マイコプラズマ検出用試験デバイス事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(当事者係)
判決日 2018.11.06
事件番号 H29(行ケ)10117
担当部 知財高裁第3部
発明の名称 マイコプラズマ・ニューモニエ検出用イムノクロマトグラフィー試験デバイスおよびキット
キーワード 進歩性、引用発明との相違点の認定の誤り
事案の内容 特許異議の申立て(異議2016-700611号)の取消決定に対する取消訴訟であり、訴えが認められて、異議決定が取り消された。
取消決定において、引用発明の認定を誤った結果、引用発明との相違点を看過して進歩性欠如の結論が導かれたと判断された点がポイント。

事案の内容

【手続の経緯】
 平成27年11月27日:設定登録
 平成29年3月27日: 異議申し立ての後、訂正請求
 平成29年4月18日: 訂正を認めた上で、取消決定
 平成29年5月26日: 取消決定の取消を求める訴えを提起
 
【特許請求の範囲】
[請求項1](下線は訂正部分を示す。分説は取消決定による。)
(A) (A-1) イムノクロマトグラフィー試験デバイス及び検出キットにおける抗体として,
(A-2) マイコプラズマ・ニューモニエ由来のP1タンパク質抗原に対して特異的なモノクローナル抗体を含む,
(A-3) 検体からマイコプラズマ・ニューモニエ感染検出用のイムノクロマトグラフィー試験デバイスであって,
(B) 第一のモノクローナル抗体および第一のモノクローナル抗体とは異なる第二のモノクローナル抗体,ならびに
(C) 膜担体を備え,
(D) 該第一のモノクローナル抗体が,該膜担体に固定されて検出部位を構成し,
(E) 該第二のモノクローナル抗体が,(E-1)標識物質で標識されており,かつ
(E-2) 該検出部位とは離れた位置に,該膜担体中を移動可能に配置され,
(F) (F-1) 該検体であって,濃縮処理物を除く該検体中に(F-2)マイコプラズマ・ニューモニエ抗原が存在する場合に,該マイコプラズマ・ニューモニエ抗原と該標識物質で標識された該第二のモノクローナル抗体とを標識担持部材において結合させて,複合体を形成させる手段と,
(G) 該複合体を,該膜担体を介して展開させ,該検出部位において固定された該第一のモノクローナル抗体と結合させ,集積させることで発色させる手段と,を有する,
(H) マイコプラズマ・ニューモニエ感染検出用のイムノクロマトグラフィー試験デバイス。
 
【裁判所の判断】
3 取消事由1(引用発明の認定及び一致点と相違点の認定の誤り)について
(1) 原告の主張は,要するに,本件特許発明は,P1タンパク質に対する特異的なモノクローナル抗体に着目することで,イムノクロマトグラフィー法によって,初めて臨床検体からのマイコプラズマ・ニューモニエ抗原の特異的な検出を実現した発明であるところ,引用例1は,そもそも,P1タンパク質とは全く異なるタンパク質(CARDS)とそのポリクローナル抗体に着目した発明の特許公報である上に,引用例1においては,CARDSに特異的なポリクローナル抗体を用いた場合ですら,臨床検体からのマイコプラズマ・ニューモニエの検出には成功しておらず,かつ,そもそもP1タンパク質に特異的な抗体については,臨床検体はもちろん,精製rP1タンパク質を用いた検出実験すら行われていないにもかかわらず,本件取消決定は,P1タンパク質とCARDSタンパク質の差異や,臨床検体と非臨床検体との差異,さらにはモノクローナル抗体とポリクローナル抗体との差異をいずれも看過したまま,引用発明1を,P1タンパク質に特異的なモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル(臨床検体)からマイコプラズマ・ニューモニエを検出することができる発明であると認定した,というものである。
(2) よってまず,引用例1から本件取消決定が認定した引用発明1を認定することができるかどうかについて検討する。
特許法29条1項3号の「刊行物に記載された発明」は,当業者が,出願時の技術水準に基づいて本願発明(本件特許発明)を容易に発明することができたかどうかを判断する基礎となるべきものであるから,当該刊行物の記載から抽出し得る具体的な技術的思想でなければならない。また,本件特許発明は物の発明であるから,進歩性を検討するに当たって,刊行物に記載された物の発明との対比を行うことになるが,ここで,刊行物に物の発明が記載されているといえるためには,刊行物の記載及び本件特許の出願時(以下「本件出願時」という。)の技術常識に基づいて,当業者がその物を作れることが必要である。
かかる観点から本件について検討すると,引用例1の記載及び本件出願時の技術常識を考慮しても,引用発明1のデバイスを当業者が作れるように記載されているとはいえない。理由は以下のとおりである。
本件取消決定は,引用発明1をP1タンパク質に対するモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエの検出を行うラテラルフローデバイスに関する発明として認定しているところ,ラテラルフローデバイスは,イムノクロマトグラフィー法に基づく検出デバイスであり,イムノクロマトグラフィー法による抗原検出においては,抗体と抗原がサンドイッチ複合体を形成する必要があると認められ(甲8~10,弁論の全趣旨),また,モノクローナル抗体の場合には,抗原を挟み込む二つの抗体が同じものでは不都合であり,少なくとも,二つの異なる抗体を用いることが必要であると認められる(この点は特に当事者に争いがない。)。
その一方で,異なる二つのモノクローナル抗体でありさえすれば,抗体と抗原がサンドイッチ複合体を形成するとの本件出願時の技術常識も見当たらず,また,サンドイッチ複合体を形成しさえすれば,必ず患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエを検出できると直ちにいうこともできない。
たとえば,引用例2の199頁図1には,捕獲抗体として特異性の異なる二つのポリクローナル抗体を用い,ペルオキシダーゼ標識モノクローナル抗体(検出抗体)を変えてマイコプラズマ・ニューモニエ抗原の捕獲アッセイを行った試験の結果を表す二つのグラフが示されている。捕獲抗体が抗Mp-IgG(右)の場合,試験されたペルオキシダーゼ標識抗体では,いずれも,標識抗体100ngで450nmにおける吸光度が2を超え,標識抗体1μgにおいて,450nmにおける吸光度が3を超えている。これに対し,捕獲抗体が抗P1-IgG(左)の場合には,標識抗体がP1.25又はM74では,1μgで450nmにおける吸光度が3を超えていても,標識抗体がM57では,1μgでも吸光度が1に満たない。
このように,同じ捕獲抗体を用いた場合であっても,検出抗体によって検出感度が異なり,サンドイッチ複合体の形成に基づく検出は,抗体の組合せによって,検出感度が大きく異なる場合があると理解されるから,モノクローナル抗体を用いてサンドイッチ複合体の形成に基づく検出を行う場合には,適切な抗体を組み合わせて用いる必要があると認められる。
本件取消決定が認定した引用発明1のラテラルフローデバイスも,サンドイッチ複合体の形成に基づく抗原の検出デバイスであるから,P1タンパク質に対するモノクローナル抗体を用いて,患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエを検出するラテラルフローデバイスを作るためには,第1のモノクローナル抗体と第2のモノクローナル抗体として適切な組合せのモノクローナル抗体を用いる必要があると認められる。
そこで,第1のモノクローナル抗体と第2のモノクローナル抗体の組合せに関して引用例1の記載を検討するに,引用例1には,ラテラルフローデバイスに用いる二つの抗体について,具体的なモノクローナル抗体の組合せを示す記載は見当たらない。また,本件出願時において,ラテラルフローデバイス等のサンドイッチ複合体を形成できる具体的なモノクローナル抗体の組合せが周知であったことを示す証拠もない(引用例2の199頁図1の左側のグラフに示されている実験において,P1.25とM74は,それぞれ,抗P1-IgG又は抗Mp-IgGを捕獲抗体とした場合に,抗原を検出可能としていることから,当該捕獲抗体と抗原とからなるサンドイッチ複合体を形成するものと考えられるが,引用例2に記載されていることをもって,直ちにこれらの抗体が周知であるということはできないし,そもそも,当該捕獲抗体はいずれもポリクローナル抗体であるから,異なる二つのモノクローナル抗体の組合せが明らかにされているとはいえない。ほかにサンドイッチ複合体を形成できる具体的なモノクローナル抗体の組合せを明らかにする証拠はない。)。
次に,引用例1に記載された具体的なイムノクロマトグラフィー(ICT)デバイスについての唯一の実施例である実施例4は,抗rCARDS抗体を用いたもので,P1タンパク質に対する抗体を用いたものではない。また,引用例1におけるP1タンパク質に対する抗体に関する具体的な記載は,実施例3のみであるが,実施例3における抗原の検出は,サンドイッチ複合体の形成とは異なる,市販の二次抗体である抗ウサギ又は抗マウス抗体を用いた方法によるものである。したがって,これらの実施例の記載から,サンドイッチ複合体を形成可能なモノクローナル抗体を知ることはできない。
さらに,引用例1には,P1タンパク質に対するモノクローナル抗体として,マウスのモノクローナル抗真正P1タンパク質抗体H136E7(【0012】)とrP1に対するモノクローナル抗体(【0096】)に関する記載があるが,P1タンパク質に対する具体的なモノクローナルは,H136E7が記載されているにとどまり,rP1に対するモノクローナル抗体については,その当該モノクローナル抗体を生産する細胞株も,モノクローナル抗体のアミノ酸配列等の情報も,H136E7とのサンドイッチ複合体の形成の有無に関する手掛かりとなる情報も記載されていない。
このような引用例1の記載に基づいて,ラテラルフローデバイスを作るためには,モノクローナル抗体として一つはH136E7を用いるとしても,もう一つ,H136E7とサンドイッチ複合体を形成可能な別のモノクローナル抗体を用いる必要があるが,引用例1には,そのようなモノクローナル抗体の構造について手掛かりとなる記載がなく,何らかの方法でモノクローナル抗体を入手し,それらのモノクローナル抗体が,H136E7とサンドイッチ複合体を形成可能であるかを調べ,試行錯誤によって,H136E7と組み合わせて患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエを検出するラテラルフローデバイスを構成できるモノクローナル抗体を見つけ出す必要がある。
以上を踏まえれば,たとえ様々なモノクローナル抗体を得る技術自体は周知技術であるとしても,本件取消決定が認定した引用発明1のラテラルフローデバイスは,引用例1の記載及び本件出願時の技術常識から,直ちに作ることができるものとはいえない。
したがって,引用例1に引用発明が記載されている(あるいは,記載されているに等しい)ということはできない。
イ 患者サンプル(臨床検体)からの検出という点についても検討する。
患者サンプルからの患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエの検出については,引用例1の実施例7に記載があるが,この方法は,CARDSを検出抗原とした抗原捕捉EIAに基づくものであって,P1タンパク質をサンドイッチ複合体の形成に基づいて検出する引用発明1のデバイスとは,抗原も検出手法も異なる。それだけではなく,以下のように,検体から感染が検出されているかどうかも定かではない。
すなわち,引用例1の実施例7では,患者からの検体で試験したところ,M・ニューモニエ感染の9検体内の1検体と,非M・ニューモニエ感染の18検体が,それぞれバックグラウンドを超えるEIAシグナルを示したとの記載がある。ここで,引用例1には,抗原捕捉EIAとのみ記載されており,具体的な検出系については記載されていないが,仮に,通常のサンドイッチ複合体の形成に基づく検出系であるとすると,抗原の存在によりシグナルが増大するので,実施例7の試験結果は,感染・非感染と,シグナルの増大とが正しく対応していないことになる。
この点に関し,被告は,競合法であれば,サンプル中の抗原が多くなるとシグナルが小さくなる検出法であるから,非M・ニューモニエ感染の18検体では抗原が存在しないためシグナルが大きくなり,M・ニューモニエ感染の9検体では抗原が多いためシグナルが小さくなることが予測されるところ,実施例7の記載は,これとほぼ一致しており,したがって,実施例7は,感染・非感染を検出できたことを示すものとして解釈すべきである旨を主張している。
しかし,仮に,実施例7の試験が競合法によるものであるとすると,競合法は,標識抗体を用いるサンドイッチ法などの標識抗体を用いる検出方法とは異なり,標識抗原を用いる必要があるが,引用例1には,標識抗原を製造したことや,標識抗原を入手したことについての記載が全くない。そして,そもそも,引用例1には,実施例7がどのような検出系により検出を行ったのかについても記載されていない。したがって,試験結果との整合性のみから,競合法に基づくと断定することはできない。
以上の点からみて,引用例1の実施例7の記載は,患者サンプル(臨床検体)からのマイコプラズマ・ニューモニエの検出が可能であったことを示すものとはいえない。
かかる観点からも,引用例1に引用発明が記載されている(あるいは,記載されているに等しい)ということはできない。
(3) 小括
以上によれば,本件取消決定は,進歩性についての判断を行うに際し,引用発明の認定を誤った結果,第1の抗体及び第2の抗体としてモノクローナル抗体を用いる点と,患者サンプル中のマイコプラズマ・ニューモニエの検出を行う点についての相違点を看過し,なおかつ,これらの相違点に関する容易想到性の判断を全く行わないままに,進歩性欠如の結論を導いて(これを理由に)本件特許を取り消したものであるから,当該引用発明の認定の誤り及び相違点の看過は本件取消決定の結論に影響するものである。
したがって,原告が主張する取消事由1は上記の限度で理由があるというべきであり,その余の取消事由につき検討するまでもなく,本件取消決定は取り消されるべきである。
 
【解説・感想】
 裁判所の判断は、妥当と考える。
 引用文献における記載事項が、検出原理等を踏まえて、理論的に丁寧に解釈されている。引用発明の認定の誤りに基づく反論は、進歩性等の拒絶理由に対する反論として非常に有用であり、参考になると考える。