ポリビニルアルコール系重合体フィルム事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2017.06.29
事件番号 H28(行ケ)10064
担当部 知財高裁第2部
発明の名称 ポリビニルアルコール系重合体フィルム
キーワード サポート要件(実施例の拡張又は一般化)
事案の内容 特許無効審判の請求不成立審決に対する審決取消訴訟であり、審決が取り消された事案。
常温長期保管時における黄変の機序やその抑制の機序が明らかでない以上,ノニオン系界面活性剤に共通するノニオン性であり,界面活性作用があるという技術的特徴と,それに起因する性質の類似性が,本件訂正発明1の課題解決にどのように関連するかは不明であるといわざるを得ないから,実施例の拡張又は一般化がサポート要件に適合する理由付けとして不十分というほかないと判示した点がポイント。

事案の内容

【経緯】
平成23年 4月14日 特許出願(特願2011-536689号)
               優先日:平成22年4月20日
平成26年10月31日 設定登録(特許第5638533号)
平成27年 3月30日 特許無効審判請求(請求項1~14)
平成27年 6月18日 訂正請求(本件訂正)
平成28年 2月 2日 訂正を認める、請求項5,8については請求却下、
               請求項1~4、6,7,9~14については請求不成立との審決(請求不成立審決)
               →請求不成立審決に対する審決取消訴訟
 
【特許請求の範囲(本件訂正発明1)】
(1) 本件訂正発明1
【請求項1】
 ポリビニルアルコール系重合体(A),および当該ポリビニルアルコール系重合体(A)100質量部に対してノニオン系界面活性剤(B)を0.001~1質量部含むポリビニルアルコール系重合体フィルムであって,水に7質量%の濃度で溶解させた際の20℃におけるpHが2.0~6.8であるポリビニルアルコール系重合体フィルム。
 
【審判における請求人ら(原告ら)の主張】
(1)無効理由1(進歩性欠如)
(2)無効理由2(サポート要件違反)
 本件訂正発明は,特許法36条6項1号により特許を受けることができない。
(3)無効理由3(実施可能要件違反)
(4)無効理由4-1,4-2(進歩性欠如)
 
【審決の理由の要点】
 請求人ら(原告ら)により,ノニオン系界面活性剤であっても本件訂正発明1の課題を解決できないものがあるとする具体的な根拠も何ら示されていない。
 そうすると,本件訂正明細書の記載において,ノニオン系界面活性剤として特定の1化合物を利用した実施例しか記載されていないとしても,当業者は,本件訂正発明1は,「界面活性剤を配合して製造されたPVA系重合体フィルムをロール状に巻いて,これを常温近辺に温度コントロールした倉庫内に数ヶ月間程度保管した時に,ロールの色が著しく黄色味を帯びる問題」(【0005】)を解決することを課題としていることが理解でき,「ポリビニルアルコール系重合体(A),および当該ポリビニルアルコール系重合体(A)100質量部に対してノニオン系界面活性剤(B)を0.001~1質量部含むポリビニルアルコール系重合体フィルム」において,「水に7質量%の濃度で溶解させた際の20℃におけるpHが2.0~6.8である」ことを満足することで,前記課題が解決されることが理解できる。
 したがって,本件訂正発明1に係る特許請求の範囲の記載は,発明の詳細な説明に記載された発明であって,当業者が本件訂正発明1の課題を解決できると認識できる範囲内のものであるといえるから,サポート要件を満たすものである。
 
【原告主張の審決取消事由】
1.取消事由1(サポート要件の判断の誤り)
2.取消事由2(実施可能要件の判断の誤り)
3.取消事由3-1(相違点1の容易想到性の判断の誤り)
 
【裁判所の判断】
2 取消事由1(サポート要件の判断の誤り)について
(1)特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり,明細書のサポート要件の存在は,特許出願人(特許拒絶査定不服審判請求を不成立とした審決の取消訴訟の原告)又は特許権者(特許取消決定取消訴訟又は特許無効審判請求を認容した審決の取消訴訟の原告,特許無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟の被告)が証明責任を負うと解するのが相当である(当庁平成17年(行ケ)第10042号同年11月11日特別部判決・判例タイムズ1192号164頁参照)。
以下,上記の観点に立って,本件について検討することとする。
(2) 本件訂正発明1について
ア 前記1(2)のとおり,本件訂正明細書には,「ノニオン系界面活性剤(B)」として本件ラウリン酸ジエタノールアミド混合物を添加した実施例,比較参考例,比較例しか開示されておらず,本件ラウリン酸ジエタノールアミド混合物以外の「ノニオン系界面活性剤(B)」を添加した実施例,比較例は,開示されていない。原告は,このような実施例,比較参考例,比較例の記載に接した当業者は,本件訂正発明1の「ノニオン系界面活性剤(B)」を使用すれば,その種類にかかわらず,「常温近辺に温度コントロールした倉庫内などに数か月間程度保管した後であってもフィルムの色が黄色味を帯びにくい」PVA系重合体フィルムを提供するという本件訂正発明1の課題が達成されるものと認識することはできないと主張するので,以下,本件訂正発明1が,本件訂正明細書において当業者が発明の課題が解決できることを認識できるように記載された範囲を超えるものか否かについて,本件出願日当時の技術常識に照らし,本件訂正発明1の範囲まで,本件訂正明細書に開示された内容を拡張又は一般化できるといえるかという観点から,検討する。
イ 前記1(2)のとおり,本件訂正発明1は,従来,製膜性等の改善や光学特性等の向上のために界面活性剤を配合して製造されたPVA系重合体フィルムには,ロール状に巻いて常温近辺に温度コントロールした倉庫内に数か月間程度保管すると,ロールの色が著しく黄色味を帯びる問題(以下,「常温長期保管時の黄変」という。)があったことから,常温近辺に温度コントロールした倉庫内などに数か月間程度保管した後であってもフィルムの色が黄色味を帯びにくいPVA系重合体フィルムを提供することを目的とするものであり,本件訂正発明1の課題は,常温近辺に温度コントロールした倉庫内などに数ヶ月間程度保管した後であってもフィルムの色が黄色味を帯びにくいPVA系重合体フィルムを提供することであると認められる。
前記イのとおり,本件訂正発明1の課題が,常温長期保管時の黄変を抑制し得るPVA系重合体フィルムの提供にあることから,まず,常温長期保管時の黄変の機序について検討すると,・・・(中略)・・・
 したがって,本件訂正明細書の記載のみによって,常温長期保管時の黄変の機序を界面活性剤の酸化と認識することはできないものと認められる。
 本件訂正明細書には,「保管時の温度が高くなるほど黄変しやすくなる傾向がある」という記載(【0042】)もあるが,この記載を踏まえても,同様であり,上記判断は左右されない。
 そうすると,本件訂正明細書の記載のみによって,常温長期保管時の黄変の機序を特定することはできないというべきである。
 
本件訂正明細書には,常温長期保管時の黄変の抑制の機序に関し,前記ウで引用の記載のほか,「本発明の重合体フィルムは,水に7質量%の濃度で溶解させた際の20℃におけるpH(得られる水溶液のpH)が2.0~6.8の範囲内にあることが,長期保管時のフィルムの黄変を抑制する上で重要である。」という記載(【0025】)があるが,これらを総合しても,常温長期保管時の黄変の抑制の機序は,明らかではない。したがって,本件訂正明細書の記載のみによって,常温長期保管時の黄変の抑制の機序を特定することはできないというべきである。
 
そこで,本件訂正明細書の記載に加え,本件出願日当時の技術常識に照らし,当業者が常温長期保管時の黄変の機序を認識することができるかについて検討する。
 証拠(乙4の1~4)によると,本件出願日当時,界面活性剤は,その種類を問わず,空気中の酸素によって酸化することがあることは,技術常識となっていたものと認められる。しかしながら,前記ウのとおり,酸化防止剤の添加の有無のみが異なる実施例1と実施例6の80℃短期保管試験の黄変度(ΔYI)の数値が3日後及び5日後はほぼ同じであり,他に常温長期保管時の黄変の機序を認めるに足りる証拠がないことからすると,上記の界面活性剤が酸化することがあるという技術常識を踏まえても,常温長期保管時の黄変の機序がノニオン系界面活性剤の酸化であると直ちに特定し得るものとは認められない。
 また,仮に常温長期保管時の黄変の機序がノニオン系界面活性剤の酸化であると認識したとしても,そのような常温長期保管時の黄変が,ノニオン系界面活性剤の含有量の数値範囲を「0.001~1質量部」とし,PVA系重合体フィルムのpHの数値範囲を「2.0~6.8」とすることにより抑制される機序について,当業者が認識し得ることを認めるに足りる証拠はない。
(・・・中略・・・)
 そうすると,本件訂正発明1は,本件出願日当時の技術常識を有する当業者が本件訂正明細書において本件訂正発明1の課題が解決できることを認識できるように記載された範囲を超えるものであって,特許法36条6項1号所定のサポート要件に適合するものということはできない。
 
審決は,本件ラウリン酸ジエタノールアミド混合物による実施例の開示のみによって,請求項で「ノニオン系界面活性剤(B)」への上位概念化をしてもサポート要件に適合する理由として,「ノニオン系」という一群の界面活性剤が,ノニオン性であり,界面活性作用がある点で技術的特徴が共通し,その性質も類似することを主たる理由とするが,前記オのとおり,常温長期保管時における黄変の機序やその抑制の機序が明らかでない以上,ノニオン系界面活性剤に共通するノニオン性であり,界面活性作用があるという技術的特徴と,それに起因する性質の類似性が,本件訂正発明1の課題解決にどのように関連するかは不明であるといわざるを得ないから,実施例の拡張又は一般化がサポート要件に適合する理由付けとして不十分というほかない。したがって,ノニオン系界面活性剤が,ノニオン性であり,界面活性作用がある点で技術的特徴が共通し,その性質も類似するという審決指摘の点は,本件訂正発明1が特許法36条6項1号所定のサポート要件に適合することの理由となるものではなく,本件訂正発明1がサポート要件に適合しない旨の判断を左右するものではない。
(・・・中略・・・)
 以上によると,本件訂正発明1は,本件出願日当時の技術常識を有する当業者が本件訂正明細書において本件訂正発明1の課題が解決できることを認識できるように記載された範囲を超えるものであって,特許法36条6項1号所定のサポート要件に適合するものということはできないから,これと異なる審決の判断は誤りである。
(省略)
 
3 結論
以上によると,取消事由1は理由がある。
よって,審決の全部を取り消すこととして,主文のとおり判決する。
 
【感想】
 裁判所の判断は妥当であると考える。
 本件訂正明細書の実施例、比較参考例、比較例について、ノニオン系界面活性剤としてラウリン酸ジエタノールアミド混合物の例しか用いられておらず、また、本件訂正発明1について他のノニオン系界面活性剤を適用した場合でも、本件の課題(数ヶ月間の保管によってもフィルムの色が黄色味を帯びにくい)を解決できるか否かは、明細書から読み取ることはできないと考える。
 ノニオン系界面活性剤を含むフィルムにおいて、黄変の抑制がどのような理由で達成できるのかを明確に説明できない場合は、少なくとも2種類のノニオン系界面活性剤を用いた実施例を記載しないと、実施例の拡張又は一般化は難しいと考える。
 なお、界面活性剤を添加した実施例1と、界面活性剤を添加していない比較例1の黄変度の変化を比べた場合、実施例1の方が黄変度が高いことから、界面活性剤の酸化によってフィルムの色が黄色味を帯びることが理解できるとの所内の意見もあった。