オキサリプラチン溶液組成物事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-侵害系
判決日 2016.03.03
事件番号 H27(ワ)12416
担当部 東京地方裁判所民事第46部
発明の名称 オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用
キーワード 構成要件充足性、新規性
事案の内容 特許権侵害差止請求事件であって、特許権者の主張が認められた事案である。
クレームの文言解釈に基づいて被告製品が構成要件を充足していると判断された点、および、被告側の追試実験の内容が不十分であることにより新規性を満たすと判断された点がポイント。

事案の内容

【特許請求の範囲】(判決文において構成要件A~Gに分説されている)
[請求項1]
A オキサリプラチン,
B 有効安定化量の緩衝剤および
C 製薬上許容可能な担体を包含する
D 安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
E 製薬上許容可能な担体が水であり,
F 緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
G 緩衝剤の量が,以下の:
(a)5×10-5M~1×10-2M,
(b)5×10-5M~5×10-3M
(c)5×10-5M~2×10-3M
(d)1×10-4M~2×10-3M,または
(e)1×10-4M~5×10-4M
の範囲のモル濃度である,組成物。
【争点】
(1)構成要件充足性
   ア 「(有効安定化量の)緩衝剤」(構成要件B,F,G)の充足性
(2)無効理由の有無
   ア 国際公開第96/04904号(乙1の1公報)に記載された発明(乙1発明)に基づく新規性欠如
【裁判所の判断】
1 争点(1)ア(「(有効安定化量の)緩衝剤」(構成要件B,F,G)の充足性)について
 前記前提事実(3)イのとおり、被告製品は構成要件Gに規定されているモル濃度の範囲内にある量のシュウ酸を含有するところ,このシュウ酸は添加されたものではない。原告は,「緩衝剤」であるシュウ酸はオキサリプラチン水溶液中に存在すれば足り,添加されたシュウ酸に限定されないから,被告製品は構成要件B,F及びGを充足すると主張するのに対し,被告は,「緩衝剤」であるシュウ酸はオキサリプラチン水溶液に添加されたものに限定されるから,被告製品は上記各構成要件を充足しないと主張するので,以下検討する。
(1)まず,特許請求の範囲の記載をみるに,本件発明は,その文言上,オキサリプラチン,水及び「有効安定化量の緩衝剤」である「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」を「包含」する「安定オキサリプラチン溶液組成物」に係る物の発明であり,緩衝剤であるシュウ酸等のモル濃度を一定の範囲に限定したものである。そして,オキサリプラチン水溶液に「包含」される緩衝剤であるシュウ酸等の量のみが規定され(構成要件G),シュウ酸等を添加することなど上記組成物の製造方法に関する記載はない。この「包含」とは「要素や事情を中にふくみもつこと」(広辞苑〔第六版〕参照)をいうことからすれば,オキサリプラチン水溶液に「包含」されるシュウ酸とは,オキサリプラチン水溶液中に存在する全てのシュウ酸をいい,添加したシュウ酸に限定されるものではないと解するのが相当である。
(2)緩衝剤であるシュウ酸に関する上記解釈は,以下のとおり,本件明細書の記載から裏付けることができる。
ア 本件明細書(甲2)の発明の詳細な説明欄には,以下の記載がある。
イ 本件明細書の上記各記載を総合すると,本件発明は,従来からある凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチン生成物及びオキサリプラチン水溶液(乙1発明)の欠点を克服し,すぐに使える形態の製薬上安定であるオキサリプラチン溶液組成物を提供することを目的とする発明であって(段落【0010】,【0012】~【0017】),オキサリプラチン,有効安定化量の緩衝剤及び製薬上許容可能な担体を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物に関するものである(同【0018】)。この緩衝剤は本件発明の組成物中に存在することでジアクオDACHプラチン等の不純物の生成を防止し,又は遅延させ得ることができ(同【0022】,【0023】),これによって本件発明はこれら従来既知のオキサリプラチン組成物と比較して優れた効果,すなわち,①凍結乾燥粉末形態のオキサリプラチン生成物と比較すると,低コストであって複雑でない製造方法により製造が可能であること,投与前の再構築を必要としないので再構築に際してのミスが生じることがないこと,②従来既知の水性組成物(乙1)と比較すると,製造工程中に安定であること(ジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体といった不純物が少ないこと)といった効果を有するもの(同【0030】,【0031】)と認められる。そうすると,本件明細書の記載からは,本件発明が,従来既知のオキサリプラチン組成物(凍結乾燥粉末形態のものや乙1発明のように水溶液となっているもの)の欠点を克服し,改良することを目的とし,その解決手段としてシュウ酸等を緩衝剤として包含するという構成を採用したと認められるのであり,更にこの緩衝剤を添加したものに限定するという構成を採用したとみることはできない。
(3)以上によれば,構成要件Gに規定されたモル濃度の範囲内にある量のシュウ酸を含んでいれば構成要件B,F及びGを充足すると解すべきところ,被は本件発明の技術的範囲に属すると判断するのが相当である。
(4)これに対し,被告は,①オキサリプラチンを水に溶解した際に解離して生成されるシュウ酸は,オキサリプラチンの分解によって生じる不純物であり,ジアクオDACHプラチンの生成を防止する効果を有しないこと,②本件明細書の実施例は,添加したシュウ酸の量をもって緩衝剤の量としていること,③本件発明は,シュウ酸を添加しないオキサリプラチン水溶液である乙1発明の改善を目的として,その解決手段としてシュウ酸を添加することとした発明であることからすれば,「緩衝剤」とは添加したシュウ酸等に限られる旨主張するが,以下のとおり,いずれも採用することができない。
ア ①について
本件発明の「緩衝剤」とは,オキサリプラチン水溶液を安定化し,それにより望ましくないジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体等の不純物の生成を防止し,又は遅延させ得るあらゆる酸性又は塩基性剤を意味する(本件明細書の段落【0022】)から,水溶液中の不純物の生成の防止等に効果があれば「緩衝剤」に当たるということができる。そして,オキサリプラチンを水に溶解するとその一部がジアクオDACHプラチンとシュウ酸に解離して化学平衡の状態になり,不純物であるジアクオDACHプラチンの更なる生成が妨げられるというのであるから(乙8),水溶液中の解離したシュウ酸は「緩衝剤」に当たると解される(なお,化学平衡となることが本件特許の優先日前に周知であったとしても,新規性欠如等の無効理由が生じ得ることは格別,本件発明の特許請求の範囲にいう「緩衝剤」の意義についての上記解釈に直接影響するものではない。)。
イ ②について
本件発明の特許請求の範囲及び本件明細書の記載によれば「緩衝剤」は添加したシュウ酸に限定されないと解すべきことは前記(1)及び(2)のとおりである。本件明細書中の実施例に関する記載は,特許請求の範囲にいう「緩衝剤」の意義を解釈するに当たっての考慮要素の一つであるが(特許法70条2項),以上に説示したところに照らせば,本件において実施例の記載をもって「緩衝剤」の意義を被告主張のように解することは困難である。
ウ ③について
本件発明が,乙1発明(水溶液となっているもの)だけでなく,凍結乾燥粉末形態のものを含む従来既知のオキサリプラチン組成物の欠点を克服し、改良することを目的とするものであることは、前記(2)のとおりである。したがって,この点も「緩衝剤」を添加されたものに限ると解すべき根拠とするに足りるものでない。
3 争点(2)ア(乙1発明又は乙6発明に基づく新規性欠如)について
前記1で説示したとおり,「緩衝剤」であるシュウ酸は添加したものに限定されないところ,被告は,そうであるとすれば,本件発明は乙1発明又は乙6発明と実質的に同一であるから新規性を欠くと主張するものである。
(1)乙1発明に基づく新規性欠如
ア 本件特許の優先日前に頒布された刊行物である乙1の1公報には,以下の記載がある(以下では,乙1の2公報の請求項及び頁番号を引用する。)。なお,「オキサリプラティヌム」と「オキサリプラチン」は同義である。
イ 上記各記載を総合すると,乙1の1公報には,以下の内容の乙1発明が開示されているものと認められる。
「 オキサリプラチン,水及びシュウ酸を包含する安定オキサリプラチン溶液組成物。」
ウ 本件発明と上記イの乙1発明を対比すると,緩衝剤の量につき,本件発明が構成要件Gに規定するモル濃度の範囲としているのに対し,乙1発明がこれを特定していない点で相違する。したがって,本件発明が乙1発明との関係で新規性を欠くとは認められない。
エ これに対し,被告は,①乙1の1公報の追試結果(乙5,14)によれば,乙1発明におけるシュウ酸のモル濃度は6.07×10-5~7.54×10-5Mの範囲に,②乙1の1公報の実施例におけるシュウ酸のモル濃度を試算すると,5.35×10-5~5.61×10-5Mの範囲にあり,いずれも構成要件Gが規定するモル濃度の範囲内であるから,上記ウの点は相違点とはならない旨主張する。
そこで判断するに,①については,乙1発明においてはその特許請求の範囲の記載からしてpHの値がオキサリプラチン水溶液の安定性,すなわち不純物(これにはシュウ酸も含まれる。)の量に影響する重要な要素の一つであると考えられるところ),乙1の1公報の実施例におけるpHの値は5.29~5.65の範囲にあるのに対し(乙1の2公報の8頁の表),上記追試においては5.8~6.1(乙5)又は5.7~6.6(乙14)の範囲にある。このことからすれば,被告のいう追試は,乙1の1公報を正確に再現したものとみることはできないから,これらが正確な追試であることを前提とする被告の上記主張①は採用することができない。
②については,被告は,乙1の1公報の実施例における「不純物」(乙1の2公報の8頁の表)の数値を基に,オキサリプラチンの分解により発生する不純物がシュウ酸及びジアクオDACHプラチン又はジアクオDACHプラチン二量体のみであると仮定して,シュウ酸のモル濃度を試算している。しかし,乙1の1公報には上記「不純物」について「クロマトグラムのピークの分析は,不純物の含量と百分率の測定を可能にし,そのうち主要なものは蓚酸であると同定した。)との説明があるのみで,その具体的な内容について言及がないから,上記「不純物」をシュウ酸とジアクオDACHプラチン又はジアクオDACHプラチン二量体のみとする仮定は正確でないというべきである。したがって,被告の上記主張②も採用することができない。
7 結論
以上の次第で,被告製品はいずれも本件発明の技術的範囲に属するものであり,本件特許に無効理由があるとは認められないから,原告が本件特許権の行使を妨げられることはない。
 
【解説・感想】
緩衝剤は、文言上も、添加したものに限られておらず、裁判所の判断は妥当と考えられる。
先行技術文献において、同様の組成物等が記載されており、クレームに記載された構成要件に係る数値が開示されていない場合には、追試を行なって、当該組成物がクレームに記載の数値を満たすことを示すことができれば、新規性を否定する材料となり得る。本件では、被告側が、先行技術文献の記載に基づいて追試を行なったが、その結果、pHの値が先行技術文献に記載の値と異なっていたため、追試の正確性が否定されて、被告による新規性欠如の主張が認められなかった。
明細書においては、実験手順のうちのごく細かい部分については、意図的であるか否かにかかわらず、記載が省略されることは通常行なわれていると思われる。そして、このような細かい条件によって、得られる溶液のpHがずれることは十分に考えられる。本件に係る発明では、溶液中で電離している物質の緩衝能がポイントとなっており、このような電離の状態はpHの影響を受けると考えられるため、pHの値が再現できなかった追試結果により新規性が認められなかったことはやむを得ないと考えられる。