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メートル法のこと

 私が弁理士登録をしたのは1989年の12月だった。当時は11月に合格発表があると、すぐに登録できたからだ。今年で弁理士登録30年ということになる。特許事務所に入ったのは、かなり偶然に近かったが、仕事を始めて、技術と言葉と法律に跨るこの仕事の面白さにハマった。30年たってもその思いに変わりはない。
 私が、弁理士という仕事を見つけたのは、その更に6年ほど前のことだった。大学を卒業後、いくつかの職場を転々として、自分のやりたいことを探していた。途中、2年ほど、日本の企業がアメリカに設けた子会社で働いた。その会社は、ガス器具のメーカーだった。子会社はシカゴにあり、当時は数人の日本人が働いているだけだった。技術系の人間は、私一人で、修理や修理用部品の管理やら、アメリカでのガス器具の認証であるAGAの取得やら、時々入る本社からの「アメリカ中西部での瞬間湯沸器による暖房システムの可能性についてレポートせよ」みたいな指示に応えて、調査をしたり、と何でもやっていた。その時、痛感したのは、メートル法の凄さ、偉大さ、だった。
 現在の日本はメートル法が当たり前だから、多くの人は多分そのことに気づかない。しかし、一度でもメートル法でない国に暮らすと、メートル法の凄さがわかる。アメリカは、今でも長さの基本単位は、インチ(2.54センチ)、フィート(30.48センチ)、重さの単位は、オンス(25.38グラム)、ポンド(453.59グラム)、だ。そうなると1立方フィート(1ft^3)は何立方インチ(inch^3)になるか、すぐに計算できる人は、多分いない(「^」は累乗を示す、以下同じ)。1立方インチの水は何オンスなのか、すぐには分からない。メートル法なら、1m^3(1立法メートル)は、10^6㎝^3だ。水1㎝^3(1立方センチメートル)ならおおよそ1グラムだ。これは、メートル法が、水の比重を1としているからだ。更にメートル法では、水1cm^3(1㏄)を、摂氏1度温度上昇させるのに必要なエネルギーをおよそ1cal (カロリー)とすることで、この地上で最もありふれており、生活に欠かすことができない水と言うものを媒介として、長さと重さとエネルギーとを結び付けている(但し、現在では、単位としてのカロリーの使用は制限的であり、「ジュール」(J)の使用が一般化しつつある)。
 メートル法では、水道水の温度が20℃の時、縦横1メートル、深さ50センチのお風呂に43℃のお湯を満たすのに必要な熱量がすぐに計算できるのだ。フィートポンド法では恐ろしいほど面倒な計算が必要になる。しかも熱量の単位はカロリーではない。私がアメリカで調査をしていた頃、建物の暖房に必要なエネルギーの単位はBTU(British Thermal Unit)だった。こんな単位を知っている人は、日本では、いやメートル法の国では、ほとんど居ないだろう。
 日本もかつては尺貫法という日本独自の単位を使っていたが、第二次世界大戦後に、罰則まである法律を作って、尺貫法を廃してメートル法に切り替えた。着物を作るときに必須の鯨尺を販売することは、1959年以後、犯罪になったのだ(1977年以降は鯨尺等の製造販売は合法化)。アメリカは、メートル法に切り替える法律を何度も用意しながら、施行できず、結局切り替えることができなかった。
メートル法の便利さを実感した私は、いつまでもメートル法に切り替えられないアメリカを笑った。しかし、その後、数十年が過ぎ、文化の多様性ということをより重視するようになって、少し見方が変わった。なるほど、メートル法は物を作るには便利だが、単位は、生活に、つまり私たちの文化に密着しているから、簡単に変えることが、常に良いとは言えない。単位は、文化に根ざしているから、便利さを優先する必要はないと思うようになった。歌舞伎の花道や着物の帯の幅をメートルで表現する必要はないし、畳の大きさをメートル法に合わせて1×2メートルにする必要はない。私たちは、今でも「六畳の居間」といった言い方をする。それは寝起きしている空間に染みついた私たちの身体感覚に直結しているからだ。
 また、メートル法がそんなに便利なものであるなら、あの不便なフィートポンド法を今なお使っているアメリカが、戦後一貫して工業大国であることも説明がつかない。コンビュータが発達して、CADが物造りに使える当たり前の道具になった今、どんな単位であれ、換算はコンビュータがやってくれるのだ。とはいえ、今更メートル法を廃して尺貫法に戻ることは多分できない。せめて、落語で、猫が咥えた鯛の大きさが「目の下三尺」と言われて、どのくらいか分かる、増上寺の鐘は4000貫といわれて「すげぇー」と驚ける、程度には、私たちの身体感覚に根ざした単位を保持していきたいと思う。でないと、「狸の八畳敷き」と言われても、それが狭いことをいっているのか、広いことを言っているのかさえ分からなくなってしまう。そんなことになるのは嫌だ。
[ T.S ]

 

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投稿日:2019年12月24日