薄膜電界効果型トランジスタ事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-侵害系
判決日 2016.10.12
事件番号 H27(行ケ)10176号
担当部 知財高裁第2部
発明の名称 ホモロガス薄膜を活性層として用いる透明薄膜電界効果型トランジスタ
キーワード 実施可能要件
事案の内容 本件は,原告が請求した特許無効審判の不成立審決に対する取消訴訟であり、実施可能要件を満たさないとして、審決が一部取り消された事案である。

事案の内容

【経緯】
平成14年9月11日:特許出願(特願2002-266012号)
平成20年8月8:設定登録(本件特許。特許第4164562号)
平成26年7月14日:無効審判請求(無効2014-800120号)
平成27年7月28日:請求不成立審決
平成27年8月6日:審決謄本送達
 
【本件発明】
【請求項1】
ホモロガス化合物InMO3(ZnO)m(M=In,Fe,Ga,又はAl,m=1以上50未満の整数)(以下「本件化合物」という。)薄膜を活性層として用いることを特徴とする透明薄膜電界効果型トランジスタ。(本件発明1)
【請求項2】
表面が原子レベルで平坦である単結晶又はアモルファスホモロガス化合物薄膜を用いることを特徴とする請求項1記載の透明薄膜電界効果型トランジスタ。(本件発明2)
【請求項3】
ホモロガス化合物が耐熱性,透明酸化物単結晶基板上に形成された単結晶薄膜であることを特徴とする請求項1記載の透明薄膜電界効果型トランジスタ。(本件発明3)
【請求項4】
ホモロガス化合物がガラス基板上に形成されたアモルファス薄膜であることを特徴とする請求項1記載の透明薄膜電界効果型トランジスタ。(本件発明4)
 
【取消事由】
1.取消事由1(無効理由1の判断の誤り)
無効理由1:本件発明1~4の進歩性欠如(甲1,3~14)。
2.取消事由2(無効理由3の判断の誤り)
無効理由3:本件発明1~4の進歩性欠如(甲2~7,14,24~26及び28~30)。
3.取消事由3(無効理由5の判断の誤り)
無効理由5:本件明細書の発明の詳細な説明の記載は、本件発明1,2及び4についての実施可能要件を満たしていない(実施可能要件)。
4.取消事由4(無効理由6の判断の誤り)
無効理由6:本件発明1~4は、本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものではない(サポート要件)。
 
 
【裁判所の判断】(下線は担当が付した)
2 取消事由3(無効理由5の判断の誤り)について
(2) 本件明細書の記載
本件発明1,2及び4には,アモルファス薄膜である本件化合物を活性層として用いることを特徴とする透明薄膜電界効果型トランジスタが含まれるが,ZnOの組成であるmは「m=1以上50未満の整数」とされているから,本件明細書の発明の詳細な説明の記載が,本件発明1,2及び4の実施可能要件を満たすためには,上記mの全範囲にわたってアモルファスの本件化合物薄膜が形成できる
ように記載されている必要がある。
イ 発明の詳細な説明の記載を参酌すると,単結晶の本件化合物薄膜を形成する方法としては,「YSZ(イットリア安定化ジルコニア)基板上に育成したZnO単結晶極薄膜上に,アモルファスのホモロガス薄膜を堆積し,得られた多層膜を高温で加熱拡散処理する「反応性固相エピタキシャル法」により,ホモロガス単結晶薄膜を育成する」(【0007】),「上記のホモロガス単結晶薄膜の製造方法と同様に,ZnO薄膜上にエピタキシャル成長した複合酸化物薄膜を加熱拡散する手段を用いる」(【0008】)と記載されている。また,ZnO薄膜上に形成する本件化合物薄膜全般については,「MBE法,パルスレーザー蒸着法(PLD法)等により・・・成長させる。」(【0019】),「得られた薄膜は,単結晶膜である必要はなく,多結晶膜でも,アモルファス膜でも良い。」(【0020】),「基板温度を室温まで冷却し,該ZnOエピタキシャル薄膜上にPLD法により,厚み150nmの多結晶InGaO3(ZnO)5薄膜を堆積させた。」(【0028】)とあるように,多結晶やアモルファスの薄膜を,室温で,MBE法,パルスレーザー蒸着法(PLD法)等を用いて形成することが記載されている。さらに,アモルファスの本件化合物薄膜を形成する方法については,「ZnOを含むホモロガス化合物アモルファス薄膜を用いる場合には,基板は耐熱性を有する必要がなく,安価なガラス基板を用いることができる。」(【0016】),「アモルファス薄膜の場合は,エピタキシャル成長させる必要はないので,ZnOエピタキシャル成長及び高温アニールプロセスを除くことができる。」(【0027】)と記載されている。
これらの記載から,当業者であれば,アモルファスの本件化合物薄膜を形成するためには,上記単結晶の本件化合物薄膜の形成方法から,ZnO単結晶極薄膜の成長と高温アニールの工程を省略すればよいこと,すなわち,ガラス基板等を用いて,室温で,MBE法,パルスレーザー蒸着法(PLD法)等を用いて形成すればよいことを理解する。
しかし,本件出願日当時においては,以下のとおり,mが5以上の組成では,アモルファス相を得ることが極めて困難と解されていた。
(ア) 本件明細書には,「ZnOは・・・アモルファス状態を作り難い」(【0004】),「基板温度を室温まで冷却し,該ZnOエピタキシャル薄膜上にPLD法により・・・多結晶InGaO3(ZnO)5薄膜を堆積させた。」(【0028】)との記載がある。
(イ) 本件明細書の【0006】に「パルスレーザー薄膜堆積法を用い,室温での成膜により,アモルファス状態で,n-型電気伝導を示す,ZnOを主たる構成成分として含有するInGaO3(ZnO)m(mは自然数)等のホモロガス化合物透明薄膜を育成した」ことが記載された文献として挙げられている甲3には,以下の記載がある。「ZnO系のアモルファス透明導電体を作り出すことを目的として,さまざまなアモルファス膜InGaO3(ZnO)m(m≦4)をパルスレーザー蒸着法を用いて作製した。」(訳文1頁11~13行)「InGaO3(ZnO)m膜では,mが5未満のときにアモルファス相が得られた。」(訳文3頁下から5~4行)「基板の加熱は,意図的には行わなかった。」(訳文5頁1行)「図3にm=1~5である膜のXRDパターンを示す。各パターンでは,SiO2ガラス基板による22°付近のハローピークが見られる。m=5のパターンには鋭いピークが見られ,これはInGaO3(ZnO)5結晶の(0021)面の回折に相当する。また,鋭いピークは,m値が5より大きい試料全てに見られ,ZnOに近い組成ではアモルファス相は得られないことを示している。」(訳文5頁下から5~1行)
(ウ) 本件明細書の【0006】に挙げられた甲4には,以下の記載がある。
【0040】1.ターゲットの作成
In2O3,Ga2O3,ZnOの各粉末を,含有金属の比率がそれぞれ1になるように秤量した。・・・XRDによりInGaZnO4で表される酸化物が生成していることを確認した。
【0041】ホモロガスInGaO3(ZnO)mの場合は,In2O3,Ga2O3,ZnOの各粉末を,含有金属の比率が1:1:m(mは2以上の整数)となるように秤量した。・・・
【0042】2.成膜以下に実施例としてレーザーアブレーション法を用いる成膜法を示す。実施例1上で作成した焼結体のうち,In:Ga:Zn=1:1:1の焼結体・・・ホルダーに固定した。・・・石英ガラス基板を設置し・・・約300nmの薄膜を得た。・・・膜が均一な非晶質であることはXRDより確認した・・・
【0044】実施例2実施例1と同条件で・・・アクリル基板を用いることにより,IGZOの非晶質
薄膜を得た。
【0048】実施例4
上で作成した焼結体のうち,In:Ga:Zn=1:1:4の焼結体・・・ホルダーに固定した。・・・石英ガラス基板を設置し・・・約300nmの薄膜を得た。・・・膜が均一な非晶質であることはXRDより確認した。・・・
(エ) 甲6には,「InGaO3(ZnO)mの焼結体(m=1~4)に酸素雰囲気中でKrFエキシマーレーザー光を照射し・・・石英ガラス基板上に薄膜を室温形成した。・・・いずれのXRDパターン(薄膜法)にも結晶性の回折線は認められない」(577頁,28a-ZB-1,10~13行)との記載がある。
(オ) 甲7には,「InGaO3(ZnO)m結晶(m=1~4)の単相焼結体ターゲットにKrFエキシマーレーザー光を・・・照射し,石英ガラス基板上に成膜した。結晶粒が存在しないことをXRDとTEMで確認し・・・た。」(946頁,29p-ZL-10,10~12行)との記載がある。
(カ) 以上によれば,本件出願日当時,パルスレーザー蒸着法により,アモルファスのInGaO3(ZnO)m(m=1~4)を形成することが可能であることは確認できるものの(甲3,4,6,7),mが5以上の場合は開示されておらず,mが5以上のZnOに近い組成ではアモルファス相は得られないとの指摘もされていた(甲3)から,当業者は,mが5以上の薄膜の作成は極めて困難と認識してい
たものと認められる。
エ そして,本件明細書には,かかる当業者の認識にもかかわらず,mが5以上50未満であるアモルファスの本件化合物薄膜を作成する方法についての記載はない。
(3) したがって,本件明細書の発明の詳細な説明の記載は,mが5以上50未満の整数である場合を含む本件発明1,2及び4について,当業者が,アモルファスの本件化合物薄膜を形成することができる程度に明確かつ十分に記載されたものであるということはできないから,実施可能要件を欠くものと認められる。
そうすると,その余の点について検討するまでもなく,取消事由3には,理由がある。
(4) これに対して,被告は,本件発明は,InGaO3(ZnO)m膜について電界効果トランジスタの活性層に適するという未知の属性を発見し,その属性はアモルファスでも奏されることを見出したものであり,mの値の数値限定にのみ意義のある発明ではないから,透明薄膜電界効果型トランジスタという物品の活性層を構成する材料についてmの値の全範囲にわたって物品を作製する実施例の記載が
必要であるということにはならない,と主張する。
しかし,被告の主張するとおり,本件発明がmの値の数値限定にのみ意義があるのではないとしても,本件発明の請求項の記載には,mが5以上のアモルファス薄膜も含まれているから,かかるアモルファス薄膜を形成することができる程度の記載が,本件明細書に求められるというべきである。しかも,上記(2)のとおり,本件出願日当時には,mが5以上の組成ではアモルファス相は得ることが極めて困難
であるという当業者の認識があったにもかかわらず,本件明細書にはmが5以上50未満であるアモルファスの本件化合物薄膜の作成方法についての記載がない以上,本件発明1,2及び4について,当業者が,アモルファスの本件化合物薄膜を形成することができる程度に,その作成方法が明確かつ十分に記載されたものであるということはできない。
被告の主張には,理由がない。
3 取消事由4(無効理由6の判断の誤り)について
(1) 上記2より,本件発明1,2及び4については,審決は取り消されるべきものである。したがって,以下は,本件発明3について取消事由に理由があるか否かを検討する。
(2) 原告は,本件発明3に関しては,本件明細書の発明の詳細な説明に記載されている実施例は,単結晶のInGaO3(ZnO)5に関するものたった 1 つであり,本件明細書の発明の詳細な説明には,MがIn,Fe,Alの場合の本件化合物も,m=5以外の場合の本件化合物も開示されていないから,サポート要件を欠く,と主張する。
・・・
イ まず,mの値の範囲について検討する。
上記のとおり,本件明細書には,「YSZ(イットリア安定化ジルコニア)基板上に育成したZnO単結晶極薄膜上に,アモルファスのホモロガス化合物薄膜を堆積し,得られた多層膜を高温で加熱拡散処理する「反応性固相エピタキシャル法」により,ホモロガス単結晶薄膜を育成する」(【0007】)と記載されており,上記2(2)のとおり,パルスレーザー蒸着法により,アモルファスのInGaO3(ZnO)m(m=1~4)を形成することが可能であるから,当業者であれば,m=1~4の場合においても,反応性固相エピタキシャル法によって,単結晶のInGaO3(ZnO)m薄膜が成長できることを理解するものと認められる。
また,上記2(2)のとおり,甲3には,InGaO3(ZnO)m膜について,m=1~4では,アモルファス相が得られたものの,mが5以上のZnOに近い組成ではアモルファス相は得られないとされており,本件明細書にも「ZnOは・・・アモルファス状態を作り難い」(【0004】)と記載されているから,当業者であれば,mの値が5以上になってZnOの割合が高くなると,結晶相が優位に形成されることを理解するものと認められる。
さらに,本件明細書には,「反応性固相エピタキシャル法により製造したホモロガス化合物単結晶・・・薄膜は・・・。・・・mの値は1以上50未満の整数が好ましい。原理的には,mの値は,無限大まで可能であるが,実用上,mの値が大きくなりすぎると,膜内でのmのばらつきが大きくなることと,酸素欠陥が生じやすくな」(【0011】)るとあり,mの値が50よりも大きくなると,mの値のばらつきや酸素欠陥の発生のために望ましくないことが記載されている。
そうすると,当業者であれば,甲3の実施例1で,m=5の場合に相当する単結晶InGaO3(ZnO)5薄膜が反応性固相エピタキシャル法によって作製することができれば,m=6~49の場合にも同様にして,単結晶のInGaO3(ZnO)m薄膜が成長できることを理解するものと認められる。
ウ 次に,Mの元素の範囲について検討する。
甲14には,第1表(49頁)にIn2O3(ZnO)m,InFeO3(ZnO)m,InGaO3(ZnO)m及びInAlO3(ZnO)mのそれぞれについて,結晶の格子定数が記載されている。
また,甲24には,「30a-YA-1 自然超格子InMO3(ZnO)m(M=In,Ga,m=自然数)単結晶薄膜の作製(Ⅰ)」及び「30a-YA-2 自然超格子InMO3(ZnO)m(M=In,Ga,m=自然数)単結晶薄膜の作製(Ⅱ)」と題する講演の予稿が掲載されている。
さらに,甲28の論文名は,「In2O3-ZnGa2O4-ZnO系ホモロガス化合物,In2O3(ZnO)m(m=3,4,5),InGaO3(ZnO)3,及びGa2O3(ZnO)m(m=7,8,9,16)の合成と単結晶のデータ」(訳文)となっている。
以上によれば,本件出願日当時から,In,Fe,Ga及びAlは,一群のMの元素として当業者に認識されていたものと認められるから,当業者であれば,実施例1でM=Gaの場合に相当する単結晶InGaO3(ZnO)5薄膜が反応性固相エピタキシャル法によって作製することができれば,M=In,Fe及びAlの場合にも同様にして,単結晶のInGaO3(ZnO)m薄膜が成長できることを理解するものと認められる。
エ したがって,本件発明3は,サポート要件を満たしているものと認められ,いずれにしても,取消事由4には,理由がない。
第6 結論
以上より,本件発明1,2及び4については,取消事由3に理由があるから,同発明に関する審決は取り消されるべきである。本件発明3については,原告の請求には理由がないから,これを棄却することとする。よって,主文のとおり判決する。
 
【所感】
本件明細書には、m=5~49の場合にアモルファス薄膜が製造できる記載はない。本件明細書に接した当業者は、m=5~49の場合には、単結晶の本件化合物薄膜が製造されると理解するように思われる。出願時に、m=5~49の場合はアモルファスの本件化合物薄膜の製造が困難であるという認識があったのであれば、明細書にはその製造方法を当業者が実施可能な程度に記載すべきである。
なお、m=1~4は単結晶又はアモルファスで実施可能、m=5~49は単結晶で実施可能であり、請求項1(本件発明1)では、結晶構造(単結晶/アモルファス)については言及されていない。本件発明1は、単結晶でもアモルファスでも効果を奏するものであり、どのような結晶形態であるかは問題ではないと考えられる。また、請求項1のmの全範囲(m=1~49)について、何らかの形態で実施可能なことは記載されている。従って、本件発明1は、m=1~49の全範囲で実施可能であるようにも考えられる。