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パロディと知的財産

 先日、知財高裁の判決で、登録商標「フランク三浦」(「浦」の字は右肩の「`」がない。以下同じ)の登録を無効とした特許庁の審決が取り消された。このニュースは一般紙などにも掲載されたから、目にされた方も多いだろう。高級時計のブランドとして知られている登録商標「フランクミュラー」の商標権者が、「フランク三浦」はこれに類似し、需要者の誤認混同を生じ、あるいはブランドの名声にただ乗りするものであるとして、その登録を無効にするよう求めた事件だ。特許庁における無効審判では、「フランクミュラー」側の主張が認められて、登録を無効にするとの審決がなされていた。しかし、知財高裁は、特許庁がしたこの審決を取り消し、誤認混同は生じないから、「フランク三浦」の商標登録を取り消す必要はない、と判断した。
 登録商標「フランク三浦」はいわゆるパロディ商標と呼ばれる。数年前に話題になった「白い恋人」に対する「面白い恋人」なども同様だ。こうしたパロディ商標など、パロディをどう扱うか、というのは、知的財産権の世界では、興味深いテーマだと言える。
 そもそも「パロディ」とは何か。大辞林によれば「パロディ」とは、「既成の著名な作品(中略)などの特色を一見してわかるように残したまま、全く違った内容を表現して、諷刺・滑稽を感じさせるように作り替えた」作品とある。なるほど、「フランク三浦」はこの定義に合っている。
 パロディに関する知的財産上の争いと言えば、マッドアマノ氏による写真のパロディ事件が知られている。数人のスキーヤーが雪面を滑降する写真に巨大スノータイヤを合成したアマノ氏は、その元の写真を撮った写真家・白川氏によって、著作人格権の侵害であるとして訴えられ、最高裁まで争われた(差し戻し審で和解)。
 パロディは、元の商標の価値や作品の内容に依存し、それらにただ乗りする2次的なものに過ぎないとして、元になった商標権や著作権に基づく制限を押し出す考え方が存在する。マッドアマノ氏の事件では、原著作物である写真の引用とは認められず、パロディ写真を公表するには原著作権者の許諾が必要だとされた。
 しかし、例えば権力に対抗する諷刺の力をパロディに認め、パロディが他人の知的財産とぶつかったときに、諷刺の力の有用性を上位に置く考え方もあり得る。第2次世界大戦中に、国が作った標語「贅沢は敵だ」や「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」のポスターを、それぞれ「素敵だ」「夫が・・」と書き換えた精神は、社会にとって重要なものだという視点に、私自身は同意する。
 いずれにせよ、パロディは、元の商標や著作物が持っている既存の概念をひっくり返してみせる。山岳写真が歌い上げる自然への讃歌に対して、このスキーヤーはどうやってその高みに登ったのか、写真家はどうやってこの構図の視点を実現したか、と考えると、そこには多くの人工物が介在したはずだと気付く。スノータイヤなしで雪山に近づけたのか、と。フランクミュラーの時計のブランドの高さに対して、時計とは時間を知る以上の何であり得るのか、その何かに対してあなたはなぜその金額を払うのか。パロディはそういう問いがあり得ることを人に気付かせてくれる。
 こう考えると、元の権利者の許諾を得なければ、パロディを作ってはならない、というのはナンセンスのように感じる。商標権や著作権といった知的財産権が、社会において有用な機能を果たしていることを認めつつ、社会という箱があまりにいびつになったり軋んだりしないように、パロディが、いわば社会のゆとりとして、時には私たちの誤りに気付かせてくれる力として、受け入れられる社会でありたいと願う。[ T.S ]

 

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投稿日:2016年06月07日