スピネル型マンガン酸リチウムの製造方法事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-侵害系
判決日 2016.03.30
事件番号 H26(ネ)10080、H27(ネ)10027
担当部 知財高裁第2部
発明の名称 スピネル型マンガン酸リチウムの製造方法
キーワード 進歩性 除くクレーム
事案の内容 特許侵害とされた侵害訴訟の控訴審であり、控訴人敗訴部分が取り消された。

事案の内容

【ポイント】
本件明細書には,「結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含む」形態を除くスピネル型マンガン酸リチウムについて明示的な記載はなく,また,これが本件明細書の記載から自明な事項であるということもできないから,「(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)」との技術的事項が,本件明細書に記載されているということはできない、と判断されたこと。
【経緯】
出願:平成11年5月21日(1999.5.21)
設定登録:平成21年3月13日(特許第4274630号)
無効審判の無効でない旨の審決(無効2012-800209)の取消:平成26年7月9日(知財高裁第2部 平成 25(行ケ)10239 清水節、中村恭、中武由紀)
原審:平成26年7月10日(東京地裁H24(ワ)30098)原告(特許権者勝訴)
訂正請求:平成26年9月18日
訂正拒絶:平成27年8月31日発送
意見書、補正書:平成27年9月30日(内容は不明)
控訴審:本件(清水節、中村恭、田中正哉)
控訴人は、一部認容部分を不服として本件控訴を提起
被控訴人は、付帯控訴で予備的請求1(訂正後請求項1)、2(訂正後請求項4)を行う。
【争点】
・主位的請求にかかる請求項(訂正前の請求項1)の進歩性 略
・予備的請求1にかかる訂正発明1(訂正後の請求項1)の訂正の適法性(除くクレームの可否)
・控訴人方法3が予備的請求2に掛かる訂正発明4の技術的範囲に属するか 略

 

【請求項1】(訂正後)
A’ 電析した二酸化マンガンをナトリウム化合物もしくはカリウム化合物で中和し,pHを2以上7.5以下とすると共にナトリウムもしくはカリウムの含有量を0.12~2.20重量%とした電解二酸化マンガンに,
B リチウム原料と,
C’ 上記マンガンの0.5~15モル%がアルミニウム,マグネシウム,カルシウム,チタン,バナジウム,クロム,鉄,コバルト,ニッケル,銅,亜鉛から選ばれる少なくとも1種以上の元素で置換されるように当該元素を含む化合物と
D を加えて混合し,750℃以上の温度で焼成する
E’ ことを特徴とするスピネル型マンガン酸リチウム(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)の製造方法。

 

控訴人方法(H24(ワ)30098より)
A 電解二酸化マンガンに
B リチウム原料と,
C 上記マンガンの3.5~4.8モル%がアルミニウムで置換されるようアルミニウムを含む化合物と,
X 上記マンガンの一部がホウ素で置換されるようホウ酸とを加えて粉砕・混合し,
D 750℃程度以上の温度で焼成する
E ことを特徴とするスピネル型マンガン酸リチウムの製造方法。

 

原審では、控訴人は、A、B、Cについては争っていない。D,Eも同じであるので、控訴人方法と訂正前の発明とは、Xが付加された点のみが異なる。

 

【裁判所の判断】
被控訴人は,本件特許について本件訂正を行ったことに伴い,従前の特許発明に基づく請求を維持したまま,限定的減縮を行った訂正後の発明に基づいて予備的請求を行うところ,特許権者が自らの意思に基づいて訂正請求等を行う以上,特許権に基づく侵害訴訟においても,これを訂正の再抗弁として位置付けて,訂正後の発明に基づく請求のみを審理判断すべきものと解されるが,本件では,後記のとおり訂正発明1に係る訂正自体が不適法であることから,予備的請求1だけでなく主位的請求についても審理判断することとする。なお,予備的請求2については,被控訴人の主張のとおり,訂正後の請求項4に基づく請求を,訂正の再抗弁として位置付けて審理判断する。
そして,当裁判所は,主位的請求については,控訴人は本件発明1の技術的範囲に属する控訴人方法1を使用していると認められる(争点(1)及び(6))が,本件発明1に係る特許には新規性欠如の無効理由はない(争点(2))ものの,進歩性欠如の無効理由がある(争点(3))と判断する。また,予備的請求1については,訂正発明1に係る本件訂正は不適法であり許容されない(争点(8))上,控訴人が控訴人方法2を使用しているとは認め難い(争点(9))と判断する。さらに,予備的請求2については,控訴人方法3は訂正発明4の技術的範囲に属すると認められる(争点(13))ものの,訂正発明4に係る特許にも進歩性欠如の無効理由がある(争点(14))と判断する。
以上の次第で,その余の争点について判断するまでもなく,被控訴人の主位的請求並びに予備的請求1及び2はいずれも理由がない。
その理由は,次のとおりである。

 

本件発明1の進歩性違反について 平成 25(行ケ)10239と同じ理由で進歩性無しの判断

 

争点(8)(訂正発明1に係る本件訂正の適法性)について
(1) 訂正事項3が本件明細書に記載された事項の範囲内のものであるかについて
本件発明1に係る特許に進歩性欠如の無効理由があることは,前記5のとおりであるが,この点につき,被控訴人は,本件訂正に係る訂正の再抗弁を主張し,控訴人方法2が,本件訂正後の請求項1の発明(訂正発明1)の技術的範囲に属すると主張する。
そして,被控訴人は,本件訂正における訂正事項3に係る「(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)」との技術的事項は,本件明細書に開示されており,訂正事項3は,本件明細書に記載された事項の範囲内のものであると主張するのに対し,控訴人は,上記技術的事項は本件明細書に開示されておらず,訂正事項3はいわゆる新規事項の追加に当たるから,本件訂正は不適法であると主張する。
そこで,以下,この点について検討することとする。
ア 「(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)」の意義
訂正事項3は,本件発明1の請求項1に「スピネル型マンガン酸リチウムの製造方法。」とあるのを「スピネル型マンガン酸リチウム(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)の製造方法。」に訂正するものであり,スピネル型マンガン酸リチウムのうち結晶構造中にナトリウム又はカリウムを実質的に含むものは,本件発明1の製造方法により製造されるスピネル型マンガン酸リチウムから除かれることを明らかにするものである。
ここに「結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含む」とは,LiMn24の結晶構造中に,ナトリウムやカリウムが,結晶構造中の原子と置換されるなどの態様により,「実質的に」存在する形態を指すと解される。一方,かかる「結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含む」形態を除くスピネル型マンガン酸リチウムにおいて,電解二酸化マンガンの中和に用いられたナトリウムやカリウムがどのような形態で存在するのかについては,これを確定するに足りる証拠はなく,これについての何らかの技術常識があるとも認められないものの,LiMn24の結晶構造の外側に,ナトリウムやカリウムが何らかの形で存在する形態を指すものと一応解される。

 

イ 本件明細書の記載について
前記1(1)によれば,本件明細書には,二酸化マンガンの中和のために用いられるナトリウム又はカリウムが,中和後,二酸化マンガンとともに存在することについて,「通常,電解二酸化マンガンは電解後に,マンガン乾電池用途にはアンモニア中和を,アルカリマンガン電池用途にはソーダ中和がそれぞれ施される。ソーダ中和された電解二酸化マンガン中には少量のナトリウムが残留することが知られており,このナトリウム量は中和条件に依存する。また,ナトリウムで中和する代わりにカリウムで中和を行った場合も同様に電解二酸化マンガン中には少量のカリウムが残留し,このカリウム量は中和条件に依存する。」(段落【0006】),
「…微粒の電解二酸化マンガンをナトリウムもしくはカリウムにて中和すると,ナトリウムもしくはカリウムがより均一に分布しやすくなるものと推定される。」
(段落【0017】)と記載され,また,「本発明」の実施例1ないし26及び比較例1ないし3について,中和処理後の二酸化マンガンにおけるナトリウムやカリウムの含有量(重量%)が,【表1】及び【表2】に記載されている。
しかしながら,本件明細書には,スピネル型マンガン酸リチウムの製造過程において用いられる電解二酸化マンガンにおけるナトリウム又はカリウムの存在形態,あるいは,「本発明」における製造方法により得られるスピネル型マンガン酸リチウムにおけるナトリウム又はカリウムの存在形態を具体的に特定する記載や,これを示唆する記載は一切見当たらない。
したがって,本件明細書には,「結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含む」形態を除くスピネル型マンガン酸リチウムについて,少なくとも明示的な記載はないと認められる。
ウ 「(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)」との事項が,本件明細書の記載から自明な事項であるか否か
次に,「(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)」との事項が,本件明細書の記載から自明な事項であるか,すなわち,本件出願時の技術常識に照らして,本件明細書に記載されているも同然であると理解することができるか否かについて検討する。
(ア) 本件発明1は,電析した二酸化マンガンをナトリウム化合物又はカリウム化合物で中和し,所定のpH及びナトリウム又はカリウムの含有量とした電解二酸化マンガンに,リチウム原料と,アルミニウムその他特定の元素のうち少なくとも1種以上の元素で置換されるように当該元素を含む化合物とを加えて混合し,所定の温度で焼成して作製することを特徴とするスピネル型マンガン酸リチウムの製造方法であるところ,このような製造方法で製造したスピネル型マンガン酸リチウムにおいて,原料として用いられた電解二酸化マンガンの中和に用いられたナトリウム又はカリウムがどのような形態で存在するかについては,本件出願当時,少なくともこれがLiMn24の結晶構造中ではなく,その外側に存在するとの技術常識が存在することを認めるに足りる証拠はない。
(イ) 一方,前記5(2)イ(ウ)及び同ウのとおり,乙18文献の記載に照らして,リチウム二次電池の正極活物質として用いられるLiMn24を作製する際に,ナトリウム,ナトリウム化合物,アンモニウム化合物などの添加剤を混合して焼成することにより,LiMn24の結晶構造中にナトリウムが取り込まれ,それによりマンガンの溶出が抑制されることが知られていたと認められ,また,乙15文献の記載に照らして,電解二酸化マンガンを水酸化ナトリウムで中和することにより得られた二酸化マンガンは,ナトリウムを含有すること,このような二酸化マンガンを原料にしてリチウムマンガン複合酸化物を作製すると,二酸化マンガン中のナトリウムは,リチウムマンガン複合酸化物中のリチウムイオンの吸蔵放出サイトに取り込まれることが,広く知られていたと認められる。
そして,本件出願当時,中和剤あるいは添加剤として用いられたナトリウムが,焼成後のリチウムマンガン複合酸化物やスピネル型マンガン酸リチウムの結晶構造中に取り込まれることなく存在する場合があることや,その場合のナトリウムの具体的な存在形態を示す知見を認めるに足りる証拠はない。
(ウ) これらの事情に加え,ナトリウムを添加剤として添加する場合と,電解二酸化マンガンの中和に用いる場合とで,焼成時のナトリウムの挙動に差異があることを示す技術常識が存在すると認めるに足りる証拠はないことに照らせば,スピネル型マンガン酸リチウムの製造工程において用いられる電解二酸化マンガンをナトリウム又はカリウムで中和処理するとの本件明細書の記載に接した当業者は,中和処理に用いられたナトリウムやカリウムが,焼成後に得られるスピネル型マンガン酸リチウムの結晶構造中に取り込まれることをごく自然に理解するというべきである。これに対し,本件明細書の記載から,本件発明1の製造方法により製造されたスピネル型マンガン酸リチウムにおいて,ナトリウムやカリウムがLiMn24の結晶構造中ではなくその外側に存在することを,本件明細書に記載されているのも同然の事項として理解することは,到底できないというべきである。
さらに,「本発明」におけるスピネル型マンガン酸リチウムの製造の際に用いられる原料や製造工程の具体的な内容を含む本件明細書の記載を見ても,上記の理解を否定すべき事情は見当たらない。
エ 「(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)」との技術的事項の開示の有無について
以上のとおり,本件明細書には,「結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含む」形態を除くスピネル型マンガン酸リチウムについて明示的な記載はなく,また,これが本件明細書の記載から自明な事項であるということもできないから,「(結晶構造中にナトリウムもしくはカリウムを実質的に含むものを除く。)」との技術的事項が,本件明細書に記載されているということはできない。
したがって,訂正事項3に係る本件訂正は,本件明細書に記載された技術的事項の範囲内においてするものであるということはできない。
(2) 被控訴人の主張について

(3) 小括
以上のとおりであり,訂正事項3に係る本件訂正は,特許法134条の2第9項が準用する同法126条5項の要件を充足せず,不適法であるから,これが適法であることを前提とする,控訴人方法2が訂正発明1の技術的範囲に属するとの被控訴人の再抗弁は,理由がない。

 

【所感】
判決は妥当と思われる。
知財高裁で無効審判の無効でない旨の審決が取り消された翌日に、東京地裁で特許侵害である旨の判決が出されている。審決取り消し後の訂正請求(控訴の訂正後クレーム)は審判で拒絶されている。無効審判の取消訴訟において訂正前の請求項の無効が認定され、その後の無効審判で予備請求1に係る訂正請求が認められていない中で本件の控訴審が行われた。
特許公報の段落0006には『ソーダ中和された電解二酸化マンガン中には少量のナトリウムが残留することが知られており、このナトリウム量は中和条件に依存する。また、ナトリウムで中和する代わりにカリウムで中和を行った場合も 同様に電解二酸化マンガン中には少量のカリウムが残留し、このカリウム量は中和条件に依存する。』と記載されており、訂正請求項1と矛盾するように感じる。
以上を考慮すると、被控訴人(特許権者)の主張は、無理筋と思われる。また、仮に訂正が有効であったとしても、控訴人は、結晶構造中にナトリウムが含まれることを証明できれば、侵害を免れることができると思われる。