オキサリプラチン事件

  • 日本判例研究レポート
  • 知財判決例-侵害系
判決日 2016.12.28
事件番号 H28(ネ)10031
発明の名称 オキサリプラチン溶液組成物ならびにその製造方法及び使用
キーワード 文言解釈
事案の内容 害訴訟の控訴審であり、地裁で認められた侵害が、取り消されて非侵害となった。

事案の内容

【ポイント】
 クレームの「緩衝剤」は、オキサリプラチン溶液に外部から添加されるものに限定され、「解離シュウ酸」を含まないとされた点がポイントである。原審(H27(ワ)12416)では、「緩衝剤」は、添加されたものに限定されず「解離シュウ酸」を含むとされた。なお、同一の特許を用いて提訴されたうち本件の原審と、H27(ワ)28467(無効)以外のH27(ワ)29158、H27(ワ)29158、H27(ワ)29001、H27(ワ)28699、H27(ワ)12415、H27(ワ)15355,H27(ワ)28849,H27(ワ)28468では、「緩衝剤」は「解離シュウ酸」を含まないと判断された。

 

【請求項1】
A オキサリプラチン,
B 有効安定化量の緩衝剤および
C 製薬上許容可能な担体を包含する
D 安定オキサリプラチン溶液組成物であって,
E 製薬上許容可能な担体が水であり,
F 緩衝剤がシュウ酸またはそのアルカリ金属塩であり,
G 1)緩衝剤の量が,以下の:
(a)5×10-5(注:10のマイナス5乗)M~1×10-2(注:10のマイナス2乗)M,
(b)5×10-5(注:10のマイナス5乗)M~5×10-3(注:10のマイナス3乗)M,
(c)5×10-5(注:10のマイナス5乗)M~2×10-3(注:10のマイナス3乗)M,
(d)1×10-4(注:10のマイナス4乗)M~2×10-3(注:10のマイナス3乗)M,または
(e)1×10-4(注:10のマイナス4乗)M~5×10-4(注:10のマイナス4乗)M
の範囲のモル濃度である,
H pHが3~4.5の範囲の組成物,あるいは
I 2)緩衝剤の量が,5×10-5(注:10のマイナス5乗)M~1×10-4(注:10のマイナス4乗)Mの範囲のモル濃度である,組成物。

 

被告の製品
 被告製品は,医薬品として製造販売の承認を受け販売されているオキサリプラチン製剤であるところ,通常の市場流通下において2年間安定であることが確認されている。
 被告製品は,いずれもオキサリプラチン及び水を包含し,別紙被告製品目録記載1の製品につき5.4×10-5(注:10のマイナス5乗)~5.5×10-5(注:10のマイナス5乗)M,同2の製品につき5.5×10-5(注:10のマイナス5乗)M,同3の製品につき5.4×10-5(注:10のマイナス5乗)Mの範囲のモル濃度であるシュウ酸が検出されているが,これらのシュウ酸はいずれも添加されたものではない。また,被告製品のpHの値は,3~4.5の範囲にある。
被告は、A、C、E、Gについて争っていない。(なお、Gについては、解離シュウ酸のモル濃度を争っていないだけであり、クレームのモル濃度が添加したシュウ酸のモル濃度であるとして争っている)

 

【争点】
(1)被告製品が本件発明の技術的範囲に属するか。
ア 構成要件B,F及びGの「緩衝剤」の充足性
 その他(判断されていないため省略)

 

【裁判所の判断】
 当裁判所は, 本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸に限られ,解離シュウ酸を含まないものと解されるから,解離シュウ酸を含むのみで,シュウ酸が添加されていない被告製品は,構成要件B,F及びGの「緩衝剤」を含有するものではなく,したがって,本件発明の技術的範囲に属しないものと判断する。その理由は,以下のとおりである。
1.本件発明について(略)
2 本件発明の「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸に限られるか,解離シュウ酸も含むか。
(1)特許請求の範囲の記載について
 特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならない(特許法70条1項)から,まずは,「緩衝剤」の意義について,本件発明に係る特許請求の範囲の記載からみて,いかなる解釈が自然に導き出されるものであるかを検討する。
ア まず,本件発明に係る特許請求の範囲の記載によると,本件発明は,①「オキサリプラチン」(構成要件A),②「緩衝剤」である「シュウ酸またはそのアルカリ金属塩」(構成要件B,F)及び③「担体」である「水」(構成要件C,E)を「包含」する「オキサリプラチン溶液組成物」に係る発明であることが明らかである。そして,ここでいう「包含」とは「要素や事情を中にふくみもつこと」(広辞苑〔第六版〕)を意味する用語であるから,本件発明の「オキサリプラチン溶液組成物」は,上記①ないし③の各要素が,当該組成物を組成するそれぞれ別個の要素として把握され得るものであると理解するのが自然である。
 しかるところ,本件特許の優先日当時の技術常識によれば,「解離シュウ酸」は,オキサリプラチン水溶液中において,「オキサリプラチン」と「水」が反応し,「オキサリプラチン」が自然に分解することによって必然的に生成されるものであり,「オキサリプラチン」と「水」が混合されなければそもそも存在しないものである。してみると,このような「解離シュウ酸」をもって,「オキサリプラチン溶液組成物」を組成する,「オキサリプラチン」及び「水」とは別個の要素として把握することは不合理というべきであり,そうであるとすれば,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」とは,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られると解するのが自然といえる。
イ 次に,「緩衝剤」の用語に着目すると,「剤」とは,一般に,「各種の薬を調合すること。また,その薬。」(広辞苑〔第六版〕・乙49)を意味するものであるから,このような一般的な語義に従えば,「緩衝剤」とは,「緩衝作用を有するものとして調合された薬」を意味すると解するのが自然であり,そうであるとすれば,オキサリプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」することが想定し難い解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,「緩衝剤」には当たらないということになる。
ウ 更に,本件発明においては,「緩衝剤」は「シュウ酸」又は「そのアルカリ金属塩」であるとされるから,「緩衝剤」として「シュウ酸のアルカリ金属塩」のみを選択することも可能なはずであるところ,オキサリプラチンの分解によって自然に生じた解離シュウ酸は「シュウ酸のアルカリ金属塩」ではないから,「緩衝剤」としての「シュウ酸のアルカリ金属塩」とは,添加されたものを指すと解さざるを得ないことになる。そうであるとすれば,「緩衝剤」となり得るものとして「シュウ酸のアルカリ金属塩」と並列的に規定される「シュウ酸」についても同様に,添加されたものを意味すると解するのが自然といえる。
エ 以上のとおり,本件発明に係る特許請求の範囲の記載からみれば,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが自然であるといえる。
(2)本件明細書における定義について
 次に,特許請求の範囲に記載された用語の意義は,明細書の記載を考慮して解釈するものとされる(特許法70条2項)ところ,本件明細書には,「緩衝剤という用語」について,「オキサリプラチン溶液を安定化し,それにより望ましくない不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得るあらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」があるので,これとの関係で,いかなる解釈が相当であるかについて検討する。
ア 「酸性または塩基性剤」との記載について
本件定義においては,「緩衝剤」について「酸性または塩基性剤」であるとされ,飽くまでも「剤」に該当するものであることが前提とされている。しかるところ、「剤」という用語の一般的な語義に従う限り,オキサリプラチンの分解によって自然に生成されるものであって,「調合」することが想定し難い解離シュウ酸(シュウ酸イオン)は,上記「酸性または塩基性剤」には当たらないと解するのが相当といえる。
イ 「不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得る」との記載について
(ア) オキサリプラチン水溶液においては,・・・十分な時間が経過すると,両反応(正反応と逆反応)の速度が等しい状態(化学平衡の状態)が生じ,オキサリプラチン,ジアクオDACHプラチン及びシュウ酸の量(濃度)が一定となる。
(イ) しかるところ,上記のような平衡状態にあるオキサリプラチン水溶液にシュウ酸を添加すると,ル・シャトリエの原理(平衡にある系の状態を決定する変数のいずれか一つに何らかの変化が起こると,平衡の位置はその変数の変化の効果を減殺する方向にずれるという原理。)によって,シュウ酸の量を減少させる方向,すなわち,ジアクオDACHプラチンとシュウ酸が反応してオキサリプラチンが生成される方向の反応が進行し,新たな平衡状態が生じることになる。そして,この新たな平衡状態においては,シュウ酸を添加する前の平衡状態に比べ,ジアクオDACHプラチンの量が少なくなることが明らかであるから,上記の添加されたシュウ酸は,不純物であるジアクオDACHプラチンの生成を防止し,かつ,ジアクオDACHプラチンから生成されるジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止する作用を果たすものといえる。
(ウ) 他方,解離シュウ酸は, 水溶液中のオキサリプラチンの一部が分解され,ジアクオDACHプラチンとともに生成されるもの,すなわち,オキサリプラチン水溶液において,オキサリプラチンと水とが反応して自然に生じる上記平衡状態を構成する要素の一つにすぎないものであるから,このような解離シュウ酸をもって,当該平衡状態に至る反応の中でジアクオDACHプラチン等の生成を防止したり,遅延させたりする作用を果たす物質とみることは不合理というべきである。
ウ 小括
 以上によれば,オキサリプラチン水溶液中の解離シュウ酸は,本件定義における「酸性または塩基性剤」に当たるものとは解されず,また,「不純物,例えばジアクオDACHプラチンおよびジアクオDACHプラチン二量体の生成を防止するかまたは遅延させ得る」ものともいえないというべきであるから,本件定義に照らしてみても,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが相当である。
(3)本件明細書のその他の記載について
 さらに,本件明細書のその他の記載をみると,次のようなことがいえる。
ア 本件明細書の実施例に関する記載によると,実施例1ないし17は,いずれも水に緩衝剤(実施例1ないし7においてはシュウ酸ナトリウム,実施例8ないし17においてはシュウ酸)及びオキサリプラチンを混合することにより製造されるものとされており,緩衝剤は外部から加えられるものとされている。また,これらの実施例に係る成分表(表1Aないし1D)には,上記製造時に加えられたシュウ酸又はシュウ酸ナトリウムの重量とこれに基づくモル濃度のみが記載され,また,これらの実施例に係る安定性試験の結果を示す表(表4ないし7)においても,上記成分表と同一のモル濃度が記載されており,解離シュウ酸を含むシュウ酸のモル濃度については何ら記載されていない。このような実施例に関する記載からすると,本件明細書においては,「緩衝剤」の量(モル濃度)に関し,解離シュウ酸を考慮に入れている形跡は見当たらず,専ら加えられるシュウ酸等の量(モル濃度)のみが問題とされているものといえる
イ 略
ウ 略
エ 以上によれば,本件定義以外の本件明細書の記載に照らしてみても,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが相当といえる。
(4)本件発明の目的(乙1発明との関係)について
ア 前記1(2)で述べたとおり,本件特許の特許請求の範囲の記載及び本件明細書の記載を総合すれば,本件発明は,乙1発明を含むオキサリプラチンの従来既知の水性組成物(オキサリプラチンと水のみからなるオキサリプラチン水溶液)の欠点を克服・改善すること,すなわち,乙1発明等に比して生成されるジアクオDACHプラチンやジアクオDACHプラチン二量体といった不純物が少ないオキサリプラチン溶液組成物を提供することをその目的とし,その解決手段として,所定量の「シュウ酸又はそのアルカリ金属塩」を「緩衝剤」として包含する構成を採用したものであると認められる。
 そして,これを前提とすれば,本件発明の「緩衝剤」は,乙1発明において生成される上記不純物の量に比して少ない量の不純物しか生成されないように作用するものでなければならない。しかるところ,水溶液中のオキサリプラチンの分解により平衡状態に達するまで自然に生成される解離シュウ酸は,乙1発明中にも当然に存在するものであるから,このような解離シュウ酸のみでは,乙1発明に比して少ない量の不純物しか生成されないように作用することは通常考え難いことといえる。
 以上のような本件発明の目的及び本件発明と乙1発明との関係に照らしてみても,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,解離シュウ酸を含むものではなく,添加シュウ酸に限られるものと解するのが相当といえる。
(5)まとめ
 以上の検討結果を総合すれば,控訴人主張の「外国における対応特許等の出願経過」を考慮するまでもなく,本件発明における「緩衝剤」としての「シュウ酸」は,添加シュウ酸に限られ,解離シュウ酸を含まないものと解される。
 しかるところ,被告製品は,解離シュウ酸を含むものの,シュウ酸が添加されたものではないから,「緩衝剤」を含有するものとはいえず,構成要件B,F及びGの「緩衝剤」に係る構成を有しない。
 そうすると,被告製品は,その余の構成要件について検討するまでもなく,本件発明の技術的範囲に属しないものと認められる。

 

【所感】
 特許権者の主張は、特許公報の段落0022の「緩衝剤という用語は、本明細書中で用いる場合、・・・あらゆる酸性または塩基性剤を意味する。」の「あらゆる」に拘泥し、特許公報の実施例や思想を同一にする他国の出願審査における主張に反したものである。本願の課題、特許公報の記載、対応外国出願での主張を熟慮すれば、特許権者は、技術的思想として、シュウ酸を添加することのみを考えており、解離シュウ酸までは考えていなかったと思われる。したがって、特許権者のモル濃度に解離シュウ酸も含むとの主張は、特許公報の段落0022の「あらゆる」との文言に拘泥して特許後に権利範囲を拡張しようとするものであり、当業者の技術常識や明細書の他の記載、対応外国出願での主張内容にも反した強引な主張であり、詭弁、屁理屈に感じる。また、特許権者の行為は、信義則や倫理に悖ると感じる。
 これに対し、侵害被疑者の主張は、知財高裁の判断は、辞書、特許請求の範囲の記載、明細書の記載、当業者の技術常識に基づいた矛盾のない主張である。従って、知財高裁の判断は妥当であると思う。
 本件では、同一PCT出願から各国展開した対応外国出願禁反言については、『「外国における対応特許等の出願経過」を考慮するまでもなく』として、判断を避けている。しかし、同一特許に基づく別の侵害訴訟のH27(ワ)28468では外国における対応特許等の主張が判断されている。外国出願禁反言は、問題になる可能性があり、侵害被疑者も主張していたことから、判断を避けるのでは無く、積極的に判断しても良かったと思われる。なお、出願人としては、外国出願と日本出願で主張が矛盾しないように注意すべきである。