酸味のマスキング方法事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
事件番号 H28(行ケ)10157
担当部 知財高裁第1部
発明の名称 酸味のマスキング方法
事案の内容 無効審判において、特許法134条の2第9項で準用する同法126条5項又は6項の規定に適合せず認められないとして無効にされた審決に対する取消訴訟で、請求が認められた。

事案の内容

【ポイント】請求項1,2について、訂正後の数値範囲が、本件明細書,特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものといえるから,新規事項の追加に該当しないと認定された。
 
【経緯】
 1997年2月12日:出願
 2007年2月16日:登録(特許第3916281号)
 2014年7月9日:無効審判請求
 2015年11月30日:訂正請求
 2016年6月10日:訂正を認めず無効審決
 2016年7月14日:本件訴訟を提起
訂正後の請求項
【請求項1】
 醸造酢及び/又はリンゴ酢を含有する製品に,スクラロースを該製品の0.0028~0.0042重量%の量で添加することを特徴とする該製品の酸味のマスキング方法。
【請求項2】
 クエン酸を0.1~0.3%含有する飲料に,スクラロースをその甘味を呈さない範囲で且つ0.00075~0.003重量%の量で添加することを特徴とするクエン酸含有飲料の酸味のマスキング方法。
【請求項3】
 コーヒーエキスを含有する飲料に,スクラロースを,極限法で求めた甘味閾値の1/100以上0.0013重量%以下の量で添加することを特徴とする該飲料の酸味のマスキング方法。
訂正前の請求項
【請求項1】
 醸造酢及び/又はリンゴ酢を含有する製品,又はコーヒーエキスを含有する製品に,スクラロースを該製品の0.000013~0.0042重量%の量で添加することを特徴とする酸味のマスキング方法。
【請求項2】
 クエン酸を水溶液濃度で0.1~0.3%含有する製品に,スクラロースを0.0000075~0.003重量%の量で添加することを特徴とするクエン酸含有製品の酸味のマスキング方法。
【争点】
(1)請求項1に係る訂正要件判断の誤り
(2)請求項2に係る訂正要件判断の誤り(省略)
(3)請求項3に係る訂正要件判断の誤り(省略)
 
【裁判所の判断】
2 取消事由1について(請求項1に係る訂正要件判断の誤り)
(1) 訂正事項1について
 訂正事項1は,前記第2の3(2)アのとおり,特許請求の範囲の請求項1における「醸造酢及び/又はリンゴ酢を含有する製品,又はコーヒーエキスを含有する製品に」を「醸造酢及び/又はリンゴ酢を含有する製品に」に訂正し,また,「スクラロースを該製品の0.000013~0.0042重量%の量で添加する」を「スクラロースを該製品の0.0028~0.0042重量%の量で添加する」に訂正し,さらに,「酸味のマスキング方法」を「該製品の酸味のマスキング方法」に訂正するものである。
 この点につき,審決は,本件明細書の記載から「醸造酢及び/又はリンゴ酢を含有する製品」において,スクラロース添加量の下限値が「0.0028重量%」であることを導くことはできないから,訂正事項1は,本件明細書に記載した事項の範囲内においてしたものとはいえず,特許法134条の2第9項で準用する同法126条5項の規定に適合しないと判断した。これに対し,原告は,前記第3の1のとおり,審決の上記判断には誤りがあるとして取消事由1を主張するため,以下検討する。
(2) 訂正要件判断の当否について
 前記1の認定事実によれば,実施例2においては,醸造酢(酸度10%)15部,スクラロース0.0028部等を含有する調味液と塩抜きしたきゅうりを4対6の割合で合わせて瓶詰めをしてピクルスを得た結果,当該ピクルスは,スクラロースを添加していないものに比べて,酸味がマイルドで嗜好性の高いものに仕上がり,ピクルスに対する酸味のマスキング効果が確認されたことが認められる。そうすると,醸造酢を含有する製品として,酸味のマスキング効果を確認した対象は,調味液ではなくピクルスであるから,当該効果を奏するものと確認されたスクラロース濃度は,上記調味液におけるスクラロース濃度ではなく,これに水分等を含むきゅうりを4対6の割合で合わせた後のピクルスのスクラロース濃度であると認めるのが相当である。
 これに対し,本件明細書に記載された0.0028重量%は,調味液に含まれるスクラロース濃度であるから,当該濃度は,酸味のマスキング効果が確認されたピクルス自体のスクラロース濃度であると認めることはできない
 他方,ピクルスにおけるスクラロース濃度は,実施例2において調味液のスクラロース濃度を0.0028重量%とし,この調味液と塩抜きしたきゅうりを4対6の割合で合わせ,瓶詰めされて製造されるものであるから,きゅうりに由来する水分により0.0028重量%よりも低い濃度となることが技術上明らかである(きゅうりにスクラロースが含まれないことは,当事者間に争いがない。)。そして,0.0028重量%よりも低いスクラロース濃度においてピクルスに対する酸味のマスキング効果が確認されたのであれば,ピクルスにおけるスクラロース濃度が0.0028重量%であったとしても酸味のマスキング効果を奏することは,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識から当業者に明らかである。そのため,スクラロースを0.0028重量%で「醸造酢及び/又はリンゴ酢を含有する製品」に添加すれば,酸味のマスキング効果が生ずることは当業者にとって自明であり(実施例3の「おろしポン酢ソース」では,スクラロース0.0035重量%で酸味のマスキング効果が生じ,実施例4の「青じそタイプノンオイルドレッシング」では,スクラロース0.0042重量%で酸味のマスキング効果が生じることがそれぞれ開示されている。),このことは本件明細書において開示されていたものと認められる。
 そうすると,製品に添加するスクラロースの下限値を「製品の0.000013重量%」から「0.0028重量%」にする訂正は,特許請求の範囲を減縮するものである上,本件訂正後の「0.0028重量%」という下限値も,本件明細書において酸味のマスキング効果を奏することが開示されていたのであるから,本件明細書に記載した事項の範囲内においてしたものというべきである。
 したがって,訂正事項1は,当業者によって本件明細書,特許請求の範囲又は図面(以下「本件当初明細書等」という。)の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものといえるから(知的財産高等裁判所平成18年(行ケ)第10563号同20年5月30日特別部判決参照),特許法134条の2第9項で準用する同法126条5項の規定に適合するものと認めるのが相当である。
 以上によれば,訂正事項1が本件明細書に記載した事項の範囲内においてしたものとはいえず,特許法134条の2第9項で準用する同法126条5項の規定に適合しないとした審決の判断には誤りがあり,原告の主張する取消事由1は理由がある。
(3) 被告の主張について
 被告は,実施例2において酸味をマスキングしているか否かを確認したのは,調味液と塩抜きしたきゅうりを4対6の割合で合わせ,瓶詰めして得られたピクルスであり,そのピクルスの酸味がマイルドで嗜好性の高いものであることが本件明細書に記載されているのであって,当該調味液の酸味がマスキングされたことについては本件明細書の実施例2に何ら記載されていないとして,原告の主張は,本件明細書の記載に基づかないものであるなどと主張する。
 確かに,実施例2における酸味をマスキングする対象は,ピクルスであって調味液であるとは認められず,これを調味液であるという原告の主張は,本件明細書の記載に照らし,失当というほかない。しかしながら,酸味をマスキングする対象がピクルスであり,この場合におけるスクラロース濃度が直接明らかでないとしても,当該濃度で酸味のマスキング効果を奏すれば,少なくともこれより高い濃度である「0.0028重量%」の濃度で酸味のマスキング効果を奏することは,本件明細書の記載及び本件出願時の技術常識から当業者にとって明らかなことである。そうすると,訂正事項1は,スクラロース濃度の下限値を「0.0028重量%」の濃度に減縮するものであり,当該濃度が酸味のマスキング効果を奏することは本件明細書に開示されていたといえるから,本件当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしたものと認められる。
 したがって,被告の上記主張は,採用することができない。
 
3 取消事由2について(請求項2に係る訂正要件判断の誤り)
 省略
 
4 取消事由3について(請求項3に係る訂正要件判断の誤り)
 省略
 
5 まとめ
 以上によれば,訂正事項1及び2に係る審決の判断には誤りがあるというべきである。そのため,前記第2の3のとおり,審決は,本件発明の請求項1及び2に係る要旨認定を誤った上で,本件発明1及び2を無効にすべきものと判断しているのであるから,訂正事項1及び2に係る審決の上記判断の誤りは,審決の結論に影響を及ぼすものであるといえる。したがって,原告の取消事由1及び2には理由がある。
 
【所感】
 請求項1についての判断は妥当であるとは思わない。
 裁判官は、『製品に添加するスクラロースの下限値を「製品の0.000013重量%」から「0.0028重量%」にする訂正は,特許請求の範囲を減縮するものである上,本件訂正後の「0.0028重量%」という下限値も,本件明細書において酸味のマスキング効果を奏することが開示されていたのであるから,本件明細書に記載した事項の範囲内においてしたものというべきである。』として訂正を認めている。本願の訂正は、スクラロースの重量パーセントを0.000013~0.0042重量%から0.0028~0.0042重量%とする数値範囲の減縮である。訂正前の広い数値範囲でも効果を奏していて特許されたのであるから、数値範囲を減縮する訂正であるならば、効果を奏しているのは当然である。今回の争点は、『製品の0.0028重量%』という値が明細書から導き出せるか、つまり新規事項の追加に該当するか否かであると思われる。しかし、数値範囲の減縮であれば効果を奏することは当然なので、『効果を奏することが開示されていたのであるから,本件明細書に記載した事項の範囲内においてしたものである』というのでは、数値範囲の減縮であれば、明細書に数値が書いてあろうと無かろうと何でもあり、ということであり、問いに対して問いで答えているようであり、判断は疑問である。
 請求項2では、酸味がマスクされるクエン酸の濃度が規定されているが、請求項1については、酸味がマスクされる醸造酢及び/又はリンゴ酢の濃度が限定されていない。請求項2に対する実施例では、クエン酸を0.1%含有する水溶液については,スクラロースの甘味閾値が0.00075重量%、クエン酸を0.3%含有する水溶液については,スクラロースの甘味閾値が0.003重量%とされており、クエン酸の濃度が高くなれば、酸味と相殺して甘味を奏さなくなるスクラロースの濃度も増えている。従って、請求項1においても、醸造酢及び/又はリンゴ酢の濃度が濃くなれば、必要なスクラロースの濃度も濃くなると思われる。将来的には、この点も限定が必要になると思われる。
 
参考
(3)数値限定を追加又は変更する補正の場合
b 請求項に記載された数値範囲の上限 、下限等の境界値を変更して新たな数値範囲とする補正は、以下の(i)及び(ii)の両方を満たす場合は、新たな技術的事項を導入するものではないので許される。
(i) 新たな数値範囲の境界値が当初明細書等に記載されていること。
(ii) 新たな数値範囲が当初明細書等に記載された数値範囲に含まれていること。
 
ソルダーレジスト事件(H18(行ケ)10157)
 『明細書又は図面に記載した事項」とは,当業者によって,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり,補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は、「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。』