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「もりのなか」、「またもりへ」

 我が家には、ちょっとそこらの幼稚園や公共施設の児童書コーナーにまけないくらいの数の5歳以下向けの絵本があります。私が子どもの頃、母方の祖父母は、折に触れて「ほしい本があって、お父さんやお母さんが買ってくれなかったら、おばあちゃんかおじいちゃんにいいなさい。買ってあげるから。本は、どんなものでもいいから読みなさい。」といってくれて、祖父母の家に遊びに行くたびに、電車で数駅先のスーパー、ユニー(祖父母は「西川屋」と呼んでいました)で、好きな本を1冊買ってくれました。大人になってから、それがとてもよかったと思ったので、自分も子ども(現在4歳と1歳)には、よいと思った本を、適度に間隔を開けて与えています。
 
 一番多いのは、五味太郎さんの本、次が、最近はやりのヨシタケシンスケさんの本。昔からの定番としては、「ぐりとぐら」、「もちもちの木」、加古 里子(かこさとし)さんの本などもあります。
 
 その中に、マリー・ホール・エッツの「もりのなか」と「またもりへ」があります。夜寝る前に読み聞かせる本として、わりと子どもたちからリクエストされます。トップ集団にいる、といってよいでしょう。
 
 このお話は、らいおんや、ぞうや、くま、かんがるー、こうのとり、さるなどが、「ぼく」と一緒にいる、というだけのお話です。「もりのなか」では、いっしょに「ぎょうれつ」をし、「またもりへ」では、みんなが交代で得意なことをして、それに対して審査員のとしよりのぞうが、「よろしい なかなかよろしい」といっているだけです。「ぼく」は、というと、よびだしがかりをしているだけで、自分で手を上げるまで、出場はしません。「なにかをせよ/するな」と強制されないけれど、みんなと一緒にいる、というのは、子どもにとってとても安心できる状態なのだろうなあ、と思います。そして、もりのなかのみんなといる世界は、最後に、するっと現実に切り替わります。かくれんぼでどうぶつたちがもりのなかに隠れると、また、「ぼく」がもりのなかで笑い転げていると、「ぼく」のおとうさんが登場するのです。おとうさんはスーツを着ています。おとうさんと動物たちとは決して同じ空間には存在しません。でも、おとうさんは「ぼく」の話を聞くと、「きっと、またこんどまで まっててくれるよ」といって、「ぼく」をかたぐるまして、もりからうちにかえるのです。
 
 この本を読んでおやっと思ったのは、私も同じような経験があるからです。もっともそれは、風邪で寝込んでいたときで、森の中で空想の世界で遊ぶ、というような健全な状態ではなかったのですが。
 
 それは、おそらく、保育園か小学校1年生くらいだったでしょうか。熱を出していた私は、客間(和室)で一人で寝かされていました。そういうときは論理も何もないのですが、私の布団のまわりに立っている砂かけばばあや、子泣きじじいや、一反木綿や、その他もろもろの妖怪たち(ただし、鬼太郎、ねずみ男、猫娘といったメインキャラはおらず)と、台所まで競争することになったのです。「よーい、どん!」で玄関を抜け階段の降り口を通って台所のドアを開け、「いちばーん!」と高らかに宣言すると、妖怪たちはどこにもいなくなっていて、台所(ダイニングキッチン)にいた両親がとてもびっくりしていました。大人と「そういうなかま」は、やっぱり同じ空間には存在しないのです。「もりのなか」を読んで、そのときの感覚が思い出され、お父さんの登場による世界の切り替わりを、大変しっくりと受け入れられました。
 
 小さいころというのは、半分くらいは妖精さんの世界に生きていますが、「大人は、その世界の外のものなんだなあ」と、「もりのなか」を読むたびに思うのです。
 
もりのなか
またもりへ
 
[ K.H ]

 

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投稿日:2020年06月16日