染毛剤事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2018.08.22
事件番号 H29(行ケ)10216
担当部 知財高裁第2部
発明の名称 染毛剤、その使用方法及び染毛剤用品
キーワード 補正における新規事項の追加の有無
事案の内容 拒絶査定不服審判(不服2016-7849号)の不成立審決に対する取消訴訟であり、訴えが認められて、審決が取り消された。
補正によりクレームに加えた事項が明細書に明示的に記載されていなかったが、第三者が製造販売する特定の製品に係る構成を技術常識として参酌しつつ、明細書等から導かれる技術的事項を認定した点がポイント。

事案の内容

【手続の経緯】
 平成24年2月13日、平成26年11月25日、平成27年4月17日に、特許請求の範囲を補正
 平成28年2月2日: 「常温」を「常温(25℃)」とし、「撹拌羽」の寸法の追加を含む補正
 平成28年2月16日: 「常温」を「常温(25℃)」とする補正が新規事項の追加であるとして補正を却下して拒絶査定
 平成28年5月30日: 拒絶査定不服審判請求。上記補正と同内容の補正。
 平成29年5月12日: 前置報告書を受けて、「常温」を「常温(25℃)」とする補正を撤回する補正案を上申書で示す。
 平成29年10月11日: 「撹拌羽」の寸法の追加が新規事項の追加であるとして補正を却下し、拒絶審決。
 
【特許請求の範囲】
[請求項1]
 アルカリ剤を含有する第1剤と酸化剤を含有する第2剤を含んで構成されると共に,
前記第1剤と前記第2剤の混合液中に
(A)カチオン性界面活性剤0.05~10質量%,
(B)アニオン性界面活性剤0.1~10質量%,
 高級アルコール及びシリコーン類を含む,常温(25℃)で液状である油性成分0.01~1質量%,並びに
エタノール,イソプロパノール,プロパノール,ブチルアルコール,ベンジルアルコールから選択される溶剤0.1~20質量%を含有し,
 その各剤の混合液をノンエアゾールフォーマー容器から泡状に吐出して用いる染毛剤であって,前記ノンエアゾールフォーマー容器から吐出した泡をそのまま下記の特定の撹拌条件下で撹拌したとき,撹拌直後の泡(a)の体積に対する撹拌後40分経過時の泡(b)の体積の比率b/aが0.7~1の範囲内であることを特徴とする染毛剤。
 撹拌条件:前記吐出直後の泡150mlを,200ml容で内径がほぼ6cmの円筒形容器(例えばビーカー)に収容する。次いで,日光ケミカルズ(株)製の市販乳化試験器ET-3A型の回転軸に取付けた撹拌羽を,その回転中心が円筒形容器の中心線と一致するように,かつその下端部が円筒形容器の底部との間に僅かなクリアランスを残すように,円筒形容器内部に位置決めする。撹拌羽は,回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものである(撹拌羽の左右方向の幅は,全幅58mm,支軸直径6mm,支軸と羽との間隔(隙間)16mm,羽の幅10mmである。)。撹拌羽の回転半径は円筒形容器の半径より僅かに(数mm程度)小さく,対の羽部の上下方向の幅は円筒形容器に収容した泡の液面に達するサイズである。このように撹拌羽を位置決めしたもとで,25℃の雰囲気中,撹拌羽を150rpmの回転速度で3分間回転させ,泡を撹拌する。
 
【裁判所の判断】
2 取消事由1(新規事項追加の判断の誤り)について
 審決は,特定事項aを本願の請求項1に追加することが新たな技術的事項を導入するものであって,これを含む本件補正は却下すべきと判断するので,以下,検討する。
(1) 判断の前提となる事実
 以下の各証拠及び弁論の全趣旨によると,次の事実が認められる。
ア 撹拌条件に関する当初明細書の記載(甲1)
「【課題を解決するための手段】
【0011】更に第1発明において「特定の撹拌条件下で撹拌」とは,泡状に吐出した染毛剤を「手で揉み込むようにして頭髪に適用する」という操作を,判定基準としての客観的統一性を持たせた機械的な撹拌操作に置き換えたものであり,具体的には以下の条件下での撹拌を言う。
【0012】即ち,ノンエアゾールフォーマー容器から染毛剤の各剤の混合液を泡状に吐出し,その150mlを,200ml容で内径がほぼ6cmの円筒形容器(例えばビーカー)に収容する。次いで,日光ケミカルズ(株)製の市販乳化試験器ET―3A型の回転軸に取付けた撹拌羽を,その回転中心が円筒形容器の中心線と一致するように,かつその下端部が円筒形容器の底部との間に僅かなクリアランスを残すように,円筒形容器内部に位置決めする。撹拌羽は,回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものである。撹拌羽の回転半径は円筒形容器の半径より僅かに( 数mm程度) 小さく,対の羽部の上下方向の幅は円筒形容器に収容した泡の液面に達するサイズである。
【0013】このように撹拌羽を位置決めした下で,25℃の雰囲気中,撹拌羽を150rpmの回転速度で3分間回転させ,泡を撹拌する。この撹拌条件下で撹拌した直後の泡の状態は,同上のノンエアゾールフォーマー容器から吐出した泡をウィッグに揉み込んで適用した場合の平均的な泡の状態との比較において,泡の外観や泡の液化挙動等がほぼ同じであることが実験的に確認されている。」
イ ET-3A及び本件撹拌羽根に関する事実
(ア) ET-3Aは,乳化試験等に用いる実験用の機械であり,日光ケミカルズは,昭和60年頃から現在まで継続してET-3Aを販売しており,その累計出荷台数は平成30年5月11日現在で301台である。(甲13,18)
(イ) 日光ケミカルズが販売するET-3Aには,100,200,300,500mlの大きさのビーカーにそれぞれ対応した,4種類の本件撹拌羽根が付属品として必ず添付されており,その形状,寸法は発売開始当初から現在までの間に変更されていない上,これまでに顧客の要望に応じて撹拌羽根の形状,寸法が変更されたということもない。(甲13,18)
本件撹拌羽根は,4種類いずれもが回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものであり,原告が所持している200mlビーカー用の本件撹拌羽根13本の寸法は以下のとおりである。(甲13,14,甲15の1)
(ウ)日光ケミカルズが平成17年7月頃に作成したカタログには,上記のように支軸の下端から「山」の字を構成する形態で対の羽部が延設された形状をした本件撹拌羽根を装着した状態のET-3Aの写真が掲載されている。また,平成26年12月13日に作成された新しい日光ケミカルズのカタログにも,ET-3Aの付属品として,「付属品 ・攪拌羽根(ビーカー200ml用),ビーカークランプ 各3set」などとして,4種類の本件撹拌羽根が写真入りで記載されている。(甲13)
(エ)ET-3Aにおいては,本件撹拌羽根以外にも支軸直径が6mmである別の撹拌羽根を使用することが可能であり,実際にET-3Aに取付け可能な撹拌羽根が何種類か市販されている。しかし,市販されているいずれの撹拌羽根も本件撹拌羽根とはその形状が異なっており,本件撹拌羽根のように支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設するような形状のものはなく,したがって,支軸直径を除く寸法も同じではない。(乙5)
(2) 判断
ア 新たな技術的事項導入の有無について
 特許請求の範囲等の補正は,願書に最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならないところ(特許法17条の2第3項),上記の「最初に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項」とは,当業者によって,明細書,特許請求の範囲又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項を意味し,当該補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は「明細書,特許請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる(知財高裁平成18年(行ケ)第10563号同20年5月30日特別部判決・判例タイムズ1290号224頁参照)。
 これを本件についてみるに,前記で認定したような本願発明において,撹拌羽根の形状,寸法等の撹拌条件は発明特定事項として重要な要素といえるところ,当初明細書等に本件撹拌羽根を用いることは明示されていない。しかし,当初明細書の【0012】には,①撹拌にET-3Aを用いること,②「撹拌羽」は,回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設した「撹拌羽」であること,③「撹拌羽」の回転半径は,内容量が200mlで内径約6cmのビーカー等の円筒形容器の半径(約3cm)より僅かに小さいことが記載されているところ,前記(1)イの事実によると,当初明細書に記載されている上記「撹拌羽」の形状,寸法は,ET-3Aの付属品である200mlビーカー用の本件撹拌羽根のそれと一致するものである。また,前記(1)イの事実によると,ET-3Aは,昭和60年頃から長年にわたって販売されており,多数の当業者によって使用されてきたと推認される実験用の機械であるところ,販売開始以来,付属品である本件撹拌羽根の形状,寸法に変更が加えられたことは一度もなく,しかも,遅くとも平成17年7月頃には,本件撹拌羽根は,ET-3Aとともに日光ケミカルズのカタログに掲載されていた。さらに,当初明細書の記載に適合するような形状,寸法のET-3A用の撹拌羽根が,ET-3A本体とは別に市販されていたことは証拠上認められない。
 以上の事実を考え併せると,当業者が,当初明細書等に接した場合,そこに記載されている撹拌羽が,ET-3Aに付属品として添付されている200mlビーカー用の本件撹拌羽根を指していると理解することができるものと認められる。そして,特定事項aは,200mlビーカー用の本件撹拌羽根の実寸法を追加するものであるから,特定事項aを本願の請求項1に記載することが,明細書又は図面の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係で新たな技術的事項を導入するものとはいえず,新規事項追加の判断の誤りをいう原告の主張は理由がある。
イ 被告の主張について
 被告は,ET-3Aのような乳化試験機において,付属品以外の撹拌羽根を任意に選択して用いることができるのは明らかであるところ,ET-3Aに取付け可能な撹拌羽根が単体で市販されていたり,ET-3Aが付属品なしで取引されていたりすることからすると,当業者が,当初明細書等の記載から,そこでいう撹拌羽根が,200mlビーカー用の本件撹拌羽根を指していると理解することはないなどと主張する。
 しかし,前記(1)イのとおり,ET-3Aに取付け可能な撹拌羽根として市販されていることが証拠上確認できるものは,そのいずれもが当初明細書に記載されているような回転中心となる支軸の下端から漢字の「山」の字を構成する形態で対の羽部を延設したものではないから,それらの撹拌羽根が市販されているという事実をもって,上記アの認定は左右されない。
 また,証拠(乙6の1・2)によると,いわゆるインターネットオークションにおいて,本件撹拌羽根が付属品として添付されていない中古品のET-3Aが取引されている事実は認められるものの,このような取引の事実があったからといって上記アの認定が左右されることはないというべきである。
 よって,被告の上記主張はいずれも採用できない。
ウ 小括
 以上のとおり,特定事項aは新たな技術的事項を導入するものではなく,特定事項aを本願の請求項1に追加することは願書に添付した明細書,特許請求の範囲及び図面に記載した事項の範囲内においてするものというべきである。審決の明確性及び実施可能性についての判断は,特定事項aの追加が新規事項の追加に当たり,本件補正を却下すべきことを前提としてされたものであるから,特定事項aの追加が新規事項の追加に当たるとした判断の誤りは審決の明確性及び実施可能性についての判断にも影響を及ぼすものといえる。
したがって,審判において,特定事項aの追加が新規事項の追加に当たらないことを前提に,再度,審理・判断を行う必要があるものと認められる。
 
【解説・感想】
 裁判所の判断は、出願人にとって非常に有利な判断がなされた。すなわち、出願時の当初明細書においては、撹拌羽を有する入荷試験機について、「ET-3A」という品番しか記載されていなかったが、撹拌羽の具体的な寸法の規定を加える補正が、新規事項の追加ではないと判断された。
 
 本件では、ET-3Aが、長年にわたって販売されており、形状,寸法に変更が加えられたことは一度もない等の種々の条件を満たすことにより、新規事項の追加ではないと判断されたと考えられる。当該補正に係る箇所は、特殊パラメーターである物性値の測定方法に関する箇所である。判決文で認定されている事実に基づいて、撹拌羽の特定形状が特定でき、明細書の記載により測定方法が客観的に特定されると考えられるため、新規事項の追加ではない、と判断する考え方も一理あると理解できる。
 実務的には、今後、明確性や実施可能要件等に係る拒絶理由を受けたときに、測定方法に係る物の形状等の特定により拒絶理由の解消が可能と考えられる場合には、明細書に明示的な記載が無くても、客観的な事実に基づいて上記物の形状等を特定する補正を行なうことが、有力な対応案になり得ると考えられる。
 しかしながら、審査・審判段階でこのような補正を認める場合には、補正の根拠として単にカタログの提出などで足りるとするのではなく、例えば裁判所で認定された程度に、事実を厳密に立証できる証拠の提出を求めることが望ましいと考える。そのようにしないと、争いになったときの立証責任は出願人側にあるとしても、それ以前の段階で、明細書等に明示されていないが補正が認められる事項を判断しようとする際に、過剰な負荷が第三者にかかり、特許出願の趨勢に係る予測性が低下する場合が生じ得るのではないかと思われる。