るのか分からないが、それらが全て保管され、閲覧可能になっているとしたら、そのシステムを維持していくというのは、かなり凄いことではないか。
登録意匠のひな形の保管と閲覧システムというのは、この社会で関係する人の数はさほど多くないと考えられるが、それを半ば公的な資金をベースに維持していく、そういう社会的な意思がこの社会のあちこちに残っている。おそらく意匠権だけはない。それこそ、戸籍や住民票、年金(ちょっと怪しかったが)、など、いくつものシステムが動いている。それが「社会」ということの実体の一部を構成している。そのことを改めて思った。
最近では、人口減少に伴う「限界集落」と言う言葉を聞く。そこで一番問題になるのは医療・治安(警察や消防)サービスや、上下水道の維持管理、あるいは橋梁の保守・掛け替えなどのサービスがもはや維持できないということだ。私たちの社会がこれまで構築してきたな様々なサービスの中で、人が健康で安全に過ごせるための基本的なサービスを維持し提供し続けることができるかどうか、を問われるという状況が、地域によっては生まれている。
他方、意匠の、いや知的財産の上記のようなサービスがある。これは「生きる」と言うことから遠く隔たったサービスだ。しかしこのサービスは、現在しっかりと維持されており、おそらくこれからもかなりの年数は維持されるだろう。それはそのために半ば公的に資金が使われることに対して、社会的な合意があるからだ。限界集落といわれ、生存のためのサービスの維持が問題となっている一方で、登録された意匠のひな形を何十年も閲覧できるサービスが維持されている。そのことをどう考えたらいいのか、こんなところにも、私たちが社会について考える手がかりがある、ひな形の届いたカラー写真を見ながら、そんなことを考えた。[ T.S ]

 

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投稿日:2015年12月08日