摩擦熱変色性筆記具事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2017.03.21
事件番号 H28(行ケ)10186号
担当部 知財高裁第4部
発明の名称 摩擦熱変色性筆記具およびそれを用いた摩擦熱変色セット
キーワード 進歩性
事案の内容 無効審判において、請求項1,5ないし7及び9に係る発明について訂正請求を認めつつ、進歩性違反とした無効審決について、容易想到性に関する判断に誤りがあるとして、審決を取り消した。

事案の内容

【特許庁等における手続の経緯】
平成14年1月25日(優先日:平成13年11月12日、日本) 特許出願
平成21年5月22日 設定登録(特許第4312987号:「本件特許」)
平成22年7月 7日 特定承継を原因とする一部移転登録
平成26年7月31日 特許無効審判請求(無効2014-800128号 請求項1ないし9)
平成28年3月 4日 訂正請求(請求項2ないし4及び8削除、請求項1,5ないし7及び9限縮など)平成28年6月28日 本件訂正を認めた上で,特許請求の範囲請求項2ないし4及び8に係る発明についての無効審判請求を却下し、特許請求の範囲請求項1,5ないし7及び9に係る発明についての無効審決(「本件審決」)
平成28年8月 8日 請求項1,5ないし7及び9に係る部分の取消しを求める本件訴訟提起
 

【本件特許(訂正後)の特許請求の範囲】
【請求項1(本件発明1)】 *下線部分は、後述の相違点として要点となる部分
 低温側変色点を-30℃~+10℃の範囲に,高温側変色点を36℃~65℃の範囲に有し,平均粒子径が0.5~5μmの範囲にある可逆熱変色性マイクロカプセル顔料を水性媒体中に分散させた可逆熱変色性インキを充填し,前記高温側変色点以下の任意の温度における第1の状態から,摩擦体による摩擦熱により第2の状態に変位し,前記第2の状態からの温度降下により,第1の状態に互変的に変位する熱変色性筆跡を形成する特性を備えてなり,第1の状態が有色で第2の状態が無色の互変性を有し,前記可逆熱変色性マイクロカプセル顔料は発色状態又は消色状態を互変的に特定温度域で記憶保持する色彩記憶保持型であり,筆記時の前記インキの筆跡は室温(25℃)で第1の状態にあり,エラストマー又はプラスチック発泡体から選ばれ,摩擦熱により前記インキの筆跡を消色させる摩擦体が筆記具の後部又は,キャップの頂部に装着されてなる摩擦熱変色性筆記具。
※請求項5ないし7および9は請求項1の従属項であるため省略
 

【本件審決の理由の要旨】
<本件審決の理由(抜粋)>
 本件発明1は,引用例1(「引用発明1」)、引用例2(「引用発明2」)並びに下記ウ,エ,カからクの引用例に記載された技術事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから,いずれも特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
ア 引用例1:特開2001-207101号公報 (別添)
イ 引用例2:特開平7-241388号公報 (別添)
ウ、エ、カ~ク 引用例3~引用例8: (省略)
 

<本件審決の引用発明1の認定>
 低温側変色点を5℃~25℃の範囲に,高温側変色点を27℃~45℃の範囲に有し,平均粒子径が1~3μmの範囲にある可逆熱変色性微小カプセル顔料を水性媒体中に分散させた可逆熱変色性インキ組成物を充填し,低温側変色点以下の低温域での発色状態,又は高温側変色点以上の高温域での消色状態が,特定温度域で記憶保持できる色彩記憶保持型である,任意の熱変色像を筆記形成自在に構成した筆記具
<本件発明1と引用発明1との一致点>
(省略)
<本件発明1と引用発明1との相違点>
(相違点1)
 本件発明1が,可逆熱変色性マイクロカプセル顔料(可逆熱変色性微小カプセル顔料)において,低温側変色点を-30℃~+10℃の範囲に,高温側変色点を36℃~65℃の範囲に有するものであるのに対し,引用発明1は,低温側変色点を5℃~25℃の範囲に,高温側変色点を27℃~45℃の範囲に有するものである点
(相違点2)
 本件発明1が,可逆熱変色性マイクロカプセル顔料(可逆熱変色性微小カプセル顔料)において,平均粒子径が0.5~5μmの範囲にあるのに対し,引用発明1は,平均粒子径が1~3μmの範囲にある点
(相違点3)
 本件発明1が,熱変色性筆記具における「熱」について,摩擦熱と特定しているのに対し,引用発明1は,特定していない点
(相違点4)
 本件発明1が,筆記時のインキの筆跡は,室温(25℃)で第1の状態にあり,と特定しているのに対し,引用発明1は,特定していない点
(相違点5)
 本件発明1が,エラストマー又はプラスチック発泡体から選ばれ,摩擦熱により前記インキの筆跡を消色させる摩擦体が,筆記具の後部又はキャップの頂部に装着されてなるのに対し,引用発明1は,特定していない点
 

【取消事由】
容易想到性の判断の誤り
・相違点4の認定及び容易想到性の判断の誤り ⇒審決の相違点4の認定および判断に誤りはない
・相違点1に係る容易想到性の判断の誤り ⇒審決に誤りはない
・相違点3に係る容易想到性の判断の誤り ⇒審決に誤りはない
・相違点5に係る容易想到性の判断の誤り ⇒審決に誤りあり
 

【相違点5に係る容易想到性について】
<本件審決での判断>
 当業者において,引用発明1に,筆記具という技術分野及び熱変色性筆跡を摩擦体の摩擦熱による加熱によって消色させる点において共通する引用発明2を組み合わせることは,容易に想到し得るものであり,摩擦体の材質としては,引用例2に記載されたエラストマー又はプラスチック発泡体を必要に応じて適宜選択することができ,その際,摩擦体を筆記具の後部又はキャップの頂部に装着することは,引用例3,4,7及び8に記載された周知慣用の構造であるから,相違点5に係る本件発明1の構成は当業者が容易に想到し得たものである旨、判断した。
 

<裁判所での判断(相違点5に係る本件発明1の構成の容易想到性)>
 引用発明1と引用発明2は,いずれも色彩記憶保持型の可逆熱変色性微小カプセル顔料を使用してはいるが,
① 引用発明1は,可逆熱変色性インキ組成物を充填したペン等の筆記具であり,それ自体によって熱変色像の筆跡を紙など適宜の対象に形成できるのに対し,
② 引用発明2は,筆記具と熱変色層が形成された支持体等から成る筆記材セットであり,筆記具である冷熱ペンが,氷片や冷水等を充填して低温側変色点以下の温度にした特殊なもので,インキや顔料を含んでおらず,通常の筆記具とは異なり,冷熱ペンのみでは熱変色像の筆跡を形成することができず,セットとされる支持体上面の熱変色層上を筆記することによって熱変色像の筆跡を形成するものであるから,筆跡を形成する対象も支持体上面の熱変色層に限られ両発明は,その構成及び筆跡の形成に関する機能において大きく異なるものといえる。
したがって,当業者において引用発明1に引用発明2を組み合わせることを発想するとはおよそ考え難い
よって,相違点5に係る本件発明1の構成を容易に想到し得たとはいえない。
 

仮に,当業者が引用発明1に引用発明2を組み合わせたとしても,
 前記ウのとおり,引用例2には,熱変色像を形成する熱変色体2及び冷熱ペン8とは別体のものとしての摩擦具9のみが開示されていることから,引用発明2の摩擦具9は,筆記具とは別体のものである。よって,当業者において両者を組み合わせても,引用発明1の筆記具と,これとは別体の,エラストマー又はプラスチック発泡体を用いた摩擦部を備えた摩擦具9(摩擦体)を共に提供する構成を想到するにとどまり,摩擦体を筆記具の後部又はキャップの頂部に装着して筆記具と一体のものとして提供する相違点5に係る本件発明1の構成には至らない
 

引用例3(甲9),甲第10,11号証,引用例4(甲12),甲第13,14,及び52号証には、筆記具の多機能性や携帯性等の観点から筆記具の後部又はキャップに消しゴムないし消し具を取り付けることが,引用例7(甲80)には,筆記具の後部又はキャップに装着された消しゴムに,幼児等が誤飲した場合の安全策を施すことが,引用例8(甲81)には,消しゴムや修正液等の消し具を筆記具のキャップに圧入固定するに当たって確実に固定する方法が,それぞれ記載されている。
しかし,これらのいずれも,消しゴムなど単に筆跡を消去するものを筆記具の後部ないしキャップに装着することを記載したものにすぎない
 

他方,引用発明2の摩擦具9は,低温側変色点以下の低温域での発色状態又は高温側変色点以上の高温域における消色状態を特定温度域において記憶保持することができる色彩記憶保持型の可逆熱変色性微小カプセル顔料からなる可逆熱変色性インキ組成物によって形成された有色の筆跡を,摩擦熱により加熱して消色させるものであり,単に筆跡を消去するものとは性質が異なる。そして,引用例3,4,7,8,甲第10,11,13,14及び52号証のいずれにもそのような摩擦具に関する記載も示唆もない。よって,このような摩擦具につき,筆記具の後部ないしキャップに装着することが当業者に周知の構成であったということはできない。また,当業者において,摩擦具9の提供の手段として,引用例3,4,7,8,甲第10,11,13,14及び52号証に記載された,摩擦具9とは性質を異にする,単に筆跡を消去するものを筆記具の後部ないしキャップに装着する構成の適用を動機付けられることも考え難い
 

消しゴムなど単に筆跡を消去するものについては,筆記具の後部ないしキャップに装着することが周知慣用の構成であったと認められるものの,前記のような摩擦具9については,上記のように装着することが当業者に周知された構成であったということはできない
 

仮に,当業者において,摩擦具9を筆記具の後部ないしキャップに装着することを想到し得たとしても,
 引用発明1に引用発明2を組み合わせて「エラストマー又はプラスチック発泡体から選ばれ,摩擦熱により筆記時の有色のインキの筆跡を消色させる摩擦体」を筆記具と共に提供することを想到した上で,これを基準に摩擦体(摩擦具9)の提供の手段として摩擦体を筆記具自体又はキャップに装着することを想到し,相違点5に係る本件発明1の構成に至ることとなる。このように,引用発明1に基づき,2つの段階を経て相違点5に係る本件発明1の構成に至ることは,格別な努力を要するものといえ,当業者にとって容易であったということはできない
 

以上によれば,当業者において相違点5に係る本件発明1の構成を容易に想到するということはできず,したがって,本件審決は,相違点5に係る本件発明1の構成の容易想到性を認めた点において誤りがある。
 

【本件発明の容易想到性について】
 本件発明1は,前記のとおり,当業者が引用発明1に基づいて容易に想到し得たものとはいえない。
 ※本件発明5ないし7および9は,本件発明1等にさらに限定を付したものであるから,当業者が引用発明1に基づいて容易に想到し得たものとはいえない。
 

【結論】
 以上によれば,本件審決の容易想到性に関する判断には誤りがあり,原告ら主張の取消事由は理由があるから,本件審決は取消しを免れない。
 

【所感】
 判決は妥当であると考える。
 引用発明から本件特許の構成に至るためには、
1) 熱変色像を形成する熱変色体及び冷熱ペンとは別体として摩擦具(摩擦体)を共に提供すること、
2) 摩擦体を筆記具自体又はキャップに装着すること、
の二つの段階の変更が必要であると考えるのであれば、それぞれの段階は容易であるとしても、その二段階からなる相違点を克服することが困難であるとする、いわゆる「容易の容易」の見解も含まれていると考えられ、本件判決は妥当である。
 また、本件では、鉛筆の後端に鉛筆の筆跡を消すことができる消しゴムを付した構成が周知であることによって、冷熱ペンの後端に冷熱ペンの筆跡を消すための加熱用摩擦体を付した構成も容易である、とした、似て非なる発明について容易であると誤認した、いわゆる「後知恵」に陥った審決を正す判断として適当だと考えられる。
 本件判決によって、一見、一般的な常識によって、引用発明との課題や、作用・機能について共通性を有するように思える事案であっても、技術常識からすれば共通性を有さず進歩性は否定されないとされるひとつの判断基準として、今後の進歩性の有無の判断に役立つものと考えられる。