便座付き便器事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-侵害系
判決日 2016.08.24
事件番号 H27(行ケ)10245
担当部 知財高裁第2部
発明の名称 臀部拭き取り装置並びにそれを用いた温水洗浄便座及び温水洗浄便座付き便器
キーワード 新規事項、サポート要件
事案の内容 無効審判請求を不成立とした審決に対する取消訴訟であり、審決が取り消された。
本件発明は、審査の過程において、請求項1,2を上位概念化する請求項15を新設する補正をしており、請求項15の進歩性が認められることによって特許査定された。本件訴訟では、請求項15についての補正が新規事項の追加であり、請求項15はサポート要件違反であるとして、無効審判請求不成立の審決が取り消された。
従来技術文献に記載されていても、本願明細書から自明とはいえないと判断された点がポイント。

事案の内容

【特許請求の範囲】
[請求項1]
 便座を昇降させる便座昇降装置と一緒に用いられ、トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、
 前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、
 前記便座昇降部によって前記便座が上昇された際に生じる便器と前記便座との間隙を介して、前記便座の排便用開口から前記拭き取りアームに取り付けられた前記トイレットペーパーが露出するように、前記拭き取りアームを駆動させる拭き取りアーム駆動部とを備える、臀部拭き取り装置。
[請求項2]
 トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、
 便座を昇降させる便座昇降部と、
 前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、
 前記便座昇降部によって前記便座が上昇された際に生じる便器と前記便座との間隙を介して、前記便座の排便用開口から前記拭き取りアームに取り付けられた前記トイレットペーパーが露出するように、前記拭き取りアームを駆動させる拭き取りアーム駆動部とを備える、臀部拭き取り装置。
[請求項15](特許査定時の請求項15)
 トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、
 前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、
 前記臀部を拭き取る位置まで前記拭き取りアームを移動させる拭き取りアーム駆動部とを備え、
 前記拭き取りアーム駆動部は、便器と便座との間隙を介して、前記拭き取りアームを移動させることを特徴とする、臀部拭き取り装置。
【補正の履歴】
(1)当初請求項
[請求項1]
トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって,
便座を昇降させる便座昇降部と,
前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと,
前記便座昇降部によって前記便座が上昇された際に生じる便器と前記便座との間隙を介して,前記便座の排便用開口から前記拭き取りアームに取り付けられた前記トイレットペーパーが露出するように,前記拭き取りアームを駆動させる拭き取りアーム駆動部とを備える,臀部拭き取り装置。
(2)審査前補正その1
[請求項15]
 トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、
 前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、
 前記臀部を拭き取る位置まで前記拭き取りアームを移動させる拭き取りアーム駆動部とを備え、
 前記拭き取りアームは、巻き取られた前記トイレットペーパーを取り付けることを特徴とする、臀部拭き取り装置。
(3)審査前補正その2
[請求項15]
 トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって、
 前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと、
 前記臀部を拭き取る位置まで前記拭き取りアームを移動させる拭き取りアーム駆動部とを備えることを特徴とする、臀部拭き取り装置。
[請求項16]
 前記拭き取りアーム駆動部は、便器と便座との間隙を介して、前記拭き取りアームを移動させることを特徴とする、請求項15に記載の臀部拭き取り装置。
[請求項17]
 前記拭き取りアームは、巻き取られた前記トイレットペーパーを取り付けることを特徴
とする、15又は16に記載の臀部拭き取り装置。
 
【裁判所の判断】
(2) 補正前発明について
 上記(1)の記載によれば,当初明細書等に記載された発明(補正前発明)について,次のようにいうことができる。
 すなわち,補正前発明は,①温水洗浄便器を用いた場合でも,臀部に水滴が残るため,腰を上げて臀部と便座との間に間隙を設け,手に持ったトイレットペーパーで水滴を拭き取る必要があるが,この作業は,高齢者や体が不自由な者などにとっては困難であること,②これに対し,従来技術として,便座本体を傾斜させて便器から容易に立ち上がれるようにする装置があり,この装置が,同時に,水滴や汚れを拭き取ることを容易にしているが,それでも臀部を便座から離さなければならず,十分ではないこと,③また,従来技術として,温風によって水滴を乾かす温水洗浄便器があるが,しっかりと水滴や汚れを取りたいというニーズには十分応えられていないこと,④そこで,便座に座ったままの状態で,水滴や汚れの拭き取り作業を行うことができる臀部拭き取り装置及びそれを用いた温水洗浄便器を提供することを目的としたこと,⑤そのために,[1]便座を昇降させる便座昇降装置と,[2]トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと,[3] 拭き取りアームを駆動させるものであって,かつ,便座の排便用開口から拭き取りアームに取り付けられたトイレットペーパーを露出させる拭き取りアーム駆動部とを備えるようにした,トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置との構成をとり,⑥これにより,トイレットパーパーを巻くための手間を省けるほか,便座が上昇された際に生じる便器と便座との間隙を介して,拭き取りアームに取り付けられたトイレットペーパーが露出されるため,便座に座ったままの状態で,水滴や汚れの拭き取り作業を行うことが可能となるという効果を奏するものである。
 上記認定によれば,補正前発明は,便座に座ったままの状態で水滴や汚れの拭き取り作業を十分にできることを目的としており,その便座昇降装置は,便座と便器との間に間隙を設けて,そこから拭き取りアームを露出させるという技術的意義を有するものと認められるが,当該装置を用いて,使用者が便器から容易に立ち上がれることを目的としているものとは解されない。
 これに対して,原告は,便座昇降装置は,使用者が容易に立ち上げれるようにするとの本件発明の目的を達成するための構成であり,その旨の記載が当初明細書等にあると主張する。しかしながら,便座本体を傾斜させて便器から容易に立ち上がれるようにする装置の問題点を指摘する当初明細書等の記載(【0011】)は,補正前発明がその点も課題として採り入れたとする趣旨ではなく,単に,従来技術の一例を挙げているにすぎないと解される。また,補正前発明の一実施形態が使用者の立ち上がりを補助しているとする当初明細書等の記載(【0085】)は,便座昇降装置を採り入れた実施態様では,そのような効果も副次的に生じることを記載するにすぎないと解される。したがって,原告の上記主張は,採用することができない。
2 取消事由1(新規事項追加の有無に対する判断の誤り)について
(1) 補正の経緯及び審決の判断
 当初明細書等の請求項1は,次のとおりである(他の請求項は,いずれも,直接又は間接に請求項1を引用する従属項である。)。(甲1)
「 トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって,
便座を昇降させる便座昇降部と,
前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと,
前記便座昇降部によって前記便座が上昇された際に生じる便器と前記便座との間隙を介して,前記便座の排便用開口から前記拭き取りアームに取り付けられた前記トイレットペーパーが露出するように,前記拭き取りアームを駆動させる拭き取りアーム駆動部とを備える,臀部拭き取り装置。」
 本件補正は,上記請求項1から便座昇降部や拭き取りアームを駆動させる「便座と便器との間隙」を除く等した,次のとおりの請求項15を新設するなどしたものである。(甲2)
「 トイレットペーパーで臀部を拭く臀部拭き取り装置であって,
前記トイレットペーパーを取り付けるための拭き取りアームと,
前記臀部を拭き取る位置まで前記拭き取りアームを移動させる拭き取りアーム駆動部とを備えることを特徴とする,臀部拭き取り装置。」
(なお,本件発明15は,平成22年11月2日付け補正により,上記請求項15と,同じく本件補正により新設された,拭き取りアームが移動するのが「便座と便器との間隙」とする請求項16とを併せて請求項15としたものである。〔甲3,4〕)
 本件補正のうち,便座昇降部を除くとした補正事項は,当初明細書等の請求項1に記載された「便座と便器との間隙」が,便座昇降部により形成されるものには限定されないとするものであるから,便座昇降部以外の手段で間隙が形成されても,又は当初から間隙が形成されていてもよいことになる。このように,本件補正は,当初明細書等の請求項1の発明特定事項を削除し,発明を上位概念化したものである。
 審決は,便座昇降部は本件発明の目的を達成するために必ずしも必要なものではなく,拭き取りアームを移動させるための間隙が便器と便座との間に形成されさえすればよいことは,当業者にとって自明の事項であり,公開特許公報(甲7,【0007】【0008】)によれば,便座昇降部によらずに便器と便座との間に間隙を設けることは,本件特許出願前に公知であったから,拭き取りアームを移動させるための,便座昇降部により便座が上昇された際に生じるものに限定されない便器と便座との間隙は,当初明細書等に実質的に記載されていたものといえると判断した。
 そこで,以下,検討する。
(2) 検討
 当初明細書等の記載には,前記1(1)のとおり,便器と便座との間隙を形成する手段としては便座昇降装置が記載されているが,他の手段は,何の記載も示唆もない。
 すなわち,補正前発明は,便器と便座との間隙を形成する手段として,便座昇降装置のみをその技術的要素として特定するものである。
 そうすると,便座と便器との間に間隙を設けるための手段として便座昇降装置以外の手段を導入することは,新たな技術的事項を追加することにほかならず,しかも,上記のとおり,その手段は当初明細書等には記載されていないのであるから,本件補正は,新規事項を追加するものと認められる。
 
(3) 被告の主張について
① 被告は,当初明細書等に接した当業者にとって,便器と便座との間に拭き取りアームを移動させるための間隙さえ形成されていればよく,その手段が当初明細書等に例示されたもの限られないということは,自明の事項であると主張する。
 しかしながら,便器と便座との間の間隙を形成する手段が自明な事項というには,その手段が明細書に記載されているに等しいと認められるものでなければならず,単に,他にも手段があり得るという程度では足りない。上記のとおり,当初明細書等には,便座昇降装置以外の手段については何らの記載も示唆もないのであり,他の手段が,当業者であれば一義的に導けるほど明らかであるとする根拠も見当たらない。
② また,被告は,公開特許公報には,便座昇降装置以外の手段で便器と便座との間に間隙を設ける技術が開示されているから,当初明細書等に便座昇降装置以外の手段で便器と便座との間に間隙を設けることは,当初明細書等に実質的に記載されていると主張する。
 しかしながら,上記の自明な事項の解釈からいって,他に公知技術があるからといって当該公知技術が明細書に実質的に記載されていることになるものでないことは,明らかである。のみならず,上記公報に記載された技術は,容器6と座部3との間に介護者が手を入れられる隙間を設けることを開示しているだけであり,便器と便座との間に機械的な拭き取りアームが通過する間隙を設けることとは,全く技術的意義を異にしている。
③ 被告の上記各主張は,いずれも採用することはできない。
(4) 小括
 以上のとおりであるから,本件補正が,新規事項の追加にあたらないとした審決の判断には,誤りがある。
 したがって,取消事由1は,理由がある。
 
3 取消事由2(サポート要件充足の有無に対する判断の誤り)について
 上記2に説示のとおり,当初明細書等には,便座昇降装置により便座が上昇された際に生じる便器と便座との間の間隙以外の間隙を設ける手段の記載はないところ,本件発明に係る本件補正後の明細書及び図面(以下「本件明細書」という。甲4。)は,当初明細書等の発明の詳細な説明及び図面と同旨であり,本件明細書にも,便座昇降装置により便座が上昇された際に生じる便器と便座との間の間隙以外の間隙を設ける手段の記載はない。そして,本件発明15のような機械式拭き取り装置の設置を前提として,便器と便座との間の間隙をどのように形成するかに関して何らかの技術常識があるとは認められない。
 そうすると,便器と便座との間の間隙を形成するに際して,便座昇降装置を用いるものに限定されない本件発明15は,本件明細書の発明の詳細な説明に記載したものではなく,サポート要件を充足しないものである。したがって,本件発明15の発明特定事項を全て含む本件発明23,本件発明25ないし本件発明29,及び本件発明30(15)もまた,サポート要件を充足しないものである。
 以上から,審決のサポート要件充足の有無に対する判断には,誤りがある。
したがって,取消事由2は,理由がある。
4 本件発明1及び本件発明2について
 上記2,3のとおり,取消事由1及び取消事由2は理由があり,本件発明15は新規事項が追加されたものであるところ,審決は,この本件発明15に進歩性があることから直ちに,本件発明1及び本件発明2の進歩性があるとの結論を導いているから,その判断過程には,誤りがあることに帰する。
 
【解説・感想】
 審決では、①本件発明の目的は、便座に座ったままの状態で臀部を拭き取ることができる装置を提供することであり、②便座昇降部は、便座本体を傾斜させて,人が容易に立ち上がれるようにするためのものであるから、②の便座昇降部は、①の目的達成のために必須ではなく、拭き取りアームを移動させるための間隙が便器と便座との間に形成されさえすればよいことは自明と判断した(判決文6頁最終段落参照)。
 しかしながら、本願明細書では、②の便座昇降部によって、①の自動拭き取りを可能にする間隙を形成している。そして、明細書には、便座の昇降以外の隙間を設ける手段、および、便座の昇降が必須ではない点についての記載が全くない。したがって、サポート要件に関する裁判所の判断は妥当と考えられる。新規事項追加に関しては、厳しい判断であるようにも思われるが、明細書全体の記載ぶりからこのような判断になったと思われる。
 
 本願は、従来の装置が、立ち上がる動作を容易にしたり、立ち上がらせることなく介護者による拭き取りを可能にしたりすることにより、介護者と被介護者の負担を軽減していたのに対して、立ち上がる動作無しで自動拭き取りする装置とした点で、進歩性を有していたと思われる。この点を十分に考慮して、発明の範囲を十分に広く捉えて出願時に明細書を記載できなかった点は、非常に残念に思われる。
 
 発明のステップとしては、便座を傾けることで使用者が腰を浮かせるのを助けて、介護者による拭き取りを行なう装置を従来技術として捉えており、そのような流れにとらわれて、便座を傾ける構成を外すことなく、当初クレームおよび当初明細書を記載してしまったのではないだろうか。
 そのような発明に至るまでの思考の流れ等にとらわれることなく、発明の本質を見極めて、従来技術を反映した不要な限定を加えずに当初明細書を記載できるよう、精進していきたい。