タイヤ審決取消訴訟事件事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-審取(査定係)
判決日 2016.11.16
事件番号 平成27年(行ケ)10079
担当部 知財高裁第4部
発明の名称 タイヤ
キーワード 進歩性
事案の内容  拒絶査定不服審判の請求不成立審決に対する審決取消訴訟であり、出願人(原告)の請求が認められ審決が取り消された事案。
 引用例1に接した当業者は,表面外皮層Bを柔らかくして表面外皮層を早期に除去することを想到することができても,本願発明の具体的な課題を示唆されることはなく,当該表面外皮層に使用初期においても安定して優れた氷上性能を得るよう,表面ゴム層及び内部ゴム層のゴム弾性率の比率に着目し,当該比率を所定の数値範囲とすることを想到するものとは認め難いと判示した点がポイント。

事案の内容

【経緯】
平成25年 4月16日 特許出願(特願2013-85881)
平成26円 1月29日 拒絶理由通知
平成26年 4月 3日 手続補正書
平成26年 7月 4日 拒絶査定
平成26年10月22日 拒絶査定不服審判請求+手続補正書
平成27年10月26日 拒絶理由通知
平成27年12月22日 手続補正書
平成28年 2月15日 請求不成立審決(本件審決)
平成28年 3月31日 本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起
 
【本件発明の請求項1(平成27年12月22日 手続補正書)】
 タイヤのトレッドに,該トレッドの少なくとも接地面を形成する表面ゴム層と,前記表面ゴム層のタイヤ径方向内側に隣接する内部ゴム層とを有し,
 前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり,
 前記表面ゴム層の厚さは0.01mm以上1.0mm以下であり,
 前記トレッドは,ベース部のタイヤ径方向外側に隣接して,該トレッドの少なくとも接地面を形成するキャップ部を配置した積層構造を有し,前記キャップ部が前記表面ゴム層および前記内部ゴム層を含み,
 アンチロックブレーキシステム(ABS)を搭載した車両に装着して使用し,
 前記表面ゴム層は,前記内部ゴム層のタイヤ径方向外側で前記内部ゴム層にのみ隣接し,
 前記表面ゴム層は,非発泡ゴムから成り,かつ,前記内部ゴム層は,発泡ゴムから成り,
 前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低いことを特徴とするタイヤ。
 
【本件審決の理由の要旨】
(1) 本件審決の理由は,別紙審決書(写し)記載のとおりである。要するに,本願発明は,下記アの引用例1に記載された発明(以下「引用発明」という。)及び下記アないしキの引用例1ないし7に記載された技術的事項に基づいて,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許法29条2項の規定により特許を受けることができない,というものである。
ア 引用例1:実願平2-101134号(実開平4-57403号)のマイク
ロフィルム(甲1)
イ 引用例2:特開平6-240052号公報(甲2)
ウ 引用例3:特開2013-7025号公報(甲3)
エ 引用例4:特開2009-96421号公報(甲4)
オ 引用例5:特開2011-57066号公報(甲5)
カ 引用例6:特開2007-8427号公報(甲6)
キ 引用例7:特開2008-207574号公報(甲7)
 
ア 引用発明
トレッドの本体層の表面に,皮むき用の表面外皮層が形成された,スタッドレスタイヤにおいて,前記表面外皮層のゴムは,ゴムBを使用し,Hs(-5℃)が46、ピコ摩耗指数が43であり,前記本体層のゴムは,ゴムAを使用し,Hs(-5℃)が60,ピコ摩耗指数が80であり,前記表面外皮層の厚みは0.4mmである,スタッドレスタイヤ。
 
イ 本願発明と引用発明との一致点
タイヤのトレッドに,該トレッドの少なくとも接地面を形成する表面ゴム層と,前記表面ゴム層のタイヤ径方向内側に隣接する,内部ゴム層とを有し,前記表面ゴム層と前記内部ゴム層が所定の組成及び物性を有し,前記表面ゴム層の厚さは0.4mmである,タイヤ。
 
ウ 本願発明と引用発明との相違点
(ア) 相違点1
「表面ゴム層」及び「内部ゴム層」の組成及び物性について,本願発明においては,「前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり,」「前記表面ゴム層は,非発泡ゴムから成り,かつ,前記内部ゴム層は,発泡ゴムから成り,前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低い」のに対し,引用発明においては,「前記表面外皮層のゴムは,ゴムBを使用し,Hs(ショア硬さ)(-5℃)が46,ピコ摩耗指数(ゴムの柔らかさを示す値)が43であり,前記本体層のゴムは,ゴムAを使用し,Hs(-5℃)が60,ピコ摩耗指数が80である」点。
 
*Hs値が小さいほど柔らかい。
 
(イ~オ)相違点2~5:省略
 
【取消事由】
本願発明の容易想到性の判断の誤り
(1) 相違点1の認定誤り
(2) 相違点1の容易想到性の判断の誤り
(3) 効果についての判断の誤り
 
【裁判所の判断】
1.本願発明について
オ 本願発明によれば,接地面に内部ゴム層Iより低い弾性率の表面ゴム層Sを配置することによって,タイヤの使用初期に接地面積の十分な確保が図られ,十分な初期氷上性能が得られ,氷上性能が,タイヤの使用開始時から安定して優れた,トレッドに発泡ゴムを適用したタイヤを提供することができる(【0012】【0015】【0044】)。
 
2.引用発明について
すなわち,引用発明(甲1)は,従来,トレッド表面のベントスピューと離型剤被膜により,有効な接地面積が確保できていないところ,早く摩耗する皮むき用の表面外皮層を設けて,ベントスピューと離型剤を表面外皮層とともに除去することにより,本来のトレッド表面を出現させるものである。
 
3 取消事由(本願発明の容易想到性の判断の誤り)について
(1) 本願発明と引用発明との相違点
 本願発明と引用発明とを対比すると,前記第2の3(2)ウ(ア)記載のとおりの相違点1が認められる。
原告は,本願発明の内部ゴム層が発泡ゴムであるのに対し,引用発明の本体層は非発泡ゴムであるから,相違点1にはこの点を看過した誤りがあると主張する。
 しかし,前記2(3)のとおり,引用発明の本体層が非発泡ゴムに限るとはいえないから,相違点1の認定に誤りがあるとはいえない。
(2) 相違点1の容易想到性について
ア 本願発明は,トレッドに発泡ゴムを適用したタイヤにおいて,氷路面におけるタイヤの制動性能及び駆動性能を総合した氷上性能が,タイヤの使用開始時から安定して優れたタイヤを提供するため,タイヤの新品時に接地面近傍を形成するトレッド表面のゴムの弾性率を好適に規定して,十分な接地面積を確保することができるようにしたものである。これに対し,引用発明は,スタッドレスタイヤやレーシングタイヤ等において,加硫直後のタイヤに付着したベントスピューと離型剤の皮膜を除去する皮むき走行の走行距離を従来より短くし,速やかにトレッド表面において所定の性能を発揮することができるようにしたものである。
 以上のとおり,本願発明は,使用初期においても,タイヤの氷上性能を発揮できるように,弾性率の低い表面ゴム層を配置するのに対し,引用発明は,容易に皮むきを行って表面層を除去することによって,速やかに本体層が所定の性能を発揮することができるようにしたものである。したがって,使用初期においても性能を発揮できるようにするための具体的な課題が異なり,表面層に関する技術的思想は相反するものであると認められる。
よって,引用例1に接した当業者は,表面外皮層Bを柔らかくして表面外皮層を早期に除去することを想到することができても,本願発明の具体的な課題を示唆されることはなく,当該表面外皮層に使用初期においても安定して優れた氷上性能を得るよう,表面ゴム層及び内部ゴム層のゴム弾性率の比率に着目し,当該比率を所定の数値範囲とすることを想到するものとは認め難い。また,ゴムの耐摩耗性がゴムの硬度に比例すること(甲8~13)や,スタッドレスタイヤにおいてトレッドの接地面を発泡ゴムにより形成することにより氷上性能あるいは雪上性能が向上すること(甲14~16)が技術常識であるとしても,表面ゴム層を非発泡ゴム,内部ゴム層を発泡ゴムとしつつ,表面ゴム層のゴム弾性率を内部ゴム層のゴム弾性率より小さい(表面を内部に比べて柔らかくする。)所定比の範囲として,タイヤの使用初期にトレッドの接地面積を十分に確保して,使用初期においても安定して優れた氷上性能を得るという技術的思想は開示されていないから,本願発明に係る構成を容易に想到することができるとはいえない。
 
(3) 被告の主張について
ア 被告は,本願発明の実施例と引用発明はともに従来例「100」に対して
「103」という程度でタイヤの使用初期の氷上での制動性能が向上するものであり,また,引用例1の比較例と実施例を比較すると,比較例が実施例に対して表面ゴム層(表面外皮層)を有していない点のみが異なることから,使用初期の性能向上は,表面ゴム層(表面外皮層)に由来することが明らかである。そうすると,本願発明の実施例と引用発明の性能向上はともに,タイヤ表面に本体層のゴムよりも柔らかいゴムを用いることにより使用初期の氷上での性能を向上させる点で同種のものであるから,結局,表面ゴム層(表面外皮層)に関して,本願発明と引用発明の所期する条件(機能)は変わるものではなく,引用例1に接した当業者は,引用発明の表面ゴム層(表面外皮層)が,早期に摩滅させることのみを目的としたものでなく,氷上性能の初期性能が得られることを認識する旨主張する。
 しかし,前記(2)のとおり,引用例1に記載された課題を踏まえると,引用発明は,あくまで早く摩耗する皮むき用の表面外皮層を設けて,ベントスピューと離型剤を表面外皮層とともに除去することにより,本来のトレッド表面を速やかに出現させるものであり,引用例1は,走行開始から表面外皮層が除去されるまでの間の氷上性能について何ら開示するものではない。よって,引用例1に接した当業者が,氷上性能の初期性能が得られることを認識するものとは認められない。
 したがって,被告の上記主張は理由がない。
被告は,引用発明において,表面外皮層Bの硬度は,本体層Aのそれより小さく(引用例1の表1),硬度の小さいゴムが,ゴム弾性率の小さいゴムである旨の技術常識(甲4,甲5)を考慮すれば,「引用発明の「表面ゴム層(表面外皮層)」のゴム弾性率が「内部ゴム層(本体層)」のゴム弾性率に比し低いものといえ,「表面ゴム層のゴム弾性率」/「内部ゴム層のゴム弾性率」の値を0.01以上1.0未満程度の値とすることは,具体的数値を実験的に最適化又は好適化したものであって,当業者の通常の創作能力の発揮といえるから,当業者にとって格別困難なことではない旨主張する。
 しかし,本願発明と引用発明とでは,具体的な課題及び技術的思想が相違するため,引用例1には,表面ゴム層のゴム弾性率を内部ゴム層のゴム弾性率より小さい所定比の範囲として,使用初期において,接地面積を確保するという本願発明の技術的思想は開示されていないのであるから,引用発明から本願発明を想到することが,格別困難なことではないとはいえない。
また,表面外皮層BのHs(-5℃)/本体層AのHs(-5℃)が,0.77
(=46/60),表面外皮層Bのピコ摩耗指数/本体層Aのピコ摩耗指数が,0.54(=43/80)であるとしても,本願発明が特定するゴム弾性率とHs(-5℃)又はピコ摩耗指数との関係は明らかでないので,引用例1の表1に示すHs(-5℃)又はピコ摩耗指数の比率が,本願発明の特定する,「比Ms/Miは0.01以上1.0未満」に含まれ,当該比率について本願発明と引用発明が同一であるとも認められない。
 したがって,被告の上記主張は理由がない。
(4) 小括
以上のとおりであるから,相違点1に係る本願発明の構成は,容易に想到することができるとは認められない。
 よって,取消事由は,理由がある。
 
4 結論
以上のとおり,原告主張の取消事由は理由があるから,本件審決を取り消すこととし,主文のとおり判決する。
 
【感想】
 本件発明の特徴の一つとして記載された、表面ゴム層のゴム弾性率Ms/内部ゴム層のゴム弾性率Miが0.01以上1.0未満という特徴点は、かなり広い範囲であり、表面ゴム層と内部ゴム層とを有する従来のタイヤも含まれるようにも思える。実際に、引用発明のタイヤを製造して、ゴム弾性率の比を分析した場合には1.0未満になるかもしれない。
 しかしながら、引用発明には、ピコ摩耗係数などの大小関係の開示はあるもののゴム弾性率の比についての記載がない、よって、裁判所は、本願の課題は引用発明には開示がなく、引用発明を改変して弾性比率の比を本願の範囲に設定することは容易ではない旨の判断をしたと考えられる。