水洗便器事件(その2)

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2016.02.17
事件番号 H27(行ケ)第10077号
担当部 知的財産高等裁判所第2部
発明の名称 水洗便器
キーワード 進歩性判断
事案の内容  本件特許:特許第3578169号
 本件は、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消訴訟であり、原告の請求が認められず、審決が維持された。
 進歩性判断において作用・機能的な限定に重点がおかれた判断が示された点や、引用発明の構成からの一部削除が許されないとした判断が示された点がポイント。
 なお、本件では、他に訂正要件、サポート要件、明確性要件についての判断も示されているが、その争点に関しては、「水洗便器事件 その1」において紹介している。

事案の内容

【経緯】
(1)原告: 無効審判請求(無効2013-800237号)
(2)被告: 訂正請求
(3)特許庁:訂正を認め、原告の無効審判請求を棄却

 

【本件発明】 
(1)本件訂正発明
[請求項1](全文) ※下線は訂正箇所
 新たな洗浄水を便器ボール部(20)に通水して,該便器ボール部のボール面に貯め置く溜水をボール面の付着汚物と共にトラップから排出し,便器洗浄を行う水洗便器(10)であって,
 前記便器ボール部におけるボール面上縁部に露出して設けられた1つのボール面噴出口(44)であって,このボール面噴出口(44)は洗浄水を供給する給水路の先端開口であり,供給を受けた洗浄水を前記ボール面上縁部からボール面上縁(24)に沿って噴出する前記ボール面噴出口(44)と,
 前記ボール面噴出口からの噴出洗浄水を前記ボール面上縁回りに案内する露出した案内手段とを備え,
 前記案内手段は,前記噴出洗浄水が流れる棚部(50)と,前記噴出洗浄水の流れ方向を規制すると共に前記棚部の便器外側方向から上方に立ち上がって前記棚部をオーバーハングする規制壁部(21)とを,前記ボール面上縁回りに形成して備え,
 前記棚部(50)は,前記ボール面噴出口との繋ぎ部分において,前記ボール面噴出口の開口底面から略連続した棚面を有し,
 前記規制壁部は,前記ボール面噴出口との繋ぎ部分において,前記ボール面噴出口の開口側面から略連続した壁面を有し,前記棚部(50)は,前記ボール面上縁回りに形成された前記噴出洗浄水(RS)の旋回経路である前記棚面を有し,
[この棚面は,前記便器ボール部(20)の底部の側への傾斜が前記ボール面のボール面上縁(24)より下側で且つボール面上縁に隣接する領域よりも緩やかに形成されており,](訂正事項7)
[前記棚部は,前記1つのボール面噴出口(44)から噴出された噴出洗浄水(RS)を棚面に乗せて旋回経路に沿って下流に流すことにより一方向の旋回流を形成すると共にこの旋回する噴出洗浄水を旋回経路の棚面から前記ボール面のボール面上縁(24)より下側で且つボール面上縁(24)に隣接する領域に流れ落とし,この流下する洗浄水がボール面の付着汚物を剥離するようになっている](訂正事項8)ことを特徴とする水洗便器。

 

【裁判所の判断】
<甲1を主引例とする進歩性判断に関して>
4 取消事由2について
…原告は,本件訂正発明の棚部は,主洗浄水が流れればその形状を問わないとの旨を主張するが,「棚」との用語により形状を発明特定事項としている以上,その段差により他と区別される形状を全く考慮しない用語の解釈は,相当とはいえない。…
…原告は,本件訂正発明の棚部が主洗浄水が流れればよいとの解釈を前提として,甲1発明の乾燥面の上方領域は本件訂正発明の棚部に相当し,その表面部分は本件訂正発明の棚面に相当する旨を主張するが,その主張は,前提において誤りがある。本件訂正発明の棚面に相当するといえるためには,少なくとも,当該部分が,他と区分され得る,洗浄水を載置して旋回させる経路でなければならない。しかしながら,甲1発明の乾燥面の上方領域は,汚物受け面10からボウル部導水路16にかけての滑らかに連続する湾曲面の一部にすぎず(明細書9頁20~23行目),旋回する洗浄水が流れることもあるものの,他と区分されて専ら洗浄水の旋回経路として設けられたものではなく,しかも,この乾燥面の上方領域から棚面に相当する部分を区分することが困難である。…甲1発明の乾燥面の上方領域は,本件訂正発明の棚面に相当するものとは認められず,原告の上記主張は,採用することができない。

 

5 取消事由3(相違点1-3の判断の誤り〔無効理由2-1関係〕)について
(1) ボール面噴出口の数
 原告は,ボウル面の上縁部に洗浄水を導く水平な通水路を備えることは,ボール面噴出口が1つであるか2つであるかを問わない周知技術である旨を主張する。
 しかしながら,水洗便器の技術分野において,洗浄水の噴出口の数,通水路の構造と洗浄水の供給路,流水路とは一連の技術事項であるといえ,このような一連の技術の一面だけに着目し,ひとまとまりの技術事項の一部を抽出することは,それ自体が技術思想の創作活動であるから,安易な抽象化,上位概念化は許されず,技術事項に対応した慎重な検討が求められるというべきである。そして,原告の提出する証拠によれば,水洗便器の洗浄においては,洗浄水の供給の形態,噴出口の数,通水路及び流水路の形状に様々なものがあり,このような様々な洗浄方式の相違を考慮せずに,ボウル面の上縁部に洗浄水を導く水平な通水路を備えることが,噴出口の数,そして,それにより当然に異なる洗浄水の流路のいずれも問わない周知技術であると認めることは相当でなく,少なくとも,本件訂正発明及び甲1発明と同様の,洗浄水の水平方向への供給口が一つであって,その流路が一方向である水洗便器の洗浄方式を前提として,上記の周知技術が認められるか否かを判断すべきものといえる。…
(2) 容易想到性について
ア 甲9発明
 原告は,甲9発明のマニフォールド20の上部表面21が,本件訂正発明の棚部及び棚面に相当する旨を主張する。…上部表面21は,便器13の一部ではあるものの(訳文2頁43~44行目参照),開放された便器内面にあるとはいえないから,ボール面の上縁部に設けられた通水路ではなく,本件訂正発明の棚面にも棚部にも相当しない。…
イ 甲16発明
 原告は,甲16発明の棚状部18は,本件訂正発明の棚部及び棚面に相当する旨を主張する。
 甲16発明は,最少量の水を用いて便器表面を均一に洗浄するために(【0001】【0005】),パルセータ(パルス発生器)22を用いて水洗ノズル20から水平方向に水洗水のパルスをレッジ(棚状部)18に噴射し,…
 以上からすると,甲16発明は,本件訂正発明の棚部及び棚面に相当する構成を有するものではあるが,そもそも,溜水に旋回流を発生させ,サイホン作用により汚物を便器外に排出する洗浄方式である甲1発明とは全く異なる洗浄方式を採用しており,甲1発明に適用できる周知技術ではない。…

 

<甲2を主引例とする進歩性判断に関して>
6 取消事由4(相違点2-1の判断の誤り〔無効理由2-2関係〕)について
(1) 相違点2-1の判断の誤りについて
…甲2発明は,2本以上の流体通路の構造的特性の差異を利用した洗浄水の供給により,渦洗浄動作,優れた洗浄及び衛生特性,洗浄水の減少,渦洗浄方法を提供しようとするものであるから(訳文1頁9~16行目),甲2発明に接した当業者は,甲2発明の目的達成のためには,2本以上の流体通路を組み合わせることを必須の構成と理解する。そうすると,仮に,1つのボール面噴出口により渦洗浄動作を発生させる水洗便器が周知であったとしても,当業者は,他に何らかの技術課題や積極的な動機付けが認められない限り,甲2発明の流体通路の繋ぎ部分を一本にしようと試みることはしないといえる。そして,上記の技術課題等は,本件証拠上認められないから,当業者は,甲2発明の繋ぎ部分を減少させる構成を容易に採用できるものではなく,この結論は,一般的にボール面噴出口1つのタイプと同2つのタイプの各構成が相互に置換可能であるか否かにより左右されない。…

 

<甲3を主引例とする進歩性判断に関して>
7 取消事由5(相違点3-1の判断の誤り〔無効理由2-3関係〕)について
(1) 相違点3-1の判断の誤りについて
…甲3発明は,少ない洗浄水で洗浄面全面を効果的に洗浄するために,給水路からの洗浄水を大きくは3方向に分けているのであり,その技術思想は,洗浄水を分散させて供給するというところにあると認められるから,甲3発明に接した当業者は,甲3発明の効果を奏するためには,給水路からの洗浄水を少なくとも3方向に分散させることが必要であると理解する。そうすると,仮に,1つのボール面噴出口により渦洗浄動作を発生させる水洗便器が周知であったとしても,当業者は,他に何らかの技術課題や積極的な動機付けが認められない限り,甲3発明の給水路下流の露出部分を一本にまとめようと試みることはしないといえる…。そして,上記の技術課題等は,本件証拠上認められないから,当業者は,甲3発明の給水路下流の露出部分を減少させる構成を容易に採用できるものではなく,この結論は,一般的にボール面噴出口1つのタイプと同2つのタイプの各構成が相互に置換可能であるか否かにより左右されない。…

 

【所感】
 甲1発明の断面図を見ると、本件発明の棚部に類似する構造が見受けられるが、本判決では、その構造は、洗浄水の旋回流路として他の部位と区別できる態様で設けられたものではない、と判断されている。つまり、洗浄水の旋回流路を構成する主流路がどこであるかが、大きな差異として評価されたと言え、本件発明における作用・機能の限定が、引例との相違点として積極的に評価されている点は興味深いと思う。
 また、「ひとまとまりの技術事項からの一部の抽出」が安易な上位概念化に相当することが示されている点や、引例で採用されている技術との方式の相違を理由に周知技術の適用が認められないと判断されている点など、中間応答の実務においても参考になる事例ではないかと思う。