非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット事件

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判決日 2015.12.25
事件番号 H25(ワ)第3357号
担当部 東京地裁 第40部
発明の名称 非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット
キーワード 構成要件充足性、サポート要件
事案の内容 本件は、原告保有の特許(特許第4673448号)に基づく特許権侵害差止請求事件である。
本件判決では、被告製品の構成要件充足性が否定されるとともに、被告の無効の抗弁に対して、原告特許が無効にされるべきものであること、原告の訂正の対抗主張には理由がないことが判示された。
構成要件の充足性の判断では、原告の主張内容の齟齬が指摘された点がポイントであり、無効の抗弁に対する判断では、実施例によるサポートがない点が指摘された点がポイント。

事案の内容

【経緯】

(1)原告: 請求項2、5、6、8の発明に基づく損害賠償を請求

(2)被告: 無効審判の請求(無効2014-800158)

(3)特許庁:請求項1~8に係る発明について無効審決

(4)原告: 請求項1~3について訂正請求

 

【本件発明】 注)下線部は、本レジュメで取りあげた裁判所の判断に関連する箇所。

(1)本件訂正発明2

2-A Crが5mol%以上20mol%以下、Ptが5mol%以上30mol%以下、残余がCoである合金と非磁性材粒子との混合体からなる焼結体スパッタリングターゲットであって、

2-B このターゲットの組織が、合金の中に前記非磁性材粒子が均一に微細分散した相(A)と、

2-C 前記相(A)の中に、ターゲット中に占める体積の比率が4%以上40%以下であり、長軸と短軸の差が0~50%である球形の合金相(B)とを有し、

2-D’ 前記球形の合金相(B)にはCo濃度の高い領域と低い領域及びCr濃度の高い領域と低い領域がそれぞれ形成されている

2-E’ことを特徴とする非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。

 

(2)本件訂正発明5

5-A 球形の合金相(B)の直径が、50~200μmの範囲にあることを特徴とする

5-B 請求項1~4のいずれか一項に記載の非磁性材粒子分散型強磁性材スパッタリングターゲット。

 

【争点】 注)裁判所の判断の結論に関わるもののみ抜粋

(1)被告製品は本件各発明の技術的範囲に属するか

イ 構成要件2-Cの充足性

ウ 構成要件5-Aの充足性

(2)本件特許は特許無効審判により無効にされるべきものか

ウ 無効理由3(サポート要件違反)

(3)訂正の対抗主張の成否(サポート要件違反に係る無効理由についての予備的主張)

 

【裁判所の判断】

2 争点(1)イ(構成要件2-Cの充足性)について

~原告の主張に対する判断から抜粋~

原告は、本件明細書等の段落【0018】等の記載に基づき、「球形の合金相(B)」の比率算定に当たっては、必ずしも球形であることを前提とせず、重心から外周までの長さの最小値に対する最大値の比が2以下のものと定義可能であり、合金相の単位も一つの外周で描けるか否かで定めることで足りる旨主張する。

しかし、原告の指摘する本件明細書等の同段落には、「球形そのものを確認することが難しい場合は・・・相(B)の断面の重心」(下線は判決で付記)とあるとおり、立体形状を直接確認することができない場合に、平面(断面)において確認する方法を記載しているにすぎず、これを根拠として球形でないものも「球形の合金相(B)」として含まれるということはできない。加えて、本件明細書等の段落【0018】等の記載によれば、「球形の合金相(B)」の技術的意義につき、相(B)が球形であることにより焼結時に相(A)と相(B)の境界面に空孔が生じにくくなること、球形にすることで表面積が小さくなって周囲の金属粉との拡散が進みにくいこと、相(B)の中心付近にCrが25mol%以上濃縮し、外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなるという組成不均一な合金相が容易に形成されることが記載されているから、原告の上記定義では、少なくとも表面積が小さくなることや相の境界において空孔が生じにくいこと等、球形とすることの意義を達成することができないものと解される。

したがって、原告の上記主張は採用することができない。

加えて、原告の「球形の合金相(B)」の定義に関する主張は、下のとおり変遷しており、いずれに依るべきであるのかも明らかではない。

…訴状においては、…「長軸と短軸の差が0~50%であれば、外周部に多少の凹凸があっても、本発明にいう『球形』に対応する。」(訴状8頁)と主張し、それに沿う証拠として甲4報告書を提出した。

…その後、被告から甲4報告書の内容に疑問を呈する乙9報告書が提出され、…これに伴い、原告は、本件明細書等の段落【0018】の記載につき、相(B)の断面の重心と外周までの長さにおいて、対比する長さの比が2以下のものがあればよいとすれば、特許請求の範囲の文言として「球形の」を規定した意味がないことになるとし、「『球形の合金相(B)』は、外周部に多少の凹凸があってもよいが、基本的には、球形(真球、擬似真球、扁球(回転楕円体)、擬似扁球を含む立体形状)であることが必要なのである。」と主張した…。

…さらに、甲15データにおける縮尺の求め方に誤りがあった旨の指摘が被告から主張され、それに沿う証拠…が提出されたのに対し、…被告の計算方法が正しく、原告の求め方は誤りであることを認めた上で、…「『球形の合金相(B)』として最大限認められる範囲は、重心から外周までの長さの最小値に対する最大値の比が2以下のものと定義した。また、合金相の単位は、一つの外周で描けるか否かで定めることとした。…

…このように、「球形の合金相(B)」についての原告の主張立証は一貫せず、前記(2)のとおり、構成要件2-Cの充足性について、これを認めるべき証拠は存しないというほかない。

 

3 争点(1)ウ(構成要件5-Aの充足性)について

(1) 原告は、本件発明5の特徴は、ターゲット組織中、14%以上40%以下の体積比率を占めている合金相(B)の直径が、50~200μmの範囲であることを特定した点にあると主張し、構成要件5-Aについてもそのように解釈すべきであると主張する。

本件明細書等の段落【0019】には、「球形の合金相(B)の直径は50~200μmの範囲にあるのが好ましい。ターゲット全体の中で球形の合金相(B)の占める体積比率には上限があるので、上記数値範囲より大きい場合には、漏洩磁束の向上に寄与する球形の合金相(B)の個数が減少してしまい、漏洩磁束の向上が少なくなる。また、上記数値範囲より小さい場合には、十分な焼結温度で高密度のターゲットを得ようとすると、金属元素同士の拡散が進み、Crの濃度分布をもつ球形の合金相(B)が形成され難くなる。従って、本発明においては、上記数値範囲内の直径を有する球形の合金相(B)が生ずるようにするのが望ましいと言える。」と記載されており、本件各発明において、ターゲット全体の中における「球形の合金相(B)」の占める体積比率を算出する際に、合金相(B)の直径によってこれを分類した上で、体積比率を算出することは予定されてはいないものと認められる。そうすると、原告の解釈は、本件明細書等の記載に基づかないものというほかなく、構成要件5-Aについては、「球形の合金相(B)」の直径が50~200μmの範囲にあり、これのターゲット中の体積比率が構成要件2-Cの数値の範囲にあるものをいうと解される。

…被告製品のレーザ顕微鏡写真及びそこに示された縮尺(25μm)からすると、同写真中には、断面において、直径が50μmよりも小さい球形の合金相が多数写っており、それらの全てについて、立体形状として直径が50ないし200μmの範囲にあるといえないことが明らかである。

 

6 争点(2)ウ(無効理由3〔サポート要件違反〕)について

…本件明細書等においては、…「球形の合金相(B)の存在による漏洩磁束を高めるメカニズムは、必ずしも明確ではないが、・・・球形の合金相(B)には、少なからずCrの濃度が低い領域と高い領域が存在し、このような濃度変動の大きな場所では格子歪みが存在すると考えられる。」(段落【0016】)、「第二に、球形の合金相(B)中のCr濃度の高い領域は、析出物として磁壁の移動を妨げていると考えられる。その結果、ターゲットの透磁率が低くなり漏洩磁束が増す。・・・Cr濃度の高い領域の存在が漏洩磁束に影響を与えている可能性が考えられる。」(段落【0017】)、「合金相(B)が球形であると、・・・周囲の金属粉(Co粉、Pt粉など)との拡散が進みにくく、組成不均一な相(B)、すなわち中心付近にCrが25mol%以上濃縮し、外周部にかけてCrの含有量が中心部より低くなる組成の合金相が容易に形成されるようになる。」(段落【0018】)と記載され、

少なくとも「球形の合金相(B)」中のCr濃度の高い領域の存在が漏洩磁束を高める効果に影響を与えていることが記載されている…実施例においても、第1の実施例につき、「球形の合金相の部分においてCoとCrの濃度が高くなっており、特にCrは周辺部から中心部に向かって、より濃度が高く(白っぽく)なっている。…」(段落【0035】。第2、第3の実施例に関する段落【0043】及び【0051】の記載も同旨〔前記1(1)ウにおける摘記は省略〕)と、第4の実施例につき、「球形の合金相の部分においてCoとCrの濃度が高くなっており、特にCrは周辺部から中心部に向かって、より濃度が高くなっていることが確認された。」(段落【0059】。第5ないし第9の実施例に関する段落【0067】、【0075】、【0083】、【0091】及び【0099】の記載も同旨〔前記1(1)ウにおける摘記は省略〕)としており、いずれの実施例においても、上記「球形の合金相(B)」の部分においてCoとCrの濃度が高くなり、Crは周辺部から中心部に向かってより濃度が高くなっているとの態様でしか、漏洩磁束を高める作用効果を奏することが記載されていないことからすれば、当業者において、前記1(2)記載の本件各発明の課題解決手段や、発明を理解するための技術的事項が、発明の詳細な説明に記載されているものとは言い難い。

したがって、本件特許には、サポート要件(特許法36条6項1号)違反の無効理由があるものと認めるのが相当である。

 

7 争点(3)(訂正の対抗主張の成否〔サポート要件違反に係る無効理由についての予備的主張〕)について

(1) 原告は、本件訂正は、本件明細書等に記載された事項の範囲内であり、訂正要件を満たす旨主張する。…しかし、Crが「球形の合金相(B)」の周辺部から中心部に向かってより濃度が高くなっていることは、本件訂正に係る訂正事項にいう、球形の合金相内にCr濃度の高い領域と低い領域が形成されていることを意味するものではない。そうすると、原告の指摘する上記本件明細書等の記載は、本件訂正の根拠とすることはできないというべきである。

また、本件明細書等には、Crの濃度に関しては「Crの濃度が低い領域と高い領域」(段落【0016】)、「Cr濃度の高い領域」(段落【0017】)、「Cr濃度分布」(段落【0019】)といった記載はあるが、これらの記載のいずれにおいても、「球形の合金相(B)」内のCoの濃度には触れるところがない。本件各発明における「球形の合金相(B)」については、本件明細書等の段落【0018】にも「周囲の金属粉(Co粉、Pt粉など)との拡散が進みにくく」と記載されているとおり、必ずしもCoとCrの二元系合金であることを前提としておらず 、「球形の合金相(B)」におけるCo濃度が直ちにCr濃度の裏返しになるという関係も存しないから、本件明細書等の上記各段落の記載をもって本件訂正の根拠とすることもできないというべきである。

…原告は、本件明細書等には「相(A)」の中に「球形の合金相(B)」を含有させることにより、Crの濃度の高い領域と低い領域を作り出すことで、均一な組織と比べて、漏洩磁束を高めることが記載されていると主張するところ、なるほど本件明細書等の段落【0015】ないし【0017】には、漏洩磁束を高めるメカニズムに関する記載はあるものの、本件訂正に係るCr、Coの濃度分布に濃淡があるだけで、スパッタリングターゲットにおいて漏洩磁束を高める理由として記載された、「格子歪み」(段落【0016】)を生じさせ、「磁壁の移動を妨げ・・・母相である強磁性相内の磁気的相互作用を遮断する」(段落【0017】)ことができるものとは認め難く、前記のとおり、本件明細書等の実施例においては、一定の態様でしか効果を奏することが示されていないから、本件各訂正発明においても、依然としてサポート要件違反の無効理由が存するというべきである。

 

【所感】

構成要件の充足性に関する判断についても、サポート要件および訂正の対抗主張についても、裁判所の判断は妥当であると考える。

構成要件の充足性に関しては、原告は、明細書およびクレームの記載内容を、後から都合よく解釈し直そうとしたあまり、その主張の一貫性や合理性を失ってしまったような印象を受けた。権利行使の際には、権利書として役割を持つ明細書の記載内容を軸として、齟齬が生じないように慎重に検討すべきであろう。

サポート要件に関しては、効果が得られるメカニズムが明らかであることを示せず、実施例で示された結果から推測することができるものであるとも言えない以上、無理に実施例の態様を超えた範囲まで権利に含めようとすることは得策ではないとあらためて思った。

訂正の対抗主張についても、訂正の内容が明らかに明細書の記載から導き出せる範囲を超えた内容に限定しようとするものであったと言え、原告は、もう少し慎重に検討すべきであったろう。なお、判決において、本件の明細書の段落0016における「格子歪み」に関する記載について、そうした効果が生じるとは認めがたい、とまで断じられてしまっている点に関しては、原告には厳し目の判断であるとも思える。あくまで私見ではあるが、この点については、提出証拠における原告の主張の論理の一貫性のなさが、裁判官の心証を悪くしたためではないだろうか。

本件の明細書には、効果が得られている実施例が多数記載されている。それにも関わらず敗訴してしまった大きな理由は、クレームにある用語の定義やパラメータの測定方法の規定にあまさがあったこと、権利行使の際に無理に権利範囲を広げるような解釈をこころみたことにあると思う。特許を扱う実務家として、他山の石とすべき事例のひとつであると思われる。

以上