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不敢毀傷 孝之始也

小さいころから両親、祖父母などから、「そんなことをしたら腕が抜けちゃうよ。」と、遊んでいるときにたびたび注意を受けたものでした。しかし、自分や弟や他の子供たちの「腕が抜け」たことなど一度もありませんでした。そして自分も、「大人が強く引っ張ったのなら別だけど、自分(や他の子供)の力、自分の体重で、自分の身体を動かして、それで腕が抜けてしまうわけないじゃん。そんなふうに生き物の身体ができてたらダメじゃん。」と思っていました。しかし、腕は「抜け」たのです。
 
6月後半に下の子が生まれてから1か月間、つれあいの両親が泊まり込んで育児を手伝ってくれました。私が早く帰れる日には、つれあいの母が上の娘(当時2歳2~3か月)を連れて、最寄りの駅まで歩いてお迎えに来てくれました。たいてい、駅に向かう道の途中で私に会うと、そこから3人で家に帰ります。娘は、帰りは、私に抱っこしてもらったり、おばあちゃんと私とに両手をつないでもらったりして、家に向かいます。そこで、娘はたびたびふざけて、両足を前に放り出して、ぶらーんとぶら下がったり、足を後ろに放り出して、靴の甲をずるずるひきづったりして、遊んでいました。ここでも、おばあちゃんは、「そんなことをしたら腕が抜けちゃうよ。」と言っていましたが、私は「どうかねえ?」と思っていました。
 
しかし、先日、たまたま両方のおばあちゃんに連れられてお迎えにきた帰り道、そんなことをしてふざけた後、「あるく。」というので(最近は、何でも自分でやりたいので、ときどき自分から「あるく。」と言って、自分で歩いたり走ったりしていました)、手を放すと、立ち止まって静かに下を向いています。普段なら、両手を広げてきゃっきゃと走り回るのに、じっとして動かない。「どこか痛いの?」と聞くと「いたくない。」という返事。しかし、歩かないので、抱っこすると、また「あるく」。おろすと歩かない。どうも左手をかばっているようなので、これは、と思い、「グー、パーできる?」と聞くと、一応できる。仕方がないので、抱っこして家に向かって歩いていると、道の左手に昔からあるN外科が。道沿いの看板を見ると診療時間は平日は19時30分まで。「今は?」と時計を確認すると19時29分。娘の保険証など持っていませんでしたが、「行くか。」ということで、ドアをくぐりました。
 
受付で、初診であり、保険証は後で取りに行くことを告げて、娘を抱っこしながら状況を説明すると、看護師さんが、5センチくらいの小さいぬいぐるみをいくつか持ってきてくれました。「どれがほしいかな?」と差し出すと、白いサルのぬいぐるみ(「母をたずねて三千里」のアメデオ)を右手で取る。「もう一つあげようか。」と差し出すと、アメデオは右わきのしたに挟んで、再び右手を出す。「ああ、やっぱり左が動かないねえ。」というので、診てもらうことになりました。それからの待ち時間、娘は、ときどきポロポロと涙をこぼしながらも、「もういたくないよ」、「ばんそうこうはったらなるかもしれないよ。」などと言っていましたが(また、その間、看護師さんたちには、例によって「かわいいねえ。かわいいねえ。」と大人気でしたが)、結局、診察まで、45分以上待ちました。その間、ポロポロと涙を流しておとなしくしている娘がかわいそうで、私が一度もおろすことなく、ずっと娘を抱っこして待合室をぶらぶらと歩き回っていました(座ると「あるいて」というので)。
 
「もうかえりたい」という娘をなだめて、小児科担当の若先生に診てもらうと、娘の左手のひじの内側を押さえながら左ひじを曲げる処置で、あっさり治りました。「ひじの丸い靭帯から、腕の二本の骨のうちの一本が、はずれてしまったのです。もう大丈夫です。」とのこと。後で調べると、「肘内障」という状態のようです。やれやれ、すぐに解決できてよかった。しかし、その晩は、自分の平常心が失われたようで、胸がざわざわして落ち着かず、なかなか眠れませんでした。
 
話はそれで終わりませんでした。翌日は出張だったのですが、帰りの電車で、どうも頸(くび)が動かしづらい。電車の座席で2時間同じ姿勢だったので、どこかに無理をかけて筋でも違えかけたかな、と思っていると、さらにその翌日、朝から頸の具合が悪かったのですが、仕事中、どんどん頸と左肩の可動範囲が狭くなってきました。これは困った、先日、四十肩だか五十肩だかになったという同業の知人およびその経験者の先輩たちを笑っていましたが、とうとう自分にも来たか、というので、夜、再びN外科を訪問(ちなみに、このときは看護師さんたちは誰もキャーキャーいってくれませんでした)。外科担当の大先生の診察を受けて「なにか最近、無理をしましたか?」というので、「はあ、子守などで」と。思い当たるのは、一昨日のこの病院での娘の抱っこです。自分ではあのとき全然、動揺しているつもりはなかったのですが、それまで、11.5kgもある娘を45分以上、同じ側の腕で抱っこし続けるなどということは、やったことがありませんでした。たいていは、ねだられて5分ほども抱っこすると、つれあいやつれあいの両親が「甘えてるな?お父さん、重いよ。」と止めに入るので、短時間で済んでいたのでした。あのとき、「こんなに長時間連続で抱っこしてはいけない」という当然の判断ができなかった、または自分の身体からの「そろそろやめよ。」というシグナルを受信できなかったのは、実はかなり動揺していたのだなあ、自分はお父さん初心者だなあ、と反省したのでした。そして、血が出たわけでも、泣き叫んだわけでもない、あの程度の子供のけがで、親とは(自分は?)ここまで動揺するものか、とも思ったのでした。
 
孝経に「身體髮膚 受之父母 不敢毀傷 孝之始也(身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也)」と書かれているそうですが、「まことにそのとおりである。父に心配をかけるでないぞ。」と、心の中で娘に語りかけたのでした。ひるがえって、「あの程度のことで動揺して、頸が動かなくなる(身体をこわす)など、自分の孝も至らぬことであるなあ」と思ったのでした。さらには、母もけっこうムリをする方で、ときどきダウンしているので、「母も、祖母(今年百歳になりますが、少なくとも私の前ではぜんぜん惚けていません)に対して、まだまだ不孝であるなあ。」とも思ったのでした。[ K.H ]

 

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投稿日:2018年08月14日