眼科用清涼組成物事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2017.01.18
事件番号 H28(行ケ)10005
担当部 知財高裁第1部
発明の名称 眼科用清涼組成物
キーワード 明確性違反

事案の内容

【原告の特許権】
特許番号   第5403850号
優先日     平成16年6月8日
出願日     平成17年6月7日(特願2005-167147号)
登録日     平成25年11月8日

 

【請求項1】(下線は、焦点となった部分)
a)メントール,カンフル又はボルネオールから選択される化合物を,それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満,
b)0.01~10w/v%の塩化カリウム,塩化カルシウム,塩化ナトリウム,炭酸水素ナトリウム,炭酸ナトリウム,硫酸マグネシウム,リン酸水素二ナトリウム,リン酸二水素ナトリウム,リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種,および
c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物。

 

【取消理由】
 裁判所にて判断のあった取消事由1(「平均分子量」についての記載不備に関する判断の誤り)について紹介する。

 

【裁判所の判断】
1 取消事由1(「平均分子量」についての記載不備に関する判断の誤り)について
(1) 特許法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関し,特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。この趣旨は,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るため,そのような不都合な結果を防止することにある。そして,特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載のみならず,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
原告は,本件特許請求の範囲及び本件明細書における「平均分子量」という記載が不明確であり,明確性要件を欠くと主張するので,以下検討する。
~略~
(4) 本件明細書における「平均分子量」の意義
前提となる事実に証拠(後掲各証拠のほか,甲49〔本件明細書〕)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる。
「平均分子量」という概念は,一義的なものではなく,測定方法の違い等によって,「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等にそれぞれ区分される(甲17)。そのため,同一の高分子化合物であっても,「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等の各数値は,必ずしも一致せず,それぞれ異なるものとなり得る(甲27)。
本件特許請求の範囲及び本件明細書には,単に「平均分子量」と記載されるにとどまり,上記にいう「平均分子量」が「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれに該当するかを明らかにする記載は存在しない。
もっとも,本件明細書に記載された他の高分子化合物については,例えば,ヒドロキシエチルセルロース(【0016】),メチルセルロース(【0017】),ポリビニルピロリドン(【0018】)及びポリビニルアルコール(【0020】)の平均分子量として記載されている各社の各製品の各数値は,重量平均分子量の各数値が記載されているものであり,この重量平均分子量の各数値は公知であったから(甲58,61ないし67),当業者は,これらの高分子化合物の平均分子量は,重量平均分子量を意味するものと解するものと推認される
ウ 次に掲げる事実によれば,高分子化合物の「平均分子量」は,本件出願日当
時には,一般に「重量平均分子量」によって明記されていたことが認められる。
~略~
エ 次に掲げる事実によれば,マルハ株式会社(その後に同社の事業を承継した
マルハニチロ株式会社を含む〔甲43〕)から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの「重量平均分子量」は,本件出願日当時,2万ないし2.5万程度のものであったことが認められる。
~略~
オ マルハ株式会社は,平成15年ないし平成16年頃,コンドロイチン硫酸ナ
トリウム(Lot.PUC-822,829,844,845,849,850及び855)の平均分子量につき,全て「粘度平均分子量」で測定してこれを販売しており,それ以外の測定方法によって算出したものは存在しない。また,上記の各製品の「粘度平均分子量」は6千ないし1万程度のものであったことが認められる。
(甲2)
カ マルハ株式会社は,過去において,ユーザーからコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について問合せがあった場合には,粘度平均分子量の数値を提供していたものであり(甲43),ユーザーには当業者が含まれると推認されるから,本件出願日当時,マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として,同社のユーザーである当業者に公然に知られた数値は,粘度平均分子量の数値であったと認められる。
キ マルハ株式会社と生化学工業株式会社の2社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸又はその塩の製造販売を市場において独占していた。
(5) 明確性要件違反について
本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれを示すものであるかについては,本件明細書において,これを明らかにする記載は存在しない。もっとも,このような場合であっても,本件明細書におけるコンドロイチン硫酸あるいはその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し,当業者の技術常識も参酌して,その平均分子量が何であるかを合理的に推認することができるときには,そのように解釈すべきである。しかし,本件においては,次に述べるとおり,「コンドロイチン或いはその塩」の平均分子量が重量平均分子量であるのか,粘度平均分子量であるのかを合理的に推認することはできない
前記(2)ないし(4)の認定事実によれば,本件明細書(【0021】)には,「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。より好ましくは0.5万~20万,さらに好ましくは平均分子量0.5万~10万,特に好ましくは0.5万~4万のコンドロイチン硫酸又はその塩を用いる。かかるコンドロイチン硫酸又はその塩は市販のものを利用することができ,例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」という記載がされている。また,本件出願日当時,マルハ株式会社が販売していたコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量は,重量平均分子量によれば2万ないし2.5万程度のものであり,他方,粘度平均分子量によれば6千ないし1万程度のものであったことからすれば,本件明細書のマルハ株式会社から販売される上記「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」にいう「平均分子量」が客観的には粘度平均分子量の数値を示すものであると推認される。
そして,マルハ株式会社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって,コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し,ユーザー(当業者を含む。以下同じ。)から問い合わせがあった場合には,その数値(6千ないし1万程度のもの)をユーザーに提供していたのであり,マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として,同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムを利用する当業者に公然と知られていた数値は,このような粘度平均分子量の数値であったと認められる。
のみならず,本件出願日当時には,マルハ株式会社から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が2万ないし2.5万程度のものであることを示す刊行物が既に複数頒布され,当該数値は,本件明細書にいう0.7万等という数値とは明らかに齟齬するものであることが認められる。これらの事情の下においては,本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」という記載に接した当業者は,上記にいう平均分子量が粘度平均分子量を示す可能性が高いと理解するのが自然である。そうすると,当業者は,本件特許請求の範囲の記載について,少なくともコンドロイチン硫酸又はその塩に限っては,重量平均分子量によって示されていることに疑義を持つものと認めるのが相当である。
したがって,当業者は,本件出願日当時,本件明細書に記載されたその他高分子化合物であるヒドロキシエチルセルロース(【0016】),メチルセルロース(【0017】),ポリビニルピロリドン(【0018】)及びポリビニルアルコール(【0020】)については重量平均分子量で記載されているものと理解したとしても,少なくとも,コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず,これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができないものと認められる
以上によれば,本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」のいずれを示すものであるかが明らかでない以上,上記記載は,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であり,特許法36条6項2号に違反すると認めるのが相当である。
(6) 被告の主張に対する判断
ア 甲28公報及び甲29公報には,マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナ
トリウム(Lot.PUC-790等)の「重量平均分子量」の数値が記載されるにとどまり,その他測定方法による数値が記載されず,マルハ株式会社がコンドロイチン硫酸ナトリウムの「重量平均分子量」以外の平均分子量の値を当業者に提供していたことはうかがわれないのであるから,当業者は本件明細書(【0021】)の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」の「平均分子量」が「粘度平均分子量」であると理解することはない旨主張する。しかしながら,前記(4)の認定事実のとおり,マルハ株式会社は,コンドロイチン硫酸ナトリウムを全て「粘度平均分子量」の数値で算定していた上,ユーザーから問合せがあればその数値を伝えていたのであるから,マルハ株式会社がそのコンドロイチン硫酸ナトリウムについて「重量平均分子量」以外の平均分子量の値を当業者に提供していないとする被告の主張は,その前提を欠く。かえって,甲28公報及び甲29公報において示されているコンドロイチン硫酸ナトリウムの「重量平均分子量」の数値は,甲28公報及び甲29公報各記載の各製品と本件明細書記載の製品が概ね同時期に販売されていたにもかかわらず,本件明細書にいうコンドロイチン硫酸ナトリウムの「平均分子量」の数値と大きく齟齬しているのであるから,当業者は,むしろ,上記各公報の測定方法と本件明細書の測定方法が異なるものと理解するのが自然である。したがって,被告の上記主張は理由がない。
イ 被告は,本件出願日当時,「重量平均分子量」が高分子の「平均分子量」として最も多い頻度で使用され,しかも「重量平均分子量」は,他のものとは異なり高分子の各種物性と関わりを有するものであるから,当業者は,本件特許請求の範囲にいう「コンドロイチン硫酸或いはその塩」の「平均分子量」を「重量平均分子量」であると理解するのが自然であるなどと主張する。
しかしながら,前記(4)の認定事実によれば,本件出願日当時,高分子の平均分子量は一般には「重量平均分子量」によって明記されていたことが認められるものの,マルハ株式会社の販売するコンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,そのユーザーには粘度平均分子量によって測定された平均分子量の数値が公然と示されていたのであり,同数値は,本件出願日前に頒布された複数の刊行物に記載されていた,同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量の数値とは明らかに齟齬することからすれば,本件出願日当時の当業者にとっては,他の高分子化合物とは異なり,少なくとも本件明細書に示された同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量が重量平均分子量か,粘度平均分子量であるかは不明であったものといわざるを得ない。
以上のとおり,本件明細書の発明の詳細な説明と,当業者の技術常識から,これを合理的に解釈しようとしても,本件特許請求の範囲におけるコンドロイチン硫酸ナトリウムに係る「平均分子量」が「重量平均分子量」か「粘度平均分子量」を意味するかが不明であり,その数値範囲を特定することができないのであるから,本件特許請求の範囲の上記記載は不明確であるといわざるを得ない。したがって,被告の上記主張は,採用することができない。
(7) まとめ
以上によれば,「平均分子量」という本件特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項2号の明確性要件に違反するものと認められるから,その余の点を判断するまでもなく,審決にはこれを取り消すべき違法があり,原告の取消事由1には理由がある

 

【所感】
 判決は妥当であると感じた。
 平均分子量や平均粒径などは、様々な測定方法や定義があるため、問題となりやすい。このため、このような文言については、特に、明細書において、明確な定義を記載するべきである。あわせて、JISなどの規格についても、複数の選択肢があることにより一義的に測定方法などが特定できない場合があるため、留意すべきである。
 本事件については、明細書において、明確な定義が置いてあれば、仮に、本件のような一つだけ異なる測定条件で測定された記載があったというミスがあったとしても、致命的なものにはならなかったのではないかと考えられる。